見学・研修・インターン

「多くの人の手や情熱や知恵をつないでここにある重み」滋賀テキスタイル研修 専攻科・齊藤晶子

専門コースではこのほど課外研修として、滋賀県の湖北、湖東エリアの産地を訪れました。大高亨先生(金沢美術工芸大学教授)による連続授業の一環で実施し、事前に滋賀県の繊維産業などの講義を受け、輪奈ビロード、浜ちりめん、近江上布の生産現場や、テキスタイルデザインのスタジオ兼ギャラリーを見学しました。


 美しい布は美しい糸からできている。湖北の絹糸は農家の女性が蚕を飼い、桑を育て、糸を紡ぎ織る。40年ほど以前に湖北の古民家に宿泊したとき、玄関を出た小屋のような所に巨大な釜が置いてあり、その家のおばあさんが繭を煮ていた光景を思い出した。釜の横には糸車も置いてあり、糸を紡いで織物を織るということが普通の生活の一部であったという説明を実感した。一方、今回は湖北長浜で輪奈ビロードの「タケツネ」浜ちりめんの「浜縮緬工業協同組合」「南久ちりめん」で産業としての織物の生産を見学した。

 輪奈ビロードはとてつもない手間と時間がかかっており、使う染料は一色であるのに濃淡三色だけで光沢と奥行きのある高級感あふれる美しい布を生み出していた。コート一着分の布を織るのに経糸1万5千本、織る、切る、抜く、精錬という工程があり、それぞれの熟練工が精密な仕事をつないでやっと完成する。ほんの少しその工程を見学しただけでビロードの魅力の本質を見た気がした。

 南久ちりめんではブラジルや中国からシルクを仕入れ、糸繰りをして後の染色の際に染料だまりの原因になるふしやねじれを取り除いた糸を8000本から一万本経糸に整経し、筬一目に8本、かざり(綜絖)に4本ずついれて経継ぎをするという。緯糸は何本も何本もあわせて太い糸にしていくのだが、合糸の際に右撚、左撚、本数などを工夫し「シボ」を生み出す太い丈夫な糸を作り上げる。その際、ひっぱった時に糸が切れないように水をかけて湿らせながら拠るのが水拠りである。水拠りには13°の地下水が最適で、伊吹山から流れてくる地下水が使われている。さらに作られた糸を木枠に巻いて100°で焚くことでセリシンを落とし、人間の肌になじむ柔らかさに仕上がるのだそうだ。セリシンは合糸の際の接着剤の役割も持っているのでのりは使わない。この工場では経糸緯糸ともにS拠りZ拠りを入れて作る「鬼シボ」を得意としており、この糸で織られた無地の地模様が織りなす光沢や高級感のある布は、現在ウエディングドレスに活用されることも多いという。織り方によっても一越ちりめん、古代ちりめんなど模様が変わる。浜ちりめんといえば金沢に送られ、加賀友禅で染められて着物等に仕立てられるという定番以外に、現代社会においてこの布にマッチした作品や製品をもっと幅広く見てみたいと思った。

 工業協同組合の工場では主に大きな機械による精錬の過程を見学した。精錬前の絹織物は蚕の佩く糸のまんまの色である。精錬をすることで白く柔らかく光沢のある布になる。アルカリで洗い、蒸気を加え、圧力を掛け乾燥させて縮んだ布を今度は巾出しして巾と長さをそろえ、反物にして検査し、此処で初めて「浜ちりめん」になる。繭の生産から考えると一反、一反が多くの人の手や情熱や知恵をつないでここにあるということに重みを感じた。近年生産量が減り、工場の機械も止まっていたのが本当に残念だった。

 次に訪れたのは湖東の近江上布伝統産業会館である。近江上布の特徴は緯糸に大麻の手績み糸を使い腰機で織るということである。本来は短い麻の繊維をさいて手で撚りをかけながら結ばずにつないで一本の糸にすることや不安定な腰機を用いて織るなど、全て手と木の道具のみで織り上げる手法は厳格に守られていた。麻の種類には大麻・苧麻・亜麻とあるが、近江上布の「生平」は大麻を使う。大麻糸はもともと神事に使われていた手織り糸で涼しく吸水性がある。紡績には向かないが、原料である大麻が炭素を吸収する素材としてSDGsの観点から近年見直されている。

