スクールをつづる

修了生を訪ねて:手織り布「atelier KUSHGUL」寺田靖子さん

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コースでは、年に一度、織りを仕事にしている修了生による授業を行っています。2001年度修了の寺田靖子さんは、「atelier KUSHGUL」というオリジナルブランドを立ち上げ、手織り布の製品作りをしています。校外学習として、寺田さんのアトリエを訪ねました。ギャラリーと工房が併設されている空間で、寺田さんが在学中に修了制作で手がけたファイバー・アート作品や、初めて製作した洋服、生地サンプル、製品の数々を見せてもらいながら、自身と手織りの関係や、その歩みについてじっくりとお話を伺いました。

◆ 自分なりの感覚を見つけたKTSでの2年間           

手織りを仕事にしたいと願う人なら憧れるようなスタイルを実現している寺田さんですが、開口一番おっしゃったのは「苦労しながら何とか手織りを続けて、今」に至る、ということ。大学で1年次に建築、2年目以降にデザインを学ぶ中で、服をはじめ身近にある柔らかな繊維素材に興味を抱きます。KTSの修了展でファーバーアートの造形作品に出会い、「直接全身の感覚に訴えかけられた」衝撃を受け、KTSに入学。スクールでの2年間は、織りに没頭することで「思う存分、自分の感覚と向き合った時間」、そうして見つけた〈私なりの感覚〉は「今も布を作る上で土台になっています」と話します。

修了後は、飲食店で働きながら制作活動に励む日々。織り関係で就職しなかったのは、当初から作家を目指しており、「就職して仕事でも織りのことで頭を使ってしまったら、自分の創作ができなくなると思ったんです。私は器用じゃないので」という理由から。毎月、糸代を何とか捻出する生活を送りながら、「自分の織りの時給が、勤めの時給を越えたら辞める」と目標を決めます。週5からシフト勤務ができる職場に転職し、仕事後、夜に創作する時間を確保してペースをつかんでいき、2010年に現在のアトリエへ。

◆ 生活の中で揉まれて擦り切れて捨てられる、人と布との関係を知りたい

KTSで見つけた寺田さんの感覚の土台とは、強く撚った糸や、織り方の違いによって「表情を出す」ことで、それが製品につながっていると言います。今も「手織りとは何だろう?」と問い続け、織りながら探る日々。手織りのベストを試着した学生の一人は、「やわらかい」とぱっと笑顔に。寺田さんは、「すべて手作業で行うことで、糸に負担をかけずに布地を織り上げることができる。糸と糸の隙間に空気の層ができて、軽さと暖かみが出ます」と説明。カバンの布の表情、傘の布地の立体感、カディ(インドの手紡ぎ・手織り布)を使ったシャツ、需要が多いマフラー……。「人の生活の中で、揉まれて擦り切れて捨てられる、人と布との関係を知りたい」と、寺田さんは一途に追求しています。

新たな取り組みとして、服に仕立てる縫製も開始。「既製服を買うのに慣れてしまったのが、この半世紀。ですが今、コロナの影響で服が世界的に余ってきている。私自身、ものが余るのに嫌気がさして、織りから服作りまでを一手に引き受けています。オーダーメイドで袖の長さなど一人ひとりのサイズに合わせて、お客さんと一緒に考えながら作り、1着ずつ販売するスタンスが、とてもしっくりきています」

タコ糸のカバンシリーズ。組織織りと平織りの組み合わせで、シボが出たり、厚みが変わったり、縮み具合が変わる。生成り一色のツルッとした糸を使って、どれだけ布の表情を出せるかがポイント。

◆ 織るペースは1時間平均70センチ

工房では、寺田さんがKTS修了後にスクールで購入し、20年近く使い続けているジャッキ式8枚綜絖の織り機を見せてもらいました。この一台で、様々な商品を生み出し、やわらかな風合いの織物に仕上げていることに、学生からは驚きの声が上がりました。織るための準備の一つに、整経した経糸を機に巻き取る経巻きという工程があります。大抵は二人がかりで両端を引っ張りながら行う作業を、寺田さんは一人で行っているそうです。手前に引くと同時に、足先を思いきり伸ばして指をレバーにかけて回すという難技に、皆で目を丸くして見入ります。「左右90センチ織り幅のテンションを一定に合わせながら、糸が切れずにきれいに巻き取る。この機と10年20年と付き合ううちに、それができるようになりました」

