専攻科

修了生を訪ねて:布づくりからの洋服づくり「のの」長友宏江さん

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コースでは、年に一度、織りを仕事にしている修了生による授業を行っています。2000年度に専攻科を修了した長友宏江さんは、10年に「のの(nono)」というオリジナルブランドを立ち上げ、布をつくり、洋服や鞄、小物の企画、デザイン、製作、販売までを手がけている方です。校外学習として、長友さんのアトリエ兼ショールームを訪ねました。そこで学生の頃の作品や、今実際に販売している洋服や布小物、生地サンプルなどを見せてもらいながら、これまでの学びや仕事の経験を、どう製品づくりに生かしていったのかなど、お話を伺いました。

◆拠点も人生も、DIY精神で

長友さんは2021年2月、それまでの10年間ショールームを運営していた場所を離れて、同じ京都市内の一軒家に新たな拠点を立ち上げたばかり。案内してもらった2階のショールームはアットホームな雰囲気で、壁塗りや床張りなどのリフォームは自ら行ったそうです。その自分でやるというDIY精神は、ご自身の人生にも通じていて、「学生時代に取り組んだことが、今に至るまでずっとつながっているんです」と、長友さんはにこやかに話し始めます。

子どもの頃からつくるのが好きだったという長友さんは、「洋服を仕立てる仕事がしたい」と、まずは服飾の大学へ進学しました。そして「自分でつくった布で仕立てたい」という強い思いのもと、卒業後に家庭科の講師をしてお金を貯めて、KTSに入学。織りと染めの基礎を学んで、自分が純粋に魅かれるものを探し求めた先にステッチの面白さに目覚め、2年目の専攻科では、あえて織りをやらずに、ひたすらステッチの作品づくりに取り組んだと言います。当時身につけた独自のステッチ使いは、現在もカバンや帽子などの製品づくりで生かされています。

綴織の緞帳製織の仕事を経て、その後、母校の大学で助手として勤めながら大学院へ進学。「多重織りの洋服をつくりたい」、構造や質感など「テーマを決めて織る」という目標を持ち、洋服制作を行ったそうです。多重織りの洋服づくりは今も続けていて、学んだことを製品に応用するのに、素材やストレッチの強度、形を変えるなどして、着心地を良くするための工夫をしています。

◆一人でも続けていく

次に求めたのは、編みの仕事。卒業後は生地から企画・デザインして洋服をつくるジャージ製造会社に就職しました。そこで使っていたのは丸編み機という、丸く筒状に生地を編むニットの機械で、中が見えない編み機の仕組みを理解するために、「部品を外し、分解した状態で各パーツをスケッチして、頭に叩き込んでいました」と。そう当時の経験を語る長友さんは、どこか楽しそう。機能や仕組みが細かく記されたページを「結構面白いです」と言って見せてくれました。「針が通る道があり、どこに引っ掛けて編んでいくか、どこで糸を上げ下げするのか。織りも同じですよね。仕組みを知らないと、うまく使いこなすことができないと思うので」

「のの」の製品には、手織りの他に、編み地のものも多く、なかには当時の勤務先で培った技術を自ら展開させたものもあります。長友さんは一枚のショールを見せて、端っこを縫わない工夫を説明。それは勤めていた会社で自ら編み出した方法だそうですが、その後、会社は倒産。しかし、そこであきらめないのが長友さん。「じゃあ、私やろうかな」と、一人でも続けていったそうです。当時、勤務が終わってから夜な夜な取り組んでいたという、たくさんのサンプルづくりも、現在の製品づくりに生かされています。

◆好きなことを続けるために、補う何かを持つ

いま、独立して10年。ショールームに並んでいる製品は、長友さんがこれまで学びや経験を糧にして、幅を広げてきた賜物なのでしょう。オリジナルな魅力にあふれた製品の数々には、長友さんの静かな情熱が込められています。

「ただ単に好きなことをして暮らしたいという、わがままなやつなんです」。そう穏やかに笑う長友さんですが、「安定はしない」という現実も伝えます。とくに、ここ2年近く続いているコロナ下で、展覧会などのイベントが軒並みキャンセルになっている状況。そこで「一つの道だけじゃなく、それを補う何かを持っておく」と再確認したそうです。「私の場合は家庭科の免許を取ったのも、大学院に行ったのも、教える仕事で生活を安定させるためでもありました」。それが、好きなことを続けていくための道、と。

