見学・研修・インターン

京都の絹織物の一大産地へ 丹後研修

京都府の北にある丹後地方は、「丹後ちりめん」の産地として知られている地域。専門コースでは産地研修として、与謝野町にある3つの織元の、ものづくりの現場を訪ねました。

今回の行き先に丹後を選んだのは「京都の織物産地を知る」のが一つ。京都といえば西陣織ですが、日本の着物の白生地の約7割は丹後地方でつくられていて、そこは絹織物の一大産地です。二つめは、伝統を生かしながら特色のあるものづくりをしている人たちの仕事を見ること。時代や生活スタイルの変化とともに着物の市場が減り、丹後でも生産が落ち込むなかで、世代交代をして家業を継いで事業に励んでいる方々は、どんな視点を持って、どんな姿勢で経営されているのでしょうか。

服地やインテリアの多種多様な生地開発を手がけ、海外にも販路を広げる宮眞株式会社、ネクタイなど紳士向けの服飾雑貨を中心に、全て手織りで自社ブランドを展開するクスカ株式会社、高級絹織物の伝統を受け継ぎながら独自の製品を生み出し、一貫生産を行う株式会社ワタマサ。300年の歴史のある丹後ちりめんを基盤にした三者三様のあり方を見て、織りを学んでいる学生一人ひとりが将来を考える上でも、我がこととして織物の可能性を見つめる貴重な機会となりました。

◆  「新しい素材を追求し、見たことがない生地をつくる」宮眞株式会社

初めに訪れたのは宮眞株式会社。洋装の服地やインテリアの壁紙などを主軸に、オリジナルの生地の開発を数多く手がけている会社です。工場では、高密度で打ちこめるシャトル織機や、幅が広い生地も織れる電子ジャガード織機、撚糸機などを見学。糸も生地も様々なバリエーションに対応できる設備を見学した上で、続いて生地サンプルを見せてもらいました。驚いたのは、その種類の膨大さ。それは先代の蓄積に加え、受注生産をベースに顧客の要望に応えて、また海外向けの製品開発を行うなどの、たゆまぬ開拓の賜物です。

素材は絹の他にも、羊毛や綿、竹やポリエステル、それに混紡糸などがあり、学生たちは「同じちりめんとは思えないほど全て質感が違う」「柄や技法とのかけあわせで、更に種類が多くなるのか」と、興味津々に生地に触れ、細部に目を凝らします。「糸種を予想し、織り方を読み取って、実際の答えを教えてもらう。その時間がすごく勉強になりました」という感想も。生地のデザインや設計は、4代目の宮崎輝彦さんが一人で行っているそうで、先代の職人たちがつくったサンプルが教科書になるといいます。「常に新しい素材を追求し、素材の組み合わせで新しいものをつくる。見たことがない生地をつくるのが楽しいです」と宮崎さんは穏やかに話します。また、丹後ちりめんのような「特長のある織物がしたい」と東京や他の産地から来る若者もいて、若手職人の養成にも取り組んでいるそうです。

◆「手織りの価値を商品で提案・販売する」クスカ株式会社

次の見学先はクスカ株式会社です。自社ブランドKUSKAを2010年に立ち上げて、ネクタイやストールなどの服飾雑貨をはじめ、現代のライフスタイルに適した商品をつくって販売している会社です。廃業寸前の状況から、自ら「第二創業」と呼ぶほどの変革をし、手織りによる生産に一本化したのは現在の代表であり3代目の楠泰彦さんから。工房では自社製作の手織り機や、実際に織っているところを見学し、商品を見せてもらいました。とりわけ学生たちが魅了されたのが、開発中のレザー織り。経糸も緯糸も両方、本皮を使った手織りで、皮を糸状に切るところから人の手で行うそうです。学生は「レザーが織物となる新しい形を見て、織物の可能性を感じた」と感銘を受けていました。

「手仕事や手織りに価値を置いて、販売するのが僕らの仕事」と楠さん。じつは楠さんのお母様は、川島テキスタイルスクールの修了生。「母も手織りが好きだったので」。KUSKAが手織りに注力しているのは、楠さんが子どもの頃に見ていた、そんなお母様の姿も影響しているそうです。それに大量生産・大量消費の時代が過ぎて、手織りが「うまく今の市場にマッチした」と。価格との兼ね合いで「ビジネスにするのは難しいです」と話すも、「それでも手織りでやる意味はあると思うので、その価値を商品でしっかりと提案していく」と雄弁に語る楠さん。そんな会社のありように触れ、洗練された商品を手に取った学生たちは、大いに刺激を受けていました。

