修了生

修了生インタビュー:「織りは私の人生のアクセントというか衝撃」

 長年勤めた仕事を退職し、ウィークエンドクラスを1年受講後、織りを本格的に身につけたいと専門コースに入学したSさん。現代社会で生き、時間に追われて働いてきたところから、織りを学んでこれまでとはまったく違う価値観の世界を知ったといいます。修了を迎え、「本来の自分を取り戻せて、すごくほっこりしています」と穏やかに語るご本人の、専門コース2年間の歩みをインタビューでたどります。

◆私の力よりもちょっと上のところ、未知の世界へ

——いよいよ修了を迎えますが、専門コースの2年間で特に印象に残ったことはありますか。
 みんなの修了作品です。それぞれ頭の中にあるイメージが違って、自分のやり方で一生懸命形にしている。1枚の布ですが1枚の布だけじゃない、作品の後ろにある人間を感じるところに感動しました。

——このスクールには人生の転機に入学される人や、いろんな背景の人たちが集っていて、作るものにもその人が反映されるのではないかと思います。
 この学校で織りを学ぶ中で、布ってまさに生活そのものだなと感じることが多々あって。表現の要素が、単なる表現ではなく日々に基づいている表現というのかな、それに美しさが加わって。私は『枕草子』が好きで古典作品の中に描かれる美しい衣装から、織物に興味を持ちました。あの随筆には作者が日々の生活の中で見つけた美しいものたちが書き綴られていて、私たちが自分の好きなものを一枚の布で表現しようとすることに通じるように感じます。

——表現の要素についてもう少し聞かせてください。それはアートや自己表現とは違うということ?
 ちょっと違うと思います。学校ではデッサンの授業やデザインを学ぶ演習がある一方で会社(川島織物セルコン)の職人さんがされているような技術を学ぶ織実習もある。糸を紡いで織るという生活に根ざした昔からの土台があって、技術的な部分、芸術的というか新しい表現みたいな部分、と複数の要素があると思います。

——特にそう感じたのは何ですか?
 絣です。絣というと矢絣しか知らなかったんですけど、絣糸の使い方で表現が広がるとわかりました。糸を括って染めるのは、糸によって染め方も違うし、色の境目を括る感覚とか織の風合の感覚とかは技術と勘の部分です。デザインには芸術的な要素が入っていると思うんですけど、自分がやりたいイメージをそのまま絣で落としこもうとすると難しく、織物の経緯の規則性の中で考えながら整えていく。下絵や製図を描いて、理論的にこうできるはずと計画しても自分の技術が追いつかなかったり、糸の性質、織り機との相性、打ち込みの仕方でも変わったりして、自分の限界を超えて取り組んだ感じがします。

——自分の限界を超えて、というのは。
 失敗を繰り返して学び続け、1年目はできなかったことが2年目でできるようになったことも多いです。先生方がたくさん引き出しを持っておられて、こうしたらできると教えていただいて。ただ自分の技術がついていけるかのせめぎ合いで、私の力よりもちょっと上のところ、未知の世界をいっていました。周囲のあくなき美、いいものを追求する姿勢に刺激を受けて私もそこまで必死でたどり着こうとした。今の私の精一杯は出し切ったと思えます。その分しんどかったけど、できたわ!を積み重ねて織りにハマっていきましたね。織りというより絣にハマったのかな。

春が来た (2025)

◆うまくできた時はずしっと肚に落ちた

——個人制作では、絣を使った作品づくりに専念されていました。
 じつは絣は苦手でしたが、自分の中でよくわかっていなかったからわかりたいという気持ちがありました。1年目の修了作品はクラゲの足をモチーフにした経緯絣のタペストリーを制作しました。化学染料で薄い色を何色も染めたのですが、自分で色を出すのが楽しくて。それに絣糸を組み替えながら織って1つの布になるのが面白いと思ったんです。
 2年目の制作では春の野の花をモチーフにした作品を作るのに、綴か絣かどらがいいかを先生に相談し、絣の方がニュアンスが出るのではとアドバイスを受けて経緯絣のパネルにしました。天然染色で色にこだわるのが2年目のテーマだったので、先輩から引き継いだスクールのクサギや市原の葛も使って染めました。その次の作品では波の動きを経のずらし絣で表現したタペストリーにするのにも全て天然染色で染めましたが、絣は染色と相性がいいんじゃないかな。その頃には絣がこうしたらこうなると仕組みがわかってきて面白くなったのもあります。

——学びを深めてきた中、ご自身にとって織りとは何でしょうか?
 頭の中にあるものを形にして表現する面白さや、喜び、驚き(を与えてくれるもの)。制約の中でどうしたら表現できるかを考えるのが好きで、何もないところからイメージを思い描き、工夫しながら作ったものが綺麗な布として現れる。その布が自分の身近にあると楽しいし落ち着くし、自分に自信が持てる。そうやってハマり続けています。

WAVES (2025)

——前年のインタビューでは自分第一主義でいくと話していました。今はどうですか? 
 それはもはや普通になりました。夫がご飯を作れるようになって、帰ったらご飯ができている生活です。この2年間は自分のことしか考えてなく、自分第一主義を貫いた達成感もありますね。特に2年目の専攻科はすごく濃かったです。

——専攻科の何が濃かったですか。
 制作の大変さが少しはわかった気がします。時間との戦いの中、自分がこだわる美しさをどうやったら今の技量で出せるかを考え詰め、落とし込むまでがしんどくて。デザインも最初まとまらず、できるか?と常に自分と向き合って、やめた方がええな、やっぱりここは入れたい、入れたら○本括るの増えるな、でも絶対ここは譲れへん、みたいなせめぎ合いでしたね。制作中もうまくいくか不安でしたが、できた時はずしっと肚に落ちた。不安が回収でき、これでよかったんやと確かなものを得た感覚がありました。

