専攻科

スクールの窓から:「タペストリーで会話が成立する、お守りのような存在」 表現論・中平美紗子さん講義

 専門コース「表現論」の授業で、テキスタイル・アーティストの中平美紗子さんを講師に迎え、オーストラリアのメルボルンに制作滞在した経験を中心に話していただきました。「半分は計画どおり、半分は予想外の展開」だったという滞在について、終始生き生きとした様子で語られた時間でした。

◆タペストリーは世界共通
 作家、講師、レジデンス制作を軸に活動し、作家としては主に綴織タペストリーを制作、「個展をメインに作品を発表することを大事にしています」という中平さん。講義ではまず、出身地の高知県の土佐和紙を用いた初期の作品から、コロナ下で縞模様をモチーフとした制作に変化し、黄色ストライプの不定形のタペストリー制作に至る、これまでの変遷を説明されました。

 続いて2023年秋から1年間、ポーラ美術振興財団の海外研修員として渡豪した体験談へ。内容は制作活動をはじめ、現地で印象的だったアートの紹介、渡豪してから選出されたタペストリー工房でのアーティスト・イン・レジデンス経験、大規模な制作プロジェクトへの参加、それらの経験を通した自身の変化までが、ひとつながりに語られました。

「行ってみて最初は言葉も通じず、ホームシックにもなって大変でした。そんな中でも、タペストリーは見せたら会話が成立する。世界共通のコミュニケーション・ツールであり、私にとってはお守りのような存在だと思いました」

 そう締めくくった中平さんの言葉からは、タペストリーに対する深い思いが伝わってきました。

◆絵画との相違点も類似点も
 お話の後は、これまで制作した小作品やテストピースなどを見せてもらいました。実際に使った下図や資料とともに、「イメージを実現するために何が一番適しているのか、とにかく手を動かしながら」試行錯誤したプロセスや、「頭の中のイメージと下図と実物のギャップを少なくする」工夫などが具体的に話されました。

 学生たちは制作のヒントを探るように話を聞き、質問タイムに入ると、それぞれが中平さんの話の中で印象に残った部分を拾いながら発言。一人の学生は、タペストリーを絵画的か彫刻的かという観点から「どちらかといえば彫刻的」に追究してこられたところが印象に残った、と。対して中平さんは、「タペストリーじゃないとできないことって何だろう?とすごく関心があります。彫刻を一通り勉強し、次は絵画から生かせることがありそうだと思って、今は絵画の系譜を勉強し直しています。相違点も類似点も一通り把握した上で、今取り組んでいるテーマがあります」と情熱をにじませながら応答しました。

 探究心あふれる中平さんの姿勢に、3月の修了展に向けて動き出した学生たちも静かに響いた様子。「制作の悩みでも何でもいいですよ」と水を向けられると、「あれもこれもやりたいとなって一つに決められず、今自分が表現したものがわからない」と素直に打ち明ける学生も。中平さんは「今の様々な締切、環境や織機の条件に一番適して、ストレスにならないものを選び取る。やる/やらないと極端じゃなく、ちょっと可能性として置いておく。今後、長く表現活動を行っていくことを前提に、今は表現を模索する時期にして何でもやってみたらいい。条件と相談しながら、学校の施設を存分に使えるこの時期にできることに向かってみては、と思います」と寄り添うように話し、「すべてつながっていくので」とまっすぐに語りました。

 じつはオーストラリアで中平さんを受け入れたメンターの方は、約40年前、川島テキスタイルスクールの留学生だったそうです。「スクールに滞在した時のことを今でも鮮明に覚えていらして、リタイアした今もタペストリーを織ったり指導したりされています」と、スクールとのつながりも共有してくれました。

 中平さんを通じてタペストリーの“共通言語”としての頼もしさを感じ、つながりの奥行きを思えた授業でした。

〈中平美紗子さんプロフィール〉
なかひら・みさこ/高知県出身。京都を拠点に活動するタペストリーアーティスト。オーストラリアをはじめ、イギリス、フランス、アメリカなど国内外で作品を発表している。2023年度ポーラ美術振興財団海外研修員としてオーストラリア・メルボルンに1年間滞在、作品制作を行った。2017年、京都造形芸術大学大学院(現:京都芸術大学大学院)芸術研究科芸術専攻修士課程総合造形領域修了

instagram:@nakahira_misako

*中平さんは2021年「表現論」でもゲスト講師として来られました。授業リポート記事はこちら

「”機械織り”と一言で片づけられない、技術を持った人の手」尾州テキスタイル研修 専攻科・福田葉月

 スクールを出発して約3時間、12万点もの素材サンプルがひしめき合う生地の図書館、最初の目的地テキスタイルマテリアルセンターに到着した。年間1~2千点もの新たな生地サンプルが集まり保存されているこの場所には、アパレル関係者や学生、そして国内外のデザイナーが訪れる。

