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堀勝先生インタビュー「染がたり」 3/3

 川島テキスタイルスクールは、設立から47年続いている歴史の中にあります。熟練の染色の専門家で、スクールの専任講師として20年以上教えている堀勝先生に、本校の修了生である近藤裕八講師が、このほどインタビューを行いました。3回シリーズの最終回は、技術継承について、堀先生にとっての染めとは、健康の源、80歳を越えた今の思いなどについて語っていただきました。

第一回

第二回

◆  技術は継承されている

——先生は川島織物で定年まで勤め上げ、その後スクールで教えて、合わせて62年以上も糸染めに携わっておられます。

 実は、定年の約3年前に染色室の配属から外れて、別部署に配属されたことがありました。その時の上司が、私の入社時に同じ染色部門で働いていた人で、「せっかく染色の技術があるのにもったいない。会社としても損失だ。何とか生かそう」と考えてくれて、ちょうど前任者が辞めるタイミングも重なってスクールへの配属が決まった。もしその上司との出会いがなければ、私はそのまま定年を迎えて退職し、染色を続けられていなかった。そんな経緯があって今、私はここにおります。

——そんなことがあったのですか。知らなかったです。

 配置転換にあたってその上司から、「ただ教えるだけではあかん。川島織物の技術を継承しているという思いを持って、教務にあたってほしい」と言われたことが、今でもすごく印象に残っている。だから教える時、その言葉が常に頭にあって、いい加減な教え方をしたらあかんと気を引き締めています。

 開校時(1973年)、このスクールはただ教えるだけではなく、手織り文化の拠点にするという社長の強い思いがありました。それにメセナと言って、当時、企業による文化や芸術支援の風潮が日本全国に広まっていた。川島織物も、織物の文化・手織りの技術で社会に貢献するという構想があって作られた学校で、私がスクールに来た時(1996年から引継ぎで兼務、99年から専任)、ここは技術者や研究者、作家、織物の設計や分解に至るまで、手織りに関するすべてが集まる場になっていた。近藤先生の時はありましたか?設計や分解の講座。

——ありました。「機織論」という授業で、織物の設計図を作成するにあたり、実際の織物を分解して読み解き、組織図を書いたり、密度や素材を調べたりしました。今は分解の授業は行っていませんが、基礎織や天秤機など他の授業で組織図の勉強をします。こういう授業があるのは、文化財の修復も担う川島織物だからかもしれませんね。

 スクールの使命の大きな一つは、川島織物の手織りの技術、織物の文化を継承すること。開校当初は、一流の技術を持った人たちがここに集って技術と文化を教えようという高い理想があって、生徒を募集していた。それが世代交代で段々と人が変わる。人が変わっていく中で継承をどうするか? このスクールは川島織物の技術者が教えるのが始まりやったやけど、年月が経ったらそういうわけにはいかずに、修了生が先生になる。元々、川島の先生に教えてもらったわけやから、今でも技術は継承されていると私は思ってるんや。

授業前の素振りは長年の日課

◆少しでも皆さんの役に立てたらいい

——先生は、スクールだけでも20年以上勤めておられます。続けるモチベーションはどこから?

 スクールに来た当初は技術の継承ということを強く意識したけど、実際に教え始めてからはあまりそのことは考えんようになりました。でも20年間同じことの繰り返しではあかんから、その年によって少しずつ内容を変えています。学生たちが次々と新しいことを言ってきて、私もその度に新しい発見がある。特に専門コースの2年目、専攻科の人たちは具体的な目標を持って独自の制作をするから想像しないことも言ってきて、その度に一緒に考える。教えて終わりではなくて、いろんな交わりがあるのが楽しいな。だから毎年、今年はどんな生徒さんが入ってきて、どんなものを作るのかという楽しみが、一つの大きなモチベーションやな。

——ずっと染めと共にある人生。そんな先生にとっての染めとは?