学生から、織るペースについて質問が上がりました。「1時間平均70センチ」との返答に、「えーっ!」と驚きの声が。「カシミアの大判ストール2.5メートルで3時間。材料費などの経費を考えると、4時間かからずに織らないと仕事として成り立たないので」。地道に手織りを続けて、自分に合う織りの道を切り拓いてこられた寺田さん。「仕事を辞めた時、不安で毎日胃が痛かった日々もありました。でも夢中になって続けていると、新しい出会いや次の予定が何かしら入ってきて、つながっていきます。機織りは時間がかかります。生活とやりくりしていくのに、とにかく必死に織り続けてきましたが、自分の手で布ができていく感動は今もずっと続いています」

◆ アナログだからこそ必要な感覚

学生へのアドバイスとして、「自分自身の感覚と存分に向き合ってください。それは必要な時間だと思います。世間の感覚に揉まれたら分からなくなるので。私も川島での学生時代、思いきり取り組んだことが今につながっています。色の感覚や肌に感じる感触など、蓄積されたものがたくさんあります。そうして自分を知ることは、生活の中でも役立ちますし、何をするにしてもベースになります」。

スクールに対しては、「手織りはとてもアナログですが、こんなにデジタル化が進む中で、人間であることを忘れないために必要な感覚。体を動かして、ものを作る。(手織りを教える)川島テキスタイルスクールの役割は確かにあると思います」ときっぱり。修了生にこんなふうに道を切り開いた先輩がいるという寺田さんの存在を知り、手織りを続けていくこと、その強い意志と魅力を存分に感じた課外授業となりました。

修了制作の作品。表面は象の皮膚のイメージ。リネンを強撚糸にして織り込み、撚りが戻る力で皺が生まれる。学生時代、テクスチャを追求することの大切さを学んだ。
◆ 寺田さんにとって織りとは? 「無駄が出ない魅力」

私は、誰かに使ってもらう布を作っています。人と布との関係を探っていくのがテーマ。そこで布とは?と考えると、人には必要不可欠なもの。現代は服作りが機械化されて、服にまみれて人は生きていますが、昔は手織りで服を作ることが生業にできていた。それはどういうことかと考えながら日々織っています。一人の人間が、誰か一人に対して作る布。儲かる概念はない。ですが無駄にはならない。作り過ぎることもない。できるだけゴミにならない布地を作るよう心がけています。

〈寺田靖子さんプロフィール〉

てらだ・やすこ/京都工芸繊維大学造形工学科卒。2001年、川島テキスタイルスクール専攻科修了。2007年より「atelier KUSHGUL(アトリエ・クシュグル)」として、手織り布の製品作りをスタート。2010年から京都にある、服とギャラリーの店「Mustard-3rd」内のアトリエにて日々機織りをしている。

website: atelier KUSHGUL
instagram: @atelierkushgul

スクールをつづる:国際編3 留学生コース担当・表講師インタビュー「手織りをつなぐ」

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編をお届けします。第3回は、海外からの留学生向けに初心者コースと絣コースを英語で教える表江麻講師のインタビューです。自身の海外経験、テキスタイルとの出会い、KTSで手織りや絣を教えることの思い、留学生との出会いから影響を受けたこと、スクールから見える国際性について語られた内容をお届けします。

エストニアのTartu Art College(現在はPallas University of Applied Sciences)でKTSについてのプレゼンテーションをする表講師 2015年

◆  暮らしが豊かになるものを作る

表講師は2009年にKTSを修了後、スクールのアシスタントに。同年、スクールが海外向けに「ビギナーズ」と「絣」を英語で教える「留学生コース」を設定したタイミングで、留学生の授業を山本講師と共に担い、国際コーディネートも担当することになりました。