仕上げ次第で表情ががらりと変わる

 初めに株式会社イワゼンの岩田社長から、これまで手掛けてきたテキスタイルについて実物に触れながらお話を伺った。華やかで目を引くカットジャガードは、フリンジの切り方の差や縮絨加減で同じテキスタイルでも全く異なる表情を見せてくれ、織り上げて完成ではなくそこから更なる個性を引き出せる奥行きのある織物。はたまた、生地の一部に糊を置いて縮絨する部分縮絨で仕上げたものは、毛織物ならではのユニークな表情をしている。次々に手渡されるテキスタイルたちはバラエティに富んでおり、「かわいい!」「おしゃれ!」といった第一印象から、一枚一枚に詰まった技法や製品になるまでのエピソードを踏まえて触れてみると、どんどん生地の見え方が更新されていくような感覚になった。直接触れさせてもらえたことで、斬新なデザインだけでなくアパレルとして身に着けても心地良い質感も体感することができた。

 著名なブランドや若手のデザイナー、ファッション系の学生など様々な相手との生地作りを行っていて、要望に対して実現可能な表現手法を提案してすり合わせながら、多種多様なテキスタイルを生み出し続けているそうだ。尾州は産地全体で分業体制が確立しているため、撚糸屋さんや機屋さんなど複数の人の手がかかわる分、それぞれとの交渉やサポートも含めた広い視野と経験値が必要とされるポジションだと感じた。そして、この仕事が面白くてたまらないということも強く感じられた。

 その後、駆け足でサンプルの森をめぐり、尾州を盛り上げる様々な取り組みについてもお話を伺った。木曽川を中心に織物産地が形成されていった歴史や、あちこちに現れるのこぎり屋根の秘密、震災や時勢が与えた変化から世界三大毛織物産地に数えられるまでになった産地の背景も大変興味深かったし、「尾州の組合が全国の産地を支えるのだ」という熱い思いひしひしと伝わってきた。

北向き窓からの光は変わらない

 2ヵ所目の木玉毛織は現在自社としての製織は行っていない代わりに、工場のスペースを繊維にかかわる複数の業者に貸し出しているというちょっと変わった背景を持つ機屋さんだ。中には、カーシートを編む大きな丸編み機に始まり、年季の入ったレピア織機やションヘル織機、そしてガラ紡が並ぶ。手紡ぎ糸のような味のある風合いの糸を生み出すガラ紡は、技術の進歩の中で台数が減り、現在は大変希少な存在になっているそうだ。間近でガラガラと響く音は、明治期の画期的な発明を象徴するものだっただろう。触らせてもらった糸は、ふんわりと柔らかく温かみがあり、ものづくりをする人もそれを使う人も引き付ける魅力を放っていた。

 製造だけでなく、オリジナルの服を販売する新見本工場というアパレルショップも併設されており、若手が中心となって尾州の高い品質を誇るものづくりのノウハウを継承しつつ魅力が詰まったアイテムを発信している。今後の構想もあるそうで、かつて尾張木綿の製織から始まった工場が時を経て形を変え、新たな世代と共に一つの場をつくりあげている様子は、分業で成り立つ尾州の繊維産業の縮図を形成していっているようにも感じられた。

精度と集中力、見習いたい

 最後に訪れた三星毛糸では、スクール出身の社員の方が機場を案内してくれた。工程順に説明を受けたのだが、2000~7000本もの経糸を整経できる部分整経機の仕組みを聞いたその傍らで、職人さんが黙々と綜絖通しを行っていて、しかも一度に2本ずつ通していくという熟練の技術を目の当たりにし、”機械織り”と一言で片づけられないほどに、技術を持った人の手は不可欠なのだと感じた。製織においても、緯糸の受け渡しトラブルや経糸が切れてしまった際は機械が緊急停止するので、やはり人の手でのフォローが必要となる。実際に機械を止めてくれる等、普段目にすることのない現場の様子をじっくり見ることができた。某高級ブランドの生地が掛かった機もあり、美しく華やかな服地ができるまでの工程をほんの一部だが間近で見ることができてとても興味深かった。