その上で長友さんは、「やりたいことはやった方がいいかな。やらないでいると、たぶん後悔すると思うんです」と、まっすぐに語ります。「大変な状況でも、いろいろ考えればできちゃうもんなんで。あの時、コロナで大変だったからあきらめたというよりは、大変でも、やったって思う方が力になる」

いま、スクールで学んでいる学生たちも、それぞれに昨年からの大きな変化で自分を見つめ直して、やっぱり手織りを学びたい、続けていきたい、という思いで日々、制作に励んでいます。だからこそ、いま、長友さん自身の実感から語られたことは、ストレートに胸に響いたことでしょう。最後に長友さんは、こうエールを送りました。「大変な時期を乗り越えた自分というのが、後々すごく力になると思うので突き進んで。私も突き進みます!」

◆  長友さんにとって織りとは? 「楽しみなこと」

何もないところから、何を自分が選ぶかで形にしていける。織りにしても編みにしても同じですが、縫製など自分が手を加える範囲が狭い状態で洋服になり、織ったまま、編んだままで着られる。そうやってゼロから100まで、すべて自分でやる楽しみがあります。出来上がりを想像する楽しみもあって、想像を超えたものができたりもする。それが面白いです。

〈長友宏江さんプロフィール〉

ながとも・ひろえ/杉野女子大学(現・杉野服飾大学)卒業。家庭科の講師を経て、川島テキスタイルスクールで学ぶ。2000年、専攻科を修了し、織物会社で綴織の緞帳製織に携わる。東京に戻り、母校の大学で助手をしながら多摩美術大学大学院美術研究科へ進学。卒業後、ジャージ製造会社に就職し、ジャージ生地のデザイン・企画・製造を担当。07年から10年まで、atelier KUSHGULに参加。10年10月に「のの」を開業。

website: nono
instagram: @nono_2010.10

スクールの窓から:北欧の織りを学ぶ「昔の人の知恵と工夫を感じて」

その世界観に憧れを抱く人も多い、北欧の織り。専門コース2年次の専攻科では、「北欧の織り」の4日間の実習が行われました。講師は「北欧手織りのアトリエ LAILA」を主宰している白記麻里さん。授業では、スウェーデンの伝統的なダマスク織りを学び、自らデザインを考えてプレースマットを2枚織りました。本場ではダマスク装置が付いている専用の機を使って織りますが、その織り機がなくても、スクールにある天秤機に“工夫”を施すことで、ダマスク織りができる。織りの技法に加えてその工夫を学べるのが、この授業の醍醐味です。

ダマスク織りは、表裏で配色が逆の同じ組織で構成。なめらかな曲線やリピート柄など、好きな箇所に自由にデザインをし、複雑な模様が織れるのが特徴です。現代では、経糸を上げる特殊なダマスク装置が付いた織り機が使われていますが、その昔は身近な道具を駆使して織っていたそう。この授業では、昔のやり方に倣った方法で織るのに、天秤機に穴の大きい綜絖を取り付けて、専用のスティックを使います。そうして「昔の人の知恵と工夫を感じていただきたいです」と白記先生は話します。

ポイントは、スティックで経糸をすくい上げる「ピックアップ」という技術。経糸の一部にスティックを垂直に通して、織る、また違う経糸にスティックを通し直して、織る。そうして、1本ないし2本以上の異なる大きさのスティックを駆使することで、織れる柄の幅がぐんと広がります。イニシャルなどの曲線や、複雑なパターンのサンプルを見ながら「こんな織り方ができるのか!」と学生が目を見張っていると、「夢が広がりますね」と白記先生は語ります。

織り機と道具、柄の出方の仕組みを理解しようと頭がいっぱいになっている学生たちに対し、「大丈夫、楽しいから」とにこやかに話す白記先生。学生たちは実際に織り始めると、スティックですくって織って、模様が出る面白さに気づいていき、それぞれに没頭。「もっと複雑な模様にしたい」と意欲が増していき、最終日を迎える頃には、晴れやかな顔でサンプル織りを仕上げていました。