 人とのつながりやと思います。専門コースの学生とワークショップ受講者を合わせて毎年100人ぐらい教えていて、それを20年続けていたら2000人超。それだけ多くの人との交わりがある。常々思っているのは、受講してもらった人に「ありがとうございました」と言って帰ってもらうのが最高の幸せですわ。スクールに来る人は習いたいという熱意があるから、一生懸命取り組む人が多い。やりたい人を教えるのが一番の大きな幸せ。私はよく「にこやか」とか「穏やかな性格」とか言われますが、ありがとうと言われることで、自然とそういう性格になっていくのかなという思いもある。にこやかに人と接していられるから。

——先生はゴルフにも精力的に取り組んでおられます。先生にとってゴルフとは?

 切っても切れない健康の源なんです。気力も体力も保てるから。ゴルフができんようになったら仕事をやめる時やな(笑)。スクールの仕事にはストレスはまったくない。普通の職場になると人間関係が複雑になってストレスを抱えたりするけど、ここは職場というより工房という感じ。ストレスがあるのはゴルフの方(笑)。いいバランスでできていて、それが健康にもつながっている。ゴルフは35歳ぐらいから始めて、もう50年近くになります。ゴルフができるのは仕事のおかげかもしれんし、一生懸命仕事してのゴルフやから楽しみも倍増する。

——スクールで学びたい人に伝えたいことはありますか?

 他の学校と違うのは、技術を継承して学んでほしいという思いが底辺に流れていること。それに伴う設備が充実していること。深い理念のもとに教えているから、より深い染織の技術を学べる。

 それは、先生をはじめ、今のスクールに関わる人たちにも伝えたいこと。開校当時の川島の思いを胸に置きながら接してほしい。その思いを持っていると、生徒たちにも段々と通じてくると思う。ただ教えるだけとは違う。その思いを感じてほしいなと思います。

——この川島テキスタイルスクールが、設立からもうすぐ50年を迎えるという歴史の中で、この学校の理念や技術など受け継がれたものがあること。それを堀先生の口から直接聞いて、改めてそうだなと感じました。僕は学生から始まり、ここで専任講師として過ごす中で、時代の変化とともに、スクールに学びに来られる方々の作りたいものが変わってきていると感じます。すべてが昔のままではやっていけない部分もありますが、根本的な技術や、ものづくりに対する姿勢は変わらないので、大切に伝えていきます。今日はありがとうございました。

 私も、こんなインタビューの機会がなかったら、自分の仕事を振り返らへんからな。改めて見つめることができました。ありがとうございました。

 最後に伝えたいことがあります。私は今、自分が頑張るというより、少しでも皆さんの役に立てたらいいという気持ちが強いです。それはスクール設立の理念、企業の社会貢献に通じるもの。それが今、80歳を越えて、わき出る私の思いです。

おわり

堀勝先生インタビュー「染がたり」 2/3

 熟練の染色の専門家でスクールの専任講師である堀勝先生のインタビューの第二回です。染めを教える上で大事にしてきたこと、学生から染色の魔術師と呼ばれたエピソードなどについてお話を聞きました。聞き手は、近藤裕八講師です。

第一回

◆家で自分で染められるように

——普段、先生と接していると、染色に対する探究心を感じます。

 私はただ、今までの経験を伝えているだけ。特に手織りの糸染めの作業の基本は、今も昔も変わらない。ただ、ねじり染や、ぼかし染、ぶっかけ染などの特殊な染め方を考えています。

——年齢を重ねていくと頑固になりがちと言いますか、僕たちや若い世代の意見を聞き入れにくくなる部分があるのかなと思うのですが、堀先生は柔軟に受け入れて、こうしようと提案してくださいます。

 楽しく染色に取り組んでほしいからな。染色に失敗はつきもの。色が合わなかったら染替えしたらいいし、配色を替えてもいい。むら染になっても織物になったらかえって面白い場合もある。染色は頑固になるような仕事ではないで。たかが染色されど染色。ただ、糸だけは丁寧に扱ってほしい。糸さえ弱らず乱れてなかったら何とでもなるから。

——今、染色が面白いと思うことはありますか?

 自分が染めるよりも、私が教えた人が、色合わせが上手になるのを見るのが好きやな。

——スクールで教える上で大切にしてきたことは?