 3ヵ所を巡った今回の研修で、尾州が更に身近な産地となった。皆さんの口から当たり前のように有名ブランド名やデザイナーの名前が飛び出す様子は、流石世界に誇る毛織物産地だ。それは上場企業から家内工業までと規模も違えば、撚糸や染織、整理といった工程も異なる、たくさんの作り手たちが連携しながら築き上げてきた結果である。織り(繊維)に関わる一連の工程は、それぞれ無限に突き詰め得るものだから、これは分業の強みだと思う。また、産地に誇りを持ちながらも従来のあり方を踏襲するのではなく、需要や流行に敏感に対応しながら変化していく姿も垣間見え、見習うべき姿勢だと感じた。同時に、更新するだけでなくガラ紡の様にあえて昔からある技術を引き継いでいくのも、産地の幅を広げ独自性を持てる選択で、こういった多様な考えに触れられ様々なことを考えさせられた。今回感じた情熱や柔軟性を自分なりに吸収して、織りとの向き合い方を模索していきたい。

「第28回全国染織作品展」受賞のお知らせ

シルク博物館主催「第28回全国染織作品展」で、専門コース創作科の萩原沙季さんのタペストリー「おしゃべりの余韻」がシルク博物館賞を受賞しました。大賞に次ぐ賞で、萩原さんの作品はシルク博物館が買い上げ、同館の所蔵作品となります。

「おしゃべりの余韻」(2024年度川島テキスタイルスクール修了展時に撮影)

「おしゃべりの余韻」を含む入賞、入選作品は「第28回全国染織作品展」で展示されます。

「第28回全国染織作品展」
2025年10月25日(土)〜11月29日(土)
https://www2.silkcenter-kbkk.jp/akinotokubetsuten_2025/
シルク博物館 神奈川県横浜市中区山下町1番地 シルクセンター2F

修了生インタビュー:「織りは私の人生のアクセントというか衝撃」

 長年勤めた仕事を退職し、ウィークエンドクラスを1年受講後、織りを本格的に身につけたいと専門コースに入学したSさん。現代社会で生き、時間に追われて働いてきたところから、織りを学んでこれまでとはまったく違う価値観の世界を知ったといいます。修了を迎え、「本来の自分を取り戻せて、すごくほっこりしています」と穏やかに語るご本人の、専門コース2年間の歩みをインタビューでたどります。

◆私の力よりもちょっと上のところ、未知の世界へ

——いよいよ修了を迎えますが、専門コースの2年間で特に印象に残ったことはありますか。
 みんなの修了作品です。それぞれ頭の中にあるイメージが違って、自分のやり方で一生懸命形にしている。1枚の布ですが1枚の布だけじゃない、作品の後ろにある人間を感じるところに感動しました。

——このスクールには人生の転機に入学される人や、いろんな背景の人たちが集っていて、作るものにもその人が反映されるのではないかと思います。
 この学校で織りを学ぶ中で、布ってまさに生活そのものだなと感じることが多々あって。表現の要素が、単なる表現ではなく日々に基づいている表現というのかな、それに美しさが加わって。私は『枕草子』が好きで古典作品の中に描かれる美しい衣装から、織物に興味を持ちました。あの随筆には作者が日々の生活の中で見つけた美しいものたちが書き綴られていて、私たちが自分の好きなものを一枚の布で表現しようとすることに通じるように感じます。

——表現の要素についてもう少し聞かせてください。それはアートや自己表現とは違うということ?
 ちょっと違うと思います。学校ではデッサンの授業やデザインを学ぶ演習がある一方で会社(川島織物セルコン)の職人さんがされているような技術を学ぶ織実習もある。糸を紡いで織るという生活に根ざした昔からの土台があって、技術的な部分、芸術的というか新しい表現みたいな部分、と複数の要素があると思います。

——特にそう感じたのは何ですか?
 絣です。絣というと矢絣しか知らなかったんですけど、絣糸の使い方で表現が広がるとわかりました。糸を括って染めるのは、糸によって染め方も違うし、色の境目を括る感覚とか織の風合の感覚とかは技術と勘の部分です。デザインには芸術的な要素が入っていると思うんですけど、自分がやりたいイメージをそのまま絣で落としこもうとすると難しく、織物の経緯の規則性の中で考えながら整えていく。下絵や製図を描いて、理論的にこうできるはずと計画しても自分の技術が追いつかなかったり、糸の性質、織り機との相性、打ち込みの仕方でも変わったりして、自分の限界を超えて取り組んだ感じがします。

——自分の限界を超えて、というのは。
 失敗を繰り返して学び続け、1年目はできなかったことが2年目でできるようになったことも多いです。先生方がたくさん引き出しを持っておられて、こうしたらできると教えていただいて。ただ自分の技術がついていけるかのせめぎ合いで、私の力よりもちょっと上のところ、未知の世界をいっていました。周囲のあくなき美、いいものを追求する姿勢に刺激を受けて私もそこまで必死でたどり着こうとした。今の私の精一杯は出し切ったと思えます。その分しんどかったけど、できたわ!を積み重ねて織りにハマっていきましたね。織りというより絣にハマったのかな。