自身も海外で暮らした経験が2度あります。最初は、子どもの頃にアメリカで。現地の公立の小学校に通っていた時、英語はアジア人である自分が周りと対等に交流するのに必要な手段だったそうです。次は、京都精華大学に在学中、交換留学でフィンランドへ。美術を幅広く学びたいと思い洋画を専攻し、留学先でやりたいことが少しずつ見えてきました。「テキスタイルを専攻している友人たちが、『使う』『着る』という明確な用途のあるものづくりをしていて制作に対するアプローチに魅力を感じたことと、明るいテキスタイルを室内に使って暗い冬を過ごすなど布が生活の中に溶け込んでいて、暮らしが豊かになるものを作るのが素敵だなと思ったんです」

日本が本場の技術を日本で学びたいと思い、大学卒業後にKTSへ。「年齢、国籍、経歴問わず、学びたい人に対してオープンなKTSがあったからこそ、好きな技術を身につけられました」。色の組み合わせと直線で考える、制約がある中でのものづくりが好き。作家活動で着物制作をし、スクールで海外からの学生に手織り技術を教える。いま、日本のことを世界に伝えるという、目指していたことが実現できている実感があるといいます。

◆  世界中の織り手との出会い

母校が職場になり、主に海外から学びにくる人たちに教えて約10年。少人数制で、確かな技術を教えるスクールの方針に加えて、自身としては「学生にとっていい経験になるように」、「自国に帰ってからも一人で織れるように」心がけてきたそうです。「授業では、緯糸を織り込む角度や密度を安定させるなど美しく仕上げるコツを教えています。学んだことを帰国後に生かしてもらえたら嬉しいです」。

スクールから見える、世界の距離感があります。「織りをする人は、手仕事が好きで根気強い人が多いのではないかと思います。国や文化の違いがあっても、そうした技術との相性や、手織りに対する価値観の共有など、似たところがある人が集ってくる印象があります」。世界中の織り手との出会いが、教える喜びの一つ。その中で、自身の織りに対する思いに変化が生じます。

◆  絣にとって何ができるか

変化のきっかけは、受講者から「歴史について聞かれることが多い」ことから。「留学生は、技術に加えて、昔は何の道具を使っていたのか、各地域の特徴など歴史的な背景の質問が多いです」。日本の手仕事、その伝統を作ってきた人たちに思いを馳せるようになり、「絣に対する思いが強まり、単に技術を教えるだけではなくなりました」。

そこで芽生えたのは、「技術を継承し、世界中に種まきをしている」という意識。「手織りは紀元前からつながっている歴史のある技術。(デジタル化が主流の)今の時代に、あえて手織りに特化したユニークな学校があり、47年続いていて、そこで学び働いている。時代が変わり消えてしまう技法がある中で、絣という手織りの技術をどうつなげていけるか。絣にとって私は何ができるか、役割を考えています」。

機が百台以上あり、染色室も整備され、織りも染めも専門の先生がいて、寮など設備が整うKTS。この規模で運営し続ける「手織りに特化したスクールがあるのはすごい」と留学生に言われることが多いそう。「海外でも大学のテキスタイル学科が閉鎖された話を聞きます。織りが好きな人が学びに来られる場として、KTSがこれからも息長く存続していけるよう力になりたい」と話します。

スクールをつづる:国際編1 「種をまき、静かに持続する」
スクールをつづる:国際編2 「織りとの関わりの多様性」

スクールをつづる:国際編2「織りとの関わりの多様性」

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編をお届けします。スクールは開校当初から、世界中の手織りを学びたい人を受け入れています。2019年までの直近14年間だけでも、28カ国140人以上の留学生を受け入れてきました。第2回は、近年の国際化の流れについてです。