 習った人が、家にある設備で、自分で染められるようになることを心がけて教えています。ただ染めるだけとは違って、染める前にもいろいろな工程があるから、その一つひとつのコツを教えてあげようと思って実践している。糸のひねり方、綛の置き方、脱水機にかける時の糸の置き方など、糸の扱い方一つにも、それぞれ細かなコツがいろいろあるんです。

——授業中は作業に必死で、すぐにピンとこないこともありますが、僕も学生の時に、先生の指導内容をノートに記して後で読み返していました。一人でやる時に、その細かな一つひとつが大切だなと実感します。

 在学中は、私も手助けするから一緒に染められるけど、卒業後、本人が自分で染められるようになってほしいから。染めること以上に、前後の作業工程のアドバイスも私の大きな仕事。これは、私だから教えられることと思っています。

 もう一つ、データ見本を持つことが必要。これから本格的に染めをする人は、まずはデータ見本を作成してほしい。それは、ここの学生だけではなく、織物をする人に広がっていってほしいな。

1990年代初頭の川島テキスタイルスクール染色室にて

◆データ見本作成はスクールの財産

——データの整備。

 私がスクールに配属になった時は勘染め*しかなかったから、第一にデータを整備したんです。基本染法を教えるのも大事ですが、自分で染められるようになるためには、まずデータ見本を持つことが必要。化学染色では染料を配合しないと思った色が出ません。天然染色で色合わせは不要で、基本染法さえ覚えたら色がそれなりに出るから、初めて染める人は草木で染める人が多い。ただ草木は発色の限度があるから、データ作成を兼ねて化学染色の受講を希望する人も多いです。

*勘染め:データがなくても、自分の勘で染料(黄・赤・青の3原色)を入れて、色を合わせていく技術。

——スクールの染色データは、堀先生が来られてから築かれたのですね。

 データ作成講座はスクールの財産です。一般の人は自分で作ったデータ見本を持つことから始めてほしい。ただ、データを持つだけではまだ不十分。色は無制限にあるから、自分の染めたい色が見本にない時はデータ修正が必要になる。データをどう動かしていけばいいかわからない時に、勘染めの技術が必要になってくる。そこでスクールでは、データ作成と勘染めをセットにして習ってほしいと言っています。今、スクールには糸種毎に120〜130色位のデータがあります。

——先生は学生の間で、染色の魔術師と言われていたそうですね。

 授業中、糸をグリーン系に染めたかった学生が、誤ってピンク色に染めてしまい、また新しい糸を使って染めようとしていたことがありました。そこで、新しい糸を使わずに、そのピンクの上から勘で染料を加えて、一瞬にして本人が望むグリーン系の色に変えたところ、それを見た学生たちから「先生、魔術師みたいやな」と言われたこともあったな。

——ワークショップでも、染めの実習を時間内で目一杯されています。その理由は?

 ワークショップは、その目的だけで参加してもらっているから、皆、集中力があるし、遠方から参加してくれる人も多いので、できるだけ多くの成果を持って帰ってほしいという思いもあるな。限られた時間内で作業の段取りを考えるのも勉強になるし、その方が終えた後の充実感が大きいと思う。それは参加者本人が、学びたいという強い気持ちで来てくれるからできること。専門コースは年間を通しての授業やからあまり詰め込み過ぎずに、留学生は習慣が違うからきっちり休憩時間が必要やけどな。

——教えることは、先生にとって第二のキャリア。

 第二のキャリア築こうと思って来たわけではないで。この年齢(81歳)になるまで働くとは思ってなかったから(笑)。ありがたいこっちゃと思ってるんやで。この染色の仕事をやっていてよかったという思いは、事あるごとに浮かんでくるな。入社当時は染色が嫌だったのを辛抱した結果、今に至るから、あの時辞めなくてよかったなという思いでいます。

第三回(最終回)へつづく(2020年9月29日更新予定)