春が来た (2025)

◆うまくできた時はずしっと肚に落ちた

——個人制作では、絣を使った作品づくりに専念されていました。
 じつは絣は苦手でしたが、自分の中でよくわかっていなかったからわかりたいという気持ちがありました。1年目の修了作品はクラゲの足をモチーフにした経緯絣のタペストリーを制作しました。化学染料で薄い色を何色も染めたのですが、自分で色を出すのが楽しくて。それに絣糸を組み替えながら織って1つの布になるのが面白いと思ったんです。
 2年目の制作では春の野の花をモチーフにした作品を作るのに、綴か絣かどらがいいかを先生に相談し、絣の方がニュアンスが出るのではとアドバイスを受けて経緯絣のパネルにしました。天然染色で色にこだわるのが2年目のテーマだったので、先輩から引き継いだスクールのクサギや市原の葛も使って染めました。その次の作品では波の動きを経のずらし絣で表現したタペストリーにするのにも全て天然染色で染めましたが、絣は染色と相性がいいんじゃないかな。その頃には絣がこうしたらこうなると仕組みがわかってきて面白くなったのもあります。

——学びを深めてきた中、ご自身にとって織りとは何でしょうか?
 頭の中にあるものを形にして表現する面白さや、喜び、驚き(を与えてくれるもの)。制約の中でどうしたら表現できるかを考えるのが好きで、何もないところからイメージを思い描き、工夫しながら作ったものが綺麗な布として現れる。その布が自分の身近にあると楽しいし落ち着くし、自分に自信が持てる。そうやってハマり続けています。

WAVES (2025)

——前年のインタビューでは自分第一主義でいくと話していました。今はどうですか? 
 それはもはや普通になりました。夫がご飯を作れるようになって、帰ったらご飯ができている生活です。この2年間は自分のことしか考えてなく、自分第一主義を貫いた達成感もありますね。特に2年目の専攻科はすごく濃かったです。

——専攻科の何が濃かったですか。
 制作の大変さが少しはわかった気がします。時間との戦いの中、自分がこだわる美しさをどうやったら今の技量で出せるかを考え詰め、落とし込むまでがしんどくて。デザインも最初まとまらず、できるか?と常に自分と向き合って、やめた方がええな、やっぱりここは入れたい、入れたら○本括るの増えるな、でも絶対ここは譲れへん、みたいなせめぎ合いでしたね。制作中もうまくいくか不安でしたが、できた時はずしっと肚に落ちた。不安が回収でき、これでよかったんやと確かなものを得た感覚がありました。

◆織りを通して自分と向き合い、せめぎ合って人間の幅が広がった

——制作を通して、ご自身の変化もあったのでしょうか。
 何に対しても寄り添う気持ちが少しは出てきたように思います。働いていた頃は「早く・大きく・はっきりと」みたいなスタンスでした。現代社会の中に生きていましたから。ですが、ここで学んだ織りは全く違う世界でした。

——どう違いましたか? 
 織りは1ミリ何本の世界じゃないですか。今までざっくり5ミリぐらいで生きてたのに(笑)。糸の扱いも、癖や向きがあるのに無理に自分の思うようにやろうとしてもうまくいかないけど、向きや流れを見てこの人(糸)はどうしたいんやろと考えながらやると、糸が綺麗に揃ったり結べたりすると少しずつわかってきて。これまでとは全く違うものの見方を得て、ややこしいことでも今は一息置いてどうしたらいいのかと考えたり、1ミリのずれを合わそうとする丁寧さを少しは得たかな。でもそれは前の仕事の世界でも実はとても大切なことだったなと思います。

——この現代社会で丁寧に生きるって、本当に大変なことだと思います。
 そうなんですよ、これまで時間に追われて生きてきたので。結局、周りに急かされたり渦に巻かれたりする中で流されて生きてたんやなと今ならわかります。織りを通して自分と向き合い、せめぎ合いながら、少しは人間の幅が広がった感じはします。

——修了を迎えた今、晴れやかな表情されています。
 大満足です。やっぱりこの現代社会の中で生きていた時に、いろんなことがもつれたまま進んで、それがここでほぐれた感じがあります。それは手仕事、手を動かすところから来ているんじゃないかな。

——手を実際に動かしながら、自分もほぐしていけたんですね。
 ほぐしながら自分の好きなものがわかりました。やっぱり綺麗なものが好きやなって。何に綺麗だと思うか、綺麗だと思うものをどう表現するか、どうしたらうまくいくかをじっくり考えて形にしていくプロセスから、本来の自分を取り戻せて、今すごくほっこりしています。

