専攻科

「テキスタイルの未来を見据えて」播州研修より 専攻科・日岡聡美

「日本のへそ」といわれる兵庫県西脇市を中心とした北播磨地域。そこは220年以上続く播州織の産地です。糸を染めて織る先染織物の国内有数の産地として、商品企画から染め、織り、加工までを一貫して行っています。専門コースでは産地研修として、西脇市郷土資料館を訪れて地域の風土や播州織の歴史を学び、植山織物株式会社と大城戸織布の工場を見学しました。


西脇市郷土資料館

西脇市に到着し、最初に向かったのは西脇市郷土資料館。西脇と播州織の歴史を紹介している展示を職員の方にご案内いただいた。

西脇市で播州織が織られるようになったきっかけは宮大工の飛田安兵衛が織機を改良したからだそうだ。また、周りの川の硬水が染色に向いていたり、山に囲まれた土地なので湿気があり、糸の乾燥を防げたりと織りに向いている土地だったので西脇の織物業が発展した。

時代が移り変わるにつれて生じた播州織の変化を紹介していた箇所が印象に残った。明治時代から第一次世界対戦前くらいには、織物の色はダークグレーなどの落ち着いた色が主流だった。第一次世界対戦後、国内で布が売れなくなるようになり、また関東大震災の影響で神戸港での貿易が盛んになった事から布の海外輸出が増えていく。この時代は海外向けのカラフルな原色の布が作られていた。第二次世界大戦後、商品の高級化が進み、色も中間色のものが増えた。現在は外国での価格競争もあり、今までのように大量生産ではなく少ロットで品質の高い播州織ブランドとして主に国内で販売されている。このように時代によって織物は変わり、人々の生活に寄り添ってきたという事が分かり興味深かった。

最後に「中入れ札」というカードのような紙をいただいた。以前は布を売る時に中入れ札を一緒に渡していたらしく、デザインもマッチ箱のラベルのようで可愛かった。名刺のようなものだったのだろうか。このような文化を知る事ができるのも楽しい。

植山織物株式会社

二番目に訪問したのは植山織物株式会社さん。織りの他に、外部のバイヤーなどに営業をする「産元」もされている。

社長の植山さんが出迎えてくださり、工場に入った。中では植山織物さんはシャツの布地が主流商品で、特にチェックシャツの生地が多い。回転数(糸を入れる回数)が一分に100-120 回から 600 回と、スピードが違 う複数の自動織機で織って色々な風合いの布地を生産している。

布地見本を見せていただき、同じ経糸・緯糸でも機の回転数、起毛、平織り・綾織など条件を変えると風合いが変わるという事を布地に触れて感じた。このような様々な加工のこだわりが、日本産のテキスタイルの凄さだと感じた。チェックやストライプのようなパターンは、日常的によく着用する人が多いと思う。普遍的な服こそ、長く、心地よく着てもらえる為のこだわりが大事なのだ。

大城戸織布

最後に伺ったのは大城戸織布さん。ジャカード機とドビー機を使って多くのユニークなテキスタイルを作っている。工房に入ったら、天井から沢山の糸が吊られていた。よく見てみたら、通常自動織機で布を織る時処分されてしまう端の部分で、「ふさ耳」と呼ばれているとか。大量のふさ耳の枷は、まるで羽でできたスカーフのようだった。これらは、イベントなどで販売されたり、新しいテキスタイルの素材として使用される。

代表の大城戸さんが工房内を案内してくださった。大城戸織布さんは、主に個人の若手デザイナー向けに小ロットの布地を作っている。「付加価値がある商品」を大事にされており、その為に様々な試みを行っている。使用する糸も工房で撚りあわせ、風合いに変化を出す為撚りの強弱を付けている。

前述したふさ耳を入れ込んだ布を作る工程を見せていただいた。まず無地部分を自動織機で織っていき、一度止めてふさ耳を模様のように入れ込んでいく。織機のスピードは遅めで、ふさ耳のような経糸と糸の太さが違うものでも布のバランスが崩れてしまわないように調節されている。