◆織りを通して自分と向き合い、せめぎ合って人間の幅が広がった

——制作を通して、ご自身の変化もあったのでしょうか。
 何に対しても寄り添う気持ちが少しは出てきたように思います。働いていた頃は「早く・大きく・はっきりと」みたいなスタンスでした。現代社会の中に生きていましたから。ですが、ここで学んだ織りは全く違う世界でした。

——どう違いましたか? 
 織りは1ミリ何本の世界じゃないですか。今までざっくり5ミリぐらいで生きてたのに(笑)。糸の扱いも、癖や向きがあるのに無理に自分の思うようにやろうとしてもうまくいかないけど、向きや流れを見てこの人(糸)はどうしたいんやろと考えながらやると、糸が綺麗に揃ったり結べたりすると少しずつわかってきて。これまでとは全く違うものの見方を得て、ややこしいことでも今は一息置いてどうしたらいいのかと考えたり、1ミリのずれを合わそうとする丁寧さを少しは得たかな。でもそれは前の仕事の世界でも実はとても大切なことだったなと思います。

——この現代社会で丁寧に生きるって、本当に大変なことだと思います。
 そうなんですよ、これまで時間に追われて生きてきたので。結局、周りに急かされたり渦に巻かれたりする中で流されて生きてたんやなと今ならわかります。織りを通して自分と向き合い、せめぎ合いながら、少しは人間の幅が広がった感じはします。

——修了を迎えた今、晴れやかな表情されています。
 大満足です。やっぱりこの現代社会の中で生きていた時に、いろんなことがもつれたまま進んで、それがここでほぐれた感じがあります。それは手仕事、手を動かすところから来ているんじゃないかな。

——手を実際に動かしながら、自分もほぐしていけたんですね。
 ほぐしながら自分の好きなものがわかりました。やっぱり綺麗なものが好きやなって。何に綺麗だと思うか、綺麗だと思うものをどう表現するか、どうしたらうまくいくかをじっくり考えて形にしていくプロセスから、本来の自分を取り戻せて、今すごくほっこりしています。

——これから織りをどう続けていきたいですか。
 やっぱり綺麗な布を作りたいです。暖簾とかマットとか私なりの綺麗なものを暮らしの中に取り入れていきたいです。織りは私の人生のアクセント、というか衝撃となりました。もう夢を追うような歳じゃない。だけど去年より今年の方がいろんなことができるようになっているし、小さな可能性から人生を楽しむことはできる、また新しい喜びをつかんでいける、と今は思えます。

修了生インタビュー: 「織りが自分の人生に近い存在に」

「テキスタイルが好き」という気持ちをあたため続け、仕事を辞めて2022年に専門コースに入学したS・Hさん。未経験から織りを学び、スクールの3年間で自分の作風を大切にしながら作品制作に励み、ずっと好きだったテキスタイルブランドに就職しました。「人生の方向性が変わって良かったと思います」と、修了時に清々しい表情で語ったS・Hさんのインタビューです。

On my way (2025)

◆綴織で絵本、私らしいものができると思った

——まずはさかのぼって、入学の経緯を教えてください。
子どもの頃アメリカに住んでいて、帰国後は高校の2年間をインターナショナルスクールに行っていました。当時はテキスタイルやファイバーアートに興味があって、卒業後の進路を先生に相談した時に川島テキスタイルスクールのパンフレットを見せてくれました。オーストラリア出身の美術の先生だったのですが、川島に進学した卒業生がいて知っていたそうです。当時は結局、国際関係の大学に進んで就職したのですが、輸出入の仕事をしていた時期、コロナの影響で仕事がすごく減ってしまって。テキスタイルへの思いはずっとあったので、このタイミングで専門的に学ぼうと川島に引き寄せられたんです。そこから人生の方向性が変わって、それは良かったと思います。

——最初から専門コースに3年行こうと決めていたのですか?
せっかく織りを学ぶからには作品をつくりたくて、2年は行こうと思っていました。この学校のようにいろんな種類の機を使ったり、設備の整った染色室で染めたりできる環境はなかなかないので、ここで作品をつくってきちんとしたポートフォリオを作るという目標ができて3年目に進みました。私は色を生かした表現が好きなので、いろんな色の糸をたくさん使って、綺麗だなと思うものに色々触れられたのは贅沢だったと思います。

Bright (2023)


——3年間で印象的なことはありましたか。
私は全く織り経験がない初心者で、手先が器用でもないので、1年目はずっと挑戦の連続でした。皆で一緒にやる実習が多くて、周りの器用な方とつい比べてしまったりして気持ちに余裕がなかったです。でも1年目のいろんな織り実習を通して、自分の向き不向きが何となくわかったというか。絵のような光景のようなデザインを考えるのが私は向いていると思ったので、綴織の技法が合ってるのかなと。綴織で私らしいものができると思い、1年目の個人制作では綴織の絵本をつくりました。修了展で作品を見た方々から、気に入ったとかポジティブな感想をいただけて、自分に少し自信が持てるようになりました。大変でしたが何とか乗り越えたと思えるので、1年目が印象的です。

◆京都の街を歩きながら発見したものをモチーフに

——2年目、3年目はどうでしたか?
制作スケジュールを立てて自分のペースで進められる分、私はやりやすくなりました。授業で捺染絣とダマスク織りを新しく学び、先生のアドバイスで2つを組み合せた技法で作品をつくってみたら面白くて。それで3年目も前年の作品と連作で、2つの技法を融合させて作品をつくりました。モチーフは京都の街を歩きながら発見した格子窓や銭湯の湯気、会話、行灯など。これまで京都のように古い町家がある街に住んだことがなかったので、街歩きも楽しかったし、考えついたアイデアをつくることで試していけるのもやりがいがありました。修了制作でも今まで学んだ技法を取り入れて、自分の作風を出した作品がつくれたのではないかと思っています。