堀勝先生インタビュー「染がたり」 1/3

 川島テキスタイルスクールでは、熟練の染色の専門家が専任講師として教えています。堀勝先生(81歳)。(株)川島織物(現・(株)川島織物セルコン)の染色部門に42年、定年後、スクールに配属され、糸染めの基本から、植物・化学染色とデータ作成、勘染めを20年以上教えている頼りになる存在です。高度な専門性と穏やかな人柄で、国内外からの受講者に広く人気がある堀先生に、このほどインタビューを行いました。聞き手は、本校の卒業生である近藤裕八講師です。染めと共に歩んできた仕事を振り返りながら、たっぷりと語られたインタビューを3回に分けてお届けします。初回は、染色との出会い、糸染めの基本動作から色合わせの勘どころ、皇居関連施設の内装などに携わったエピソードについてです。

◆勘で染める究極、糸が呼ぶ

——染色の仕事との出会いについて教えてください。

 高校卒業後の就職先が(株)川島織物(以下、「川島織物」と記す)で、配属先が染色部門だったのが始まり。高校は工業系で、化学、機械、紡織の3つの科のうち、当時(1950年代)は就職難で、就職がしやすいからと親に言われて、化学科に進んだ。入社後は、美術工芸織物の染色部門に配属され、当初はあまり好きになれずに最初の1〜2年は嫌やな〜と思いながらやっていたんです。親からは「石の上にも三年」頑張れとよく言われてな。でも定年までずっと染色一筋でやってきたおかげで今があるわけで、染色部門に配属されてよかったなあと今は思ってるんやで。

——手染めは、未経験から始められたのですか?

 そう。当時はまだ染色機械はなくて、全て手染め。2人1組になって10〜20キロの糸を毎日染めてたんです。我々新人は相棒と呼ばれ、染色前の染色棒に糸を掛けたりする前準備をし、染色後に水洗や脱水をする下働きを2年ぐらい。夏は蒸気で暑く、水を含んだ糸は重くて過酷な労働やったな。

——その中で、仕事は見て覚えたのですか?

 見て覚えるというよりは、まずは染色の基本動作を身につける。染色時の染浴の中での糸の動かし方や繰り方、水洗時の洗い方、糸を干したり、ねじったりする時のやり方など、ただ染めるだけでなく糸を乱さない扱い方をだいぶ教えてもろたな。色合わせの工程は、まだまだ先のこと。

——染めの後には織りの作業があるので、初めの段階で糸が乱れると、次の工程に影響が出てしまいますから必要な作業ですね。そこから染色に移ったきっかけは?

 人員の高齢化と、仕事量が多くなったことで、私も少しずつ色合わせの作業をやらせてもらうようになったんです。染色とは、まず色合わせをすること。色合わせはプロでも難しく、ある程度は教えてもらうんやけど、上達するには自分の能力と勘が大事。

——勘を鍛えるのに心がけたことはありますか。

 数多く染めることに尽きる。色合わせは人に教えてもらっても上手くはならへんな。人に教えてもらったことはすぐに忘れてしまうから。染料は自分の勘で入れていくけれど、世の中に色は無限にあるから、あらゆる色を染められるようになるためには3〜4年、それ以上かかる。勘で染める究極は、染色中に染糸を見たら、今、糸がどの染料をどれぐらいほしいか糸が呼んでいるようになります。色を見たら、あの染料とこの染料を何対何位で入れるということが、実際に染めなくても頭によぎる。当時は日常生活で散歩していても、何か珍しい色に出会うとそんなことを考えながら歩いてたな。

1958年の(株)川島織物色染工場。当時19歳の堀先生は前列右から二人目。

◆染料の能力を100パーセント出す

——染色の工程の業務に就いてからは、どんなお仕事をされてきたのですか?

 緞帳、山車幕、着物の帯地や文化財の復元も。趣味で染めている時は染色も楽しいかも知れんけど、仕事となるとそういうわけにはいかへん。納期もあるし、製品になってからの品質の責任もあるし、色が落ちるというクレームもある。色が落ちるということは、もちろん使っている染料の能力もあるけれど染め方も悪いということ。いつもその染料の能力を100パーセント出してやるような染め方をするように心がけてきたな。

——42年を振り返って、その中でも楽しかった仕事はありますか?