◆「一貫生産で品質にこだわり、絹の素晴らしさを伝える」株式会社ワタマサ

最後に訪問したのは、株式会社ワタマサ。4代目の渡邉正輝さんが着物姿で迎えてくださいました。手がけているのは、着尺や振袖、帯、地袢、帯揚げや衿などの絹製品。丹後ちりめんの成り立ちや仕組みの説明を受けた後、工場を案内してもらいながら、繭からの製糸、撚糸や整経、製織、精錬と実際に工程をたどっていきました。古くからの日本家屋の中に、重厚な設備が整い、たくさんの糸が干され、撚り合わされている光景は味わい深いものでした。大抵は分業制の準備工程を、ここでは自社工場で一貫して担っているのが特長。それで品質を保つことができ、撚りの異なる糸を使い分けたりして独自性の高いものづくりができると言います。

高級な着物のほかにも、近年は正絹でも洗えるお召しや半襟を販売し、女性用の兵児帯の開発も。「絹織物はフォーマル一辺倒になりがちですが、絹のハードルを下げる試みをしています」と渡邉さん。それは時代に沿った形で、絹の素晴らしさを伝えるためであり、着物文化を守っていくための、いわば攻めの姿勢にも思えました。学生の一人は、渡邉さんから聞いた「機械織には機械織の良い面がある。手織りには手織りの良さがある。どちらが優れているというものではなく、それぞれ適した使い方がある」という言葉が印象に残ったと言います。伝統産業の多様なあり方を目の当たりにして、「今後ものづくりをしていく上での基本姿勢に気づかされた」と。

◆今が最後の転換期かもしれない

すべての見学を終えて、「丹後ちりめんと一括りにするのは幅が広すぎると学んだ」という学生の感想も。多種多様な織物があるのが丹後。現地に足を運ぶことで、そんな産地としての総合力を知ることができました。

着物の需要の低下に伴い、丹後でも多くが店を畳んできた厳しい現状のなか、クスカの楠さんいわく、それでも「丹後全域で約700軒の機屋さんがあって、2千人ぐらいの職人さんがいる」とのこと。ただ平均年齢が65歳ぐらいで、自分の代で終わらせようという方がほとんどだそう。「最後の転換期かもしれないです。今変わらないと。宮眞さんも、ワタマサさんもそうですが我々、次世代で継いでいる人は、一回外に出て社会人を経験して、戻ってきて家業を継いでいる。今までの商いとは違うやり方で取り組んでいるのが現状です。そこがぐっと盛り上がってくれば、産地としての強みや独自性が出てくると思います」と先を見据えます。

丹後ちりめんという共通の土台のもとでそれぞれの持ち味を出し、横のつながりを持って地域全体の活性につなげていく。そんな産地の、次世代の頼もしさに出会い、学生たちは織りの視野を広げることができました。いろんなありようを見たうえで、自分は何を選ぶか? 「やっぱり私は手織りが好き。手織りにしかできないことを見つけて、形にしていきたい」。学生からはそんな声もありました。

宮眞株式会社
website: http://www.tango-miyashin.com
instagram: @miyashin2020
facebook: 宮眞株式会社

クスカ株式会社
website: https://www.kuska.jp(会社)、https://thetango.kyoto(自社で運営する丹後の魅力を伝えるメディア)
instagram: @kuska1936
facebook: kuska.1936

株式会社ワタマサ
website: http://www.watamasa.jp
instagram: @watamasa04
facebook: 株式会社ワタマサ

修了生を訪ねて:布づくりからの洋服づくり「のの」長友宏江さん

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コースでは、年に一度、織りを仕事にしている修了生による授業を行っています。2000年度に専攻科を修了した長友宏江さんは、10年に「のの(nono)」というオリジナルブランドを立ち上げ、布をつくり、洋服や鞄、小物の企画、デザイン、製作、販売までを手がけている方です。校外学習として、長友さんのアトリエ兼ショールームを訪ねました。そこで学生の頃の作品や、今実際に販売している洋服や布小物、生地サンプルなどを見せてもらいながら、これまでの学びや仕事の経験を、どう製品づくりに生かしていったのかなど、お話を伺いました。

◆拠点も人生も、DIY精神で

長友さんは2021年2月、それまでの10年間ショールームを運営していた場所を離れて、同じ京都市内の一軒家に新たな拠点を立ち上げたばかり。案内してもらった2階のショールームはアットホームな雰囲気で、壁塗りや床張りなどのリフォームは自ら行ったそうです。その自分でやるというDIY精神は、ご自身の人生にも通じていて、「学生時代に取り組んだことが、今に至るまでずっとつながっているんです」と、長友さんはにこやかに話し始めます。