緯絣を括る

海外からの希望に対して、以前は期間や学びたいことに合わせて個々に対応していましたが、問い合わせの増加に伴い、2009年からは英語で教える「留学生コース」を設定しました。内容は、手織りの基本を身につける「ビギナーズ」と、「絣」の基礎・応用。絣の技法自体は、世界各地に地域色豊かで多様な絣がありますが、日本の絣を学びたいという海外からの需要に応えてのことです。それまでは英語の共通言語でikatと呼んでいましたが、コースを設定してからは日本独自の名称kasuriとして定着しました。

毎年春と秋に定期開催するようになると、受講者の口コミで評判が徐々に広まり、2013年頃から応募者が年々増え続けて毎回定員オーバーとなる状況が続いています。受講者は、初心者や趣味で続けている人から、大学・大学院生、作家やデザイナーなどテキスタイルを仕事にしている人まで幅広く、手織りという共通の目的で世界中から集う方々を通して、それぞれの人生において自分に合った織りとの関係があるとわかります。織物を世界目線で見つめると、個々のライフスタイルや、社会・文化的な背景が多様である分、関わり方の可能性がさまざまに見えてきて、選択肢が広がります。KTSの国際性は国や文化の違いだけではなく、織りとの関わりの多様性があること。それは、手織りに特化した学校だからこそ見えてくる世界です。

スクールをつづる:国際編1 「種をまき、静かに持続する」

スクールをつづる:国際編1「種をまき、静かに持続する」

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編をお届けします。本シリーズでは、創設時から続く国際化の広がりや、担当講師インタビュー、留学生の声など、スクールの織りを通じた国際的な関わりについて紹介します。第1回は、国際化の背景についてです。


HVのアトリエで働いたのち(株)川島織物*研究開発部での勤務を経て、1978年当スクール講師になった礒邉晴美先生。HV SkolaとKTSの架け橋となり、交換留学制度が始まりました。写真は社内報に掲載された、先生によるスウェーデンについての記事。(1975年)

スクールの国際化は、設立の構想段階から視野にありました。美術系大学院のCranbook Academy of Art(米国)など欧米30カ所以上を視察し、織物を世界目線で見つめて独自の土台を作ってきました。開校してからは、基礎から高度な専門技術まで幅広く学べる内容と充実した設備で、海外でも類の少ないテキスタイル教育機関として注目されました。以降、世界中の染織作家や同好者に創作に打ち込む機会と場を作り、海外から講師を招いてレクチャーを行うなどして国際関係を繋いできました。テキスタイルの伝統校HV Skola(スウェーデン)との交換留学制度は、現在も続いています。近年は、海外向けに英語で授業を行う「留学生コース」と「海外ワークショップ」を定期開催。海外旅行グループ用に染色や綴織りなど希望に合わせた講座も行っています。

KTSは、洛北の里山にある手織りの学校。種をまき、じっくり育てるような静かな持続を実践するうちに国際的な知名度は高くなり、かつてここで学んだ方が自国でテキスタイルを教えてKTSのことを生徒に紹介し、今度はその方が学びに来るという世代をまたいだ繋がりも育まれています。手から手へ、人から人へ、まかれた種が着実に世界に広がっているのが、47年続いているスクールの国際面の特長です。

*現・株式会社川島織物セルコン

スクールの窓から 4 「テキスタイルの現場」織下絵

川島テキスタイルスクールの専門コースでは、様々な先生が教えています。専任講師をはじめ、外部からも作家や技術者などを講師に招き、風通しのいい環境を作っています。このシリーズでは、そんな専門コースの授業の一部をご紹介します。(不定期掲載)

本科(1年次)では修了制作の一環として、綴織のタペストリーのグループ制作に取り組んでいます。スクールだからこそ実現する授業として、(株)川島織物セルコンから各現場の専門家を招いて「テキスタイルの現場」講義シリーズを行い、助言を受けながら制作を進めます。初回は、呉服商材のデザインを手がける山中正己さんによる授業「身装・美術工芸の現場から学ぶ『織下絵の講義、綴れ工場見学』」が行われました。