技術を応用し、これまで学んできた織りの経験と結びつけて考えることができるようになった2年目の学生たち。以前に習った組織織りとの違いとして、ダマスク織りは「織っている途中で、模様を入れたい部分にポイントで入れられる」と気づき、また一つ、技の幅を広げることができました。学生の一人からは、こんな声も。「専攻科に進んでから、綟り織りにしても、今回のダマスク織りにしても、天秤機一台で、少しの工夫をすることで、いろんな織り方ができると知りました。織りは、まだまだ奥が深い!」

この授業のポイントである「工夫」は、白記先生ご自身が大切にしていること。スティックの他にも、ゴムや手鏡、透明シートなど身近にあるものを使った工夫のヒントが、授業のなかに散りばめられていました。不便と思ったときに、そこで工夫の余地があるかどうか、ちょっと考えてみる。自分が学んで「へぇ〜」と思ったことや、自ら改良したアイデアを惜しみなく分かち合ってくれた白記先生。「結論として、このピックアップの技術を考えた昔の人はすごい、ということですね。これからの創作活動で生かしてもらえたら嬉しいです」と伝えました。

◆白記先生にとって織りとは? 「戻ってくる場所」

アトリエを開くまでは、仕事をしながら織りを学び続けていました。別のことをやっていても、どこかで織りとつながっていたかったんですね。祖父が織物に関わる仕事をしていて、昔から身近にあったので。私にとって織りは、一時離れても、また戻ってくる場所。学びに来てくれる人の、織りの悩みを解決するのが、私の喜び。人生の節目で織りに救われてきたので、織りを通して人の役に立てたら嬉しいです。

〈白記麻里さんプロフィール〉

しらき・まり/高校時代にホームステイしたフィンランドで、織物に出会う。立命館大学文学部地理学科卒業後、北欧専門の旅行会社に勤務。2003年、川島テキスタイルスクール専門コース本科修了。たびたび北欧を訪れ、現地やアメリカ、東京などで北欧の伝統技法を学ぶ。2015年より、北欧手織りのアトリエLAILA を主宰。

website: 北欧手織りのアトリエLAILA

スクールの窓から:綿花から糸を紡いで織る 奈良・つちや織物所で校外学習

「紡ぐ」という営みが暮らしから遠のいて久しい現代において、和綿を自家栽培し、綿花から糸を紡ぎ、主に手織りで暮らしに使える道具に仕立て、販売までを行っている「つちや織物所」。専門コース専攻科(2年次)では、2日間の校外学習として奈良にある工房を訪ねて、綿花について学び、実際に糸を紡いで小さな布を織る体験を行いました。川島テキスタイルスクールの専門コースには、羊毛を紡ぐ授業があります。ですが、学生にとって綿花を紡ぐのは初めての経験。身近な綿の知らなかった世界の広がりに触れ、学びに満ちた2日間となりました。初日の様子をリポートします。

「畑から綿を収穫し、糸を紡いで、布に織る」までをグループで行う、
「奈良 木綿手紡ぎの会」で制作した布を紹介する土屋美恵子さん

緑に囲まれた一軒家の工房には、作業スペースと織り機があり、この7月には小さなギャラリーを開設。敷地内に染色場、近くに一反(300坪〈600畳〉)の広さの綿花農園があり、この場所で循環できる仕組みを実現している。そんな「つちや織物所」は、織りをする人にとって、まるで理想郷のよう。ここを2006年に開設し、運営しているのは土屋美恵子さんです。

初日はまず、「つちや織物所」の成り立ちについて、土屋さん自身の歩みとともに紹介されました。独学で道を切り開いてきた土屋さんですが、「手元にあるものから教えてもらってきた」そうです。産業の衰退で望みの糸が入手困難になったのを機に、綿花栽培から糸作りをしようと踏みきり、同時に循環できる仕組みを考え、人が学べる場を作ってきました。ビジネスにつなげる道も模索していますが、「まだ非常に難しいです」と率直に語ります。それでも「自家用から作る」。それを継続していくことで、「家事の延長で、人の生活の中に入っていけばいいなと思っています。気の長い話かもしれないけど、暮らしの中に手仕事があるのは素敵なことなので」と話します。