子どもの頃からつくるのが好きだったという長友さんは、「洋服を仕立てる仕事がしたい」と、まずは服飾の大学へ進学しました。そして「自分でつくった布で仕立てたい」という強い思いのもと、卒業後に家庭科の講師をしてお金を貯めて、KTSに入学。織りと染めの基礎を学んで、自分が純粋に魅かれるものを探し求めた先にステッチの面白さに目覚め、2年目の専攻科では、あえて織りをやらずに、ひたすらステッチの作品づくりに取り組んだと言います。当時身につけた独自のステッチ使いは、現在もカバンや帽子などの製品づくりで生かされています。

綴織の緞帳製織の仕事を経て、その後、母校の大学で助手として勤めながら大学院へ進学。「多重織りの洋服をつくりたい」、構造や質感など「テーマを決めて織る」という目標を持ち、洋服制作を行ったそうです。多重織りの洋服づくりは今も続けていて、学んだことを製品に応用するのに、素材やストレッチの強度、形を変えるなどして、着心地を良くするための工夫をしています。

◆一人でも続けていく

次に求めたのは、編みの仕事。卒業後は生地から企画・デザインして洋服をつくるジャージ製造会社に就職しました。そこで使っていたのは丸編み機という、丸く筒状に生地を編むニットの機械で、中が見えない編み機の仕組みを理解するために、「部品を外し、分解した状態で各パーツをスケッチして、頭に叩き込んでいました」と。そう当時の経験を語る長友さんは、どこか楽しそう。機能や仕組みが細かく記されたページを「結構面白いです」と言って見せてくれました。「針が通る道があり、どこに引っ掛けて編んでいくか、どこで糸を上げ下げするのか。織りも同じですよね。仕組みを知らないと、うまく使いこなすことができないと思うので」

「のの」の製品には、手織りの他に、編み地のものも多く、なかには当時の勤務先で培った技術を自ら展開させたものもあります。長友さんは一枚のショールを見せて、端っこを縫わない工夫を説明。それは勤めていた会社で自ら編み出した方法だそうですが、その後、会社は倒産。しかし、そこであきらめないのが長友さん。「じゃあ、私やろうかな」と、一人でも続けていったそうです。当時、勤務が終わってから夜な夜な取り組んでいたという、たくさんのサンプルづくりも、現在の製品づくりに生かされています。

◆好きなことを続けるために、補う何かを持つ

いま、独立して10年。ショールームに並んでいる製品は、長友さんがこれまで学びや経験を糧にして、幅を広げてきた賜物なのでしょう。オリジナルな魅力にあふれた製品の数々には、長友さんの静かな情熱が込められています。

「ただ単に好きなことをして暮らしたいという、わがままなやつなんです」。そう穏やかに笑う長友さんですが、「安定はしない」という現実も伝えます。とくに、ここ2年近く続いているコロナ下で、展覧会などのイベントが軒並みキャンセルになっている状況。そこで「一つの道だけじゃなく、それを補う何かを持っておく」と再確認したそうです。「私の場合は家庭科の免許を取ったのも、大学院に行ったのも、教える仕事で生活を安定させるためでもありました」。それが、好きなことを続けていくための道、と。

その上で長友さんは、「やりたいことはやった方がいいかな。やらないでいると、たぶん後悔すると思うんです」と、まっすぐに語ります。「大変な状況でも、いろいろ考えればできちゃうもんなんで。あの時、コロナで大変だったからあきらめたというよりは、大変でも、やったって思う方が力になる」

いま、スクールで学んでいる学生たちも、それぞれに昨年からの大きな変化で自分を見つめ直して、やっぱり手織りを学びたい、続けていきたい、という思いで日々、制作に励んでいます。だからこそ、いま、長友さん自身の実感から語られたことは、ストレートに胸に響いたことでしょう。最後に長友さんは、こうエールを送りました。「大変な時期を乗り越えた自分というのが、後々すごく力になると思うので突き進んで。私も突き進みます!」

◆  長友さんにとって織りとは? 「楽しみなこと」

何もないところから、何を自分が選ぶかで形にしていける。織りにしても編みにしても同じですが、縫製など自分が手を加える範囲が狭い状態で洋服になり、織ったまま、編んだままで着られる。そうやってゼロから100まで、すべて自分でやる楽しみがあります。出来上がりを想像する楽しみもあって、想像を超えたものができたりもする。それが面白いです。