織下絵とは、原画を完成品と同じ寸法に拡大し、綴織を織るための図案を描いたもの。いわば、絵から織物にするための段階を可視化していく作業で、そこで色をどう拾い、どう境界線を引いて、無限の色数をどう整理するか。「正確さと緻密さが重要です」と山中さんは話し、そのポイントや注意点をくまなく紹介、制約の中で質の高いものづくりのための要素が詰まった講義となりました。

(株)川島織物セルコン 工芸棟緞帳制作現場

工場見学では、緞帳の製作現場へ。約20メートル幅の緞帳の織下絵の一部を見た上で、実際に織っている現場を歩きました。各工程が分業になることから、下絵から配色、織り手へと連携するのに綿密なコミュニケーションが大切。「線の引き方、色の分け方一つにもコツがあり、次の工程の人がわかりやすい指示を心がけ、二人三脚で意見交換しながら進めています」という現場の声を聞きました。作品、商品、スケール感の違いから、ものづくりの広がりを知る。共通するのは、細部まで気を配る姿勢。現場でのこだわりや進め方にヒントを得て、タペストリー制作に落とし込んでいきます。

◆ 山中さんにとって織りとは? 「美しさ」

私はデザイン一筋のキャリアで、図案を描き続けて48年になります。最初は絵画の複製でも絵に近づけようとしましたが、織物になる段階や、出来上がった物の美しさに触れる中で、絵にはない、織物ならではの表現があると知っていきました。それは緯糸を一越ずつ織り込んで生まれる力強さや風合いですが、言葉では表しきれない。織物の美しさが好きです。

〈山中正己さんプロフィール〉

やまなか・まさみ/織物主体の工業高校デザイン科で平面デザインを中心に絵画・美術一般を学び、1972年、(株)川島織物(現・川島織物セルコン)入社。商品本部生産部呉服開発グループ所属。入社以降ずっと呉服製品のデザインに携わっており、帯をはじめ、打掛、和装小物などの図案を作成している。

中嶋芳子先生インタビュー「一本の糸から」3/3

 作家としてホームスパンに40年以上、スクールの専任講師としても1979年から継続的に携わっている中嶋芳子先生に、本校の卒業生である山本梢恵ディレクターがインタビューを行いました。3回シリーズの最終回は、織物と時代の距離感、中嶋先生から見たスクールの特長、先生にとっての織りとは、糸から教わることについてお話いただきました。

第一回

第二回

◆  手織りの学びは、生きていく上の手助けに

——先生は、いつからスクールで講師を始められたのですか?

 1979年からです。スピニングを教える講師を探しているという話があった時に、私を紹介してくれた方がいたんです。本科でのスピニングとホームスパンの授業から始まり、ワークショップも担当するようになり、その後、服地を織りたいという生徒さんからの要望があり指導を頼まれる、といった風につながっていきました。

——スクールの開校から6年経った頃。当時の学生さんは何を求めてスクールに来られていたのでしょうか?

 その頃は、織物がそう遠くない時代でした。純粋に手織りをやりたい人が多かったですね。西陣で仕事をしていた人や、その後、八丈島に移住して黄八丈を織るようになった人、ブティックにお勤めの人などいろいろ。それから短大を卒業してから来る人など、時代に応じて学校もそれなりに変わってきたなという印象です。

——確かにそうですね。私も、とにかく織物が好きで続けたいという気持ちで、大学のテキスタイル学科を卒業後に更にスクールで学びました。当時の人たちは必ずしも就職を目指していたわけではなく、習った織りの技術を今度どう生かしていこうか、という雰囲気でした。今は、入学前から就職を考える人が増えた印象があります。それに伴い、学校のあり方も変わってきました。そんな変化について、どう思われますか?