左:A Conversation / 右:Bath Time (2024)

——在学中は留学生とも交流されていました。
留学生の作品は年によって作風も違って、今年(2024年度秋コース)の方はインテリアっぽい作品が多く、前年の方々は芸術的でメッセージ性のある作品をつくられている方が多い印象でした。それぞれ全く違う作風に触れ、こんな表現があるんだと触発されましたね。みんなで一緒に出かけたこともあって楽しかったです。学校では先生方がFikaを開いてくれて、焼き芋やおやつを食べながらみんなで話したり、スウェーデンの交換留学から戻ってきた先輩の話も聞けたりして、いい思い出です。

◆織りをもっと近くに感じてほしい

——スクールでの3年を経て、好きなテキスタイルブランドに就職が決まりました。どんなお仕事に就くのでしょうか。
インテリアの営業や商品の仕入れ、海外からの輸入や、ポップアップショップの企画や運営など、インテリア関係に幅広く関わるみたいです。まずはアシスタントとして経験を積んでいく予定です。

——修了生は職人の道に進む人もいれば、テキスタイル関係でも就く仕事の幅が結構広いのですが、進路は自分で納得していますか。
そうですね。自分が向いているのはつくる側の人よりも、アイデアを考えたり企画を立てる方だなと思って仕事を探しました。就職先のブランドもテキスタイルに興味を持ち始めた高校の時に知って、素敵だなとずっと思っていたので。

——インタビューの初めに、人生の方向性が変わったと話されましたが、この3年間、作品をつくることで新しい自分を形成していった印象も受けました。ご自身にとって織りとは何でしょう?
今まではただ、こういう布が好きだなと考えていたものが、実際につくれるようになって関係が近くなったというか、より自分の人生に近い存在になりました。テキスタイルは日常との近さがいいなと思うんです。インテリアでもクッションやカーテン、タオルもテキスタイルですし。他の表現方法もありますが、近いけど特別な存在を表現するにはやっぱりテキスタイルの温かみがいいなと。そこには織りをもっと近くに感じてほしいという思いがあります。

——織りを身近に感じてほしいという思いで、作品をつくってきた?
いいなとか面白いなと思ったものを取り入れて、作品として見てもらう。そうやって自分の思いを伝えるための方法ではあるんですけど、距離としては身近なものであってほしい。もちろん伝統工芸としても大切にされてほしいですが、そこに行くまでの敷居が高いな、それだけだと世界が狭まっちゃうかなと思うので。けれど日常にあるものだと割と大量生産が多くて、あまりありがたみを感じないというか。織物はつくるのがすごく大変で、時間もかかるし途方もないんですけど、入学する前の私のような織りを知らない人にも、どうやってできているんだろうとか興味のきっかけになるような織物ができたら楽しいなと思って、取り組んできました。

——自分の思いと、見た人がどう思うかの両面を大事にしている。
私は人のことを気にしすぎるって昔から言われます。人からどう見えるかと自分の視点って全く違うので、そこは怖くもあり面白くもある。(性格的に)よくないとされる部分でも、いろいろ気にしてるから観察する部分もあるし。そこを意識して作った方が自分なりにどういう作品になってほしいかという方向性が見い出せるので、作品づくりには生かせているのかもしれない。だからそういうところもテキスタイルに助けられています。

——これからも働きながら、ご自分でもつくり続けたいですか。
可能ならつくり続けたいです。そのためには時間のやりくりと環境が必要ですね。アイデアはあります。

大阪・関西万博「迎賓館」に飾るタペストリー制作に修了生が参加

 2025年4月から開催されている大阪・関西万博で、(株)川島織物セルコンが制作したタペストリー作品に、川島テキスタイルスクールの修了生の加納さんと園さんが制作補助として携わりました。

 作品は各国の首脳など賓客を接遇する「迎賓館」にしつらえるためのもので、川島織物セルコンがデザインと監修に2人の現代美術家を起用し、大型タペストリーを制作。スクールの修了生が関わったのは、そのうち手塚愛子さんがデザインした作品です。

 手塚さんは、織られたものを解きほぐし、歴史上の造形物を引用、編集しながら新たな構造体を作り出す、という独自の手法で制作しており、今回の作品もこの手法で展開。修了生は再構築の部分で参加しました。2人の感想を紹介します。


 今回の作品制作は、手塚さんの図案によって制作された二枚のタペストリーの緯糸を引き抜いて織構造を一部解体し、それぞれの経糸同士を平織りで織り直し、一枚のタペストリーとして再構築するというものでした。また、万博での展示のため大変規模の大きいものでした。
 織幅3メートルほどの、自身の手に収まらないサイズの織物の制作は大変な作業ではありますが、布を織るという構造は手機の場合と同じです。今回の制作で私たちは、綜絖を上げ、緯糸を通し、筬を滑りこませて、綜絖を下げて打ち込む、という作業を5~6人がかりで行い、布を仕上げていきました。
 複数の身体を使って、機の大きさにとらわれることのない織物を制作することは、普段の織り機や、手のスケールを大きく超えて、織るという行為や織物の構造・形式を改めて捉え直すための貴重な機会であったと感じます。(加納)

 今回、10メートルをゆうに超える大きな作品の制作補助ということで、規模としても制作方法としても得難い経験ができました。手織り機とはまったくサイズ感が異なりますが、織物の根本的な法則やそこから生まれる美しさみたいなものは同じなのだなと感じました。(園)

関連リンク(プレスリリース):
2025年 大阪・関西万博 迎賓館を彩る現代アート作品 現代美術家 手塚愛子・川人綾がデザイン・制作監修のタペストリー披露 4月28日、特設WEBサイト公開