〈長友宏江さんプロフィール〉

ながとも・ひろえ/杉野女子大学(現・杉野服飾大学)卒業。家庭科の講師を経て、川島テキスタイルスクールで学ぶ。2000年、専攻科を修了し、織物会社で綴織の緞帳製織に携わる。東京に戻り、母校の大学で助手をしながら多摩美術大学大学院美術研究科へ進学。卒業後、ジャージ製造会社に就職し、ジャージ生地のデザイン・企画・製造を担当。07年から10年まで、atelier KUSHGULに参加。10年10月に「のの」を開業。

website: nono
instagram: @nono_2010.10

スクールの窓から:「好きを信じる、その心を持ち続けるのが基本です!」西陣絣加工師・葛西郁子さん工房訪問

京都が産地の「西陣絣」。その絣づくりを担うのは、絣加工師と呼ばれる職人さんですが、80代、70代と高齢化が進んでいます。いずれ後継者がいなくなる状況を知って職人の世界に飛び込んだ葛西郁子さんは、現在、唯一の若手西陣絣加工師として活躍している方です。専門コース「表現論」の授業で、西陣にある葛西さんの工房を訪ねました。

京町家の奥行きのある部屋。紫と白の鮮やかなコントラストの糸束が、目線と同じほどの高さで、手前から奥にピンと張られています。「経巻きのセッティング中なんです」と、葛西さんは作業の活気そのままに迎え入れてくれました。はじめに、西陣絣加工師について「ザ・絣の経糸をつくる職人」と力を込めて紹介する葛西さん。それは織るでも染めるでもなく、「絣をつくる」に特化した仕事です。日本各地に絣の産地があるなかで、西陣絣の特長は「経糸」をずらす経絣であること。先染めした糸を組み替えたり、ずらしたりして模様を作り出す技法で、全盛期だった1950年代頃は、おもに絣御召というおしゃれ着用の着物に使われてきたのだそうです。

葛西さんは師匠から授かった当時の生地見本を見せながら、西陣絣の変遷や、現在の仕事の流れなどを教えてくれました。「西陣の絣の最大の特色は、高さのある梯子(はしご)という道具に経糸をかけて、縦方向にずらす」と、実際の道具を見せながら説明。「大胆なずらしや、幾何学模様の面白さがあって、私は学生の時に初めて見てショックを受けたんです。何これ!? かわいいし、楽しいし、ずらしのレベルが半端ない。何この角度、うおー!って」。その語り口にも、西陣絣への情熱がほとばしります。

絣の着物制作に励んでいる学生から、「括り」の技術に関する質問が上がると、葛西さんは実際に西陣絣で用いる技法をやってみせながら説明してくれました。1つ聞けば、5倍は返してくれる。一つひとつの手順とコツを、実地に基づいて具体的かつ丁寧に。そんな葛西さんのオープンな姿勢からは、西陣絣を伝えたいという思いと、広い意味での織物に携わる仲間として、学生に接してくれる親身さを感じました。

葛西さんは、着物や帯、能衣装、神社の几帳の制作などの伝統技術を継ぐ仕事のほか、西陣絣を今とこれからに生かす仕事にも取り組んでいます。ファッションの仕事ではイッセイ ミヤケのコレクションに、手がけた絣の生地が4シーズン連続で採用され、パリ・コレクションで披露。2015年からは「いとへんuniverse」という団体を仲間と立ち上げて、西陣絣をつくるだけではなく、その魅力を伝える活動を精力的に行っています。

学生に対して、「がんばろうね、日本のものづくり」と声をかける場面も。織物の業界自体、存続が厳しい現代において、織物を仕事にすることは、たやすいことではありません。それでも、その厳しさを跳ね飛ばすほどの「好きの力」を葛西さんは持っていて、実際に道を切り開いて体現しています。最後に、学生に向けて、こんなメッセージをくれました。

「好きを信じる心が大事。織りがいいなと思ったら、その心をとにかく持ち続けること。これ基本です!好きって思う気持ちが、とにかく、すべてを救ってくれるので。曖昧に聞こえるかもしれないけど、ほんとにこれは事実だと思う。そうやって私もやって来られたし、この仕事にも巡り会えたので。そのご縁で出会えている人たちは面白い人ばかり(笑)。織りを続けていく上で、困ったことがあれば何でも聞いてください」

◆  葛西さんにとって西陣絣とは? 「生きがい」

師匠との出会いで、西陣の絣はすごい!と思ったのが始まり。今は後継者が私一人なので、絶やさないで次につなげていくという使命感でしかないです。何より大好き。寝ている時も糸を括る夢を見るぐらいに好きすぎて、生きがいです。

西陣は基本的に分業ですが、いろんな職人さんと横のつながりがあります。私の仕事でも染め屋さんや整経屋さんと相談して、お互いの次の仕事が良くなるよう、高め合いながらやっています。そんなチームで作っている感覚を味わえるのも、やりがいです。