◆難しさも含めて、味わう

そして、手紡ぎの実技へ。講師は余語規子さん。「つちや織物所」で手紡ぎを学び、自身も綿花栽培から実践している方です。初めに機械でシート状にした綿を使って、糸車を回しながら繊維を引き出して撚りをかけることで糸を作る、一連のプロセスを教わりました。頭でわかったつもりでも実際にやってみると、これがうまくいかない。ちょっとした張り具合や力加減で状態が変わります。「最初は難しいです。それも含めて味わってもらえたら」と事前に言われていたので、心のハードルを下げて向き合えます。黙々と取り組む中で、学生の一人はスクールでウールを紡いだ授業を思い出し、「あの時、うまくできないのが悔しくて。その後できるようになって、初めに感じた悔しさが大事だと知った。その初心を今、思い出しました。紡ぐのが楽しいです!」と言いました。

次に、紡ぐまでの工程を体験。綿花にまざっている枯葉の破片などを除き、道具を用いて種を取り、綿打ちをしました。「綿打ちって言葉は聞くけど、この作業のことを言うのか」と目を丸くして見入る学生。作業は弓矢のような道具を使い、弦の部分に綿花を乗せて思い切り弾いてほぐしていきます。実際にやってみると、これが結構体力のいること! 均等にほぐせるまで繰り返し、ビンビンという弦を弾く音が作業空間に響いていました。

ふわふわになった綿をシート状に整え、やっと紡ぐ工程へ。機械で綿打ちされたものと、自分の手でしたものとでは、触感の違いは明らか。繊維を引き出す時に、ボコッと極端に太くなったり、細くなったりと形が定まらない。そんな中でも、綿がスルスルッと手元から引き出せる瞬間があって、糸になっていく快感を味わうこともできました。

◆紡いだ糸で織ると、布が生き生きしている

2日目は、初日に紡いだ糸を腰機で織り、一枚の小さな布を作りました。布になると、でこぼこの糸がハーモニーを奏で、不揃いさが個性に。「糸の凹凸(おうとつ)は工業製品の場合は失敗と見なされます。ですが手仕事の場合は、一様じゃないのが味わいになります。紡いだ糸で織ると、布が生き生きしている印象があるんです」と土屋さんは顔をほころばせます。

繊維を集めて、糸にしていく。そんな「紡ぐ」は「つなげていく」行為でもある気がします。でこぼこでも、たとえ途切れても、またつなげていく。そうして自分の手で紡いだ糸を使って織る喜びはひとしお。学生は、最後まで興味津々に質問をしていました。

じつは土屋さんは、約25年前に川島テキスタイルスクールで染織の基礎を学んだ経験があるそうです。当時の経験を「いろんな世代の方が、それぞれの人生のタイミングで『織りたい』と集う。緑豊かで別天地のようで、そこでは織物のことしか考えなくていい。皆さん一生懸命だし、すごく気持ちがいい場所です。私はスクールで基本を学んで織れるようになったことで、先の見通しを立てることができ、やるぞ!と意欲がみなぎりました」と、生き生きと語ってくれました。

手織りの基礎を学んで、個人の制作活動に打ち込んでいる2年目の学生たちにとっては、糸を紡ぐという原初的な校外学習を通して、これまでスクールで積み重ねてきたことを俯瞰的に見て、新たな息吹を受けた2日間となりました。

◆土屋さんにとって織りとは? 「言葉」

ものは、言葉で説明しなくても自分を表してくれる。そんな考えに触れ、話すのが苦手だった私が、ものづくりを始めたのが20代。時代は変わり、今は作り手も言葉の力を求められる場面が増えました。それでも私の場合は、作品そのものや、紡ぐ・織るという営み自体が、言葉にしきれない私自身を表していますし、それによってたくさんの方との関わりができています。

〈土屋美恵子さんプロフィール〉

つちや・みえこ/1990年、お茶の水女子大学数学科卒業。学生時代に民族舞踊に打ち込み、その衣装作りで布を求めるように。川島テキスタイルスクールで染織の基礎を学び、その後、独学で織りを続ける。2006年、奈良市で「つちや織物所」を開設。暮らしの道具も作り始める。13年からは、綿花栽培および「木綿手紡ぎの会」の活動を始め、綿花から糸紡ぎ、布作りを行っている。

website: つちや織物所

instagram: @tsuchiya.orimono


2022年度専門コース本科・技術研修コースの願書受付中。一次締切は10/31です。
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スクールの窓から:人の目を引く不思議な織物 綟り織り「紗・絽・羅」