——これから織りをどう続けていきたいですか。
 やっぱり綺麗な布を作りたいです。暖簾とかマットとか私なりの綺麗なものを暮らしの中に取り入れていきたいです。織りは私の人生のアクセント、というか衝撃となりました。もう夢を追うような歳じゃない。だけど去年より今年の方がいろんなことができるようになっているし、小さな可能性から人生を楽しむことはできる、また新しい喜びをつかんでいける、と今は思えます。

在校生インタビュー「やってきたことすべて次に繋がっていく」福井麻希さん(2024年度・専門コース専攻科)

8年勤めた仕事を辞めて川島テキスタイルスクールに入学し、専門コースで学ぶ福井麻希さん。2年目の専攻科では、尾州ファッションデザインセンター主催のものづくりの人材育成事業「翔工房」の書類選考に通過して参加。応募時に作成したデザイン画をもとに、経験豊富な「匠の技」をもつ技術者とコラボレーションして衣装を制作し、ファッションショー、展覧会までを行う事業に取り組みました。このほど繊維業界に就職が決まった福井さんにインタビューを行い、翔工房の経験や、スクールで学ぶ中でどのように自分の適性を見つけて職を得たのか、について語ってもらいました。

福井さんがデザインした生地
写真提供:(公財)尾州ファッションデザインセンター

◆織りの共通言語を持っていた

——福井さんは元々服が好きで、特に生地に興味を持って専門コースに入学されました。2年目の専攻科で「翔工房」にチャレンジしたのは、入学当初の服の生地の興味からでしょうか。

はい。ただ2年目の専攻科では(インテリア・ファッションテキスタイル・着物・帯・造形とコースが分かれる中で)インテリアに進みました。そこでファッションをあえて選ばなかったのは、私は在学中にいろいろ作ってみたい気持ちがあって、特に立体制作に興味があって、インテリアだと空間を使える分自由度が高いと思ったからです。それで2年目はずっとインテリアの織りに専念してきたのですが、元々ファッションに興味があるのを先生もご存知で、情報を教えてもらいました。チャンスがあるならやってみたいと思って応募し、テキスタイルマテリアルセンター(岐阜県羽島市)にも見学に行きました。センターで多種多様な生地を見る中で、機械織りだからこそ実現できるデザインの面白さがあるなと思い、尾州産地のものづくりに更に興味を持ちました。

——「翔工房」では、「匠」と呼ばれる熟練の生地設計の技術者の方からマンツーマンで指導を受けて衣装を製作しました。製作プロセスを教えてください。

まず合同ミーティングで匠の講師の方と顔合わせがありました。その時にテキスタイルマテリアルセンターで一緒に素材サンプルを見て、色や生地の具体的なイメージを共有しました。事業の拠点が尾州(愛知県一宮市や岐阜県羽島市など)で、私は京都で遠方のため、その後は匠講師が資料や糸のイメージのサンプルなどを送ってくださって電話でやりとりしながら進めました。匠講師は意匠糸や絣糸を使って奥行きのある色合いを表現したいという私の希望に対して、服にした時にどう映えるかを見通しながら、設計図に落とし込んでくださいました。都度すり合わせ、微修正をしながら進め、織る段階になると私も工場に出向いて生地サンプルを確認し、納得いく形に仕上げていきました。

——今回の現場で大変だったことや、スクールでの学びを生かせたことはありましたか?

他の参加者はファッションの学校から来ている方が多く、私のように手織りを学んでいる人は少なかったです。最終的に立体の服に仕立てるのに、柄合わせや繋ぎ目まで考えながらデザインするところまでは私は甘くて、難しかった面もありました。ですが普段から学校でデザインだけではなく自分で作っている分、専門的な説明も実感を持って理解でき、匠講師と話が通じやすかったです。機械織りであっても、綜絖とか筬とか基本的な構造は手織りの機と同じなので、機の綜絖枚数の制約でデザインを一部変更しないといけなかった時も、仕組みを理解し、納得した上で自分の希望を伝えられました。特に私の場合は遠方で電話中心のやりとりで、きちんとわかっていないと齟齬が出やすい状況だったからこそ、織りの共通言語みたいなものを持っていたのは良かったと思います。

——匠講師との製作経験を通して印象に残ったことは?

