修了生

修了生インタビュー:「勇気を出して踏み出したら、事がどんどん進んでいった」吉田有希子さん

大学卒業後、川島テキスタイルスクールの専門コース本科(2023年度)で1年間学んだ吉田有希子さん。未経験から織りを学び始め、「産地のひとりになりたい」という希望を叶え、修了後は久留米絣の工房で職人として働きます。本科での1年が「3年ぐらいの体感だった」という吉田さんに、スクールでどんな思いで学んだか、自身の変化や、やりたい仕事につながった道のりなどについてインタビューしました。

◆ 糸をきちんと扱う感覚がつかめるように

——吉田さんは大学で絣をテーマにした卒業論文を書き、本を読むだけではわからないからつくってみたいとスクールの専門コースに入学しました。1年目の本科では、糸染めから織りの全行程を学びます。ここで絣に限定しない学び方を選んだのはどうしてですか?

私は織りをやったことがなかったので、とにかく基礎を学びたいという気持ちがありました。きっかけは久留米絣でしたが、絣だけではなく織り自体を知りたいと思っていたので、この学校でいろんな織物を学ぶ中で、自分に合うものを見つけられたらいいなという気持ちでした。

——本科で特に印象深い授業はありますか。

自分の成長を感じたのがホームスパンです。入学当初は糸に触れること自体が久しぶりで、4月のスピニングの時は糸が絡まったり切れたりしないかと怖くて、これから大丈夫かなと不安になりました。ですが、その後の実習でいろんな糸を使ううちに少しずつ恐怖心が薄れていき、10月のホームスパンの時は楽しく取り組めました。以前は力ずくで糸をどうにかしようとして逆に絡まっていましたが、最近は力を入れずにやさしく扱った方が早く解けるとわかって、糸をきちんと扱う感覚がつかめるようになった気がします。

◆ 同世代に興味を持ってもらえる絣を

——修了制作ではウールを使って、ハチワレ猫の模様を絣で表現した毛布をつくりました。作品の成り立ちを教えてください。

(いろんな織りを学んだ上で、)やっぱり絣をやりたい気持ちがありました。大学にいた頃、絣という織物があると友達に言っても誰も知らなくて。同世代に興味を持ってもらえるものをつくりたいという思いがずっとあって、絣はこうというような固定観念に縛られないでつくってみようと思ったんです。久留米絣はほとんど平織りですが、修了制作では綾織りを選びました。糸も絣というと絹だったり、久留米絣はすべて綿だったりしますが、ウールでも絣はできると先生に後押ししてもらって、やりたいことができる環境にいる今、チャレンジしたいと思いました。
毛布にしたのは、ホームスパンの授業で先生が持ってこられたショールが気持ちいいなと感じて、起毛したウールの風合いから猫を撫でる心地を思い出し、猫柄の毛布をつくろうと着想しました。うちの猫3匹はみんなハチワレで、絣を使ってどうハチワレ模様を表すか、先生と相談しながらデザインを決めました。絣というと小さい柄が多いイメージがありますが、大きい柄の絣をやってみたいと思ったのもあります。

——制作で大変だったところはありますか?

絣のずらしです。修了制作で初めて大きなずらし台を使ったのですが、機の上で扱うのは体力的にも大変でした。絣をデザインから考えるのも初めてで、括る位置を決めるのに、ガイドテープの計算を頭がこんがらがりながら何とかやって(笑)。初めての経験が多くて大変だった分、とても勉強になりました。

——作品が出来上がった時の気持ちは?

今の自分ができることはやれたけど、反省もあります。同世代に興味持ってもらえる絣をつくりたい気持ちはこれからもずっと続くと思うので、もっと力をつけたい。この作品きっかけに、よりよいものをつくっていきたいです。

◆産地のひとりになりたい

——修了後は福岡に戻り、久留米絣の工房で職人として働かれます。職人を目指すきっかけは何だったのでしょうか。

本科の授業で作業全体を繰り返し経験する中で、私はデザインよりも、手を動かしてつくる過程が一番楽しいと感じるようになりました。初めはうまくできなくても慣れていくにつれ、ちょっとずつコツをつかんだり、スムーズに作業できるように考えたりする時間が楽しくなって、職人の方向がいいなと思うようになりました。

——織りを通して自分と向き合い、進む方向が見つかった。そこからどのように就職に結びついたのですか?

福岡県が主催する「久留米絣後継者インターンシップ」に参加して、そのまま就職が決まりました。プログラムは未経験でも参加できたのですが、私は織りの基礎があってよかったと思った場面がけっこうありました。3日間で絣の括り屋さんや染色屋さんを見学したり、工房で緯糸の準備をしたりしたのですが、専門的な説明でも織りの基礎を知っていたことで理解しやすく、吸収できるものが多かったと思います。現地で久留米絣に携わる方々の話を聞く中で、それぞれ考え方は違っても一つの産地として協力してものづくりをしているのが面白くて、私も産地のひとりになりたいと思いました。このプログラムは初めての開催だったので、ラッキーでしたね。思い切って参加してよかったです。

ハチワレモウフ(2024)

◆今は何があっても大丈夫と思える

——修了を迎える今、1年を振り返ってどんなことを感じますか?

体感的には3年ぐらい、長いような短いような不思議な感覚です。1年前の入寮時はダンボール2箱分の荷物で来たはずが、退寮の今、部屋にダンボール6箱分の荷物があります。箱の中身は、この1年でつくった作品や使用した糸が多くて、それらを見ていると確かにこの学校で毎日織りに触れ、学んできたんだなあと。1年で大きな作品をつくれるようにもなって、ちょっとずつでも確実に進めている実感があります。

——最後に、吉田さんはこの学校で何を得たと思いますか?