〈葛西郁子さんプロフィール〉

かさい・いくこ/京都市立芸術大学美術学部大学院修士課程修了後、同大学で非常勤講師として勤務。西陣絣の後継者がいなくなると知って、職人の世界へ。2010年から西陣絣伝統工芸士の徳永弘氏に師事。15年に独立し、葛西絣加工所を開く。唯一の若手西陣絣加工師として仕事をし、「いとへんuniverse」の活動も行う。

website: いとへんuniverse

instagram: @itohen_universe @itohenmirai
facebook: @いとへんuniverse

「妥協しない丁寧なものづくりを」(株)川島織物セルコンで帯の商品開発のインターンシップ

デザインから意匠図、試作品へ

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コース専攻科(2年次)では、希望者は(株)川島織物セルコンでインターンシップを経験することができます。2021年度は呉服開発グループで10日間のインターンシップ・プログラムを設け、専門家数人の指導を受けながら、企画開発から生産までの流れを学び、製作現場で帯をデザインして試作、プレゼンテーションまでを行いました。KTSは、(株)川島織物(現・川島織物セルコン)が1973年に設立した学校。手織りを教え、社会でその技術と表現力を活かせるように、独自の教育を続けて48年になります。そんな企業とのつながりがあるからこその充実した研修が実現できました。

参加を希望した学生たちには「一流ブランドの帯の生産現場に興味があり、この先自分が商品としてものづくりをする姿勢などを勉強したい」、「将来やりたいことを明確にしていきたい」という動機がありました。スクールでは作品制作を行い、個々の表現力を伸ばすのに軸を置いているのに対し、今回のインターンでは、用途や対象を設定し、ニーズに合わせた名古屋帯の商品作りを経験。実務を通して、その違いを体感できたのは大きかったようです。普段会社で開かれている図案研究会にも参加し、作り手や売り手が集って意見を出し合う場や、帯の企画の過程を間近で見て「商品として成り立つか客観的に捉える」「チームで一つの商品を作る」という視点を得られたと言います。

自ら考えたデザインを織物にしていくために、紋作成ソフトを使ってドット(点)で描画にする意匠図作りも経験。「たった1ドットで形が変わるので、より良い形になるように何度も熟考して試しました。そこで妥協せずに丁寧に取り組めたのは、細部にわたる指導と、一つひとつの工程に時間をいただけたから」。作品と商品の違いはあっても、妥協しない丁寧なものづくりはスクールの姿勢にも通じていて、学生はインターンシップを通じて、その意識を更に深めたようです。

学生からは「しっかりと自分の中に落とし込むことができて、有意義な10日間でした」、「社員の方は担当の業務を行いながら全体の流れを把握し、ものを作るだけではなく、営業の方々とも協力して商品がお客様に渡るまで、渡ってからどう使われるのかを視野に入れて取り組んでおられる。そんな一つの商品ができるプロセスがとても勉強になりました」という感想がありました。受け入れ側の社員の方からは、「生徒さんにどのように指導したら伝わるのか等、改めて自分たちの仕事を客観的に捉えることができました」という所感がありました。

スクールは織りに没頭して自分と向き合い、ものづくりを通して可能性を広げていける場。作品と商品、異なる趣旨のものづくりを学んだ学生たちが、この先、どのように自らの織りの道筋を立てていくのか楽しみです。

オープンスクール開催!(8月28日、9月11日、10月2日、10月16日〈事前予約、いずれも土曜。8月分は10時・14時から、9月以降分は10時・13時・15時から〉。見学の際、実際に機織りを体験していただけます〈専門コース本科の入学希望者のみ〉、他の日をご希望の方はご相談ください。)

修了生を訪ねて:手織り布「atelier KUSHGUL」寺田靖子さん

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コースでは、年に一度、織りを仕事にしている修了生による授業を行っています。2001年度修了の寺田靖子さんは、「atelier KUSHGUL」というオリジナルブランドを立ち上げ、手織り布の製品作りをしています。校外学習として、寺田さんのアトリエを訪ねました。ギャラリーと工房が併設されている空間で、寺田さんが在学中に修了制作で手がけたファイバー・アート作品や、初めて製作した洋服、生地サンプル、製品の数々を見せてもらいながら、自身と手織りの関係や、その歩みについてじっくりとお話を伺いました。

◆ 自分なりの感覚を見つけたKTSでの2年間           

手織りを仕事にしたいと願う人なら憧れるようなスタイルを実現している寺田さんですが、開口一番おっしゃったのは「苦労しながら何とか手織りを続けて、今」に至る、ということ。大学で1年次に建築、2年目以降にデザインを学ぶ中で、服をはじめ身近にある柔らかな繊維素材に興味を抱きます。KTSの修了展でファーバーアートの造形作品に出会い、「直接全身の感覚に訴えかけられた」衝撃を受け、KTSに入学。スクールでの2年間は、織りに没頭することで「思う存分、自分の感覚と向き合った時間」、そうして見つけた〈私なりの感覚〉は「今も布を作る上で土台になっています」と話します。

