専門コースではこのほど課外研修として、神戸ファッション美術館で開催されている特別展「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」(6/15まで)を鑑賞。銘仙の着物約60点や関連資料を見て、学芸員の方に解説していただきながら銘仙の魅力に触れました。学生の見学レポートを紹介します。

数年前、『ディオールと私』というドキュメンタリー映画を観たとき、印象的なシーンがありました。うろ覚えですが、当時ディオールのディレクターだったラフ・シモンズが、過去のコレクションのなかから、花柄を糸にプリントしてから織った布を良いと言って選ぶところだったと思います。糸が微妙にずれることで色がにじんだような、織った後にプリントしたものとは異なる表情に、私も惹かれたのでした。同じ構造をした銘仙という絹織物の着物が、戦前の日本で大流行していたことも知らずに。
銘仙のことを知ったのは、ちょうど一年前の専攻科での捺染絣の授業でした。基礎的な織りや捺染絣を学んだ後では、銘仙の輪郭が少し掠れた大胆な模様が、糸を先に型紙で染めてから織り出されているという仕組みが理解でき、とても面白かったのを覚えています。今回、神戸ファッション美術館での展覧会に見学に行けると聞き、楽しみにしていました。
いざ美術館で銘仙のコレクションを拝見したとき、まずその色の鮮やかさと柄の賑やかさが放つエネルギーに圧倒されました。そして、この華やかな銘仙を制服として着ていたのが当時の女学生たちであったこと。さらに、女学校進学率の向上とともにその需要が伸びるにつれ、彼女たちが好む西洋風のロマンチックな花柄や流行のフルーツパーラーの柄などが、輸入された鮮やかな化学染料によって表現されていったことを学芸員さんに解説いただき、何か腑に落ちるものがありました。銘仙は、教育を通して主体的な自由を獲得していった女学生たちの自己表現の一つであり、彼女たちが文化の牽引役となって、各産地での技術革新、ならびに広告戦略における人気アーティストとの協働などの化学反応を次々に促していったのです。銘仙をみていると、女性たちがそれに袖を通したときのときめきや、おしゃべりが今でもきこえるようで、とても楽しい気持ちになりました。
また、銘仙は、その歴史的背景もさることながら、冒頭でも触れたように、織る際の糸のズレによる柄のにじみがなんともいえない叙情的な雰囲気を生み出しており、それが高度な印刷技術による明快なプリント柄を見慣れている現代の私たちの目にはとても魅力的です。これは、経糸や緯糸を先に型で染めてから織るという手法が生み出す構造的なものでありながら、化学染色による鮮やかな色使いも相まって、大正から昭和初期という時代がもつ、西洋文化の急激な流入を経た後の円熟した文化特有の華やかで退廃的な空気と見事に調和しているようにも感じられ、大変興味深いです。
展示によると、銘仙の技法は、経糸を仮織りしてから型で染めて織る「解し絣」がまず開発され、その後、解し絣に、いわゆる伝統的な「絣」の(部分的に糸で括って防染することで単純な柄を出した)緯糸を使った「半併用絣」、そして経糸も緯糸も同じ型紙で柄を染めてから織る「併用絣」へと発展していったようです。
そのなかでも、私が特に惹かれたのは半併用絣の銘仙でした。
例えば、ギンガムチェックにプリムラ文様が施されたものは、地のギンガムチェックは経糸と緯糸が重なってはじめて生まれていることがわかります。つまり、経糸には黒のストライプ地にプリムラ文様が染められ、そこに白と黒の緯糸がボーダーになるよう交互に入れて織られているため、結果としてプリムラ文様の箇所には、緯糸によるボーダーのみが浮き出てきており、とても面白いと思いました。

また、黒地に白鳥柄のものは、経糸に染めた白鳥を、絣で部分的に白く抜いた緯糸で織ることで、白鳥の白を黒地から浮き立たせ、輝いているような効果を生み出しており、まるで夜の月明かりのなかで白鳥が湖に浮かんでいる情景を描いているように感じられました。

このように半併用絣の技法は、併用絣より単純でありながら、経糸の絵模様を組み合わせることで画面にさらなる工夫を加えることできると知り、ぜひこの技法を参考に自分でも織ってみたいと思いました。
今後も、銘仙のように、技法によって生まれる構造的な効果を表現にうまく活かした作品を生み出せるよう、試行錯誤を続けていきたいと考えています。