 難しいですよね。このスクールの主体は手織りですが、実際の市場は機械生産が主流で、化学繊維の場合は特に手織りから離れてしまう。その中で、織物の良さを経済活動につなげていくことは大事ですが、効率優先で考えると違う方向になる。スクールで学ぶ人は、目先の生産性とは違う目線を持てるようになればと思います。それがすぐに就職につながるかはわからないけど、生きていく上では何かしらの手助けになるので。今は、生活の背景にある実感があまりにも遠のいている。手織りに取り組むことで、物がどうやって作られ、人の生活がどんな背景で成り立っているかを実感するきっかけになります。それは、ものの本質を見る目を養うことにもつながるのではないかと思います。

「公開工房」でスピニングを教える中嶋先生 1990年

◆  時間感覚を捉え直す機会に

——スクールでの約40年を振り返って、印象深いことはありますか?

 1980年代後半、毛紡ぎの黎明期に先がけてスクールが海外から講師を呼んで、「公開工房」としてワークショップを開催していた時期があります。そこで、オーストラリアから来られたレイニー・マクラーティ先生(Lorraine MacLartyさん)が10年以上、毛の繊維の手紡ぎのワークショップをされていて、私がアシスタントに入ることがありました。レイニーさんは理論的に教える方。私は、それまで感覚的に行っていたので、今までとは異なった見方があると知れたことが刺激になりました。理論は、学ぶ人からすると導入の手立てになる安心があると思います。ただ数字だけでわかった気になっても、現実はその通りにはならない。だから、理論で組み立てることを踏まえた上で、実践における感覚が大事だと私は思うの。

——スクールが開校して47年。ここまで続いてきたのは、この学校だからこその特長があると思うのですが、それは何でしょう?

 年齢や国籍を問わずに、受け入れの間口が広いこと。時代が変わっても、基礎からしっかりと学べる土台は変わらないこと。実際に手を動かして制作経験が積めること。紋切り型にシステムに従うのとは違い、創造していくための時間と空間が存分に持てることでしょうか。

——静かな環境で取り組めるのは、時間感覚を捉え直す機会にもなります。

 学生の中でも、そんな時間の使い方の良さを理解してくれる人もいますね。

——そういう意味では、自然に囲まれたこのスクールは、制作に集中できて、静かに自分と向き合える環境です。

 人生の中で、そんな時間を持つのは大事だと思います。学生を見ていると、2年経って修了する頃には、表情が変わる人も結構います。

——私はこれができる、と自信を持って言えるものに出会うからでしょうか。1、2年でそこまで変われるのもスクールの特色なのかもしれません。学生に向けて、伝えたいことはありますか。

 今の時代は変化のスピードが速くて先が見えず、一つのことを続けること自体、難しい状況があるかもしれません。好きなことを続けるのに、いろんな方向から物事を見ながら進み、長い目で大きな一つの流れとして捉えると道筋が見えてくることがあります。自分の軸を定めて、そこから定点観測するように世の中の流れを見る。時に自分が流されても、流されている自分を客観視できるような状態でいる。そうした自分の基盤があれば楽じゃないかなと思います。

◆織物は考える手立てになる

——先生にとっての織物とは?

 何でしょうね、うーん……、安心。織物をやっていることで気持ちが落ち着くし、共にあるという安心感を得られますね。

——私も聞かれたら困る質問です(笑)。織りは、自分にとって特別なものではなく、暮らしの一部です。

 制作自体、時間も手間もかかって大変ですが、織っている間は没頭できて気持ちいいですね。だから、(コロナによる)自粛期間中でも家にいることがそんなに大変なことではなかったの。

——先生の織物に対する思いは?

 これからも織物が残っていってほしい。人との関わりを含めて、織物はいろんなことを考える手立てになると思うんです。手織物をつくるのには、長い時間がかかります。糸だけをみても、私の場合100グラム分の糸を作るのに、原毛を洗い、乾かしてほぐして、カードがけして糸にするまで何日もかかる。こんなに時間をかけても、同量の機械による紡績糸の値段を考えると、私は何をしているのかしらと思うこともありましたが、もう比較することをやめました。気にしない。今のとても慌ただしい世の中においても、ゆとりを持って眺めることの大切さを糸が教えてくれています。そのこと自体が、私にとっての価値であり、かけがえのないことだと思うので。