 また近江上布の「絣」は「捺染」染織で「櫛押捺染」と「型紙捺染」で染めた糸を手で絣の柄合わせをして織っている。染料としてはじめは藍等天然染料を使っていたが、近年は化学染料を使っているということであった。市場に出回っている近江上布とされる反物は意外に多くあるが、本当の近江上布と言える物は伝統的な材料と手法を用い、厳しく定められた工程を経て検品し、合格してナンバリングされたシールを貼った少数の物だけだそうだ。近江上布に関わる方々は、正しい手法・工程と上質の近江上布を守るために後継者育成にも力を注いでおられ、近江上布はまさに伝統工芸品である。だが現代に残して行くには伝統をそのまま正確に伝えるだけではなく、新しいことにも展開していく試みをされていた。例えば化学染料の使用であり、新しいデザインへの挑戦である。見せていただいた新作の布がこのあと訪れた「炭酸デザイン室」の若手デザイナーによる「琵琶湖」をモチーフにした作品だったことや絹織物とは別手法で「シボ」を作りデザインに取り入れていることなど、地域や素材を越えてテキスタイルのつながりを感じた。

 最後に訪れたのは東京や山梨で活動していた若手デザイナーご夫婦の工房で美しい色でポップなデザインのテキスタイルとそれを日常品に加工した製品を見せていただいた。ご家族での生活の中からモチーフを見つけたり、子どもたちの未来の世界進出を見据えて英会話の教室を開いたりという自由で伸び伸びとした発想がそのままデザインに表れており、プリントされた色合いが個性的なデザインに素晴らしくあっていて見とれてしまった。こんな魅力的な布に囲まれたなら心明るく穏やかに人にも優しくなれそうだと思っていたら車椅子の布に用いる試作をしていると話をされていてピッタリだと思った。布には力があるということをあらためて感じた。「炭酸デザイン室」というネーミングもシュワシュワと人の心に浸みるという発想から考えたということでこの発想自体が心にしみる思いだった。

 今回湖北、湖東、湖南とそれぞれでテキスタイルを見てきたが、素材や手法は違っても滋賀テキスタイルとして共通するものがあった。いいお天気で琵琶湖の湖面の穏やかな景色がそれぞれのテキスタイルと共に印象に残った濃密な一日だった。

「大切にする理念、布を通して表現」滋賀テキスタイル研修 本科・Fさん

専門コースではこのほど課外研修として、滋賀県の湖北、湖東エリアの産地を訪れました。大高亨先生(金沢美術工芸大学教授)による連続授業の一環で実施し、事前に滋賀県の繊維産業などの講義を受け、輪奈ビロード、浜ちりめん、近江上布の生産現場や、テキスタイルデザインのスタジオ兼ギャラリーを見学しました。


はじめに
 国内最大の湖、琵琶湖を抱く滋賀県では、その潤沢な水資源や恵まれた自然環境、他府県へのアクセスの容易さなどから、古くから繊維産業が発展してきた。湖北・湖東地域の生産現場を訪ねるべく、天候に恵まれた秋の早朝、スクールからバスに乗り込み滋賀へと向かった。