 日常業務以外に、特注の製品を手がけた時は、ああ染色をやってよかったなと思うことが時々あったな。長い染色生活で見たら、ほんまに一瞬のことやけど。

 当時、天皇・皇后両陛下が乗車される御料車(お召し列車)という特別列車の内装(カーテン、椅子張り等)や、赤坂迎賓館の造営の内装の紋ビロード壁張りなど、皇居関連施設など宮内庁の織物の仕事の染色に携わったことが多くありました。その中でも印象深いのは、「即位の礼」(令和元年10月22日)が挙行された皇居正殿松の間の仕事。天皇陛下の御座の後ろに、紫地に金糸で大王松という松の柄を織り込んだ大きなつい立てが置かれている。そのつい立ての織物を、最初の色出しから本番まで染めました。紫でもいろいろあるけれど、特にあの色は帝王紫という名前がついているほど高貴な色。設計の担当者と何度も打ち合わせてテスト染めをし、本番でやっと「この色でいいです」と言われた時は嬉しかったな。正殿松の間がテレビに映ると、その仕事を思い出します。国の公式行事等で織物がテレビに映った時、帝王紫の色合いを是非見てほしいです。

 それから、奈良・法隆寺近くにある藤ノ木古墳の仕事もありました。発掘調査の結果、見つかった石棺があって、その中に葬られていた人が着ておられた織物を復元するプロジェクトの一員として参加。それまでは日常業務に追われていたのもあって染色の歴史や古代の染色にあまり興味はなかったけれど、これを機に、参考文献を読んで勉強したな。

第二回へつづく(2020年9月23日更新予定)

スクールの窓から 3 「デザイン演習 II」

川島テキスタイルスクールの専門コースでは、様々な先生が教えています。専任講師をはじめ、外部からも作家や技術者などを講師に招き、風通しのいい環境を作っています。このシリーズでは、そんな専門コースの授業の一部をご紹介します。(不定期掲載)

夏から秋にかけて、織造形作家の林塔子さんによる授業「デザイン演習 II」が行われています。様々な技法を用いてテーマ性のある作品を作り、合評を行うという一連の流れを繰り返すこの演習では、課題制作を通して素材の魅力を自分で探求するのが目的。8月27日、2つ目の課題の合評会が行われました。

「この素材だとドレープの良さを生かせる」、「この布を触った時、赤ちゃんの柔らかさのようだと思った」。触感からイメージを膨らませて、布を重ねたり、しわを寄せたり、糸で動きを出したりと試行錯誤して仕上げた課題作品。壁に貼り、一人ずつ制作の経緯を説明します。合評会は、作品が他の人の目に触れて、自分の言葉で説明する訓練の場。初回の気づきを踏まえた2回目。イメージを形にする過程から、それぞれの得手不得手が見え、一人に向けたアドバイスが、それを聞いている他の生徒たちにも新たな気づきとして広がっていきます。

「素材に触れていくうちに、思いもよらない感覚に出会う瞬間があります。そのニュアンスを感じ取り、独自の感覚として深めると作品制作につながる。それは技法が変わっても生かせますし、演習がその突破口になればと思っています」と林先生。手触りを確かめながら、自分と向き合う時間が続きます。

◆ 林先生にとって織りとは? 「時間のつながり」

幼少期を過ごしたインドネシアで出会った織物。島ではゆったりと時間が流れ、人々がおしゃべりしながら腰機で織っていて、古代から変わらない織り技法が暮らしに溶け込んでいるのを見ました。それが原体験となり、「織物と時間」は私の中で一つにあります。制作中、密度を織る感覚になる時があります。経糸と緯糸の交差で、昔から続く時も織り込んでいく。そうして時間のつながりを表現できるのが私にとっての織物です。

〈林塔子さんプロフィール〉

はやし・とうこ/主に裂織の技法を用いタペストリーや小立体、アクセサリー等を制作。2016年、第15回国際タペストリートリエンナーレ(中央染織博物館 ポーランド・ウッジ)「佳作賞」。2019年、京都の染織~1960年代から今日まで(京都国立近代美術館・京都)他、個展、公募展、グループ展など。成安造形短期大学専攻科修了。成安造形大学空間デザイン領域非常勤講師。