——約40年、スクールと共に歩んでこられた中嶋先生。今回のインタビューで、「織物とは共にある安心感」と語ってくださった言葉が、とても深いメッセージでした。手織りに向き合う価値観や、シンプルな暮らしを大切にされてきたことが、ずっと織物の仕事を続けることへとつながっているんですね。
これからスクールを設立50年、60年へとつなげていくために、時代に合った学びの形、変わるものと変わらないもの、スクールの伝統と理念を根底に未来像を描きながら、私たちも歩んでいきたいと思います。本日はありがとうございました。

 このように昔を振り返るのは、私にとっても初めての機会でした。ありがとうございました。昔から今を思い返して、時代の変化を改めて感じました。いくら世の中が大きく変わっても、私は一本の糸から始めたい。

おわり

中嶋芳子先生インタビュー「一本の糸から」2/3

ホームスパンの作家として、スクールの専任講師として、人生の大半を織物と共に歩んでこられた中嶋芳子先生のインタビューの第二回です。ホームスパンの面白さ、ものとの関わりを見つめ直すこと、シンプルな生き方、40代から始めた山登りと、そこから得た独自の織り感覚について語っていただきました。聞き手は、山本梢恵ディレクターです。

第一回

◆ 守備範囲が広い羊毛

——ホームスパンという織物の魅力をどこに感じていますか?

 実用性と羊毛の豊かさです。羊毛は、羊の種類が多くて、敷物などハードなものから肌に触れるソフトで繊細なものまで、作れるものの守備範囲が広い。それだけの材料を提供できる豊かさが羊にはあります。日本では気候や文化の上で、羊の種類を分けて飼うほどの条件が揃っていませんが、羊毛自体は幅広く、自分の制作に合った糸で織れるところが面白いです。

——そこに尽きますよね。

 既製の糸で作ると限られた種類から選び、こちらが糸の方に合わせないといけなくなります。手紡ぎをすると、糸の太さ・細さ、撚りの硬さ・柔らかさ、質感など糸が本来持っている様々な要因を考えて紡ぎ分けられるのが醍醐味です。自分の力量でできるか分からなくても、やってみようと踏み出す。それで上手くいってもいかなくても、チャレンジしたことの結果から学べるので、その面白さが今も続いていますね。

——今やってみたいことは?

 今、服地を織っています。私がホームスパンで衝撃を受けたのは、蟻川先生の服地の個展で見た、もののボリューム、布としての有益さ。通気性や弾力性があって、軽くて着やすい、といった服としての必要条件が揃っている。生地が服へと仕立てられ、次に使えるのが面白い。そんな服地を作りたいと前から思っていたけれど、取りかかるには時間が必要。今は以前よりも時間ができて、昔に買った材料もある。年齢的に体力の限界もあるので今やらないと、と思って注力しています。

◆織物を通して素材、歴史や社会の動きに目がいく

——暮らしと織物は密な関係にあると思っていますか?

 そう思っていますが、今は身に着けるものでも天然繊維が少なくなり、織物よりもジャージやニット系が多いじゃないですか。変化のスピードが早くて、これからどうなっていくのかと考えます。

——環境のことも頭に置きながら作品作りをしている?

 織物、特に天然繊維は環境に密接に関わるので、すごく考えますね。特に天然ものは、お米のように年に一度しか収穫できないものが多い。羊の毛も日本だと毛刈りは年に一回。麻や綿も収穫時期がある。対して化学繊維は石油などから作られるので、季節や気候とは関係なく製造できる。便利な一方、それで占められることに懸念があります。日常生活において、人間が自然との距離を広げていくことになり、それはよくないと思うんです。

——そう思いますね。

 日々関わっている衣食住の全てが自然から生まれていて、限られた単位でしか作れないと実感できたら、ものを大事にする気持ちが生まれると思うけれど、今はそうじゃない世の中だと思う。ものとの関わりを繊維を通じて学び、感じてもらうことは大事だと思っています。たとえば絹やウール、綿、麻の材質や肌触り。着る機会があればその気持ち良さがわかるけれど、それが遠のくと興味を持たなくなる。

——スクールの授業では天然繊維を主に扱っているので、その良さと大切さをじんわり感じてもらい、ものとの関わりを見つめ直す方向につながればと私も思っています。中嶋先生のそうした意識は、織物に携わる中で深まっていったのですか?