修了生インタビュー:「勇気を出して踏み出したら、事がどんどん進んでいった」吉田有希子

大学卒業後、川島テキスタイルスクールの専門コース本科(2023年度)で1年間学んだ吉田有希子さん。未経験から織りを学び始め、「産地のひとりになりたい」という希望を叶え、修了後は久留米絣の工房で職人として働きます。本科での1年が「3年ぐらいの体感だった」という吉田さんに、スクールでどんな思いで学んだか、自身の変化や、やりたい仕事につながった道のりなどについてインタビューしました。

◆ 糸をきちんと扱う感覚がつかめるように

——吉田さんは大学で絣をテーマにした卒業論文を書き、本を読むだけではわからないからつくってみたいとスクールの専門コースに入学しました。1年目の本科では、糸染めから織りの全行程を学びます。ここで絣に限定しない学び方を選んだのはどうしてですか?

私は織りをやったことがなかったので、とにかく基礎を学びたいという気持ちがありました。きっかけは久留米絣でしたが、絣だけではなく織り自体を知りたいと思っていたので、この学校でいろんな織物を学ぶ中で、自分に合うものを見つけられたらいいなという気持ちでした。

——本科で特に印象深い授業はありますか。

自分の成長を感じたのがホームスパンです。入学当初は糸に触れること自体が久しぶりで、4月のスピニングの時は糸が絡まったり切れたりしないかと怖くて、これから大丈夫かなと不安になりました。ですが、その後の実習でいろんな糸を使ううちに少しずつ恐怖心が薄れていき、10月のホームスパンの時は楽しく取り組めました。以前は力ずくで糸をどうにかしようとして逆に絡まっていましたが、最近は力を入れずにやさしく扱った方が早く解けるとわかって、糸をきちんと扱う感覚がつかめるようになった気がします。

◆ 同世代に興味を持ってもらえる絣を

——修了制作ではウールを使って、ハチワレ猫の模様を絣で表現した毛布をつくりました。作品の成り立ちを教えてください。

(いろんな織りを学んだ上で、)やっぱり絣をやりたい気持ちがありました。大学にいた頃、絣という織物があると友達に言っても誰も知らなくて。同世代に興味を持ってもらえるものをつくりたいという思いがずっとあって、絣はこうというような固定観念に縛られないでつくってみようと思ったんです。久留米絣はほとんど平織りですが、修了制作では綾織りを選びました。糸も絣というと絹だったり、久留米絣はすべて綿だったりしますが、ウールでも絣はできると先生に後押ししてもらって、やりたいことができる環境にいる今、チャレンジしたいと思いました。
毛布にしたのは、ホームスパンの授業で先生が持ってこられたショールが気持ちいいなと感じて、起毛したウールの風合いから猫を撫でる心地を思い出し、猫柄の毛布をつくろうと着想しました。うちの猫3匹はみんなハチワレで、絣を使ってどうハチワレ模様を表すか、先生と相談しながらデザインを決めました。絣というと小さい柄が多いイメージがありますが、大きい柄の絣をやってみたいと思ったのもあります。

——制作で大変だったところはありますか?

絣のずらしです。修了制作で初めて大きなずらし台を使ったのですが、機の上で扱うのは体力的にも大変でした。絣をデザインから考えるのも初めてで、括る位置を決めるのに、ガイドテープの計算を頭がこんがらがりながら何とかやって(笑)。初めての経験が多くて大変だった分、とても勉強になりました。

——作品が出来上がった時の気持ちは?

今の自分ができることはやれたけど、反省もあります。同世代に興味持ってもらえる絣をつくりたい気持ちはこれからもずっと続くと思うので、もっと力をつけたい。この作品きっかけに、よりよいものをつくっていきたいです。

◆産地のひとりになりたい

——修了後は福岡に戻り、久留米絣の工房で職人として働かれます。職人を目指すきっかけは何だったのでしょうか。

本科の授業で作業全体を繰り返し経験する中で、私はデザインよりも、手を動かしてつくる過程が一番楽しいと感じるようになりました。初めはうまくできなくても慣れていくにつれ、ちょっとずつコツをつかんだり、スムーズに作業できるように考えたりする時間が楽しくなって、職人の方向がいいなと思うようになりました。

——織りを通して自分と向き合い、進む方向が見つかった。そこからどのように就職に結びついたのですか?

福岡県が主催する「久留米絣後継者インターンシップ」に参加して、そのまま就職が決まりました。プログラムは未経験でも参加できたのですが、私は織りの基礎があってよかったと思った場面がけっこうありました。3日間で絣の括り屋さんや染色屋さんを見学したり、工房で緯糸の準備をしたりしたのですが、専門的な説明でも織りの基礎を知っていたことで理解しやすく、吸収できるものが多かったと思います。現地で久留米絣に携わる方々の話を聞く中で、それぞれ考え方は違っても一つの産地として協力してものづくりをしているのが面白くて、私も産地のひとりになりたいと思いました。このプログラムは初めての開催だったので、ラッキーでしたね。思い切って参加してよかったです。

ハチワレモウフ(2024)

◆今は何があっても大丈夫と思える

——修了を迎える今、1年を振り返ってどんなことを感じますか?

体感的には3年ぐらい、長いような短いような不思議な感覚です。1年前の入寮時はダンボール2箱分の荷物で来たはずが、退寮の今、部屋にダンボール6箱分の荷物があります。箱の中身は、この1年でつくった作品や使用した糸が多くて、それらを見ていると確かにこの学校で毎日織りに触れ、学んできたんだなあと。1年で大きな作品をつくれるようにもなって、ちょっとずつでも確実に進めている実感があります。

——最後に、吉田さんはこの学校で何を得たと思いますか?