1. 湖北地域の絹織物
1-1.輪奈ビロード
 住宅街に溶け込むように建っている日本家屋の玄関に「株式会社 タケツネ」の看板がかかる。滋賀テキスタイル研修最初の目的地であり、輪奈ビロードの製造元だ。入り口をくぐると、奥の壁にはたくさんの反物が掛けられており、そのどれもが美しい光沢を放っている。室内では職人さん達が織り上がった布を前に作業を行い、隣接する機場では、いくつも並んだジャガード織機から複雑な模様の布が織り出されていた。こちらで製造されている輪奈ビロードは絹100%で織られており、その美しさもさることながら、軽くて暖かいことから、主に着物用コートやショールなどに用いられているそうだ。
 輪奈ビロードの特徴である輪奈(ループ)を作るためには、二重にした経糸の一方に芯材を織り込む必要がある。かつては職人さんが針金を一本ずつ挿入する手間のかかる作業だったが、研究を重ね糸状のポリエチレン芯材を採用することにより、自動織機での製造が可能となっているといい、見学時も職人さんが単独で複数台の織機を管理していた。かつて長浜には輪奈ビロードを製造する機屋が900軒ほどあったというが、現在は数件のみが製造を続けているという。織手の確保が難しい時代でも質の高い製品をつくり続けるための試行錯誤が垣間見られた。
 一方で、ビロードの特徴的な質感を生む紋切り(ループカット)の作業は、専用の特殊な小刀を用いた手作業で行われており、熟練の職人さんによる精巧な手捌きに驚く。切られたループの断面は、染色すると他の部分よりも濃く染まる為、ほんの少しでも切る位置がずれれば傷になりかねないとても繊細な工程である。我々に説明しながらも、職人さんの手元では次々に菊の花が咲いていた。

1-2.浜ちりめん
 「浜縮緬工業協同組合」の精練加工場には、各機屋から届いた何種類もの反物が精練の順番を待っていた。(因みに、最初に訪れた「株式会社 タケツネ」で織られた輪奈ビロードも、こちらで精練を行っている。)湖北を代表する伝統産業の一つ、浜ちりめんの独特な風合いを生む精練の工程を一手に担うのがこの加工場だ。「八丁撚糸」と呼ばれる未精練の強撚糸で織り上げられた生機は、初めゴワゴワと硬いが、精練することによりしなやかな質感へと変貌する。
 集まった反物は、特殊な設備によって下準備を施された後、精練の工程【前処理→本練り→仕上練り→水洗い】に入る。この際に不可欠なのが琵琶湖から汲み上げた水であり、染色ムラ等を防ぐ為、汲み上げ後更に軟水化の処理を施してから使用しているという。広大な加工場には精練用の巨大な湯釜がいくつも並んでおり、琵琶湖という水資源に恵まれた環境が、地域産業の発展に大きく貢献していることが伺えた。

 続いて向かった「南久ちりめん株式会社」も組合の一員で、原料生糸の仕入れから織り上げまで全て自社で行っている。製造の流れを工程順に見学する中で、特に興味深かったのは、事前学習でも取り上げられた「八丁撚糸」の製造だ。専用の撚糸機で、水分(年間通して水温の安定している地下水を使用)を含ませながら生糸に強い撚りをかける。撚りの回数は必要に応じて2,000~4,000回とのことで、撚り具合を細かく調節できるのは一社で全行程を行うからこその利点だろう。浜ちりめん特有の美しいシボ、その鍵となる撚糸の工程を間近で見ることができた貴重な機会だった。

2. 湖東地域の麻織物
 かつて郡役所の庁舎だったという「近江上布伝統産業会館」の中には、色とりどりの布地や洋服の間に機が並んでいた。こちらで作られているのは、湖東地域で室町時代から生産され、現在は「経済産業大臣指定伝統的工芸品」に指定されている「近江上布」だ。会館では、この伝統産業の麻織物技術を次世代へ継承し、世に広める為、製品販売や様々な体験ワークショップ、後継者育成プログラム等様々な取り組みを行っている。
  昨年育成プログラムを修了したという職人さんが、緯糸に手績みの大麻糸を用い、室町時代と同じ構造の地機(腰機)で織り上げる「生平」と、櫛押もしくは型紙捺染で染織した緯糸を耳印で合わせて手織りする「絣」を織る工程の実演をしてくれた。特に生平の工程は圧巻で、職人さんが細く割かれた麻の繊維を指先で数回縒ると、あっという間に真っすぐに繋がり滑らかな糸になる。そうして績み繋いだ糸を地機で織っていくのだが、シンプルな構造の地機で布を織り上げていく様は、まるで機と織り手とが一体となっているかのようだった。
 見学の中で、近江上布を産業として継承していこうという熱意をひしひしと感じた。工業化の進んだ現代において、近江上布が昔と変わらない方法で生産され続けているのは、この布に魅せられる人々の思いがあってこそなのだ、と強く思い知らされた。