 そうですね。制作の過程で、自然と材料にも興味を持ちます。どんな経緯で、どんな人たちが羊を育て、現状がどうなっているかというように織物を通して材料から、歴史や社会の動きへと視野が広がります。作っていくことは楽しいし、嬉しい。その一方で難しさも見えてきます。

織り上げたばかりの服地

◆身の回りをあっさりと

——先生がずっと織物を続けてこられた基軸はありますか?

 とにかく好きだからです。そして、あまりいろんなものを背負い込まないようにしています。物を持つと維持に気を配るなどエネルギーを使うので、なるべく身の回りをあっさりしておく。自分なりの価値観があると楽ですね。私は、京都の昔ながらの長屋に住んでいます。そこは3部屋しかなく、一番広くて6畳間。機を二台置いていて、その機と川の字になって寝ているの。そんな作業場のような空間で生活していても、私にとっては不足がない。それで満足できる。それが嫌だったらお金を貯めてアトリエを作るけれど、そのために働く時間を割くのも嫌なんです。時間のある限り織物に費やしたいから、あるもので何とかやりくりできたら、それが一番いい。

——自分なりの価値観は、いつから見えてきたのでしょうか?

 織物と並行してできていますね。織物が形を成していくと同時に、世の中をその時々の目で見ていくと、人それぞれの生き方がある中で、自分はこういう形でものづくりして一生過ごすのがいいと思えるようになりました。作ることが自然と教えてくれる。自分なりにやりたいことをして過ごせているので、これでいいと思っています。

◆織りと山と、最小単位から無限の広がりへ

——時間の速さの尺度でなく、作る過程において時間をかけることの豊かさやゆとりは、すべて自分に跳ね返ってくる。そんな根本が織りにはありますね。さて、中嶋先生を語る上で山登りは外せません。40代で始めたそうですが、織りには体力も必要と見越してのことでしょうか?

 動機は、遊び(笑)。ただ面白いから山に行く。それまでは体力に自信がなくてね、結果的にはよかったと思います。織りは仕事で山は遊びですが、どちらも一生懸命、好きな気持ちがあってこそ続いています。

——山の面白さは?

 日常を忘れて、歩くことに集中する。そうしないと危険な場所もあるので。織りは神経を使うので、神経を休ませてあげるために山に行くのもあるかもしれないです。

——織る時は家に引きこもるので、内と外の活動はバランスがいいですね。

 織物は経糸と緯糸が交差する、最小の単位から始まる小さな世界。山は広くて、自然のスケール感が全く違う。景色を眺めていると、自然の力の計り知れなさを実感します。二つは、私の中でつながってくるんです。織物は、織機の大きさによって幅が決まるので、物理的には有限なもの。ですが、布地として構成される、小さく組み込んだ組織そのものは、果てしなく広がる感覚になる時があります。布は、その中で切り取られた一部というイメージ。織物には、小さな世界から無限の広がりを感じられる面白さがあると感じます。

——先生は、ワークショップを終えた翌日に山に行かれたりして精力的です。そうして気分を変えることも大事でしょうし、行った先に疲れを超える何かがきっとあるのだろうと思います。そんな生き方は魅力的です。

 山歩きを続けていると、以前は同じコースをもっと早く歩けたのに、足場の悪い所を何の恐怖もなく歩けたのに、と気づいたりして体力が落ちていくのがわかります。山も織りも体力が必要。ホームスパンは特にそうです。山は体力がなくなると行けなくなりますが、織物は続ける中で小さな気づきがいくつも重なってきて、自分がやっていることの後押しをしてくれます。

第三回(最終回)へつづく(2020年10月20日更新予定)