やってみる精神です。大学生の頃はやりたいことがわからなくて悩んでいました。大学の後半になって織りに興味を持ったのですが、どうやってその道に行けばいいかわからず、ただ悩むだけでした。この学校に入学してからは、事がどんどん進んでいくのを感じました。それまで織りを仕事にしている方と会ったことがなかったのですが、授業で外部の方を含めていろんな先生の話を聞き、織りに関わるいろんな方法があると知って、道が開けた感じもあります。
そして私自身、課題制作を通して自分が変われたのが大きいです。制作中はピンチも多かったのですが、その都度先生たちが助けてくださって乗り越えて。そんな日々を過ごす中で自分ひとりではうまくできなくても、頑張っていれば誰かが助けてくれるから大丈夫と思えるようになって、以前よりも挑戦することに対して前向きな気持ちを持てるようになったんです。久留米絣のインターンシップも、以前の私だったら無理かなと申し込まなかったかもしれません。ですが今なら何とかなると思えました。勇気を出して踏み出した結果、今こうやって自分の進みたい方に進めている、そのこと自体がよかったです。今は、何があっても大丈夫と思えます。


吉田さんを含む、2023年度本科の在校生インタビュー記事です。
在校生インタビュー1 高校・大学卒業後に入学(2023/12/8)

修了生インタビュー:「自分の好きを追いかけた3年間」木村華子

2020年に専門コースに入学した木村華子さんは、美術高校を卒業後、スクールで1年目に織りの基礎、2年目からはファッションテキスタイルを専攻して3年間しっかりと学びました。修了後は(株)川島織物セルコンに就職します。自分の「好き」を積み重ねて「3年間学んでよかった」と笑顔で語る木村さんに、学びの歩みや、自身の変化、やり抜いた今の思いなどを語ってもらいました。

◆ 次は進歩したい
〈インタビューは修了展の会場で、展示作品を見ながら行いました。〉
——作品が展示されて、今の気持ちを教えてください。
嬉しい気持ちもあるけど、自分の手から離れていったさみしい気持ちもあります。向き合ってきた時間が長かったので、作品が子どもみたいに思えます。糸の素材感を生かして、どうやったらうまく織れるか、たくさん試織したので、がんばったな、ちゃんと織れてよかったなと、ほっとした気持ちもあります。

純喫茶のお気に入りのスイーツのイメージを服地にし、スカートに仕立てたシリーズ作に仕上げた
(右から) 「宝石」喫茶ソワレのゼリーポンチ
「甘酸っぱい」純喫茶アメリカンのヨーグルトパフェ
「ほろにが」純喫茶フルールのプリンパフェ
「宝石」喫茶ソワレのゼリーポンチ

——木村さんは2年目の専攻科で、ファッションテキスタイルを専攻しました。この専攻を選んだ理由は?
まず、服地を織りたい気持ちがありました。それで着物かファッションかで専攻を迷ったのですが、ふだん私が身に付けているのは洋服だなと思って。実際に自分が着て、やさしくなれるというか、気持ちがいいと感じる生地をつくりたいと思ってファッションテキスタイルを選びました。

——そのなかで、どのように制作に取り組んだのでしょうか。
制作のテーマを設定するのに、自分が好きなものは何だろうと考えた時、レトロなものに惹かれる自分に気づきました。1950年代のシンプルな服の形が好きで、初めは50年代をテーマに服地をつくりました。だけど、その先で行き詰まってしまって。今振り返ると、レトロで何かつくりたいまでしか見えていない状態の中で、年代にとらわれ過ぎたのかな。レトロって何だろうってすごく悩みました。

——行き詰まったところから、どうやって方向を見い出したのですか?
いろんなものを見て、視野を広げました。3年目に進み、改めて私はレトロの何が好きなんだろうと考えた時、今の私と同じ20代の人にも昔の服の生地感の良さを知ってほしい、着てほしいという気持ちに変わったんです。それで素材を中心に考えていこうって目標を立て、レトロの中でも純喫茶のスイーツにテーマを絞って、イメージと食感を服地にし、スカートに仕立ててシリーズ3部作にしようと結びつきました。

——スクールの学生同士で、刺激し合う部分もありましたか?
周りで織っている姿を見て、自分も頑張ろうっていう気持ちになれました。同学年の人とは、制作途中の発見や失敗、他愛もない話まで何でも話せて、悩みも言い合えました。話すことで次は進歩したいって思えたし、心強かったです。

——専門コースの2・3年次では、制作するのに自主性が必要ですが、そこで先生との関わりはどうでしたか?
毎週1回、制作過程を報告するミーティングがあったのがよかったです。サンプル生地を見せながら、自分の織りたいイメージやアイデアを伝える訓練になったし、伝えることで、より作品づくりに向き合うことができました。先生方は織りに詳しいので、私が気づかないところからアドバイスがあって、そこからやり方を自分で切り替えられたりして、制作意欲を保ちながら自分のやりたいことを形にしていくのに、ミーティングは大事な時間でしたね。

◆産地の方々と一緒に、ものを作り上げる経験
——木村さんは翔工房事業((公財)一宮地場産業ファッションデザインセンター主催)に挑戦し、尾州産地の「匠」と呼ばれる熟練の技術者とコラボレーションしてワンピースを製作しました。その経験は木村さんにとってどんなものでしたか?
仕事としてものを作り上げていく経験が、私自身の大きな糧になったと思います。匠の方と一緒に企画して進めるのに、自分が描いたデザイン画を見せながら、素材や色の重なりなど「こうしたい」と考えを伝えて、形にするのに相談しました。ここでは私は織らずにデザインだけの関わりだったので、初めは伝えるのが難しいと感じましたが、伝えないと理想の服地ができない。裾をフリンジにして経糸を見せるデザインにしたいと伝えると、「やってみるね」と匠の方がシミュレーションしてくださり、イメージと違う場合は私もちゃんと「違う」と伝えて、変えてもらって。匠の方からは袖の部分に柄の変化をつける方法を提案いただいたりして、一人でつくる時とはまた違う柄ができるなって実感しました。