やってみる精神です。大学生の頃はやりたいことがわからなくて悩んでいました。大学の後半になって織りに興味を持ったのですが、どうやってその道に行けばいいかわからず、ただ悩むだけでした。この学校に入学してからは、事がどんどん進んでいくのを感じました。それまで織りを仕事にしている方と会ったことがなかったのですが、授業で外部の方を含めていろんな先生の話を聞き、織りに関わるいろんな方法があると知って、道が開けた感じもあります。
そして私自身、課題制作を通して自分が変われたのが大きいです。制作中はピンチも多かったのですが、その都度先生たちが助けてくださって乗り越えて。そんな日々を過ごす中で自分ひとりではうまくできなくても、頑張っていれば誰かが助けてくれるから大丈夫と思えるようになって、以前よりも挑戦することに対して前向きな気持ちを持てるようになったんです。久留米絣のインターンシップも、以前の私だったら無理かなと申し込まなかったかもしれません。ですが今なら何とかなると思えました。勇気を出して踏み出した結果、今こうやって自分の進みたい方に進めている、そのこと自体がよかったです。今は、何があっても大丈夫と思えます。


吉田さんを含む、2023年度本科の在校生インタビュー記事です。
在校生インタビュー1 高校・大学卒業後に入学(2023/12/8)

修了生インタビュー:「自分の好きを追いかけた3年間」木村華子

2020年に専門コースに入学した木村華子さんは、美術高校を卒業後、スクールで1年目に織りの基礎、2年目からはファッションテキスタイルを専攻して3年間しっかりと学びました。修了後は(株)川島織物セルコンに就職します。自分の「好き」を積み重ねて「3年間学んでよかった」と笑顔で語る木村さんに、学びの歩みや、自身の変化、やり抜いた今の思いなどを語ってもらいました。

◆ 次は進歩したい
〈インタビューは修了展の会場で、展示作品を見ながら行いました。〉
——作品が展示されて、今の気持ちを教えてください。
嬉しい気持ちもあるけど、自分の手から離れていったさみしい気持ちもあります。向き合ってきた時間が長かったので、作品が子どもみたいに思えます。糸の素材感を生かして、どうやったらうまく織れるか、たくさん試織したので、がんばったな、ちゃんと織れてよかったなと、ほっとした気持ちもあります。

純喫茶のお気に入りのスイーツのイメージを服地にし、スカートに仕立てたシリーズ作に仕上げた
(右から) 「宝石」喫茶ソワレのゼリーポンチ
「甘酸っぱい」純喫茶アメリカンのヨーグルトパフェ
「ほろにが」純喫茶フルールのプリンパフェ
「宝石」喫茶ソワレのゼリーポンチ

——木村さんは2年目の専攻科で、ファッションテキスタイルを専攻しました。この専攻を選んだ理由は?
まず、服地を織りたい気持ちがありました。それで着物かファッションかで専攻を迷ったのですが、ふだん私が身に付けているのは洋服だなと思って。実際に自分が着て、やさしくなれるというか、気持ちがいいと感じる生地をつくりたいと思ってファッションテキスタイルを選びました。

——そのなかで、どのように制作に取り組んだのでしょうか。
制作のテーマを設定するのに、自分が好きなものは何だろうと考えた時、レトロなものに惹かれる自分に気づきました。1950年代のシンプルな服の形が好きで、初めは50年代をテーマに服地をつくりました。だけど、その先で行き詰まってしまって。今振り返ると、レトロで何かつくりたいまでしか見えていない状態の中で、年代にとらわれ過ぎたのかな。レトロって何だろうってすごく悩みました。

——行き詰まったところから、どうやって方向を見い出したのですか?
いろんなものを見て、視野を広げました。3年目に進み、改めて私はレトロの何が好きなんだろうと考えた時、今の私と同じ20代の人にも昔の服の生地感の良さを知ってほしい、着てほしいという気持ちに変わったんです。それで素材を中心に考えていこうって目標を立て、レトロの中でも純喫茶のスイーツにテーマを絞って、イメージと食感を服地にし、スカートに仕立ててシリーズ3部作にしようと結びつきました。

——スクールの学生同士で、刺激し合う部分もありましたか?
周りで織っている姿を見て、自分も頑張ろうっていう気持ちになれました。同学年の人とは、制作途中の発見や失敗、他愛もない話まで何でも話せて、悩みも言い合えました。話すことで次は進歩したいって思えたし、心強かったです。

——専門コースの2・3年次では、制作するのに自主性が必要ですが、そこで先生との関わりはどうでしたか?
毎週1回、制作過程を報告するミーティングがあったのがよかったです。サンプル生地を見せながら、自分の織りたいイメージやアイデアを伝える訓練になったし、伝えることで、より作品づくりに向き合うことができました。先生方は織りに詳しいので、私が気づかないところからアドバイスがあって、そこからやり方を自分で切り替えられたりして、制作意欲を保ちながら自分のやりたいことを形にしていくのに、ミーティングは大事な時間でしたね。

◆産地の方々と一緒に、ものを作り上げる経験
——木村さんは翔工房事業((公財)一宮地場産業ファッションデザインセンター主催)に挑戦し、尾州産地の「匠」と呼ばれる熟練の技術者とコラボレーションしてワンピースを製作しました。その経験は木村さんにとってどんなものでしたか?
仕事としてものを作り上げていく経験が、私自身の大きな糧になったと思います。匠の方と一緒に企画して進めるのに、自分が描いたデザイン画を見せながら、素材や色の重なりなど「こうしたい」と考えを伝えて、形にするのに相談しました。ここでは私は織らずにデザインだけの関わりだったので、初めは伝えるのが難しいと感じましたが、伝えないと理想の服地ができない。裾をフリンジにして経糸を見せるデザインにしたいと伝えると、「やってみるね」と匠の方がシミュレーションしてくださり、イメージと違う場合は私もちゃんと「違う」と伝えて、変えてもらって。匠の方からは袖の部分に柄の変化をつける方法を提案いただいたりして、一人でつくる時とはまた違う柄ができるなって実感しました。