修了後は、飲食店で働きながら制作活動に励む日々。織り関係で就職しなかったのは、当初から作家を目指しており、「就職して仕事でも織りのことで頭を使ってしまったら、自分の創作ができなくなると思ったんです。私は器用じゃないので」という理由から。毎月、糸代を何とか捻出する生活を送りながら、「自分の織りの時給が、勤めの時給を越えたら辞める」と目標を決めます。週5からシフト勤務ができる職場に転職し、仕事後、夜に創作する時間を確保してペースをつかんでいき、2010年に現在のアトリエへ。

◆ 生活の中で揉まれて擦り切れて捨てられる、人と布との関係を知りたい

KTSで見つけた寺田さんの感覚の土台とは、強く撚った糸や、織り方の違いによって「表情を出す」ことで、それが製品につながっていると言います。今も「手織りとは何だろう?」と問い続け、織りながら探る日々。手織りのベストを試着した学生の一人は、「やわらかい」とぱっと笑顔に。寺田さんは、「すべて手作業で行うことで、糸に負担をかけずに布地を織り上げることができる。糸と糸の隙間に空気の層ができて、軽さと暖かみが出ます」と説明。カバンの布の表情、傘の布地の立体感、カディ(インドの手紡ぎ・手織り布)を使ったシャツ、需要が多いマフラー……。「人の生活の中で、揉まれて擦り切れて捨てられる、人と布との関係を知りたい」と、寺田さんは一途に追求しています。

新たな取り組みとして、服に仕立てる縫製も開始。「既製服を買うのに慣れてしまったのが、この半世紀。ですが今、コロナの影響で服が世界的に余ってきている。私自身、ものが余るのに嫌気がさして、織りから服作りまでを一手に引き受けています。オーダーメイドで袖の長さなど一人ひとりのサイズに合わせて、お客さんと一緒に考えながら作り、1着ずつ販売するスタンスが、とてもしっくりきています」

タコ糸のカバンシリーズ。組織織りと平織りの組み合わせで、シボが出たり、厚みが変わったり、縮み具合が変わる。生成り一色のツルッとした糸を使って、どれだけ布の表情を出せるかがポイント。

◆ 織るペースは1時間平均70センチ

工房では、寺田さんがKTS修了後にスクールで購入し、20年近く使い続けているジャッキ式8枚綜絖の織り機を見せてもらいました。この一台で、様々な商品を生み出し、やわらかな風合いの織物に仕上げていることに、学生からは驚きの声が上がりました。織るための準備の一つに、整経した経糸を機に巻き取る経巻きという工程があります。大抵は二人がかりで両端を引っ張りながら行う作業を、寺田さんは一人で行っているそうです。手前に引くと同時に、足先を思いきり伸ばして指をレバーにかけて回すという難技に、皆で目を丸くして見入ります。「左右90センチ織り幅のテンションを一定に合わせながら、糸が切れずにきれいに巻き取る。この機と10年20年と付き合ううちに、それができるようになりました」

学生から、織るペースについて質問が上がりました。「1時間平均70センチ」との返答に、「えーっ!」と驚きの声が。「カシミアの大判ストール2.5メートルで3時間。材料費などの経費を考えると、4時間かからずに織らないと仕事として成り立たないので」。地道に手織りを続けて、自分に合う織りの道を切り拓いてこられた寺田さん。「仕事を辞めた時、不安で毎日胃が痛かった日々もありました。でも夢中になって続けていると、新しい出会いや次の予定が何かしら入ってきて、つながっていきます。機織りは時間がかかります。生活とやりくりしていくのに、とにかく必死に織り続けてきましたが、自分の手で布ができていく感動は今もずっと続いています」

◆ アナログだからこそ必要な感覚

学生へのアドバイスとして、「自分自身の感覚と存分に向き合ってください。それは必要な時間だと思います。世間の感覚に揉まれたら分からなくなるので。私も川島での学生時代、思いきり取り組んだことが今につながっています。色の感覚や肌に感じる感触など、蓄積されたものがたくさんあります。そうして自分を知ることは、生活の中でも役立ちますし、何をするにしてもベースになります」。

スクールに対しては、「手織りはとてもアナログですが、こんなにデジタル化が進む中で、人間であることを忘れないために必要な感覚。体を動かして、ものを作る。(手織りを教える)川島テキスタイルスクールの役割は確かにあると思います」ときっぱり。修了生にこんなふうに道を切り開いた先輩がいるという寺田さんの存在を知り、手織りを続けていくこと、その強い意志と魅力を存分に感じた課外授業となりました。