暑さが増す時期、風通しのいい「紗」や「絽」、「羅」の織物は見た目に涼やか。専門コース専攻科(2年次)で「綟(もじ)り織り」の授業が行われました。講師は、染織作家の小田芽羅さん。綟り織りは隣り合う経糸を絡ませる、特殊な組織織りとして位置付けられています。授業では、2本の経糸が互いに絡み合う「紗」と、紗を織った後に平織りを織る「絽」を取り混ぜて一枚のショールを作り、更に紗と絽を変化させた組織サンプルを織りました。

小田講師は紗と絽、そして経糸がより複雑に絡み合う「羅」のサンプルを見せて織物の特徴を説明。さらに自身が手がけた作品で、新聞紙を緯糸に用いて羅の技法で制作したタペストリーを見せてくれました。糸を絡み合わせる特殊な織り方に、生徒たちは身を乗り出して興味津々に。織り目の隙間から向こうが透けて見えるこの特殊な織物には、人の目を引く何かがあるようです。

実習は、綟る仕組みを理解するところから。必要なのは「ふるえ」と呼ばれる道具で、自分で作ります。カタン糸で均一の大きさの輪を作り、それを機がけした経糸の半数分用意。綜絖枠に取り付け、綜絖に通した糸を更にふるえに通して織ることで、経糸を絡ませる仕組み。「こんなシンプルな装置でできるの?」「これまで経糸を動かすという発想がなかった」と生徒たちは驚きながらも、「踏み木を踏んだら、経糸がねじれて出てくる」と新たな織りに引き込まれていました。

昨年に入学し、一年を通して染織の基本を身に付けた専攻科の学生たち。基礎を習得しているからこそ、「これまで織ってきたやり方と全く違う。経糸がねじれているので、織っている時の感覚も違う」とこの織物の特殊さを理解して、「もっと織りたい」と夢中になっていきます。

小田講師は、川島テキスタイルスクール(KTS)の修了生。「KTSで初めて織りを学んだ37年前、アトリエで羅の作品を見て感動し、引きずりこまれました」と話し、在学時に制作した羅の作品と共に、一冊のノートを開いて手書きの組織図を見せてくれました。ノートには当時の染めと織りの学びの記録が詰まっています。それを「私のバイブル」と言って、今も大切に活用している小田講師。3日間の授業を通して繰り返しアドバイスしていたのは、メモを取るということ。「組織が理解できたら、その組み合わせでデザインを変えていけます。それぞれの踏み順などを必ず書いておいてください」「メモしたことが何十年後も生きる。経験がよみがえって、それが糧にもなる。今分かっていても書かないと消える。記録は大事です」

指導の合間に小田講師は紗を変化させたサンプルを織り、課題の講評と合わせて紹介。柄を自在に変えていける可能性を目の当たりにした学生は、「幅広い表現ができるのが面白い」と目を輝かせていました。そんなさりげない楽しさの演出は、小田講師の体からにじむもの。そう感じたのは、小田講師自身もKTSの同じアトリエ空間で学び、染織作家として活動を続けてこられた原点に、ここで織りの喜びを得たことがあるからかもしれません。学生に手渡すのは、技術だけではない。時間の経過が深みとなって思いをめぐらせ、織りを続けていく道筋を示しているような授業でした。

◆  小田先生にとって織りとは? 「伴侶」

私が唯一ずっと続けているのが、織り。今も織っていると心が弾み、立ち上がって「楽しい!」と声に出す時も(笑)。作る時の感情は常に大事にしたい。手を通して作品に流れ込み、見る人にも伝わるので。羅は不思議な織物。どうやって織るの?と皆がのぞき込む。私は、その伝統技術を使って「私の表現」をして、知識を深めると共に自由に変化していく。織りは、そんな私と一緒にいてくれる伴侶です。

〈小田芽羅さんプロフィール〉

おだ・めら/1984年川島テキスタイルスクール修了、1989年京都市立芸術大学染織専攻卒業。新聞紙で織るタペストリーを制作。中学・高校の教師を経て、アトリエ・ヒュー工房を設立。現在、高校、大学の非常勤講師。新匠工芸会会員、京都工芸美術作家協会会員。

website: Atelier hue

「妥協しない丁寧なものづくりを」(株)川島織物セルコンで帯の商品開発のインターンシップ

デザインから意匠図、試作品へ

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コース専攻科(2年次)では、希望者は(株)川島織物セルコンでインターンシップを経験することができます。2021年度は呉服開発グループで10日間のインターンシップ・プログラムを設け、専門家数人の指導を受けながら、企画開発から生産までの流れを学び、製作現場で帯をデザインして試作、プレゼンテーションまでを行いました。KTSは、(株)川島織物(現・川島織物セルコン)が1973年に設立した学校。手織りを教え、社会でその技術と表現力を活かせるように、独自の教育を続けて48年になります。そんな企業とのつながりがあるからこその充実した研修が実現できました。