最後に大城戸織布さんが作られたテキスタイルのショールームを見せていただいた。中には綿、麻、ウールのようなオーソドックスな素材からテグスのようなイレギュラーな素材まで、様々な素材を使用したジャカード生地が溢れていた。奥には大城戸さんのお弟子さんが制作されたという、ふさ耳を使用したコートがあり、発想のユニークさに魅了された。

ショールームでは大城戸さんがテキスタイル業に対する信念を語ってくださった。大城戸さんは難しい加工なども多くの依頼を受け、作ってみる事で実現可能にしていくとおっしゃっていた。日本各地のテキスタイル関係者の方々と繋がりを持ち、情報を共有して共に学び合っているそう。大城戸織布では今後も藍染など新しい事をやっていくそうだ。新しい試みを古くからの技術に複合させ、常にテキスタイルの未来を見据えている大城戸織布さんに強い感銘を受けた。

おわりに
今回は播州織の歴史を学び、二ヶ所の織布会社を訪ねる事ができバラエティに富んだ研修だった。播州織は主にシャツの素材などに使用されていて、日常に近い織物なのだという事が分かった。知らず知らずに、播州織でできた服やインテリアなどが周りにあったのかもしれないと思うと、実際の産地を訪れ制作の現場を見る事ができたのは感慨深い。風合いなど、使う人が心地よく布を使う事ができるためのこだわりを自身も制作に取り入れたいと感じた。また、現場の職人さんの創作への想いを聞く事ができとても貴重な体験になった。彼らの織りに対する熱意と向上心を見習いたいと強く思った。

見えない部分も大事にするデザインを (株)川島織物セルコンでインターンシップ

例年、(株)川島織物セルコンで実施しているインターンシップ。今年度も専門コース専攻科の学生たちがそれぞれ「帯」と「緞帳」の製作の一部を経験しました。現場で専門家から直接指導を受けて、デザインから試作までを行うという、学生にとって学びの多い研修。川島テキスタイルスクールと(株)川島織物セルコンの繋がりだからこそ実現する充実の内容です。「帯」製作のインターンをリポートします。

今回「帯」のインターンを希望したのは、スクールで着物を専攻している学生たち。「帯がどのように作られるのか、一つの商品が出来上がるまでにどのような過程を経るのか知りたい」と参加。基礎講義の後、開発現場へ。草花を原型にした文様「花の丸」をデザインするのに図案、意匠図を作成。そこで設計した紋図をもとに、現場の製作担当者に織ってもらい、力織機の仕組みを学びながらサンプルを仕上げ、最後のプレゼンテーションまでの11日間を走りきりました。

製作現場では、一つの商品を作るのに分業制で進む中で、どの工程でも「いいものを作ろう」という向上心を感じたという学生。インターンシップを経て、これから自身の制作でも「一つひとつの作業をより丁寧にしていこう」と気持ちを新たにした様子でした。また「花の丸」のデザインの指導で、茎や葉の「見えない部分もどう繋がっているのかを大事にする」という助言を受けた学生もいました。スクールに戻るとすぐ自身の着物のデザインをやり直し、学びをさっそく制作に生かしている姿も見られました。

専門コース2年目の夏、それぞれの目標を持ってインターンシップに臨み、製作現場で得たさまざまな気づきを持ち帰った学生たち。視野を広げて、いま自身の制作に向き合っています。

過去のインターンシップの詳しい内容は、こちらのリポートで紹介しています。
・綴織の「緞帳」のデザインと試作を行う、美術工芸生産グループでの昨年のリポート記事
・「帯」のデザインと試作を行う、呉服開発グループでの初年度のリポート記事

*2024年度専門コース本科・技術研修コース入学願書受付中! 一次締切は10月31日です。詳しくはこちら

制作の先に:「和菓子の美しさに見惚れてタペストリーに」鶴屋吉信に学生の作品を展示

京都・西陣にある京菓匠「鶴屋吉信」本店に、今年も学生が制作したタペストリーが納められました。

専門コースでは、2年目の専攻科になると希望者は「店舗空間のためのテキスタイル制作」に取り組みます。新たに展示されたのは陳湘璇さん(2019年度専攻科)の作品「too adorable to eat」で、こんなキャプションが添えられています。