修了制作の作品。表面は象の皮膚のイメージ。リネンを強撚糸にして織り込み、撚りが戻る力で皺が生まれる。学生時代、テクスチャを追求することの大切さを学んだ。
◆ 寺田さんにとって織りとは? 「無駄が出ない魅力」

私は、誰かに使ってもらう布を作っています。人と布との関係を探っていくのがテーマ。そこで布とは?と考えると、人には必要不可欠なもの。現代は服作りが機械化されて、服にまみれて人は生きていますが、昔は手織りで服を作ることが生業にできていた。それはどういうことかと考えながら日々織っています。一人の人間が、誰か一人に対して作る布。儲かる概念はない。ですが無駄にはならない。作り過ぎることもない。できるだけゴミにならない布地を作るよう心がけています。

〈寺田靖子さんプロフィール〉

てらだ・やすこ/京都工芸繊維大学造形工学科卒。2001年、川島テキスタイルスクール専攻科修了。2007年より「atelier KUSHGUL(アトリエ・クシュグル)」として、手織り布の製品作りをスタート。2010年から京都にある、服とギャラリーの店「Mustard-3rd」内のアトリエにて日々機織りをしている。

website: atelier KUSHGUL
instagram: @atelierkushgul

冨田潤先生のアトリエを訪れて 本科 陳 湘璇

先日、専門コースの学生と留学生は、冨田潤先生のアトリエを見学させていただきました。
冨田先生は学校でお見かけしたお姿だけでもアーティスティックな印象があり、
作品からも強烈なイメージの中に柔らかさが感じられるなと思っていました。

到着した際、冨田先生はワンちゃんを連れて迎えに来てくださいました。京都の越畑山中にあるアトリエは、畑と森に囲まれていて、まるでいどりの仙境みたいだなと思いました。先生が20代の頃からこちらのアトリエを開設されて、色々な染織の創作を展開しているとのことで、20代の私も刺激を受けました。
富田先生工房見学

はじめに染色場でフェルト化された二重織のマフラーを見せていただきました。
中にフェルトのウールが縫いこまれているのかと思ったのですが、すべて織物でした。素材と組織の変化と仕上げでこんな表現ができて面白いなと感じました。染色場を渡って織工房に入ったら、先ほど見たマフラーがドビー機で織られている様子を見ることができましたが、こんなに仕上げ前と後で変わるとは思いませんでした。縮絨率の高いウールに対して、綿はあまり縮まないためできる変化というのも色々あるそうです。
この組織は18枚綜絖で、1リピート紋栓が76枚必要ということだったので、ドビー機でなかったらかなり大変な事だと想像できます。

富田先生工房見学富田先生工房見学富田先生工房見学富田先生工房見学

アトリエにいた方は日本人だけでなく、アイスランドから来た方もいました。国の先生に紹介してもらって、
冨田先生の工房で3ヶ月の研修しているとのことです。海外でも活動されている冨田先生は、ヨーロッパのアートやテキスタイル界でも知名度が高いです。
ちょうどこの時期も海外で展覧会をされていて、作品も海外に出品されていたので、かわりにサンプルを見せていただきました。縮絨されたラグは厚いですが手触りがよく、縮絨された質感も感じられて、絵画の雰囲気がありました。

そのなかでも一番気になった作品は、捺染の帯です。アトリエにセッティングされた捺染用の経糸がこれから冨田先生の筆によって織物になる事と、その工程を想像しただけで魅力的です。先生が織る前の工程が好きだと仰っていたのですが、それは作品に注いだこだわりから十分感じることができました。言い換えたらアーティストと工芸家の性質が同時に存在しているんだと思いました。

富田先生工房見学富田先生工房見学

茅葺の家が並んでいる山中にあるアトリエは創作するのにとてもよい環境だと感じました。
周りの状況に伴って創作が変わるものではないでしょうか。どんな作品を作りたいか、その望みに応えられる環境づくりというのが、創作に大切かと思います。将来工房を持ちたい私にとってもよい勉強になりました。
アトリエ見学の後は、ご自宅にもお邪魔させていただきました。
家までもギャラリーのようで、ここで毎日自然の変化に従って暮らしていくのはとても素敵です。
私たち人間はそろそろ自然界と共存して一緒に生きていかないとという思いをふっと思い出しました。

最後に「Textile magician」というDVDを見せていただきました。日本にいる5人のテキスタイルアーティストの創作記録です。冨田先生の他にも5月に見学させていただいた新道先生も紹介されていました。ドキュメンタリーは、各々のアーティストの創作過程と求めることをお話ししていました。例えば、布を通して時間や空間を表す、とか、糸の可能性を実験する、とか、日本の書道と織物を融合させる、などです。DVDを見て、創作は過程が一番重要と一層強く感じました。とはいえ、最後に出すのは結果=作品なので、そのに作品に行き着く前にどんな道を渡ってきたのかその作品に宿った過程を見るものに感じてもらえるようにするのが大きなポイントだと思いました。
冨田先生の作品を見ていたら、ずっと見続けたくなり、1枚の織物にストーリーがあるように感じていました。
私自身も見れば見るほどこういった深みのある作品を作りたいと思います。