参加を希望した学生たちには「一流ブランドの帯の生産現場に興味があり、この先自分が商品としてものづくりをする姿勢などを勉強したい」、「将来やりたいことを明確にしていきたい」という動機がありました。スクールでは作品制作を行い、個々の表現力を伸ばすのに軸を置いているのに対し、今回のインターンでは、用途や対象を設定し、ニーズに合わせた名古屋帯の商品作りを経験。実務を通して、その違いを体感できたのは大きかったようです。普段会社で開かれている図案研究会にも参加し、作り手や売り手が集って意見を出し合う場や、帯の企画の過程を間近で見て「商品として成り立つか客観的に捉える」「チームで一つの商品を作る」という視点を得られたと言います。

自ら考えたデザインを織物にしていくために、紋作成ソフトを使ってドット(点)で描画にする意匠図作りも経験。「たった1ドットで形が変わるので、より良い形になるように何度も熟考して試しました。そこで妥協せずに丁寧に取り組めたのは、細部にわたる指導と、一つひとつの工程に時間をいただけたから」。作品と商品の違いはあっても、妥協しない丁寧なものづくりはスクールの姿勢にも通じていて、学生はインターンシップを通じて、その意識を更に深めたようです。

学生からは「しっかりと自分の中に落とし込むことができて、有意義な10日間でした」、「社員の方は担当の業務を行いながら全体の流れを把握し、ものを作るだけではなく、営業の方々とも協力して商品がお客様に渡るまで、渡ってからどう使われるのかを視野に入れて取り組んでおられる。そんな一つの商品ができるプロセスがとても勉強になりました」という感想がありました。受け入れ側の社員の方からは、「生徒さんにどのように指導したら伝わるのか等、改めて自分たちの仕事を客観的に捉えることができました」という所感がありました。

スクールは織りに没頭して自分と向き合い、ものづくりを通して可能性を広げていける場。作品と商品、異なる趣旨のものづくりを学んだ学生たちが、この先、どのように自らの織りの道筋を立てていくのか楽しみです。

オープンスクール開催!(8月28日、9月11日、10月2日、10月16日〈事前予約、いずれも土曜。8月分は10時・14時から、9月以降分は10時・13時・15時から〉。見学の際、実際に機織りを体験していただけます〈専門コース本科の入学希望者のみ〉、他の日をご希望の方はご相談ください。)

スクールをつづる:国際編8 修了生インタビュー「世代をまたいだ繋がり、日本語習得して長期留学」陳 湘璇さん

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編。第8回からは3週にわたり、かつてスクールで学んだ方が修了後にテキスタイルを教えて、今度はその生徒の方が学びに来るというKTS独自の繋がりが育まれた修了生インタビューをお届けします。台湾で衣装デザインの仕事をしていた陳湘璇さんは、かつてKTSで学んだ先生からスクールの話を聞いたことがきっかけで、専門コース進学を決めて来日。日本語学校で語学力を身につけた上で、スクールで2年学んだ方です。その経緯と陳さんの思い、KTSの学びで印象深かったこと、自身が考える織りとは、などについて話を伺いました。

家書4/1/20-6/7/20 mom, i’m fine 4/1/20-6/7/20
「コロナの災いから発想した作品です。」
「Kyoto Art for Tomorrow 2021 ―京都府新鋭選抜展―」に出展予定)