3. 滋賀発のテキスタイル
 ポップな柄のカーテンに、カラフルなオブジェや不思議な形の入れ物が並ぶ棚。大人も子どもも、思わずわくわくしてしまうような「炭酸デザイン室」が、研修の最終目的地だ。
 お邪魔したのは、ショールーム兼、ショップ兼、アトリエ兼、英語学童兼・・・仕事場の枠を超えて地域ともつながる空間で、なるほど、鞄やポーチなどのテキスタイル商品以外にも、色々な画材や小さな座布団の山が見える。ご夫婦で立ち上げた炭酸デザイン室は、身近な自然や風景等、暮らしの中から生まれるデザインをテキスタイルに落とし込んで制作されているそうで、お子さんたちの描いた絵もデザインに採用されることがあるというから、ご家族で運営されている、といっても差し支えないのかもしれない。
 ブランドの立ち上げから、どのような経緯で現在の滋賀を拠点とした形へ移行してきたかをお聞きし、中でも、いわゆる“営業”をせずに「向こうからときめいてもらう」という仕事へのスタンスは、つい心が弾むようなデザインや地域との関わり方と合わせてとても印象的だった。自分たちのデザインが誰かの心を揺さぶる瞬間に喜びを見出すものづくりの感覚が、とても魅力的だと感じた。

おわりに
 地場産業として生産が続く絹織物から、昔ながらの技法で織り上げる上布、現代のテキスタイルまでを一息に駆け抜けた滋賀研修は、これまでの滋賀の織物産業の歩みを知り、現在とこの先の未来を見据えてものづくりをしている方々のお話しを直接伺えた実りあるものだった。
 安価な海外製品が一般的になる中で、技術のある人員を確保し、高い水準の製品をある程度の規模で生産し続けることが容易でないことは想像に難くない。今回お話しを伺った皆さんの言葉には、それぞれの織物や技術、製品への愛着や誇りといった想いがにじむ瞬間が端々に見られた。実際に出来上がる布たちも、言葉に反しない出来だった。それぞれに大切にする理念(想い)があり、布を通してそれを表現している。それはこれからものづくりの道を志そうとする者にとってまぶしく頼もしいもので、どんなものをどのように作り、どう人に届けたいのか、改めて自身に問い直すべきだと気付かせてくれた。また、長い歴史のある伝統工芸の素晴らしさについても再認識し、より深く知りたいという探求心が芽生えた。自身の制作に対する姿勢を明確にできるよう、今回の研修で生まれた気付きと向き合っていきたい。

緊張感の中でも違和感を逃さない (株)川島織物セルコンで緞帳と綴帯のインターンシップ 

今年度も(株)川島織物セルコンでのインターンシップが実施され、専門コース専攻科の学生3名が参加しました。今回は「緞帳」と「綴帯」の製作現場での実習プログラム。どちらも「綴織」ですが、太いスフ糸(レーヨン)を撚り合わせて大機で織る緞帳と、細い絹糸を爪で搔き寄せて織る帯とではまったく異なる綴織の世界があります。参加した学生たちによる報告会の様子をリポートします。

「緞帳」のインターンシップでは例年同様、学生本人の出身地のホールに納める想定で緞帳のデザインを考え、織りたい部分を1メートル四方で決めて、織下絵作成から配色設計、大機を使った製織までを10日間で行いました。学生は昨年、本科で取り組んだ綴織グループ制作を機に緞帳に興味を持ち、「個人ではできない規模のモノづくりにはどのような姿勢やスキルが求められるのかを知りたい」と参加。そこで「他の人のペースに合わせつつ正確に織るスキルが求められていることを学んだ」といいます。実習は綴織職人さんとマンツーマンで行われ、プロの「織るスピード感」や「わずかな角度の違いを下絵から読み取り、織りに反映する認識力」を目の当たりにし、感覚の部分での気づきも得られたといいます。

