日別アーカイブ: 2020/09/29

堀勝先生インタビュー「染がたり」 3/3

 川島テキスタイルスクールは、設立から47年続いている歴史の中にあります。熟練の染色の専門家で、スクールの専任講師として20年以上教えている堀勝先生に、本校の修了生である近藤裕八講師が、このほどインタビューを行いました。3回シリーズの最終回は、技術継承について、堀先生にとっての染めとは、健康の源、80歳を越えた今の思いなどについて語っていただきました。

第一回

第二回

◆  技術は継承されている

——先生は川島織物で定年まで勤め上げ、その後スクールで教えて、合わせて62年以上も糸染めに携わっておられます。

 実は、定年の約3年前に染色室の配属から外れて、別部署に配属されたことがありました。その時の上司が、私の入社時に同じ染色部門で働いていた人で、「せっかく染色の技術があるのにもったいない。会社としても損失だ。何とか生かそう」と考えてくれて、ちょうど前任者が辞めるタイミングも重なってスクールへの配属が決まった。もしその上司との出会いがなければ、私はそのまま定年を迎えて退職し、染色を続けられていなかった。そんな経緯があって今、私はここにおります。

——そんなことがあったのですか。知らなかったです。

 配置転換にあたってその上司から、「ただ教えるだけではあかん。川島織物の技術を継承しているという思いを持って、教務にあたってほしい」と言われたことが、今でもすごく印象に残っている。だから教える時、その言葉が常に頭にあって、いい加減な教え方をしたらあかんと気を引き締めています。

 開校時(1973年)、このスクールはただ教えるだけではなく、手織り文化の拠点にするという社長の強い思いがありました。それにメセナと言って、当時、企業による文化や芸術支援の風潮が日本全国に広まっていた。川島織物も、織物の文化・手織りの技術で社会に貢献するという構想があって作られた学校で、私がスクールに来た時(1996年から引継ぎで兼務、99年から専任)、ここは技術者や研究者、作家、織物の設計や分解に至るまで、手織りに関するすべてが集まる場になっていた。近藤先生の時はありましたか?設計や分解の講座。

——ありました。「機織論」という授業で、織物の設計図を作成するにあたり、実際の織物を分解して読み解き、組織図を書いたり、密度や素材を調べたりしました。今は分解の授業は行っていませんが、基礎織や天秤機など他の授業で組織図の勉強をします。こういう授業があるのは、文化財の修復も担う川島織物だからかもしれませんね。

 スクールの使命の大きな一つは、川島織物の手織りの技術、織物の文化を継承すること。開校当初は、一流の技術を持った人たちがここに集って技術と文化を教えようという高い理想があって、生徒を募集していた。それが世代交代で段々と人が変わる。人が変わっていく中で継承をどうするか? このスクールは川島織物の技術者が教えるのが始まりやったやけど、年月が経ったらそういうわけにはいかずに、修了生が先生になる。元々、川島の先生に教えてもらったわけやから、今でも技術は継承されていると私は思ってるんや。

授業前の素振りは長年の日課

◆少しでも皆さんの役に立てたらいい

——先生は、スクールだけでも20年以上勤めておられます。続けるモチベーションはどこから?

 スクールに来た当初は技術の継承ということを強く意識したけど、実際に教え始めてからはあまりそのことは考えんようになりました。でも20年間同じことの繰り返しではあかんから、その年によって少しずつ内容を変えています。学生たちが次々と新しいことを言ってきて、私もその度に新しい発見がある。特に専門コースの2年目、専攻科の人たちは具体的な目標を持って独自の制作をするから想像しないことも言ってきて、その度に一緒に考える。教えて終わりではなくて、いろんな交わりがあるのが楽しいな。だから毎年、今年はどんな生徒さんが入ってきて、どんなものを作るのかという楽しみが、一つの大きなモチベーションやな。

——ずっと染めと共にある人生。そんな先生にとっての染めとは?

 人とのつながりやと思います。専門コースの学生とワークショップ受講者を合わせて毎年100人ぐらい教えていて、それを20年続けていたら2000人超。それだけ多くの人との交わりがある。常々思っているのは、受講してもらった人に「ありがとうございました」と言って帰ってもらうのが最高の幸せですわ。スクールに来る人は習いたいという熱意があるから、一生懸命取り組む人が多い。やりたい人を教えるのが一番の大きな幸せ。私はよく「にこやか」とか「穏やかな性格」とか言われますが、ありがとうと言われることで、自然とそういう性格になっていくのかなという思いもある。にこやかに人と接していられるから。

——先生はゴルフにも精力的に取り組んでおられます。先生にとってゴルフとは?

 切っても切れない健康の源なんです。気力も体力も保てるから。ゴルフができんようになったら仕事をやめる時やな(笑)。スクールの仕事にはストレスはまったくない。普通の職場になると人間関係が複雑になってストレスを抱えたりするけど、ここは職場というより工房という感じ。ストレスがあるのはゴルフの方(笑)。いいバランスでできていて、それが健康にもつながっている。ゴルフは35歳ぐらいから始めて、もう50年近くになります。ゴルフができるのは仕事のおかげかもしれんし、一生懸命仕事してのゴルフやから楽しみも倍増する。

——スクールで学びたい人に伝えたいことはありますか?

 他の学校と違うのは、技術を継承して学んでほしいという思いが底辺に流れていること。それに伴う設備が充実していること。深い理念のもとに教えているから、より深い染織の技術を学べる。

 それは、先生をはじめ、今のスクールに関わる人たちにも伝えたいこと。開校当時の川島の思いを胸に置きながら接してほしい。その思いを持っていると、生徒たちにも段々と通じてくると思う。ただ教えるだけとは違う。その思いを感じてほしいなと思います。

——この川島テキスタイルスクールが、設立からもうすぐ50年を迎えるという歴史の中で、この学校の理念や技術など受け継がれたものがあること。それを堀先生の口から直接聞いて、改めてそうだなと感じました。僕は学生から始まり、ここで専任講師として過ごす中で、時代の変化とともに、スクールに学びに来られる方々の作りたいものが変わってきていると感じます。すべてが昔のままではやっていけない部分もありますが、根本的な技術や、ものづくりに対する姿勢は変わらないので、大切に伝えていきます。今日はありがとうございました。

 私も、こんなインタビューの機会がなかったら、自分の仕事を振り返らへんからな。改めて見つめることができました。ありがとうございました。

 最後に伝えたいことがあります。私は今、自分が頑張るというより、少しでも皆さんの役に立てたらいいという気持ちが強いです。それはスクール設立の理念、企業の社会貢献に通じるもの。それが今、80歳を越えて、わき出る私の思いです。

おわり