彩りを見ているだけで心が癒される
並べられた和菓子は いつまでも見つめていたいと思う程美しい

陳さんは制作にあたってお店に行き、手作りの和菓子の見た目の美しさに見惚れます。そこで箱詰めされた和菓子のイメージでデザインし、二重織や捺染の技法を用いて、タペストリーに仕立てました。

展示場所は、店内2階の茶寮への階段の踊り場。和の雰囲気にタペストリーがしっくりと馴染んでいます。
「鶴屋吉信」本店に行かれる際には、ぜひご覧ください。

*陳湘璇さんは、スクール修了後も織りの仕事をしながら制作を続けています。陳さんの作品が、このほどイタリアのMiniartextil Comoに入選しました。

instagram: @shung_shoko

仕事としての織りを考える機会に (株)川島織物セルコンで緞帳のインターンシップ

専門コースでは2年目の専攻科に進むと、希望者は(株)川島織物セルコンでインターンシップを経験できます。2022年度は2つのプログラムが設けられ、それぞれ希望者が参加しました。一つは呉服開発グループで、帯のデザインと試作(昨年のリポートはこちら )、もう一つは美術工芸生産グループで、綴織の緞帳のデザインと試作です。今年新たに加わった緞帳インターンシップを紹介します。

綴織は、スクールを作った(株)川島織物(現・川島織物セルコン)が得意とする伝統的な織法。スクールでも1973年の開校当初から、綴織は柱の一つとしてずっと教え続けています。現在は専門コース1年目に、綴織の基礎をはじめ、織下絵の描き方や絵画的な織り表現を学ぶ授業、そしてタペストリーのグループ制作を行っています。学生はそうした土台をつくった上で、緞帳のインターンシップに臨みました。

◆ 早く、正確に仕上げるために

事前準備は原画作成。学生それぞれの出身地のホールに納める想定で、緞帳のデザインを考えます。想定サイズは14×8メートル、そのなかで織りたい部分を1メートル四方で選んで、その試織を10日間のインターンシップで行います。現場では専門家の指導の下、織下絵をつくり、使う糸を決めたり杢糸を配色したりと色糸を設計して製織へ。本来、会社では分業されているところを、このインターンシップでは、一連の流れで取り組むことができます。

スクールの報告会で、参加した二人の学生が口を揃えて言っていたのは「理論的に織る方が早く、正確に仕上げられると実感」したこと。「スピードと品質の両立」は、製品をつくる現場で欠かせないもの。積み上げる段数の数え方や注意点を学び、実際にやってみて、それが腑に落ちたようでした。たとえば、きれいな丸をどうやって織るか。学生の一人は「私は感覚で織りがちなのですが、何段織ったら違和感なく見えるかを最初に確認した方が、より早く織れて、完成形もよくなるとわかりました」と話しました。

◆ 高い集中力でやり切れた自信

製織では、どう織ったらデザインの意図が自然に伝わるか、専門家から技法の助言を受け、プロの目線や思考を学べたのも大きかったようです。「私の少しの間違いにもすぐに気づいて教えに来てくださって、判断力の早さに驚きました。長年の経験と、周囲をよく見る力を感じました」。具体的な技法から織りに向き合う姿勢まで、スポンジのように吸収してきた学生たち。スクールの報告会でも、それぞれに得たものや、見えてきた課題などについて、終始生き生きと語っていました。

「この経験をきっかけに、仕事としての織りをどう考えたか、織りとどう生きていきたいかを考えてみるのも大事」と、スクールの山本ディレクター。参加した学生はインターンシップを通して、スクールの制作とは違う企業の現場での織りを知り、作業の向き不向きに気づいたり、自身と織りとの関わりを見つめたりする機会になったようです。

当初10日間で仕上げるスケジュールは厳しいと感じていたものの、限られた時間で計画的に進め、高い集中力でやり切れたことは、学生の自信にもつながった様子。仕上がった実物を見て、報告を聞いた他の学生も刺激を受けていました。学びの勢いに乗って、今度はスクールで自身の制作に力を注いでいきます。