——スクールは手織り、この事業では機械織りという違いもあります。両方を経験することで、何か気づきはありましたか?
手織りだったら、あまり経糸に他素材を入れないですけど、機械織りで、経糸にいろんな素材を入れて織り込む技法を経験できたのはよかったです。機械には機械の良さがあると知り、逆に手織りでしかできないことをもっとやりたいなと思いました。

——織りを学んできたからこそ、製作現場で強みを感じた部分は?
糸の状態と織ったものを見るのとでは、色のイメージが全く変わります。スクールで糸も織り組織も両方を学んできたからこそ、織った時にこう出るというのが頭の中でイメージできました。現場でのやりとりで、「こういうパターンで作りたかったら、ジャカードじゃなくてドビー機で出せるよ」と言われた時に、機の機能がぱっと頭に入ってくるし、「朱子で織る」というと「柔らかい風合いになるんですかね」というふうに話が通じるのが「気持ちいい」と匠の方に言ってもらえたのも嬉しかったです。

——3年目は翔工房事業に参加しながら、スクールでも並行して制作を進めてきました。外と内の両方で、ものづくりに取り組みながら自身の変化に気づくことはありましたか?
翔工房で他の学生が製作した竹糸を用いた製品を見て、私も竹糸に興味を持って自分の制作でも取り入れてみました。竹糸は、糸自体は柔らかいんですけど、湯通しすると硬くなり、織って生地になるとすごく柔らかくなって、変化が面白いと思いました。そうやって素材感が変わるのも、糸から生地をつくっていなかったらわからないこと。これまでスクールの制作でたくさんの糸を試して、縮絨も経験してどのぐらい縮むかも見当がつくようになったので、竹糸のように初めての糸を扱う時でも、大きな失敗がなくなりましたね。

◆「好き」しか追いかけていない
——木村さんが3年間の学びで、積み重ねてきたものは何でしょう。
どうしたら織りとして成立するか、今まで学んできた中からこうできるだろうと、頭の中で考えられるようになりました。試織などで失敗を繰り返したからこその学びじゃないかなと思います。
それに機の準備が大好きになりました。織るのと同じく準備も3年間やってきたので、こうしたら早くできるとか、スムーズに糸通しできるとかが大分わかるようになって楽しいです。そうやって3年間楽しく織りに向き合えたのが、本当によかったなって思います。私は高校の時、織りに苦手意識があったので。だけどなぜか気になって、織りを学びたいとスクールに入学したんです。そこから1年ごとに、だんだん織りが好きになって、3年経つ今が一番好き。思う色にバチッと染められた時や、織っている時に、糸に「かわいくできたらいいね」って話しかけたりして(笑)。それで作品の形になったら「使わせてくれてありがとう」って伝えていました。

——改めて、3年目の創作科に進んだ理由を聞かせてください。
なんか悔しかったんです。2年目、制作に迷いがあって、自分が本当に好きって思えるものがつくれなくて。自分がつくるものをもっと好きになりたいし、これで終わらせたくない、もっとつくりたいと思ったので。

——その悔しさを3年目で晴らせたと感じますか?
そうですね。服地だけでなくスカートの形にもできたし、自分の好きな色合いや柄を見つけて、チェックのデザインで出すことができたので。反省点もありますが、晴らせたんじゃないかと思います。

——この3年間、自分の「好き」をあきらめなかった。
あきらめたくなかった。でも私はこれまで、好きしかやったことがなかったんです。絵が好きで美術高校に行って、スクールで織りを学んで、逆に自分が好きじゃないと続けられる自信がない。「好き」しか追いかけていないです。

——修了後は、(株)川島織物セルコンに就職が決まりました。「好き」は就職先にもつながりますか?
はい、将来は伝統的な仕事に就きたいと思っていたので嬉しいです。小学校の卒業文集にも「伝統的な仕事がしたい」って書いてて。子どもの頃はお寺を見るのが好きで、宮大工さんに憧れたこともありました。お父さんは大工なので、一緒に見に行くと寺社建築の木の組み方とかを説明してくれてたのもあって、伝統的な仕事をしたいと思っていました。それが結局、織りになっていったのかな。これからも好きを追求していきます。

——これから織りをやりたい人に向けてのメッセージをお願いします。
もし迷っていたり、ちょっとでもモヤモヤがあったりしたら、まずは踏み出すしかないのかなと思います。踏み出せば、もう自分自身やるしかないって思うので。とりあえず手を動かすことが大事なのかもしれない。まずはやってみる。その先で、確実につながっていきます。

2020年9月に掲載した、「在学生の声(専門コース本科)」の記事です。
「織りながら自分の好きを発見していく」木村華子

修了生インタビュー:織りを通して「希望が生まれた」德本治子

この春、専門コース本科を修了した德本治子さんは、以前イギリスに留学していました。しかし、新型コロナの影響により中断を余儀なくされました。帰国中に川島テキスタイルスクール(KTS)のワークショップを受講したのを機に、専門コースに入学したのが2021年のこと。「集中して学ぶ」と決め、本科で一年間みっちりと取り組んだ先に視界が開けた德本さんに、今の思いを語ってもらいました。

light (2022) 

◆  家にいる時間が長かった。だから光に目が向いた

−−德本さんが初めてKTSに来たのは、2021年2月に開催された染色ワークショップでした。いつまたイギリスに戻れるかわからなくて困っていた中で、専門コース入学を決めました。

あの時、身動きが取れなくて迷っている最中で、半泣きみたいな状態でした。スタッフの方に話しかけていただいて、それがなかったら今ごろ自分はどこにいただろうって思います。学校を見学させてもらったり、修了展で留学生の絣の作品を見て面白そうと思ったり、ワークショップ時に堀先生に「染色するなら織りをやった方がいい」と言われたのも思い出して、駆け込みで入学願書を出しました。私の場合、最初から織りと決めていたわけじゃなくて、テキスタイルを学びたいと思っていました。やっていくうちに織りが面白くなって、一年後の修了展で自分がこんな(高さ2メートル以上の)大きな作品を作れるようになるとは思わなかったです。

−−どうして、作品の着想がスクールのアトリエだったのでしょう?