原画

今回が初めてとなる「綴帯」のインターンシップには2名が参加しました。「水平線のある風景」をテーマに、縦25センチ×横11センチのサンプルを作るのに図案を考え、織下絵を作成、糸の配色と準備、製織、プレゼンテーションまでを10日間で行いました。学生はそれぞれ「一つの製品が出来上がるまでの一連の流れを経験したい。商品として織物を作る場合、どういう視点で取り組むのかを学びたい」、「普段あまり帯と関わりがなく、いい機会だと思った」と参加。実習では帯を織るのと同じ規格の綴機を使い、このインターンのために爪を伸ばして、初めての爪織りも経験しました。

ギザギザにした爪を櫛のように使って糸を搔きよせ、緯糸を織り込んでいく爪織り。学生は「両中指の爪の端に、やすりを使って1ミリ間隔で3つの切り込みを入れて」といった爪の準備から、「糸が細かい分、普通の爪では入りづらいので織りやすさが違った」「糸がきちんと入ってくれる感覚があった」と実感までを語り、なかなかできない経験に皆が興味津々に聞いていました。

細い絹糸を使って、細かな密度の綴織に取り組むのも初めての経験。参加した二人とも「妥協せず、やり直す」が徹底されていたようです。「商品一点が高額な分、求められるレベルが高い。職人さんがぱっと見て、私が気づかなかったミスを指摘され、自分でもルーペで確認してやり直すこともありました。高価な商品をつくる厳しい目があり、職人さんは大きな緊張感の中でやっておられると感じました」。そうして練習時に指摘を受けたことで、本番でミスがあった時に「何か違う気がする」と、今度は自分で気づいてやり直せたといいます。「違和感を逃さない」と、この実習でも感覚的な気づきがあったようです。

報告会では、同じ綴織でもまったく違う経験の発表に、双方とも興味深く聞き入っていました。製作現場でものづくりを経験できる、密度の濃いインターンシップ。仕事としての織りを学ぶと同時に、綴織の奥深さに触れた貴重な機会となりました。

昨年2023年のインターンシップのリポートはこちら

西陣絣加工師・葛西郁子さん工房訪問

このほど課外研修として、京都・西陣にある葛西絣加工所を訪れました。当日は西陣絣加工師の葛西郁子さんと、絣加工を手伝っている平林久美さんが迎えてくれました。参加したのは専門コース専攻科と技術研修コースの学生、そして留学生です。

専門コースでは全員が絣の基礎を学び、2年目の専攻科でも個人制作で絣が主体の作品や、絣を取り入れた作品制作に取り組んでいる学生がいます。留学生は絣基礎コースを修了したばかり。絣を学んだからこそ、絣加工という専門的な仕事内容が想像しやすく、活発に質問が飛び交った場となりました。

葛西さんからは、絣の経糸をつくる自身の仕事について、生地見本を見ながら西陣絣の魅力について、映像を見ながら西陣絣の成り立ちについてそれぞれ説明があり、さらに絣の括りと、西陣絣特有の「梯子(はしご)」という道具の実演がありました。身振り手振りを交えて西陣絣の魅力を全身で伝えようとする葛西さんのエネルギッシュな姿勢に引き込まれるように、身を入れて聞き入る学生たち。特に留学生はスクールの絣コースを受講するために来日していて、学ぶ姿勢も積極的。「なぜ緯糸は見えないのか」「経糸は全何メートル?」「筬が弓状の形なのはなぜ?」など次々に質問し、葛西さんも丁寧に、内容をふくらませて答えてくれました。