在校生受賞のお知らせ

専門コース専攻科の近藤雪斗さんが第71回 西宮市展の西宮市展若手奨励賞を受賞しました。


「Frame」−−この日本に、新しいものを建てたい。大きい窓は建物の顔。文明開化への眼差しが、新しいモノづくりへの情熱が、Frameに思いを託す−−/組織織りのラグです。フレーム柄をいかに美しく織れるかが肝。二重織の組織で白黒の色の切替を、ピックアップの技法で滑らかな曲線の工夫を凝らし、作り手のFrameへの思いを手技に託しています。



第71回 西宮市展
7月2日(土)〜9日(土)
※7月4日(月)は休館
10:00-17:00(最終日は15:00まで)
西宮市立市民ギャラリー

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編6 「染色を好きになって、続けてほしい」

熟練の染色の専門家、堀勝先生の授業を取材し、大切にしたい「何か」を見つめるシリーズ。最終回は、専門コース専攻科(2年次)の学生が取り組む作品制作のための染色です。織り作品をつくる過程において、初めに行う糸染めは、要となる部分。そこでどんな色が出せるかによって完成形が決まると言っても過言ではなく、専門家に相談できるのは学生にとって大きな安心です。専攻科の学生の一人が取り組んでいる、着物制作の染色を取材しました。着物を織るのに必要な絹糸を染めるのに、学生は糸の準備から、その扱い、試色、染色、仕上げまで、先生からマンツーマンで指導を受けます。

この動画は「精練」の一場面です。天然繊維に付着した汚れなどを取り除くための作業で、生糸の場合は表面を覆うセリシンという糊状の成分を落として絹本来の光沢と質感を出すのが目的。この日は、経糸用の生糸を40〜50分ほどかけて精練しました。時間をかけて、ゆっくりとセリシンを落とすことが「シルク特有のしっとり感を残すコツ」と堀先生は言い、まずは一連の動作をやって見せます。先生の糸を繰る動きは、なめらかで機敏。糸を絡ませないためのコツが随所にあり、動作を繰り返すうち、程よい間合いやリズム感が生まれてきます。しかし、慣れない学生にとっては難しいもの。特に繊細な絹糸は絡まりやすく、糸の扱いにも細心の注意が必要です。


◆「もうちょっと」を繰り返す

染色は、経糸、緯糸、絣糸と段階を追って進めていきます。絣糸を染色する日、学生は自ら括った千本もの絣糸を大事そうに抱えて持ってきました。学生は、糸を束にして括る作業を数週間かけてやり通し、満を持してこの日を迎えたのです。これだけの量の絣糸を染める学生は珍しく、「僕もいまだに勉強や」と堀先生は言います。先生は、染色職人として42年の土台の上に、スクールで20年以上教えている熟練者。それでも毎回、学生と同じ目線に立ち、新鮮な目で染色と向き合うところから始めています。

絣糸を括る作業は地道で時間がかかるのに対して、本番の染色は一発勝負。事前に何の染料を使い、どういう方法で染めるかなどを相談し、先媒染までを済ませた状態で、学生はこの日に臨みました。「思った色になりにくいから、天然染色は難しいで」と、先生は念を押します。この日染めるのは紫、緑と黄緑色。紫には紫根を、緑には緑葉エキスを使い、そこから黄緑色に変えるのに、試色時はカリヤスを用いたのだそう。ところが本番では緑色は出ず、初めから黄緑色になるというアクシデントが起きます。すぐさま、「藍を足そか」と機転をきかせる先生。そして染料とお湯の量を調整しながら、学生が望む色に合わせるためにアドバイスをします。

染色では染めるたびに室外に出て、外光の下で染まり具合を確認。先生も生徒も、色と向き合う表情は真剣そのもの。「どうや?」「もうちょっと」。再び染色し、何の染料をどのぐらい足したのかを記録していく。そうして何度も「もうちょっと」を繰り返す色合わせのセッションが続きます。「いい色になりました、先生!」と、学生の声のトーンが上がった瞬間、色が合ったのを確認した先生の顔もほころびました。「最後にもう一回染めとこか」と先生は言い、仕上げを経て「思った色になりました」と、学生はほっとした様子でした。「もうちょっとのあんばいが難しい。そんな時、先生のアドバイスはとても参考になるんです」