——スクールは手織り、この事業では機械織りという違いもあります。両方を経験することで、何か気づきはありましたか?
手織りだったら、あまり経糸に他素材を入れないですけど、機械織りで、経糸にいろんな素材を入れて織り込む技法を経験できたのはよかったです。機械には機械の良さがあると知り、逆に手織りでしかできないことをもっとやりたいなと思いました。

——織りを学んできたからこそ、製作現場で強みを感じた部分は?
糸の状態と織ったものを見るのとでは、色のイメージが全く変わります。スクールで糸も織り組織も両方を学んできたからこそ、織った時にこう出るというのが頭の中でイメージできました。現場でのやりとりで、「こういうパターンで作りたかったら、ジャカードじゃなくてドビー機で出せるよ」と言われた時に、機の機能がぱっと頭に入ってくるし、「朱子で織る」というと「柔らかい風合いになるんですかね」というふうに話が通じるのが「気持ちいい」と匠の方に言ってもらえたのも嬉しかったです。

——3年目は翔工房事業に参加しながら、スクールでも並行して制作を進めてきました。外と内の両方で、ものづくりに取り組みながら自身の変化に気づくことはありましたか?
翔工房で他の学生が製作した竹糸を用いた製品を見て、私も竹糸に興味を持って自分の制作でも取り入れてみました。竹糸は、糸自体は柔らかいんですけど、湯通しすると硬くなり、織って生地になるとすごく柔らかくなって、変化が面白いと思いました。そうやって素材感が変わるのも、糸から生地をつくっていなかったらわからないこと。これまでスクールの制作でたくさんの糸を試して、縮絨も経験してどのぐらい縮むかも見当がつくようになったので、竹糸のように初めての糸を扱う時でも、大きな失敗がなくなりましたね。

◆「好き」しか追いかけていない
——木村さんが3年間の学びで、積み重ねてきたものは何でしょう。
どうしたら織りとして成立するか、今まで学んできた中からこうできるだろうと、頭の中で考えられるようになりました。試織などで失敗を繰り返したからこその学びじゃないかなと思います。
それに機の準備が大好きになりました。織るのと同じく準備も3年間やってきたので、こうしたら早くできるとか、スムーズに糸通しできるとかが大分わかるようになって楽しいです。そうやって3年間楽しく織りに向き合えたのが、本当によかったなって思います。私は高校の時、織りに苦手意識があったので。だけどなぜか気になって、織りを学びたいとスクールに入学したんです。そこから1年ごとに、だんだん織りが好きになって、3年経つ今が一番好き。思う色にバチッと染められた時や、織っている時に、糸に「かわいくできたらいいね」って話しかけたりして(笑)。それで作品の形になったら「使わせてくれてありがとう」って伝えていました。

——改めて、3年目の創作科に進んだ理由を聞かせてください。
なんか悔しかったんです。2年目、制作に迷いがあって、自分が本当に好きって思えるものがつくれなくて。自分がつくるものをもっと好きになりたいし、これで終わらせたくない、もっとつくりたいと思ったので。

——その悔しさを3年目で晴らせたと感じますか?
そうですね。服地だけでなくスカートの形にもできたし、自分の好きな色合いや柄を見つけて、チェックのデザインで出すことができたので。反省点もありますが、晴らせたんじゃないかと思います。

——この3年間、自分の「好き」をあきらめなかった。
あきらめたくなかった。でも私はこれまで、好きしかやったことがなかったんです。絵が好きで美術高校に行って、スクールで織りを学んで、逆に自分が好きじゃないと続けられる自信がない。「好き」しか追いかけていないです。

——修了後は、(株)川島織物セルコンに就職が決まりました。「好き」は就職先にもつながりますか?
はい、将来は伝統的な仕事に就きたいと思っていたので嬉しいです。小学校の卒業文集にも「伝統的な仕事がしたい」って書いてて。子どもの頃はお寺を見るのが好きで、宮大工さんに憧れたこともありました。お父さんは大工なので、一緒に見に行くと寺社建築の木の組み方とかを説明してくれてたのもあって、伝統的な仕事をしたいと思っていました。それが結局、織りになっていったのかな。これからも好きを追求していきます。

——これから織りをやりたい人に向けてのメッセージをお願いします。
もし迷っていたり、ちょっとでもモヤモヤがあったりしたら、まずは踏み出すしかないのかなと思います。踏み出せば、もう自分自身やるしかないって思うので。とりあえず手を動かすことが大事なのかもしれない。まずはやってみる。その先で、確実につながっていきます。

2020年9月に掲載した、「在学生の声(専門コース本科)」の記事です。
「織りながら自分の好きを発見していく」木村華子

修了生インタビュー:織りを通して「希望が生まれた」德本治子

この春、専門コース本科を修了した德本治子さんは、以前イギリスに留学していました。しかし、新型コロナの影響により中断を余儀なくされました。帰国中に川島テキスタイルスクール(KTS)のワークショップを受講したのを機に、専門コースに入学したのが2021年のこと。「集中して学ぶ」と決め、本科で一年間みっちりと取り組んだ先に視界が開けた德本さんに、今の思いを語ってもらいました。

light (2022) 

◆  家にいる時間が長かった。だから光に目が向いた

−−德本さんが初めてKTSに来たのは、2021年2月に開催された染色ワークショップでした。いつまたイギリスに戻れるかわからなくて困っていた中で、専門コース入学を決めました。

あの時、身動きが取れなくて迷っている最中で、半泣きみたいな状態でした。スタッフの方に話しかけていただいて、それがなかったら今ごろ自分はどこにいただろうって思います。学校を見学させてもらったり、修了展で留学生の絣の作品を見て面白そうと思ったり、ワークショップ時に堀先生に「染色するなら織りをやった方がいい」と言われたのも思い出して、駆け込みで入学願書を出しました。私の場合、最初から織りと決めていたわけじゃなくて、テキスタイルを学びたいと思っていました。やっていくうちに織りが面白くなって、一年後の修了展で自分がこんな(高さ2メートル以上の)大きな作品を作れるようになるとは思わなかったです。

−−どうして、作品の着想がスクールのアトリエだったのでしょう?