富田先生工房見学

今回の見学はゆっくりと作品や周りの環境を堪能することができました。
沢山いただいた発想が今後の創作の源泉となるかもしれません。
本当にありがとうございました。

美山ちいさな藍美術館を訪れて 本科 加納有芙子

5月24日、美山にある新道弘之さんの工房にお伺いしました。
今回は、本科生のレポートを掲載します。

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京都府南丹市美山町にある藍染工房”ちいさな藍美術館”を訪ねた。普段学校では、先染めである織を勉強をしているわたしにとって”染め”という分野はすこし新鮮に感じられ、またいまひとつイメージできない世界であった。濃い青色で古来から存在する色。自然からとれる染料。ジャパンブルー。・・・・といったくらいのぼやけたイメージとあとは、授業で見た”ブルーアルケミー”というドキュメンタリー映像で得た知識くらいであった。

スクールがある京都市左京区静市から美山まではバスで2時間半程度だった。窓からみえる景色は徐々に変わってゆき緑が深めき透明な空気さえも覚えるほどの風景の中美山に到着した。美山の村は丘のように膨らみをつくっている山と山の間にすっぽりと入りこんでいてなんとも可愛らしい印象がした。南には風景を彩るように川が流れていて、入母屋造りの家々が秩序なくぽこぽこと点在し、その間を縫うように小道がなだらかに続いていた。工房はさらに小道を進んだところあり草の香りが強いところだった。美山へ来るのは今回が初めてだったが、ここに藍染の工房を持つことはとても恵まれているように感じた。他の家々と同じように造られた茅葺屋根のある工房は、計算されてそこに在るというよりも、自然発生的にそこに存在しているように感じられて、風景と同じようにそこに佇んでいた。

新道さんがここに工房を構えたのはいまから40年近く前のことだ。当時はここに移住してくる人は珍しく、かつ社会的にも都市から地方へ出ていくのも稀なことだったようだ。そんな中ここに工房を構えた理由はより自然に近い場所・状態で藍染めをするためであった。藍染めには『天然の水・発酵菌・灰汁作りの灰』が欠かせないため町の中心地では難しいのだと語ってくれた。玄関から右手にすすんだ建物の北側が工房になっていて、そこには藍の甕が土間に埋められている。ここで藍の発酵から染めまでを行っている。工房内で藍がぷくぷくと発酵しているのを見るとなんとなく新道さんが言う自然に近い状態というのがわかるような気がした。藍の染料を見るのは今回が初めてだったが、まずは甕に建っている藍の濃厚さに驚いた。それは生命感があり、その瞬間もゆっくりと発酵を続けているとわかるようだった。

わたしにとっての新しい発見は、藍染めで染められる色のバリエーションがいかに多いかというこだった。実際に新道さんは近日に仕込んだ甕(①)と冬に仕込んだ甕(②)を染め、その色の違いを実演してくれた。①と②の甕では、表層の藍華の出方や見た目の雰囲気も異なっていて、実際に①の甕により染められたものは、濃紺ともいうべき藍色であり、他方はやさしくて弱った水色で染められた。還元の過程で染料が空気にふれて色が変化してゆくのもとても幻想的だった。同じ藍を同じ工房で同じ人が仕込んだものであるのに、仕込みの時間だけでこんなにも色に違いが出るのだと知り驚いた。また仕込みの年月だけでなく、その年の気候や藍の状態によっても色が変化するのだという。昔の染めの職人は、その日の甕の状態からどのような色ができるのかを予想ができたのだろうか。それはもともと色のイメージが明確にあり、それをコントロールしてゆく化学染色とは全く違い、藍染めで色をコントロールすることは神業のように思えた。しかし、その偶然であっても生まれた色が、きっと愛されるべき色だったのかと思うとそんな文化や感覚もすばらしいと思った。
藍染の色について調べていると日本には”藍48色”という言葉があることを知った。藍から抽出される色がいかに多いかということを表現していて江戸時代に生まれた言葉のようだ。そこには薄い藍色から濃い藍色までさまざまな藍の色が存在していて、一般的に浅黄、縹、納戸、紺、褐・・・などの名称が使われている。色は無限にあるものだが、色の名前は数えられるほどしかない。藍についての色名がこれほどにまで存在するということは、日本人にとって藍やその色彩というものがいかに身近なものだったということを表しているのだろう。

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