◆染色を広く、深く

堀先生の染色の授業に入り、その教える姿から「大切な何か」を探っていった今回のシリーズ。実習ではデータ見本を持つ必要性から始まり、ぴったりの色合わせが出発点になるという勘染め、糸を乱さないための基本動作や、糸との向き合い方など、染色を広く、深く学べるスクールの側面を紹介してきました。

先生を慕い、アドバイスを求める学生は多く、先生は「僕も、(年齢的に)もうそんなに長くはいられんけど、もう少しおらなあかんな」と穏やかに話します。根本にあるのは「染色を好きになってほしい、続けてほしい」という思い。「大切な何か」とは、このシンプルさに立ち返るように思いました。そこが一切揺らぐことなく、どの実習でも学生に接する態度からにじみ出ていたからです。

次の一年も、堀先生は学生に寄り添って歩み続けます。


おわり

〈取材が終わって—堀先生のつぶやき〉

 2021年4月の初回から半年以上にわたり、スクールのスタッフによる密着取材を受けてきました。主旨は、授業内容そのものよりも私の「教えている姿」ということ。自身ではどうすることもできないテーマで、まさにありのままを取材してもらう「まな板のコイ」の心境でした。記事には、授業で私が意識していない言葉や動作、生徒とのやりとり等が汲み取られていて、掲載のたびに気恥ずかしさもありました。

 前年度に受けたロングインタビュー「染がたり」から、今回のシリーズの取材を通じ、私自身も改めて今までの長い染色人生を振り返ることができました。80を超えた今になって、このような機会にめぐり会えて感謝です。インターネットを通して国内外から、このシリーズ記事をお読みくださった皆さん、ありがとうございました。来年度は、取材のプレッシャーから解放されます(笑)

修了生を訪ねて:布づくりからの洋服づくり「のの」長友宏江さん

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コースでは、年に一度、織りを仕事にしている修了生による授業を行っています。2000年度に専攻科を修了した長友宏江さんは、10年に「のの(nono)」というオリジナルブランドを立ち上げ、布をつくり、洋服や鞄、小物の企画、デザイン、製作、販売までを手がけている方です。校外学習として、長友さんのアトリエ兼ショールームを訪ねました。そこで学生の頃の作品や、今実際に販売している洋服や布小物、生地サンプルなどを見せてもらいながら、これまでの学びや仕事の経験を、どう製品づくりに生かしていったのかなど、お話を伺いました。

◆拠点も人生も、DIY精神で

長友さんは2021年2月、それまでの10年間ショールームを運営していた場所を離れて、同じ京都市内の一軒家に新たな拠点を立ち上げたばかり。案内してもらった2階のショールームはアットホームな雰囲気で、壁塗りや床張りなどのリフォームは自ら行ったそうです。その自分でやるというDIY精神は、ご自身の人生にも通じていて、「学生時代に取り組んだことが、今に至るまでずっとつながっているんです」と、長友さんはにこやかに話し始めます。

子どもの頃からつくるのが好きだったという長友さんは、「洋服を仕立てる仕事がしたい」と、まずは服飾の大学へ進学しました。そして「自分でつくった布で仕立てたい」という強い思いのもと、卒業後に家庭科の講師をしてお金を貯めて、KTSに入学。織りと染めの基礎を学んで、自分が純粋に魅かれるものを探し求めた先にステッチの面白さに目覚め、2年目の専攻科では、あえて織りをやらずに、ひたすらステッチの作品づくりに取り組んだと言います。当時身につけた独自のステッチ使いは、現在もカバンや帽子などの製品づくりで生かされています。

綴織の緞帳製織の仕事を経て、その後、母校の大学で助手として勤めながら大学院へ進学。「多重織りの洋服をつくりたい」、構造や質感など「テーマを決めて織る」という目標を持ち、洋服制作を行ったそうです。多重織りの洋服づくりは今も続けていて、学んだことを製品に応用するのに、素材やストレッチの強度、形を変えるなどして、着心地を良くするための工夫をしています。