長年経験を積んでいらっしゃる分、引き出しの多さがすごいなと。匠メンバーの中でも、私を担当してくださった方は86歳で最高齢の方でした。年齢を感じさせず、ファッションに関わっておられるからか、匠講師はみなさんおしゃれ。その齢まで私は働けるかわからないなと思うと、現役でおられるのがすごいと思いました。私のデザインはさらさらと流れる川をイメージしたもので、水面のきらめきを表したいという希望に対して、ラメ糸を入れるなら塊で入れる方がランダム性が出ていいとか、私の中で出てこない発想のアドバイスをいただき、引き出しの多さに助けられました。デザインした服に最も適した素材選びや設計を考えて提案いただき、ファッションテキスタイルの考え方を学べて良い刺激を受けました。

ファッションショーで、デザインした衣装を紹介する福井さん(右)
写真提供:(公財)尾州ファッションデザインセンター


◆自分の得意や苦手を一つ一つ確認していった

——福井さんは専門コースで2年学び、就職の道を選びました。修了生はここ数年でいうと企業に就職する人もいれば、産地で織り職人になる人、ライフワークとして織りを続けていく人など様々です。スクールで学ぶなかで自分と織りとの関わり方を見つけていく人が多いですが、福井さんの場合はどのように適性を見つけたのでしょう?

入学した年は、あまり先の進路は考えずに、とにかく織物を勉強しようと思って取り組んでいました。専門コースで2年学ぶ中で、私の適性は職人や作家ではないなと感じていました。作るのは楽しいですが、私は性格上いろんなことに興味があって飽きっぽくもある(笑)。だから一つのことに専念するより、間に立ち、全体を見ながらいろんなことができる方が好きだなと。1年目の織り実習やデザイン演習、2年目の制作の日々を通して、自分の得意や苦手を一つ一つ確認していったところはあります。

——このほど繊維業界に就職が決まりました。仕事について教えてください。

リネンやタオルなど繊維製品を取り扱う会社で、求人を見つけて応募しました。社内全体の動きを把握しながら、製品企画にも携われるようで、これまで学んできたことが活かせると思っています。

——ご自分の適性に合った織りの道が見つかったということでしょうか。

そうですね。前職でも課全体を見ながら取り組む仕事で、この学校でも修了したら繊維業界で働けたらとは思っていたので、これまで自分のやってきたことがドッキングされました。今回の翔工房の経験も、2年目に参加した川島織物セルコンでの綴帯のインターンシップもそうですが、たくさんの人が関わる製作は次の仕事でもまた携わる機会があると思うので、見識を広げる経験になりました。これまでやってきたことはすべて次に繋がっていくんだなと実感しています。

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*専門コース本科時の福井さんのインタビュー記事はこちら

第22回 JAPAN YARN FAIR & THE BISHU「糸と尾州の総合展」
会期:2025年3月5日(水)- 3月6日(木)10:00 – 17:00
会場:いちい信金アリーナ(一宮市総合体育館)

2024年度川島テキスタイルスクール修了展
会期:2025年3月5日(水)- 3月9日(日)
会場:京都市美術館別館1階
時間:10:00-17:00 入場無料

*2025年度専門コース本科技術研修コースの入学願書の三次締切は3月6日です。コースに関する説明、学校見学は随時受け付けています。ホームページからお問い合わせください。

「多くの人の手や情熱や知恵をつないでここにある重み」滋賀テキスタイル研修 専攻科・齊藤晶子

専門コースではこのほど課外研修として、滋賀県の湖北、湖東エリアの産地を訪れました。大高亨先生(金沢美術工芸大学教授)による連続授業の一環で実施し、事前に滋賀県の繊維産業などの講義を受け、輪奈ビロード、浜ちりめん、近江上布の生産現場や、テキスタイルデザインのスタジオ兼ギャラリーを見学しました。


 美しい布は美しい糸からできている。湖北の絹糸は農家の女性が蚕を飼い、桑を育て、糸を紡ぎ織る。40年ほど以前に湖北の古民家に宿泊したとき、玄関を出た小屋のような所に巨大な釜が置いてあり、その家のおばあさんが繭を煮ていた光景を思い出した。釜の横には糸車も置いてあり、糸を紡いで織物を織るということが普通の生活の一部であったという説明を実感した。一方、今回は湖北長浜で輪奈ビロードの「タケツネ」浜ちりめんの「浜縮緬工業協同組合」「南久ちりめん」で産業としての織物の生産を見学した。

 輪奈ビロードはとてつもない手間と時間がかかっており、使う染料は一色であるのに濃淡三色だけで光沢と奥行きのある高級感あふれる美しい布を生み出していた。コート一着分の布を織るのに経糸1万5千本、織る、切る、抜く、精錬という工程があり、それぞれの熟練工が精密な仕事をつないでやっと完成する。ほんの少しその工程を見学しただけでビロードの魅力の本質を見た気がした。