陳 湘璇さん(台湾)
綴織職人(株式会社川島織物セルコン勤務)、作家
日本在住
2018年4月専門コース入学、20年3月専攻科修了

−−台湾で衣装デザインの仕事をしていた陳さんが、日本に留学してまでテキスタイルを学びたいと思った経緯を教えてください。

大学生の頃、アルバイト先の関係で、初めて天然染色のことを知りました。自分で手作りブランドも始めていて、知り合いの藍染の作家さんに藍甕(あいがめ)を使わせてもらって作品を作ったことから、染色の興味を深めました。その後も映画の衣装デザインの仕事を通して色々な布に触れるようになり、モダンなテキスタイルから古布まで様々な布との出会いが楽しかった。その中でも、ずっと日本の伝統染織に魅了されていました。よく通っていた布市場に日本生地の輸入専門店があって、そこで売られていた擬古布の生地が、模倣で作られたものでも質感や柄がすごく素敵でした。

より染織のことを知りたくなり、台湾の国立工芸研究センターで天然染織の研修を受けました。しかし短期で学べることには限りがあり、それに途中でどうしてもやりたい仕事が入ってきたので、織りの授業を受けずにやめざるを得ませんでした。その後、もっと学びたいという気持ちがずっとあったので、染織を学べる学校を調べました。行先は、最初から日本と決めていましたが、どこで本格的に伝統染織を学べるかは分かりませんでした。美大の大学院も考えましたが、実践の技術を学ぶのとは方向が違い、私が学びたい分野の専門学校も見つからずに悩んでいました。

そんな時、国立工芸研究センターで、私が受けた研修の担当の先生から、30数年前にKTSに通っていたという2人の先生を紹介いただいたんです。(その先生方は研修で基礎織の担当でしたが、私は織りの授業に参加できなかったため、研修中はあまり話せませんでした。)

−−かつてKTSで学んだ先生と出会い、どのような経緯でこのスクールを勧められたのでしょうか?

先生たちが教えてくれたのは、KTSの良い所は、染織の学校として織物の仕組みや技術的な事をたくさん学べること。学歴を気にしないなら(単位・学位制度が設けられていないため)、美大よりKTSの方を推奨するとのことでした。

そして、日本は世界の中でも織物に関する資料が充実していて、それは昔から世界各地から伝わってきたものをきちんと保管してきたからだそうです。先生たちがKTSに通うことにしたのも、当時、台湾工芸の父と呼ばれていた顏水龍という先生が紹介してくださったそうで、当時のKTSは紹介がないとなかなか入れない学校だったと聞きました。

当時、先生たちはKTSで織り組織について多く教わったそうです。話を聞いて特に面白かったのは、1人じゃ学び切れない内容だったので、2人それぞれ違う技術を学んで互いに教え合ったそうです。KTSで、本当に染織に対する豊富な知識と技術を得たようです。

願い (2020)
「古書と麻のフサ耳をメインに使った作品です。
素材の再利用は自分の中では常に求めていること。」

−−陳さん自身、日本語学校を経てKTSに入学した経緯は?

話を聞いて、すぐにKTSのことを調べてみました。学校のウェブサイトを見て、確かに色々な技法が学べそうだと思いました。英語で行う授業もありましたが、1年以上の長期コースはすべて日本語の授業とのことで、日本語を本格的に学び始めました。

実を言えば、海外留学は私の人生の予想外のことでした。行くのを決めた時はもう25歳で、一番頑張らなきゃいけない段階だと思っていました。それで、あまり日本語の勉強に時間をかけ過ぎると本来の目的に進めないと思い、台湾で仕事をしながら半年ほど独学で基礎を身につけてから京都に来ました。日本語学校での学習期間もなるべく短くし、日常で学校以外の場所でなるべく日本人と喋るようにしていました。半年通って日本語能力試験のN3レベルまで学んで卒業し、KTSに入学。

日本語能力について、一般の大学ではN2相当レベル以上が必要ですが、KTSはそこを気にせず受け入れてもらえて、本当にありがたかったです。その後も、コミュニケーションで丁寧に対応してもらえました。自分の日本語力に心配はありましたが、これ以上時間を費やすのは無駄だと思い、早くやりたいことやる方が大事だと私は信じていました。それでも、KTSに入ったばかりの頃は毎日ドキドキしていました。スクールで学んだ2年間は、本当にあっという間でした。

−−KTSでの学びで印象深かったことはありますか?