昨年に引き続き、今回も同席された平林さんは、じつは川島テキスタイルスクールの修了生で、今年(2024)から西陣絣加工業組合の一員になったそうです。葛西さんの絣加工の仕事を手伝いながら、自ら加工した絣糸を用いて、織る作業も行っていて、この日は機にかかった作業途中のビロードとお召を特別に見せてくれました。目を輝かせて、高貴なビロードの制作に見入る留学生。「日本での用途は?」「海外では?」と聞き合い、イタリアから来た学生がイタリアのビロード製作風景の写真を見せる場面も。こうして時間があっという間に過ぎ、盛りだくさんの内容に、最後は皆の充実感が笑顔になってあふれました。

近年恒例となっている葛西絣加工所への訪問。2024年の今回は、絣の熱意が交差する、清々しい場となりました。

2021年訪問時のリポート詳細はこちら

冨田潤先生工房見学

秋の課外研修として、冨田潤先生の工房を訪れました。参加したのは専門コースの本科(1年)と技術研修科の学生、そして留学生です。留学生のなかには、冨田先生の著書“Japanese Ikat Weaving” (1982年、Routledge Kegan & Paul)を持参した学生や、出身大学の図書館でその本を読んでいた学生もいて、冨田先生がいかに海外で知られているかがわかります。

訪れたのは京都の北西にある越畑。里山にある拠点をThe Villageと名付け、「染織でつながりながら暮らしを創造していく集合体として」活動を実践しておられる場です。当日は冨田先生の案内のもとギャラリーで作品を見て、アトリエを見学。アトリエではジャガードをドビー機に改造した機の仕組みの説明を受けて、染織家のホリノウチマヨさんからも制作中の作品のお話がありました。午後は住居のある古民家でDVDを鑑賞。冨田先生との交流やDVDの内容に、留学生の一人は制作のインスピレーションを受けた様子で、懸命にメモを取る姿もありました。

自然豊かな環境で、暮らしと仕事が一体となるありように、織りを通して心豊かに生きることを感じたひとときでもありました。

「自社製品に対する誇り」播州テキスタイル研修 本科・Hさん

「日本のへそ」といわれる兵庫県西脇市を中心とした北播磨地域。そこは220年以上続く播州織の産地です。糸を染めて織る先染織物の国内有数の産地として、商品企画から染め、織り、加工までを一貫して行っています。専門コースでは産地研修として、西脇市郷土資料館を訪れて地域の風土や播州織の歴史を学び、植山織物株式会社と大城戸織布の工場を見学しました。


 去る 2023 年 9 ⽉ 15 ⽇、スクールからバスにゆられて約⼆時間半、播州織の主な産地である⻄脇市に到着しました。

 まずは⻄脇市郷⼟資料館にて、播州織の歴史について、学芸員の⽅に展⽰を⾒つつ講義いただきました。なかでも、⻄脇市を中⼼とする北播磨地域は江⼾時代、複数の藩の⾶地となっており、決まった領主がいなかったため統制がゆるく、地域に住む⼈々の⾃主性が保たれていたこと、またそれにより、明治になり幕藩体制が崩壊した後も、⾃⼰販路を持っていたため⼤きな影響を受けなかったことなどが、播州織という独⾃の⽂化産業が育まれた背景のひとつであるとのお話を聴き、とても興味深く感じました。
 また、展⽰を拝⾒した後には、播州織の古い⾒本帳が保管された⼀室にご案内いただきました。私が主に⾒せていただいた⾒本帳は昭和 33、34 年頃のもので、記された輸出先国の情報を⾒ると、ベネズエラなどのアフリカ諸国やオーストラリア、アメリカ、⾹港など世界各地へ輸出されていたことがうかがえる貴重な資料でした。輸出先の多様さに驚くと同時に、もしかして古い外国映画等で、知らず知らずのうちに播州織が使われた服を⽬にしていたのかも…と思うと感慨深かったです。