建物内の光はずっと気になっていました。特にKTSのアトリエって建築としてもきれい。窓が多くてガラスが大きくて、外から入ってくる光をいつも感じていました。部屋の中で幸せを感じるのって日光を浴びたり、光がきれいに入ってきたりする瞬間。特に家にいる時間が長かったので、内に希望を見つけられるものがいいなと思って、光をモチーフにしました。

light (2022) 
アトリエの中で見つけた光と影

−−学校生活はどうでしたか?

すごく集中できました。特に東京の大学生活は、都会のいつも車が走っているような環境でしたが、ここは自然に囲まれてせかせかしない。疲れたら散歩できるし、夜も静かで心地いい。修了展に向けた最後の一カ月は、夜アトリエが閉まるぎりぎりまで織って、さっとお風呂に入ってすぐ寝る、また朝が来るみたいな毎日で(笑)、寮に入ってよかったです。

◆学位より技術を学びたい

−−德本さんは当初、テキスタイルを学ぶのに海外の大学院進学を希望していましたが、方向を変えました。KTSで学ぶ中で学位にはこだわらなくなったのでしょうか? その変化について聞かせてください。

技術を学びたい方向に変わったので、大学院ではないのかなと思ったんです。本科に入って綴れや絣、組織などを学ぶ中で、織りは技術が必要だと実感しました。技術を少しずつ積み重ねて、ステップアップしていくのが面白くて。やっぱり海外で学びたい気持ちは変わらないので、スウェーデンのテキスタイル学校に出願する予定です。そこはKTSに似た環境と教えてもらったので、引き続き技術を習得したい。やっぱり数をこなして技術を上げていかないと作りたいものを作れないし、そこを強めてから社会に出たいと思っています。

−−本科生は皆、仲が良さそうに見えました。それはコロナ下で共に過ごしてきた影響もあるのでしょうか。オンラインではなく、生の空間で学んだことが大きかったですか。

そうですね。人と会う回数がめちゃくちゃ減った分、学校ではクラスメイトと積極的に話しましたね。少人数制で話しやすかったのもあります。グループ制作でもかなり話しました。そうしないと一緒に作れないので。言葉のすり合わせも必要で、例えば「落ち着く」でも互いに受け取り方が違う。それで普段からよくコミュニケーションを取るようにしていました。「話してみる」ができるようになったは、私がこの一年で変われたところです。ちょっとの勇気なんですけど、それができると人間関係や自分の今後に影響が出るのかなと思います。

◆  手を動かして、再びつくる・生きることに希望が持てた

−−KTSで学んだ手応えは?

初めに基礎をしっかりと教えてもらえたのはすごく助かりました。KTSでは技術を積み上げていけるので。特に織りは一つひとつの過程をきちんとやらないと後々に響くとわかったし、全体を通して丁寧な仕事を学びました。大学の時は自由すぎて、私の場合は逆に何をしたいのかが定まらなかったのですが、この学校に来て、制約の中のものづくりが向いていると自分を知れた。織りの計画性が好きで、教わった技法の面白いところを生かしてデザインする。そこにスッと入れて集中できたのがよかったです。

周りの人に助けてもらいながらヨタヨタと立ち上がり、気がつけばちゃんと目標ができて、自分が納得できる作品をつくって一年を修了できた。コロナ下だから残念なこともありましたけど、いいこともあったなって今は思えます。

−−これからの織りとの関わりについて、今の気持ちを教えてください。

やっぱり織りに関わる仕事がしたいです。そうやって、ちゃんと欲が出てきてくれたのがよかったなって思います。コロナ下の影響で、一時は何もしたくないという状態まで落ち込んでいたので。入学当初は手を動かすのも慣れず、戸惑いもありました。そこから次第に自分なりの織りの面白さを見つけられて、もっといいもの作りたいという気持ちが生まれたんです。それは私にとって、再びつくること、生きることに対して希望を持てた瞬間。手を動かすことから始めたのがよかったのかもしれないです。

一年が経ち、また春が来て、気持ちの切り替えができました。自分にとっては必要な時間だったのかな。ここまで来られて本当によかったです。今、世界の情勢が不安定で渡航すらも難しくなってきているんですけど、それでも進んでいきたい。世界に対し、美しいものをつくることが私たちにできる抵抗の一つだと思うから。これからも織りの豊かさ、ものづくりの尊さ、何よりも楽しさを忘れずに、織りと向き合っていきます。

>>2021年10月に掲載した、「在学生の声(専門コース本科)」の記事です。
在校生の声1(2021年度・専門コース本科)「過程の面白さに気づいて」德本治子

修了生を訪ねて:布づくりからの洋服づくり「のの」長友宏江さん

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コースでは、年に一度、織りを仕事にしている修了生による授業を行っています。2000年度に専攻科を修了した長友宏江さんは、10年に「のの(nono)」というオリジナルブランドを立ち上げ、布をつくり、洋服や鞄、小物の企画、デザイン、製作、販売までを手がけている方です。校外学習として、長友さんのアトリエ兼ショールームを訪ねました。そこで学生の頃の作品や、今実際に販売している洋服や布小物、生地サンプルなどを見せてもらいながら、これまでの学びや仕事の経験を、どう製品づくりに生かしていったのかなど、お話を伺いました。