建物内の光はずっと気になっていました。特にKTSのアトリエって建築としてもきれい。窓が多くてガラスが大きくて、外から入ってくる光をいつも感じていました。部屋の中で幸せを感じるのって日光を浴びたり、光がきれいに入ってきたりする瞬間。特に家にいる時間が長かったので、内に希望を見つけられるものがいいなと思って、光をモチーフにしました。

light (2022) 
アトリエの中で見つけた光と影

−−学校生活はどうでしたか?

すごく集中できました。特に東京の大学生活は、都会のいつも車が走っているような環境でしたが、ここは自然に囲まれてせかせかしない。疲れたら散歩できるし、夜も静かで心地いい。修了展に向けた最後の一カ月は、夜アトリエが閉まるぎりぎりまで織って、さっとお風呂に入ってすぐ寝る、また朝が来るみたいな毎日で(笑)、寮に入ってよかったです。

◆学位より技術を学びたい

−−德本さんは当初、テキスタイルを学ぶのに海外の大学院進学を希望していましたが、方向を変えました。KTSで学ぶ中で学位にはこだわらなくなったのでしょうか? その変化について聞かせてください。

技術を学びたい方向に変わったので、大学院ではないのかなと思ったんです。本科に入って綴れや絣、組織などを学ぶ中で、織りは技術が必要だと実感しました。技術を少しずつ積み重ねて、ステップアップしていくのが面白くて。やっぱり海外で学びたい気持ちは変わらないので、スウェーデンのテキスタイル学校に出願する予定です。そこはKTSに似た環境と教えてもらったので、引き続き技術を習得したい。やっぱり数をこなして技術を上げていかないと作りたいものを作れないし、そこを強めてから社会に出たいと思っています。

−−本科生は皆、仲が良さそうに見えました。それはコロナ下で共に過ごしてきた影響もあるのでしょうか。オンラインではなく、生の空間で学んだことが大きかったですか。

そうですね。人と会う回数がめちゃくちゃ減った分、学校ではクラスメイトと積極的に話しましたね。少人数制で話しやすかったのもあります。グループ制作でもかなり話しました。そうしないと一緒に作れないので。言葉のすり合わせも必要で、例えば「落ち着く」でも互いに受け取り方が違う。それで普段からよくコミュニケーションを取るようにしていました。「話してみる」ができるようになったは、私がこの一年で変われたところです。ちょっとの勇気なんですけど、それができると人間関係や自分の今後に影響が出るのかなと思います。

◆  手を動かして、再びつくる・生きることに希望が持てた

−−KTSで学んだ手応えは?

初めに基礎をしっかりと教えてもらえたのはすごく助かりました。KTSでは技術を積み上げていけるので。特に織りは一つひとつの過程をきちんとやらないと後々に響くとわかったし、全体を通して丁寧な仕事を学びました。大学の時は自由すぎて、私の場合は逆に何をしたいのかが定まらなかったのですが、この学校に来て、制約の中のものづくりが向いていると自分を知れた。織りの計画性が好きで、教わった技法の面白いところを生かしてデザインする。そこにスッと入れて集中できたのがよかったです。

周りの人に助けてもらいながらヨタヨタと立ち上がり、気がつけばちゃんと目標ができて、自分が納得できる作品をつくって一年を修了できた。コロナ下だから残念なこともありましたけど、いいこともあったなって今は思えます。

−−これからの織りとの関わりについて、今の気持ちを教えてください。

やっぱり織りに関わる仕事がしたいです。そうやって、ちゃんと欲が出てきてくれたのがよかったなって思います。コロナ下の影響で、一時は何もしたくないという状態まで落ち込んでいたので。入学当初は手を動かすのも慣れず、戸惑いもありました。そこから次第に自分なりの織りの面白さを見つけられて、もっといいもの作りたいという気持ちが生まれたんです。それは私にとって、再びつくること、生きることに対して希望を持てた瞬間。手を動かすことから始めたのがよかったのかもしれないです。

一年が経ち、また春が来て、気持ちの切り替えができました。自分にとっては必要な時間だったのかな。ここまで来られて本当によかったです。今、世界の情勢が不安定で渡航すらも難しくなってきているんですけど、それでも進んでいきたい。世界に対し、美しいものをつくることが私たちにできる抵抗の一つだと思うから。これからも織りの豊かさ、ものづくりの尊さ、何よりも楽しさを忘れずに、織りと向き合っていきます。

>>2021年10月に掲載した、「在学生の声(専門コース本科)」の記事です。
在校生の声1(2021年度・専門コース本科)「過程の面白さに気づいて」德本治子

修了生を訪ねて:布づくりからの洋服づくり「のの」長友宏江さん

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コースでは、年に一度、織りを仕事にしている修了生による授業を行っています。2000年度に専攻科を修了した長友宏江さんは、10年に「のの(nono)」というオリジナルブランドを立ち上げ、布をつくり、洋服や鞄、小物の企画、デザイン、製作、販売までを手がけている方です。校外学習として、長友さんのアトリエ兼ショールームを訪ねました。そこで学生の頃の作品や、今実際に販売している洋服や布小物、生地サンプルなどを見せてもらいながら、これまでの学びや仕事の経験を、どう製品づくりに生かしていったのかなど、お話を伺いました。