 次に植⼭織物株式会社にて、植⼭社⻑にレクチャーいただくとともに⼯場内を⾒学させていただきました。
 ⼯場では、シャトルによって緯⽷を⾶ばす有杼織機から、両側から緯⽷を受け渡すレピア式織機、空気で緯⽷を⾶ばすエアジェット織機まで⾒せていただきました。織るスピードは空気によるものが圧倒的に早いとのことでしたが、シャトルでゆっくり織る⽅が、布が柔らかく⾵合いが良くなるとご説明いただき、効率化が決して品質に結びつくわけではないものづくりの難しさを改めて感じました。
 さらに、綾織と平織の織り⽅や仕上げ時の加⼯の有無の差、また他国製との⽐較等による繊細な⾵合いの違いについて、布地を実際に触らせていただきながらうかがったお話からも、植⼭社⻑の品質への強いこだわりが伝わってきました。

 最後に訪問した⼤城⼾織布では、⼤城⼾社⻑が⾃⾝で改造されたジャガード織機の数々を、⾒せていただくのみならず、実際にスイッチを押して動かす等の経験もさせていただきました。
 また、先述の植⼭織物株式会社が、いわゆる播州織の特徴である分業制にてシャツ⽤の平織⽣地を主⼒としつつ、⼩ロット⽣産に移⾏しブランド化されている⼀⽅で、⼤城⼾織布ではさらに⼩さいロットで、駆け出しのファッションデザイナー等個⼈の細かい希望に応えて⽣産し直販されているため、⾒せていただいた⾒本地はどれも個性的で⾯⽩く、他にはない魅⼒を放っていました。
 ⼤城⼾社⻑や社員の⽅のお話には、現代では軽視されがちなものづくりの現場は決して楽ではないものの、⾯⽩いことをやっているという気概と熱量がこもっており、思わず引き込まれてしまいました。

 今回の⻄脇テキスタイル研修では、⽣産の体制や規模等が対照的な⼆社を訪問させていただき、⼤変勉強になりました。また、このように同じ播州織でも多様な⽣産の現場が今も発展し続けていることに、北播磨地域に根づく⾃主性という⾵⼟も垣間⾒たような気がしました。
 そして、どちらの会社も、時代の変化に対応しながら⾼い品質を保つという⼤変困難なことを継続されたうえで、⾃社製品に誇りをもって発信されていることが共通しており、とても感銘を受けました。私もものづくりの難しさにめげずに、⾃信のもてる作品を作りたいと気持ちが改まる思いです。

「テキスタイルの未来を見据えて」播州テキスタイル研修 専攻科・日岡聡美

「日本のへそ」といわれる兵庫県西脇市を中心とした北播磨地域。そこは220年以上続く播州織の産地です。糸を染めて織る先染織物の国内有数の産地として、商品企画から染め、織り、加工までを一貫して行っています。専門コースでは産地研修として、西脇市郷土資料館を訪れて地域の風土や播州織の歴史を学び、植山織物株式会社と大城戸織布の工場を見学しました。


西脇市郷土資料館

西脇市に到着し、最初に向かったのは西脇市郷土資料館。西脇と播州織の歴史を紹介している展示を職員の方にご案内いただいた。

西脇市で播州織が織られるようになったきっかけは宮大工の飛田安兵衛が織機を改良したからだそうだ。また、周りの川の硬水が染色に向いていたり、山に囲まれた土地なので湿気があり、糸の乾燥を防げたりと織りに向いている土地だったので西脇の織物業が発展した。

時代が移り変わるにつれて生じた播州織の変化を紹介していた箇所が印象に残った。明治時代から第一次世界対戦前くらいには、織物の色はダークグレーなどの落ち着いた色が主流だった。第一次世界対戦後、国内で布が売れなくなるようになり、また関東大震災の影響で神戸港での貿易が盛んになった事から布の海外輸出が増えていく。この時代は海外向けのカラフルな原色の布が作られていた。第二次世界大戦後、商品の高級化が進み、色も中間色のものが増えた。現在は外国での価格競争もあり、今までのように大量生産ではなく少ロットで品質の高い播州織ブランドとして主に国内で販売されている。このように時代によって織物は変わり、人々の生活に寄り添ってきたという事が分かり興味深かった。