◆拠点も人生も、DIY精神で

長友さんは2021年2月、それまでの10年間ショールームを運営していた場所を離れて、同じ京都市内の一軒家に新たな拠点を立ち上げたばかり。案内してもらった2階のショールームはアットホームな雰囲気で、壁塗りや床張りなどのリフォームは自ら行ったそうです。その自分でやるというDIY精神は、ご自身の人生にも通じていて、「学生時代に取り組んだことが、今に至るまでずっとつながっているんです」と、長友さんはにこやかに話し始めます。

子どもの頃からつくるのが好きだったという長友さんは、「洋服を仕立てる仕事がしたい」と、まずは服飾の大学へ進学しました。そして「自分でつくった布で仕立てたい」という強い思いのもと、卒業後に家庭科の講師をしてお金を貯めて、KTSに入学。織りと染めの基礎を学んで、自分が純粋に魅かれるものを探し求めた先にステッチの面白さに目覚め、2年目の専攻科では、あえて織りをやらずに、ひたすらステッチの作品づくりに取り組んだと言います。当時身につけた独自のステッチ使いは、現在もカバンや帽子などの製品づくりで生かされています。

綴織の緞帳製織の仕事を経て、その後、母校の大学で助手として勤めながら大学院へ進学。「多重織りの洋服をつくりたい」、構造や質感など「テーマを決めて織る」という目標を持ち、洋服制作を行ったそうです。多重織りの洋服づくりは今も続けていて、学んだことを製品に応用するのに、素材やストレッチの強度、形を変えるなどして、着心地を良くするための工夫をしています。

◆一人でも続けていく

次に求めたのは、編みの仕事。卒業後は生地から企画・デザインして洋服をつくるジャージ製造会社に就職しました。そこで使っていたのは丸編み機という、丸く筒状に生地を編むニットの機械で、中が見えない編み機の仕組みを理解するために、「部品を外し、分解した状態で各パーツをスケッチして、頭に叩き込んでいました」と。そう当時の経験を語る長友さんは、どこか楽しそう。機能や仕組みが細かく記されたページを「結構面白いです」と言って見せてくれました。「針が通る道があり、どこに引っ掛けて編んでいくか、どこで糸を上げ下げするのか。織りも同じですよね。仕組みを知らないと、うまく使いこなすことができないと思うので」

「のの」の製品には、手織りの他に、編み地のものも多く、なかには当時の勤務先で培った技術を自ら展開させたものもあります。長友さんは一枚のショールを見せて、端っこを縫わない工夫を説明。それは勤めていた会社で自ら編み出した方法だそうですが、その後、会社は倒産。しかし、そこであきらめないのが長友さん。「じゃあ、私やろうかな」と、一人でも続けていったそうです。当時、勤務が終わってから夜な夜な取り組んでいたという、たくさんのサンプルづくりも、現在の製品づくりに生かされています。

◆好きなことを続けるために、補う何かを持つ

いま、独立して10年。ショールームに並んでいる製品は、長友さんがこれまで学びや経験を糧にして、幅を広げてきた賜物なのでしょう。オリジナルな魅力にあふれた製品の数々には、長友さんの静かな情熱が込められています。

「ただ単に好きなことをして暮らしたいという、わがままなやつなんです」。そう穏やかに笑う長友さんですが、「安定はしない」という現実も伝えます。とくに、ここ2年近く続いているコロナ下で、展覧会などのイベントが軒並みキャンセルになっている状況。そこで「一つの道だけじゃなく、それを補う何かを持っておく」と再確認したそうです。「私の場合は家庭科の免許を取ったのも、大学院に行ったのも、教える仕事で生活を安定させるためでもありました」。それが、好きなことを続けていくための道、と。

その上で長友さんは、「やりたいことはやった方がいいかな。やらないでいると、たぶん後悔すると思うんです」と、まっすぐに語ります。「大変な状況でも、いろいろ考えればできちゃうもんなんで。あの時、コロナで大変だったからあきらめたというよりは、大変でも、やったって思う方が力になる」

いま、スクールで学んでいる学生たちも、それぞれに昨年からの大きな変化で自分を見つめ直して、やっぱり手織りを学びたい、続けていきたい、という思いで日々、制作に励んでいます。だからこそ、いま、長友さん自身の実感から語られたことは、ストレートに胸に響いたことでしょう。最後に長友さんは、こうエールを送りました。「大変な時期を乗り越えた自分というのが、後々すごく力になると思うので突き進んで。私も突き進みます!」

◆  長友さんにとって織りとは? 「楽しみなこと」

何もないところから、何を自分が選ぶかで形にしていける。織りにしても編みにしても同じですが、縫製など自分が手を加える範囲が狭い状態で洋服になり、織ったまま、編んだままで着られる。そうやってゼロから100まで、すべて自分でやる楽しみがあります。出来上がりを想像する楽しみもあって、想像を超えたものができたりもする。それが面白いです。

〈長友宏江さんプロフィール〉

ながとも・ひろえ/杉野女子大学(現・杉野服飾大学)卒業。家庭科の講師を経て、川島テキスタイルスクールで学ぶ。2000年、専攻科を修了し、織物会社で綴織の緞帳製織に携わる。東京に戻り、母校の大学で助手をしながら多摩美術大学大学院美術研究科へ進学。卒業後、ジャージ製造会社に就職し、ジャージ生地のデザイン・企画・製造を担当。07年から10年まで、atelier KUSHGULに参加。10年10月に「のの」を開業。

website: nono
instagram: @nono_2010.10

修了生インタビュー:絣の帯を制作して「次の夢が見えた」神田洋子

故郷の新潟で18年間ギャラリー&茶房を主宰してこられた神田洋子さん。2年間の京都滞在を機に、「染織の基礎をきちんと学びたい」と川島テキスタイルスクール(KTS)のワークショップをいくつか受講。そのうちの一つ「ずらし絣のマフラー」を受けた時、「もっといろんな絣模様に挑戦したい」と思い、3カ月の技術研修コースに進んで絣の技法を使った帯を制作しました。70代で新たに学びに踏み出して、修了時に「先が開けた感じがしています」という神田さんのインタビューをお届けします。

◆  私にも「できた」を体感

−−新潟県ご出身の神田さんは、2年間限定で京都に来られました。織りを学びたいと思われたきっかけは?