 南久ちりめんではブラジルや中国からシルクを仕入れ、糸繰りをして後の染色の際に染料だまりの原因になるふしやねじれを取り除いた糸を8000本から一万本経糸に整経し、筬一目に8本、かざり(綜絖)に4本ずついれて経継ぎをするという。緯糸は何本も何本もあわせて太い糸にしていくのだが、合糸の際に右撚、左撚、本数などを工夫し「シボ」を生み出す太い丈夫な糸を作り上げる。その際、ひっぱった時に糸が切れないように水をかけて湿らせながら拠るのが水拠りである。水拠りには13°の地下水が最適で、伊吹山から流れてくる地下水が使われている。さらに作られた糸を木枠に巻いて100°で焚くことでセリシンを落とし、人間の肌になじむ柔らかさに仕上がるのだそうだ。セリシンは合糸の際の接着剤の役割も持っているのでのりは使わない。この工場では経糸緯糸ともにS拠りZ拠りを入れて作る「鬼シボ」を得意としており、この糸で織られた無地の地模様が織りなす光沢や高級感のある布は、現在ウエディングドレスに活用されることも多いという。織り方によっても一越ちりめん、古代ちりめんなど模様が変わる。浜ちりめんといえば金沢に送られ、加賀友禅で染められて着物等に仕立てられるという定番以外に、現代社会においてこの布にマッチした作品や製品をもっと幅広く見てみたいと思った。

 工業協同組合の工場では主に大きな機械による精錬の過程を見学した。精錬前の絹織物は蚕の佩く糸のまんまの色である。精錬をすることで白く柔らかく光沢のある布になる。アルカリで洗い、蒸気を加え、圧力を掛け乾燥させて縮んだ布を今度は巾出しして巾と長さをそろえ、反物にして検査し、此処で初めて「浜ちりめん」になる。繭の生産から考えると一反、一反が多くの人の手や情熱や知恵をつないでここにあるということに重みを感じた。近年生産量が減り、工場の機械も止まっていたのが本当に残念だった。

 次に訪れたのは湖東の近江上布伝統産業会館である。近江上布の特徴は緯糸に大麻の手績み糸を使い腰機で織るということである。本来は短い麻の繊維をさいて手で撚りをかけながら結ばずにつないで一本の糸にすることや不安定な腰機を用いて織るなど、全て手と木の道具のみで織り上げる手法は厳格に守られていた。麻の種類には大麻・苧麻・亜麻とあるが、近江上布の「生平」は大麻を使う。大麻糸はもともと神事に使われていた手織り糸で涼しく吸水性がある。紡績には向かないが、原料である大麻が炭素を吸収する素材としてSDGsの観点から近年見直されている。

 また近江上布の「絣」は「捺染」染織で「櫛押捺染」と「型紙捺染」で染めた糸を手で絣の柄合わせをして織っている。染料としてはじめは藍等天然染料を使っていたが、近年は化学染料を使っているということであった。市場に出回っている近江上布とされる反物は意外に多くあるが、本当の近江上布と言える物は伝統的な材料と手法を用い、厳しく定められた工程を経て検品し、合格してナンバリングされたシールを貼った少数の物だけだそうだ。近江上布に関わる方々は、正しい手法・工程と上質の近江上布を守るために後継者育成にも力を注いでおられ、近江上布はまさに伝統工芸品である。だが現代に残して行くには伝統をそのまま正確に伝えるだけではなく、新しいことにも展開していく試みをされていた。例えば化学染料の使用であり、新しいデザインへの挑戦である。見せていただいた新作の布がこのあと訪れた「炭酸デザイン室」の若手デザイナーによる「琵琶湖」をモチーフにした作品だったことや絹織物とは別手法で「シボ」を作りデザインに取り入れていることなど、地域や素材を越えてテキスタイルのつながりを感じた。

 最後に訪れたのは東京や山梨で活動していた若手デザイナーご夫婦の工房で美しい色でポップなデザインのテキスタイルとそれを日常品に加工した製品を見せていただいた。ご家族での生活の中からモチーフを見つけたり、子どもたちの未来の世界進出を見据えて英会話の教室を開いたりという自由で伸び伸びとした発想がそのままデザインに表れており、プリントされた色合いが個性的なデザインに素晴らしくあっていて見とれてしまった。こんな魅力的な布に囲まれたなら心明るく穏やかに人にも優しくなれそうだと思っていたら車椅子の布に用いる試作をしていると話をされていてピッタリだと思った。布には力があるということをあらためて感じた。「炭酸デザイン室」というネーミングもシュワシュワと人の心に浸みるという発想から考えたということでこの発想自体が心にしみる思いだった。

 今回湖北、湖東、湖南とそれぞれでテキスタイルを見てきたが、素材や手法は違っても滋賀テキスタイルとして共通するものがあった。いいお天気で琵琶湖の湖面の穏やかな景色がそれぞれのテキスタイルと共に印象に残った濃密な一日だった。