◆一人でも続けていく

次に求めたのは、編みの仕事。卒業後は生地から企画・デザインして洋服をつくるジャージ製造会社に就職しました。そこで使っていたのは丸編み機という、丸く筒状に生地を編むニットの機械で、中が見えない編み機の仕組みを理解するために、「部品を外し、分解した状態で各パーツをスケッチして、頭に叩き込んでいました」と。そう当時の経験を語る長友さんは、どこか楽しそう。機能や仕組みが細かく記されたページを「結構面白いです」と言って見せてくれました。「針が通る道があり、どこに引っ掛けて編んでいくか、どこで糸を上げ下げするのか。織りも同じですよね。仕組みを知らないと、うまく使いこなすことができないと思うので」

「のの」の製品には、手織りの他に、編み地のものも多く、なかには当時の勤務先で培った技術を自ら展開させたものもあります。長友さんは一枚のショールを見せて、端っこを縫わない工夫を説明。それは勤めていた会社で自ら編み出した方法だそうですが、その後、会社は倒産。しかし、そこであきらめないのが長友さん。「じゃあ、私やろうかな」と、一人でも続けていったそうです。当時、勤務が終わってから夜な夜な取り組んでいたという、たくさんのサンプルづくりも、現在の製品づくりに生かされています。

◆好きなことを続けるために、補う何かを持つ

いま、独立して10年。ショールームに並んでいる製品は、長友さんがこれまで学びや経験を糧にして、幅を広げてきた賜物なのでしょう。オリジナルな魅力にあふれた製品の数々には、長友さんの静かな情熱が込められています。

「ただ単に好きなことをして暮らしたいという、わがままなやつなんです」。そう穏やかに笑う長友さんですが、「安定はしない」という現実も伝えます。とくに、ここ2年近く続いているコロナ下で、展覧会などのイベントが軒並みキャンセルになっている状況。そこで「一つの道だけじゃなく、それを補う何かを持っておく」と再確認したそうです。「私の場合は家庭科の免許を取ったのも、大学院に行ったのも、教える仕事で生活を安定させるためでもありました」。それが、好きなことを続けていくための道、と。

その上で長友さんは、「やりたいことはやった方がいいかな。やらないでいると、たぶん後悔すると思うんです」と、まっすぐに語ります。「大変な状況でも、いろいろ考えればできちゃうもんなんで。あの時、コロナで大変だったからあきらめたというよりは、大変でも、やったって思う方が力になる」

いま、スクールで学んでいる学生たちも、それぞれに昨年からの大きな変化で自分を見つめ直して、やっぱり手織りを学びたい、続けていきたい、という思いで日々、制作に励んでいます。だからこそ、いま、長友さん自身の実感から語られたことは、ストレートに胸に響いたことでしょう。最後に長友さんは、こうエールを送りました。「大変な時期を乗り越えた自分というのが、後々すごく力になると思うので突き進んで。私も突き進みます!」

◆  長友さんにとって織りとは? 「楽しみなこと」

何もないところから、何を自分が選ぶかで形にしていける。織りにしても編みにしても同じですが、縫製など自分が手を加える範囲が狭い状態で洋服になり、織ったまま、編んだままで着られる。そうやってゼロから100まで、すべて自分でやる楽しみがあります。出来上がりを想像する楽しみもあって、想像を超えたものができたりもする。それが面白いです。

〈長友宏江さんプロフィール〉

ながとも・ひろえ/杉野女子大学(現・杉野服飾大学)卒業。家庭科の講師を経て、川島テキスタイルスクールで学ぶ。2000年、専攻科を修了し、織物会社で綴織の緞帳製織に携わる。東京に戻り、母校の大学で助手をしながら多摩美術大学大学院美術研究科へ進学。卒業後、ジャージ製造会社に就職し、ジャージ生地のデザイン・企画・製造を担当。07年から10年まで、atelier KUSHGULに参加。10年10月に「のの」を開業。

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