私の住んでいる地域は、新潟県の中でも小千谷や十日町、塩沢など織物の産地が近く、昔から織物に携わっている方が多いです。そんな土地柄と、友人の好意で織機5台を自宅のアトリエに入れたのをきっかけに、経験者の仲間の指導と本を頼りに5人で平織りを中心に楽しんできました。ギャラリーの仕事を一旦お休みして京都に来たのを機に、染織の基本をきちんと学んで、それを帰ってからも生かしたいと思いました。

−−ワークショップから技術研修へ、KTSで学びを継続された理由は何でしょう。

自宅に織機があって仲間もいるので、学んだことを今後も続けられるような形で持ち帰りたいと思ったからです。KTSではどの講座も内容が充実していて、学びの緊張感がありました。絣はプロの職人がやるものと思っていましたが、絣のワークショップを受講して私にもできたのがすごく嬉しくて。学びの緊張感と結果の充実感を、もう少し長く体感したい、そして3カ月で形にすることで、その先につなげていきたいと思いました。

−−技術研修コースでは、デザインから始めて試作を行い、帯を制作されました。制作過程における学びを教えてください。

お太鼓の部分に、川の流れをイメージした流水紋をデザインしました。流れるように生きてきた私の人生にも重ねて。デザインから取り組むのは初めてで、思いついた図案が絣に合うかが分からず、イメージを制作につなぐのが難しかったです。糸を一本一本動かして、なめらかな曲線を作るのに苦心しましたが、織り進めるにつれて線が表れてくるのが面白くて! 糸の引っ張り具合や角度を試行錯誤する中で、経と緯の糸がイメージどおりにピタッと合う回数が段々と増えていく。緯絣は何度もやり直して自分が納得いくまでできましたが、経絣は機に糸を張ってしまうので、やり直しがきかない。絣は最初の組み立てが大事だと分かりました。思ったようにいかなくても、先生に相談しながらどうしたらいいかを考えながら進めていく過程そのものが楽しく、それが学びでした。

◆手仕事でお返ししたい

−−初めての挑戦で、3カ月で作品を仕上げるご苦労もあったのではないかと思います。前向きに受け止めることができるのはなぜでしょうか?

私は手仕事が好きで、織りは長年やりたかったこと。まずは、好きなことができた喜びと感謝が大きいです。やっぱり私は、糸や布にまつわる手仕事が好きだと実感しました。次やる時には反省点を生かして、もう少し自分の図案に合うよう、染めやすいように色を重ねる工夫ができるかなと思います。家に帰ってから、もう一度挑戦してみます。そんな意欲が芽生えるほど充実していました。手織りに加えて、絣が学べた喜びもあります。

−−絣の魅力は何だと思いますか。

絣の細やかさや素朴感が好きです。方眼紙のマス目の上に模様を描き、経と緯の組み合わせで様々な絣模様ができる可能性を思うと夢が広がりますね。スクールで絣を学んで、どう織るかを想像できるようになり、ものづくりのスキルが増えて先が開けた感じがしています。

−−先が開けた感じとは?

今住んでいる地域に里山があり、自然の恵みと共に生活があります。スクールで天然染色を学び、その難しさを知りましたが、周りにある自然がものづくりの素材になると思うと嬉しさがありますね。これから染織を取り入れて、自然と暮らしと相互につながっていくと思います。

それから制作しながら、この先、もう少しきれいに織れるようになったら、あの方に差し上げたいな、あの方ならこんな色が似合うだろうなと想像しながら、次の夢を描いていました。これまで私は周りの方にたくさんお世話になってきたので、手仕事でお返ししたい。今、生きていることに感謝していて、元気でいられる時間を本当に大事にしたい。スクールで学んだ3カ月を基本にして、手仕事の次の夢を描いていきます。


スクールをつづる:はじまり編2 入門・暮らしの織り・組織織り担当、仁保講師インタビュー「インテリアから手織りの世界へ」

川島テキスタイルスクール(KTS)専任講師のインタビューをお届けします。仁保文佳講師は、織りの入門編ワークショップ「はじめての織り(10日間)」「織物がわかる5日間」を担当し、専門コース本科で天秤機を専門に組織織りを教えています。親しみやすい人柄に加えて、明るく活気のある雰囲気作り、硬軟織り交ぜた指導は、初めて織りを学びに来た受講者の方々にも好評です。大学で室内建築を学び、インテリアコーディネーターの仕事を経て織りの世界に入った仁保講師に、「空間」の視点をふまえてキャリアチェンジした道のりについて語ってもらいました。


専門コース本科の授業で、糸繰りの指導中。
「最初が肝心! 一つひとつの工程を確認しながら、糸の扱いの大切さを教えています」

◆  興味の始まりは「空間」

「インテリアって何だと思います?」と仁保講師からの問いかけで始まったインタビュー。「よくわかんなくないですか?」

美術館やギャラリーに行くのが好きで、「空間作りって楽しそう」と東京造形大学デザイン学科に進学し、室内建築を専攻。しかし、大学では空間作りの難しさにぶつかります。「空間って、いろんなアプローチがあってつかみにくい。講評会で、ものはなくて語りで終わる学生がいたり、プレゼンボードを使ってグラフィックだけで見せてくる人もいる。模型は作れても実物ではないので、結局は提案になる」。