最後に「中入れ札」というカードのような紙をいただいた。以前は布を売る時に中入れ札を一緒に渡していたらしく、デザインもマッチ箱のラベルのようで可愛かった。名刺のようなものだったのだろうか。このような文化を知る事ができるのも楽しい。

植山織物株式会社

二番目に訪問したのは植山織物株式会社さん。織りの他に、外部のバイヤーなどに営業をする「産元」もされている。

社長の植山さんが出迎えてくださり、工場に入った。中では植山織物さんはシャツの布地が主流商品で、特にチェックシャツの生地が多い。回転数(糸を入れる回数)が一分に100-120 回から 600 回と、スピードが違 う複数の自動織機で織って色々な風合いの布地を生産している。

布地見本を見せていただき、同じ経糸・緯糸でも機の回転数、起毛、平織り・綾織など条件を変えると風合いが変わるという事を布地に触れて感じた。このような様々な加工のこだわりが、日本産のテキスタイルの凄さだと感じた。チェックやストライプのようなパターンは、日常的によく着用する人が多いと思う。普遍的な服こそ、長く、心地よく着てもらえる為のこだわりが大事なのだ。

大城戸織布

最後に伺ったのは大城戸織布さん。ジャカード機とドビー機を使って多くのユニークなテキスタイルを作っている。工房に入ったら、天井から沢山の糸が吊られていた。よく見てみたら、通常自動織機で布を織る時処分されてしまう端の部分で、「ふさ耳」と呼ばれているとか。大量のふさ耳の枷は、まるで羽でできたスカーフのようだった。これらは、イベントなどで販売されたり、新しいテキスタイルの素材として使用される。

代表の大城戸さんが工房内を案内してくださった。大城戸織布さんは、主に個人の若手デザイナー向けに小ロットの布地を作っている。「付加価値がある商品」を大事にされており、その為に様々な試みを行っている。使用する糸も工房で撚りあわせ、風合いに変化を出す為撚りの強弱を付けている。

前述したふさ耳を入れ込んだ布を作る工程を見せていただいた。まず無地部分を自動織機で織っていき、一度止めてふさ耳を模様のように入れ込んでいく。織機のスピードは遅めで、ふさ耳のような経糸と糸の太さが違うものでも布のバランスが崩れてしまわないように調節されている。

最後に大城戸織布さんが作られたテキスタイルのショールームを見せていただいた。中には綿、麻、ウールのようなオーソドックスな素材からテグスのようなイレギュラーな素材まで、様々な素材を使用したジャカード生地が溢れていた。奥には大城戸さんのお弟子さんが制作されたという、ふさ耳を使用したコートがあり、発想のユニークさに魅了された。

ショールームでは大城戸さんがテキスタイル業に対する信念を語ってくださった。大城戸さんは難しい加工なども多くの依頼を受け、作ってみる事で実現可能にしていくとおっしゃっていた。日本各地のテキスタイル関係者の方々と繋がりを持ち、情報を共有して共に学び合っているそう。大城戸織布では今後も藍染など新しい事をやっていくそうだ。新しい試みを古くからの技術に複合させ、常にテキスタイルの未来を見据えている大城戸織布さんに強い感銘を受けた。

おわりに
今回は播州織の歴史を学び、二ヶ所の織布会社を訪ねる事ができバラエティに富んだ研修だった。播州織は主にシャツの素材などに使用されていて、日常に近い織物なのだという事が分かった。知らず知らずに、播州織でできた服やインテリアなどが周りにあったのかもしれないと思うと、実際の産地を訪れ制作の現場を見る事ができたのは感慨深い。風合いなど、使う人が心地よく布を使う事ができるためのこだわりを自身も制作に取り入れたいと感じた。また、現場の職人さんの創作への想いを聞く事ができとても貴重な体験になった。彼らの織りに対する熱意と向上心を見習いたいと強く思った。