在校生の声(専門コース本科) 3

2020年4月に専門コース本科に入学した方々の声を紹介します。 そのうち3名に入学の動機や、織りとの向き合い方、4カ月を経た実感などについて今の率直な想いを語ってもらいました。3回シリーズでお届けします。

「織りながら自分の好きを発見していく」木村華子

美術系の高校で染色を専攻。卒業後の進路で、次は織りを基礎から学びたいと希望した時に、先生に紹介されたのがこのスクールです。見学時、施設内に展示してある作品を見てこんなことができるのかと感動し、留学生が楽しそうに織っていて、皆で交流できるアットホームな雰囲気に魅かれました。

私は、伝統的な手仕事に興味があります。大工の父の影響なのか、ものづくりが大好きです。授業で8メートルの平織りをした時に達成感があって、コツをつかんできれいに織れるようになると、もっと織りたい意欲にかき立てられました。細い糸を使って、幅を整えながら一定の繰り返しで織る平織りが好き。実際に織る中で、自分の好きを発見しています。

実は入学前は、織りに対して苦手意識がありました。高校の授業でも織りを経験したのですが、当時はわからないままに織っていたからです。今、綴織の授業を受けていて、疑問があるとすぐに先生に聞いて解決できます。様々な技法を細かく教わり、都度理解しながら進んでいけるので、今は織ることが楽しいです。織るたびに、自分の中から湧き上がる作りたい気持ちに気づく日々。できることが少しずつ増えているので、これからの制作が楽しみです。

スクールの窓から 2 「デザイン演習 I」

川島テキスタイルスクールの専門コースでは、様々な先生が教えています。専任講師をはじめ、外部からも作家や技術者などを講師に招き、風通しのいい環境を作っています。このコーナーでは、そんな専門コースの授業の一部をお届けします。今回は担当講師による紹介です。(不定期掲載)

5回目:デザイン

4月から5回にわたり、本科では「デザイン演習」の授業を行いました。授業ではデッサンをすることで果物や野菜などのモチーフとじっくり向き合い、5回目に織実習・綴の自由制作で織るタペストリーのデザインをしました。

普段の生活の中で、わかったつもりでいる物は意外と多くあります。果物や野菜もしっかり見る機会はあまりなく、食材として数秒間見て状態を確認するだけで終わりがちです。何時間もかけてじっくり見て、触れて、想像することで、新たな面を発見し、ものの見え方が変化する感覚を味わうことは制作において貴重な経験になると思います。そうした観察眼を磨くと、制作のインスピレーションをどこからでも拾えるようになり、モチーフとしっかり向き合った経験がデザインに表れます。なによりも、日常の中で見えるものが変わったりと、ワクワクすることが増えます。

綴のタペストリーのデザインではモチーフの面白いと思ったところからデザインをふくらませ、どういう場所に飾るかなどを想像してもらいました。6月には織実習で綴のサンプルを織り始めていたので、どういう糸や技法を使うかも考えてのデザインになりました。

学生にとって、この授業で得た新しい経験や見方が、今後の制作の下地になったら嬉しいです。

◆ 私にとって織りとは? 「レンズ」

制作をし、スクールで働くことによって身につけた織りの感覚がいつも自然と動いている気がします。日常生活の中で路面表示の矢のマークなどが絣の模様に見えたり、ものを測るのに織りの道具が基準になったりと、無意識のうちに織物のレンズを通して物事を見ていることに気づきました。同時に視野を広げて、織物の長い歴史の中での自分の役割は何だろう、と考えています。

(文・表 江麻)

〈表 江麻プロフィール〉
Instagram: @emma.omote

おもて・えま/京都精華大学芸術学部造形学科洋画科卒業後、川島テキスタイルスクール専攻科修了。着物を制作し、2009年より川島テキスタイルスクールで国内外の学生を教える。