ものづくりの実感が得られないモヤモヤの中で、「“何の”ものづくりかわかる仕事がしたい」と考え、卒業後はハウスメーカーに就職。インテリアコーディネーターとしてクライアントの要望を聞き、設計士や現場監督、職人と連携しながら、住宅空間を作る仕事に携ります。「コーディネーターのやりがいは、コミュニケーションを取って気持ちよく入居してもらえること。その役割も楽しかったのですが、そこでも自分はやっぱり手を動かしてものを作っていないという悩みに陥るんです」。私は布が好き。カーテンの営業に来た(株)川島織物セルコンの社員からKTSの存在を聞いて、学校見学へ。ここで学ぼうと決めた。

◆  「私も夢を追いかけて辞めます」

多忙のため退職に一年を要し、実際に辞められたのは上司が変わったのがきっかけ。「上司が夢を追いかけるのに退職したんです。私も夢を追いかけるんで辞めますと(笑)。最後は辞める勇気があるかどうかだと思います」。その後、学費を貯めてからKTSへ。

織りを学ぶのは初めてでも、建築の視点は役立つ。入学後、「『デザイン演習』の授業で、最終形態を意識して課題をすんなり作れたんです。大学やインテリアの仕事で培ったデザインの“タンス貯金”みたいなものがあって、それを引き出して制作したら、デザインすることが自分の中でストンと落ちた。私はずっとデザインってよくわからんなと思ってたんですが、(自覚してなくても)デザインの考え方ができていたのかと気づきました」。KTSで「テキスタイル」の「デザイン」を1年かけて理解していき、2年目は着物を専攻し、絣の着物を制作した。「私は建築の仕事でクライアントの希望や施工の制約がある中での、ものづくりの考えが身についている。織りは制約が多いけれど、出来上がるものが幅広い。特に絣は、最初に綿密な計画がないと成り立たない。建築と制作プロセスが似ていて面白かったです」

弾む(2015)
「アイデアが浮かぶのは、歩いている時が多いです。楽しそうな動きを出したいと考えていたら
ヒレのふよふよ感が思い浮かんで、金魚をモチーフにしました」

「このデザインの最小単位は、長さ約3センチ・幅3ミリの経絣。
あえて制約の多いドラム整経機を使って、並べ方やパターンの配置によって
全体でリズム感が出るようにし、着て楽しくなるような着物にしました」

2年を終えて、貯金が底をついた。「機を買いたいけどお金がいる。まずは働かねば」と手織りができる仕事を求めていたら、「じょうはな織館」(富山県南砺市)の求人を以前そこで勤めていた同級生が教えてくれて、就職。オリジナルの手織りグッズの企画をし、コースターやストール、かばん、ネクタイなど館内のショップで販売する小物類を制作します。体験教室の指導も担い、「働いた2年で、織りをやりたい!という多くの人に接して、織りはニーズがあるとわかりました」。機が手に入ったタイミングで関西に戻ると、専任講師の世代交代の流れで「若手の新しい風を入れたい」とスクールから声がかかりました。


「ショップでお客さんの声を直接聞いて、ニーズに合わせた製品作りをしていました。
その中でも平織りが基本だったものから、ハック織りや二重織りなどを新たに取り入れたりも。
織りに関わる仕事が、のびのびとできる環境でした」

◆  大きく捉えていた空間が小さく手の中に、回り道からの手応え

KTSでは初心者向けワークショップを担当。徐々に受講者が増えていき、今では満席になる回も多い講座です。「KTSに来る人は、体験ではなく真剣に織りを学びたい人が多くて、目的も様々。一人ひとりのニーズを汲み取るのはインテリアコーディネーターの仕事も同じ。話す仕事はずっとやってきたので、それが今になって役立っています」

専門コースでは、本科で組織織りも教えています。目指すのは「組織脳を身につけられるように」。組織の仕組みが理解できると「定番柄を織るだけではなく、こういう作品を作りたいからこんな組織で織ってみようという風にアレンジでき、オリジナル性の高いものが作れるようになるので」。それは建築から織物へ、応用できる力を身につけ、その楽しさを知っているからこそできるアプローチと言えるかもしれません。

ワクワクする空間に魅かれて室内建築を学び、インテリアの仕事を経て、手織りの世界で歩みを進める仁保講師。「私はたくさん回り道してきたんですよ」とカラッとした調子で語る中で、今、確かな手応えを感じ始めているようです。それは、大きく捉えてつかみどころのなかった空間というものが、ものを作れるスキルを身につけたことで小さく手の中に還っていき、具体化できるようになったこと。暮らしも空間。2021年度から新設の「ウィークリークラス–暮らしの織り–」も担当します。

「こういう布を作りたいというイメージがあるので、今後は作品制作もやっていきたい。やっぱり手を動かして、ものづくりができるっていいですね!」

◆  仁保講師にとって織りとは? 「道作り」

初めは織りを羨望の眼差しで見てました。私は器用じゃないので難しそうだと、魔法みたいに遠い感じで(笑)。実際に学ぶ中で、これまでの組み立てのアプローチが織りに活かせるとわかって近づけた。心の底から面白いと思えるものづくりを見つけ、頭の中のイメージに道筋を立てて制作できるようになった今、織りは魔法じゃなく私の現実。織りの世界で自分の道を作っている最中です。

*オープンスクール開催!(6月26日、7月10日、8月28日〈いずれも土曜10時・14時から、事前予約〉。見学の際、実際に機織りを体験していただけます〈専門コース本科の入学希望者のみ〉、他の日をご希望の方はご相談ください。)

詳細はこちら

スクールをつづる:綴織編7 修了生インタビュー「綴織職人と作家活動、2つの織りに励む」陳 湘璇さん

 綴織編シリーズ最終回は、修了生インタビューです。KTSを修了後、2020年4月に(株)川島織物セルコンに入社した陳湘璇さんは、作家活動をしながら綴織職人として働いています。陳さんに現在の仕事や、一人で作品制作を行うのと複数で大きな緞帳を織る感覚の違いや面白さ、学生時代にグループ制作した綴織タペストリーを振り返って今思うことなどについて、話を聞きました。

