専門コースではこのほど課外研修として、滋賀県の湖北、湖東エリアの産地を訪れました。大高亨先生(金沢美術工芸大学教授)による連続授業の一環で実施し、事前に滋賀県の繊維産業などの講義を受け、輪奈ビロード、浜ちりめん、近江上布の生産現場や、テキスタイルデザインのスタジオ兼ギャラリーを見学しました。
美しい布は美しい糸からできている。湖北の絹糸は農家の女性が蚕を飼い、桑を育て、糸を紡ぎ織る。40年ほど以前に湖北の古民家に宿泊したとき、玄関を出た小屋のような所に巨大な釜が置いてあり、その家のおばあさんが繭を煮ていた光景を思い出した。釜の横には糸車も置いてあり、糸を紡いで織物を織るということが普通の生活の一部であったという説明を実感した。一方、今回は湖北長浜で輪奈ビロードの「タケツネ」浜ちりめんの「浜縮緬工業協同組合」「南久ちりめん」で産業としての織物の生産を見学した。
輪奈ビロードはとてつもない手間と時間がかかっており、使う染料は一色であるのに濃淡三色だけで光沢と奥行きのある高級感あふれる美しい布を生み出していた。コート一着分の布を織るのに経糸1万5千本、織る、切る、抜く、精錬という工程があり、それぞれの熟練工が精密な仕事をつないでやっと完成する。ほんの少しその工程を見学しただけでビロードの魅力の本質を見た気がした。
南久ちりめんではブラジルや中国からシルクを仕入れ、糸繰りをして後の染色の際に染料だまりの原因になるふしやねじれを取り除いた糸を8000本から一万本経糸に整経し、筬一目に8本、かざり(綜絖)に4本ずついれて経継ぎをするという。緯糸は何本も何本もあわせて太い糸にしていくのだが、合糸の際に右撚、左撚、本数などを工夫し「シボ」を生み出す太い丈夫な糸を作り上げる。その際、ひっぱった時に糸が切れないように水をかけて湿らせながら拠るのが水拠りである。水拠りには13°の地下水が最適で、伊吹山から流れてくる地下水が使われている。さらに作られた糸を木枠に巻いて100°で焚くことでセリシンを落とし、人間の肌になじむ柔らかさに仕上がるのだそうだ。セリシンは合糸の際の接着剤の役割も持っているのでのりは使わない。この工場では経糸緯糸ともにS拠りZ拠りを入れて作る「鬼シボ」を得意としており、この糸で織られた無地の地模様が織りなす光沢や高級感のある布は、現在ウエディングドレスに活用されることも多いという。織り方によっても一越ちりめん、古代ちりめんなど模様が変わる。浜ちりめんといえば金沢に送られ、加賀友禅で染められて着物等に仕立てられるという定番以外に、現代社会においてこの布にマッチした作品や製品をもっと幅広く見てみたいと思った。
工業協同組合の工場では主に大きな機械による精錬の過程を見学した。精錬前の絹織物は蚕の佩く糸のまんまの色である。精錬をすることで白く柔らかく光沢のある布になる。アルカリで洗い、蒸気を加え、圧力を掛け乾燥させて縮んだ布を今度は巾出しして巾と長さをそろえ、反物にして検査し、此処で初めて「浜ちりめん」になる。繭の生産から考えると一反、一反が多くの人の手や情熱や知恵をつないでここにあるということに重みを感じた。近年生産量が減り、工場の機械も止まっていたのが本当に残念だった。
次に訪れたのは湖東の近江上布伝統産業会館である。近江上布の特徴は緯糸に大麻の手績み糸を使い腰機で織るということである。本来は短い麻の繊維をさいて手で撚りをかけながら結ばずにつないで一本の糸にすることや不安定な腰機を用いて織るなど、全て手と木の道具のみで織り上げる手法は厳格に守られていた。麻の種類には大麻・苧麻・亜麻とあるが、近江上布の「生平」は大麻を使う。大麻糸はもともと神事に使われていた手織り糸で涼しく吸水性がある。紡績には向かないが、原料である大麻が炭素を吸収する素材としてSDGsの観点から近年見直されている。
また近江上布の「絣」は「捺染」染織で「櫛押捺染」と「型紙捺染」で染めた糸を手で絣の柄合わせをして織っている。染料としてはじめは藍等天然染料を使っていたが、近年は化学染料を使っているということであった。市場に出回っている近江上布とされる反物は意外に多くあるが、本当の近江上布と言える物は伝統的な材料と手法を用い、厳しく定められた工程を経て検品し、合格してナンバリングされたシールを貼った少数の物だけだそうだ。近江上布に関わる方々は、正しい手法・工程と上質の近江上布を守るために後継者育成にも力を注いでおられ、近江上布はまさに伝統工芸品である。だが現代に残して行くには伝統をそのまま正確に伝えるだけではなく、新しいことにも展開していく試みをされていた。例えば化学染料の使用であり、新しいデザインへの挑戦である。見せていただいた新作の布がこのあと訪れた「炭酸デザイン室」の若手デザイナーによる「琵琶湖」をモチーフにした作品だったことや絹織物とは別手法で「シボ」を作りデザインに取り入れていることなど、地域や素材を越えてテキスタイルのつながりを感じた。
最後に訪れたのは東京や山梨で活動していた若手デザイナーご夫婦の工房で美しい色でポップなデザインのテキスタイルとそれを日常品に加工した製品を見せていただいた。ご家族での生活の中からモチーフを見つけたり、子どもたちの未来の世界進出を見据えて英会話の教室を開いたりという自由で伸び伸びとした発想がそのままデザインに表れており、プリントされた色合いが個性的なデザインに素晴らしくあっていて見とれてしまった。こんな魅力的な布に囲まれたなら心明るく穏やかに人にも優しくなれそうだと思っていたら車椅子の布に用いる試作をしていると話をされていてピッタリだと思った。布には力があるということをあらためて感じた。「炭酸デザイン室」というネーミングもシュワシュワと人の心に浸みるという発想から考えたということでこの発想自体が心にしみる思いだった。
今回湖北、湖東、湖南とそれぞれでテキスタイルを見てきたが、素材や手法は違っても滋賀テキスタイルとして共通するものがあった。いいお天気で琵琶湖の湖面の穏やかな景色がそれぞれのテキスタイルと共に印象に残った濃密な一日だった。