スクールの窓から:根幹にあるのは「見たいかどうか」 表現論・中村潤さん講義

専門コース「表現論」の授業で、作家の中村潤さんを講師に迎えて講義が行われました。彫刻を専攻していた芸大時代の学び、制作における素材との出会いや、インスピレーションを形にするプロセスなどについて、実際に作品を見ながら話が展開されました。小学校の図工の先生をしながら制作している働き方にも触れ、つくることから生き方に及んで語られた濃密な時間となりました。

彫刻といえば硬い材質のイメージを抱きがちですが、中村さんがつくるのは「やわらかい彫刻」。紙や糸などの素材を縫ったり編んだり絡めたりしながら作品にしていくといいます。

「石や木などいろんな素材でつくるのを経て、現在はへなへなとした柔らかい素材を使っています。私自身は糸や織りを専門に学んだことはないのですが、それを専門とする人から、なぜか面白がって作品を観に来ていただけて(笑)、その関係がとても不思議だなと思っています。私の作品の取り組み方の根幹にあるのは『見たいかどうか』。こういうものがつくりたいという瞬発的な興味と、これまでの作業や思考の継続性の両方が同時に動き出します。ハッと思いついたことを、継続してきた力が後押ししてくれるような感覚です。自分の中に何人もの自分がいて私内会議みたいなものが一瞬起こって、やってみたらできるんじゃない、という方向で作品につながります」

◆素材を試して、触って、観察し、比べて考えてみる
子どもの頃からつくるのが好きだったという中村さん。高校時代、美術の先生が作家活動をしている姿を見て「こういう働き方もあるのか」と気づきを得て、京都市立芸術大学へ進学。専攻した彫刻では、「身の回りにあるものを素材として扱えるのが彫刻」という先生の話を聞いて「ブロンズなどオーソドックスなものに憧れなくていいのか」と気持ちが楽になり、「私にとって身近な素材を使ったらいい。そこから好きなものをつくろう」と彫刻を柔軟に捉えていきます。

「私は折り重なると形になるとか『単純な仕組み』が好き。ペラペラの紙を半分に折ると立つ、こういう単純な行為が作品になればいい」。そんな発想で自分が好きなものを掘り下げながら、「素材を試してみる、触ってみる、観察して、どういう形にするか比べて考えてみる」という「検証と成立」を繰り返した学生時代だったといいます。講義では素材からインスピレーションを得る経緯や、技法とのかけ合わせなどについて、実際の作品を見て説明されました。

◆私が選んで学びに来ているという自覚
小学校で図工の先生をしながら、作品を制作し、休日に親子向けワークショップを行うという現在の多面的な働き方について、「どの状況も楽しめています」と中村さんは軽やかに話し、こう続けます。「先生と制作、私の場合はどちらもあるから今つくっていられる実感があって、どれか一つだけのプロである必要はあまりないのかなと思っています。教育現場の私は、距離をもって自分の制作を見られるし、一点だけに注ぎ込まずに分散できるのは面白い。その時々で自分の軸の位置を観察したり、描ける円が広がったりしていて学生の頃より今が一番いきいきとつくれています」。さらには、そんな中村さんのありようにしっくりきた本や、作品のタイトルを考えるためのヒント、コンセプトや自己紹介の文章作成のための参考情報などを具体的に紹介し、日々のひらめきなど何でも書き留めておくメモ帳を見せてくれました。

講義全体を通して、学生たちは中村さんの話を興味津々に聞き入り、終わってからも作品をいろんな角度から見たり、メモ帳を見て「私も作ろう」と話したりと、それぞれにヒントを得た様子でした。川島テキスタイルスクールの専門コースは一年で修了する人もいれば、二年、三年と学びを深めていく人もいて、それぞれの学び方をしています。そんな学生たちに向けて、最後にこんなメッセージが送られました。

「私が選んで来ていると自覚すること、かなあ。迷ったらやってみて決める、自分を過信せず、凝り固まらない、でも折れないようにしなやかに」


〈中村潤さんプロフィール〉

なかむら・めぐ/京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。紙や糸、糸くずなど身近な素材を触り、縫い、編み、からめ、大小やわらかい彫刻をつくる。小学校で図工の先生をしながら作品を制作。作ることにまつわるワークショップの活動もしている。2020年より、京都市東山区青少年活動センターアートスペースナビゲーターを務める。障がいを持つ・持たない青少年が作品をつくることを通して共に時間を過ごすための場所づくりに関わる。最近の展覧会として、2024年『てで』gallery morning kyoto(京都)、2023年『紙の不思議展 ペーパーマジック』浜田市世界こども美術館(島根)、『なんたうん2023 −ワークショップ特集−』みずのき美術館(京都)など

instagram: nakamura_megu