◆拠点も人生も、DIY精神で

長友さんは2021年2月、それまでの10年間ショールームを運営していた場所を離れて、同じ京都市内の一軒家に新たな拠点を立ち上げたばかり。案内してもらった2階のショールームはアットホームな雰囲気で、壁塗りや床張りなどのリフォームは自ら行ったそうです。その自分でやるというDIY精神は、ご自身の人生にも通じていて、「学生時代に取り組んだことが、今に至るまでずっとつながっているんです」と、長友さんはにこやかに話し始めます。

子どもの頃からつくるのが好きだったという長友さんは、「洋服を仕立てる仕事がしたい」と、まずは服飾の大学へ進学しました。そして「自分でつくった布で仕立てたい」という強い思いのもと、卒業後に家庭科の講師をしてお金を貯めて、KTSに入学。織りと染めの基礎を学んで、自分が純粋に魅かれるものを探し求めた先にステッチの面白さに目覚め、2年目の専攻科では、あえて織りをやらずに、ひたすらステッチの作品づくりに取り組んだと言います。当時身につけた独自のステッチ使いは、現在もカバンや帽子などの製品づくりで生かされています。

綴織の緞帳製織の仕事を経て、その後、母校の大学で助手として勤めながら大学院へ進学。「多重織りの洋服をつくりたい」、構造や質感など「テーマを決めて織る」という目標を持ち、洋服制作を行ったそうです。多重織りの洋服づくりは今も続けていて、学んだことを製品に応用するのに、素材やストレッチの強度、形を変えるなどして、着心地を良くするための工夫をしています。

◆一人でも続けていく

次に求めたのは、編みの仕事。卒業後は生地から企画・デザインして洋服をつくるジャージ製造会社に就職しました。そこで使っていたのは丸編み機という、丸く筒状に生地を編むニットの機械で、中が見えない編み機の仕組みを理解するために、「部品を外し、分解した状態で各パーツをスケッチして、頭に叩き込んでいました」と。そう当時の経験を語る長友さんは、どこか楽しそう。機能や仕組みが細かく記されたページを「結構面白いです」と言って見せてくれました。「針が通る道があり、どこに引っ掛けて編んでいくか、どこで糸を上げ下げするのか。織りも同じですよね。仕組みを知らないと、うまく使いこなすことができないと思うので」

「のの」の製品には、手織りの他に、編み地のものも多く、なかには当時の勤務先で培った技術を自ら展開させたものもあります。長友さんは一枚のショールを見せて、端っこを縫わない工夫を説明。それは勤めていた会社で自ら編み出した方法だそうですが、その後、会社は倒産。しかし、そこであきらめないのが長友さん。「じゃあ、私やろうかな」と、一人でも続けていったそうです。当時、勤務が終わってから夜な夜な取り組んでいたという、たくさんのサンプルづくりも、現在の製品づくりに生かされています。

◆好きなことを続けるために、補う何かを持つ

いま、独立して10年。ショールームに並んでいる製品は、長友さんがこれまで学びや経験を糧にして、幅を広げてきた賜物なのでしょう。オリジナルな魅力にあふれた製品の数々には、長友さんの静かな情熱が込められています。

「ただ単に好きなことをして暮らしたいという、わがままなやつなんです」。そう穏やかに笑う長友さんですが、「安定はしない」という現実も伝えます。とくに、ここ2年近く続いているコロナ下で、展覧会などのイベントが軒並みキャンセルになっている状況。そこで「一つの道だけじゃなく、それを補う何かを持っておく」と再確認したそうです。「私の場合は家庭科の免許を取ったのも、大学院に行ったのも、教える仕事で生活を安定させるためでもありました」。それが、好きなことを続けていくための道、と。

その上で長友さんは、「やりたいことはやった方がいいかな。やらないでいると、たぶん後悔すると思うんです」と、まっすぐに語ります。「大変な状況でも、いろいろ考えればできちゃうもんなんで。あの時、コロナで大変だったからあきらめたというよりは、大変でも、やったって思う方が力になる」

いま、スクールで学んでいる学生たちも、それぞれに昨年からの大きな変化で自分を見つめ直して、やっぱり手織りを学びたい、続けていきたい、という思いで日々、制作に励んでいます。だからこそ、いま、長友さん自身の実感から語られたことは、ストレートに胸に響いたことでしょう。最後に長友さんは、こうエールを送りました。「大変な時期を乗り越えた自分というのが、後々すごく力になると思うので突き進んで。私も突き進みます!」

◆  長友さんにとって織りとは? 「楽しみなこと」

何もないところから、何を自分が選ぶかで形にしていける。織りにしても編みにしても同じですが、縫製など自分が手を加える範囲が狭い状態で洋服になり、織ったまま、編んだままで着られる。そうやってゼロから100まで、すべて自分でやる楽しみがあります。出来上がりを想像する楽しみもあって、想像を超えたものができたりもする。それが面白いです。

〈長友宏江さんプロフィール〉

ながとも・ひろえ/杉野女子大学(現・杉野服飾大学)卒業。家庭科の講師を経て、川島テキスタイルスクールで学ぶ。2000年、専攻科を修了し、織物会社で綴織の緞帳製織に携わる。東京に戻り、母校の大学で助手をしながら多摩美術大学大学院美術研究科へ進学。卒業後、ジャージ製造会社に就職し、ジャージ生地のデザイン・企画・製造を担当。07年から10年まで、atelier KUSHGULに参加。10年10月に「のの」を開業。

website: nono
instagram: @nono_2010.10