綴織の練習をする陳さん

——現在の仕事で感じる綴織の魅力や学びを教えてください。

 今は緞帳の方で勤務してますが、最初に綴織に魅了されたのは綴帯の製作風景を見学した時です。職人の手元を覗くと、爪先ですごく細い緯糸を綺麗に掻き詰めていて、その職人の姿に憧れました。綴織は、出来上がった織物だけではなく、最初の原画製作から緯糸作り、製織、仕上げ、道具まで全体が魅力的です。

 仕事では織りだけではなく、綴織緞帳に関する技能全般を習得しています。研修で覚えた綴織の技法を本番の製織で実践し、無地から柄まで織っています。綴織は爪掻きの加減により織面が変わってきます。最初は凸凹になりましたが、今はその加減を意識して織るようになりました。柄も下絵の通りに織るのではなく、一つひとつの形をどう織るのか、経験を積んで目と体で覚える。教科書はないので、まず先輩達に聞きながら覚えていき、仕事で応用するような毎日です。

——綴れ織り職人の仕事をしながら作家活動を行っておられることについて、どのように考えてその道を選択されたのでしょうか。

 実は複雑に考えてないです(笑)。日本の伝統文化に深く関わる事ができればありがたいと思っていたので、(株)川島織物セルコンから綴織職人の求人がKTSに来た時、いいチャンスだと思って応募しました。ですが、自分の作品制作も諦めたくないので、綴織職人はフルタイムの仕事ですが、仕事以外に時間がある限り作品も作ろうと思いました。自分を作家と言える自信はないですが、ただ思い付いたモノを作り出したい気持ちがあると強く感じています。それで、今の道に進みました。

家書4/1/20-6/7/20 mom, i’m fine 4/1/20-6/7/20
「コロナの災いから、自分が日々存在している事を改めて認識し、強く感じていました。心境の変化の記録として、生み出した作品です。 」
「Kyoto Art for Tomorrow 2021 ―京都府新鋭選抜展―」に出展)

——1人で織るのと、複数で大きな緞帳を織るのは、感覚が違うと思います。作家活動を並行して行う陳さんだからこそ感じる、それぞれの感覚の違いや面白さを教えてください。

 1人で作品を作る方が自由ですが、1から10まで全部自分で決めないといけません。私の場合は大体ラフなデザインをして、素材などを実験しながら最終的なデザインに向かう事が多いです。いつでも自分の意思で変更できます。織る時もマイペースで織れます。ですので、自分に責任を持てればいいという感じですね。

 それに対して緞帳は分業制で、ルールに基づいて複数で織っていきます。私はまだ新人なので、勝手な思い込みで織ってはいけない。自分でデザインした作品ではないので、なるべく原画に忠実に綺麗に織れるのが目標です。そのため、常に「川島織物の商品を作っている」という意識を頭の中に入れて、お客様に責任を持って制作しなければなりません。

 自分の作品作るのはもちろん楽しいですが、他人のデザインを織れるのも意外と面白いと思います。自分が持ってないモノや発想がチャレンジのように感じて、勉強になってます。

——KTSでの学生時代、グループ制作で綴織タペストリーに取り組み、作品は今も市原の福祉施設で飾られています。リアルな梅の木の模様や、光が差し込む表現を取り入れた凝った作品で、そこには織り表現を生かした原画の力があったと思います。制作にあたり、陳さんは原画を作り上げて織りに取り組みました。今、業務として緞帳を織るのに多くのルールを学んでいると思いますが、当時を振り返って、学生時代だからチャレンジできたり、ルールを知らなかったからこそ生まれた自由な発想や面白さなどはあったと思いますか?

 そうですね。最初は抽象的なものを作ろうと思ったんですが、施設の方はリアルな方がいいとおっしゃったので、私たちは梅の木を観察しに行って、沢山の写真を撮りました。その時観察したのは花が咲く前の梅の木ですが、逆にもの凄い力を感じました。そして、如何に梅の木の生命力をタペストリーで表現し、人々に伝えるかは課題でした。

 綴織はまだ初心者なので、織の視点から原画を作ろうとしてもなかなか難しかった、ただ私たちが感じたモノをひたすらに原画にしようとしたと思います。例えば、光を浴びた幹の個性や新芽の活発さなどを重要視しました。できるかどうかや、どう織るかはほとんど横に置いといて、「描けばなんとか織れるでしょう」という甘い考えでしたね。

 リアルと言っても、あまりにも具象的すぎると面白くないと思ったので、緯糸の色表現においては、現実と想像的な世界の間にあるようにしました。制作が進むと、やはり織で幹の陰翳や光の表現が特に難しかったです。細い新芽を織るのも大変でした。

——出来上がったタペストリーを見て、施設の方が「とても力強い命を感じました。高齢者にとっては生きる意味を力強く後押し、命の尊さを与えてくれる作品のように思います」と感想をおっしゃっていました。

輝樹 (2019)

−−スクールで学んだ土台があってよかったと仕事で実感することはありますか? ある場合、具体的に教えてください。

 スクールである程度の織物に関する知識を学べたので、職場で先輩が技法や組織のことを説明した時は分かりやすかったです。それと技術的な仕事をする時、多少慣れはありますので、それで良かったと思います。しかし、学んだからと言って、自分の思い込みでやってはいけないですね。織物は場所や人などによって、それぞれの用語や技術も違うので、やはり先入観を持たず、教えていただいた事を理解するのが大事です。

instagram: @shung_shouko

陳さんがKTSで学んだ経緯などは、「スクールをつづる:国際編8 修了生インタビュー『世代をまたいだ繋がり、日本語習得して長期留学』陳 湘璇さん」で紹介しています。