スクールで初めて織りに触れて、糸が扱えるようになったことを、未だに不思議に思う時があります。そして一番印象深く、大事なことを改めて考えると、それはテキスタイルの世界の視野が広がったことだと思います。専任の先生たちの他にも、作家や非常勤の先生など、色々な方のレクチャーを受けられて、創作をもっと自由に考えられようになりました。

台湾では大学卒業後、段々と自分のための創作に時間を費やすことが出来なくなりましたが、日本に来てKTSで学んだことで、改めて創作する楽しさを再発見できました。元々テクスチャ感のあるものが好きな私は、染織を学んだお陰で作品に使えるメディアや技法が増えて、異なる素材や織り組織で、より多様な表現ができるようになった気がします。この2年間がなければ、織物に対する視野が狭いままになっていたのではないかと。(今も狭い方だと思いますが・笑。)

−−陳さんにとって織りとは?

私が思う織物とは、時間と空間と思いの集合体です。織物は、他の動物にはなく人類にしかない物の一つであり、昔も今の人々も、その時代の風土や社会の風習に沿って織物を作っている。機能的でありながら、感性的でもある。例えば、なぜ昔の貴族の衣装をあれほど時間かけて刺繍するのか、なぜ原住民達の織物に抽象的な柄が必要なのか、斜紋織はどのような背景や需要によって発明されたのか、など織物は本当に奥深いと人に思わせる。一枚の織物に実は大量のメッセージが入っていて、それを味わうのがとても面白いと思います。

産業革命以降、現代の過剰生産に至るまで、織物に含まれた意味は無くなってきている傾向があるようですが、だからこそ、このような時代で、どのように、何のためにテキスタイルの作品を作るのかを常に考えながら、自分に問わなきゃならないと思います。

*陳さんの作品は、2021年1月23日から京都文化博物館で開催される「Kyoto Art for Tomorrow 2021 ―京都府新鋭選抜展―」に出展されます。

outsider in the dream (2019)
(Japan Textile Contest 2019 学生の部シーズ賞)
instagram: @shung_shouko

2020年にinstagramに掲載した 陳さんの「修了生の声」の記事です。

スクールの窓から 1 「表現論」

川島テキスタイルスクールの専門コースでは、様々な先生が教えています。専任講師をはじめ、外部からも作家や技術者などを講師に招き、風通しのいい環境を作っています。このコーナーでは、そんな専門コースの授業の一部をご紹介します。(不定期掲載)

7月9日、「表現論」の授業で繊維造形作家の堤加奈恵さんを講師に招き、「わたしがみた フィンランドのこと、テキスタイルのこと」というテーマで、作品や資料を見ながら、海外留学の体験談をお話いただきました。堤さんの織りに向き合う真摯な姿勢に触れたひとときとなりました。

大学院を修了後の7年間、綴織のタペストリー制作に励んできた堤さん。2018年〜19年の9カ月間の海外滞在を機に作風が大きく変化しました。日本で生まれ育った自らのルーツに興味を抱き、座布団から着想を得るなど日本の染織工芸品を取り上げて、自身で織った布を造形作品として発表するように。レクチャーは、そんな影響を受けたフィンランド滞在について、助成金付き留学制度応募から、滞在計画の立て方、伝統工芸のRyijy(リュイユ/ルイユ)織りと収集家との交流、植物染色、個展開催など堤さんの経験をなぞるように進んでいきました。

学生に向けては「5年、10年後、こんな自分になれたら素敵だなと思える経験を今、 フットワーク軽くやってみるといいです」「見えない未来を想像して不安に思っても、明日、一週間後にぱっとひらめくことがあるかもしれない。その時が来るまで、今、目の前にあることを精一杯頑張ればいい」とまっすぐに語られました。

◆ 堤さんにとって織りとは? 「人生を楽しくしてくれたもの」

「私は元々、絵が好きで美大(京都精華大学)に入ったのですが、自分が描く線にコンプレックスが強かったんです。そこで綴織に出会い、線が忠実に再現されない面白さに触れ、作るのが楽しくなりました。綴れを織る時、爪で押し下げる布の重量感が好き。織りは私の人生を楽しくしてくれたものです。」


〈堤加奈恵さんプロフィール〉

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Instagram: @tsutsumikanae1006

つつみ・かなえ/
繊維の蓄積により生み出されるディテールと、経と緯の組織の成り立ちから生じる一種の不自由さ、単純と複雑の両面を持ち合わせた織り機に面白みを感じ、「織る事」をベースにして作品制作をしている。京都精華大学大学院芸術研究科染織領域修了。2015年より同大学芸術学部造形学科テキスタイル専攻非常勤講師。