沖縄・染織を訪ねる旅 本科 前田敦子

8月1日から11日まで、夏休みを利用して沖縄へ染織を訪ねる一人旅に出かけました。  
伝統の染織に興味があり、現在も数多くの染織が残る沖縄で見聞を広げるのが目的でした。また、自分は将来 手仕事の織りに携わっていきたいと思っているけれども、染織を仕事としてやっていけるのか不安がありました。 沖縄ではどのようにされているのか、それも知りたいと思っていました。  

結論としては、仕事として染織をやっていくのは、一個人としては大変難しいことですが、手仕事を続けていく ことは、これからの日本にとって非常に価値がある、ということを感じました。  

8月1日(月) 関西空港→石垣島へ 移動日  
那覇へ向かう飛行機の中、隣席の沖縄出身の年配の女性と知り合いました。私が 染織の勉強に来たというと、「知り合いが染織に関係してたと思うから、本島にきたら私に電話してみて。」 と電話番号を教えてくれました。早速沖縄の人情に触れた思いでした。

8月2日(火) 石垣島「からん工房」「みね屋工房」へ  
今回の旅はバスの旅。「沖縄は車借りないと大変だよ〜。」という先達の言葉を早くも実感しながら少ない本数のバスと タクシーで、川平の「からん工房」へ向かいました。     
  
「からん工房」は、グラスボートが行き交う美しい川平湾を臨む高台にあり、深石美穂さんが主宰です。ここだけの織りである「川平織」は、工房周囲に自生する植物で染めた絹を、絣と花織り(浮き織り)などの技法で織った織物です。  

絣が一番時間がかかるということでしたが、染めたからといっても気が抜けないものでした。緯糸の色を5〜6種類も変えながら花織りを入れ、さらに深石さんは絽織りも入れるのです。熟練の手技! 深石さんは、5月に京都の大丸で行われた染織展にも出品されていたということで、そのときの作品写真を見て私は、展覧会を見逃したことをとても後悔しました。染織展の表紙も飾ったその着物は、輝く薄紅色と薄紫色で、絽織りと花織りの市松がかわいらしい、美しくて心おどる作品でした。

「からん工房」から石垣市内への帰り道、「みね屋工房」というミンサー織りの店に立ち寄りました。 ミンサーとは「綿」「帯」という意味で、竹富の五つと四つの四角「いつ(五)の世(四)までも」という柄がよく知られている木綿の帯です。ふつうは絣ですが、「みね屋工房」では花織りで柄を表していました。

入り口には沖縄ならではの染料用植物、 「福木(ふくぎ)」や「紅露(くーる)」が展示してありました。ここで私は携帯電話のストラップを作る体験をしました。平織りに花織り用の 糸綜こう(花綜こう)を使った織りを入れていきます。ほんの少ししか織りませんでしたが、模様の浮き出る仕組みを少し理解できました。
 

その後、同じ体験をしていた一人旅の女性にさそわれ、石垣島を一周しました。写真は沖縄の長命草という野菜とゴーヤを使ったランチです。長命草は、かいだことのない良いにおいの草でした。

8月3日(水)〜7日(日) 竹富島「竹富民芸館」へ  
翌朝、近づいている台風9号を心配しつつも、竹富島へフェリーで向かいました。司馬遼太郎も泊まったという高那旅館 (私はユースホステル利用)を拠点にし、「竹富民芸館」を訪ねました。

「竹富民芸館」は、竹富町織物事業協同組合もかねており、組合員のみなさんがそれぞれに来て織物を織っているそうです。私が行ったときは、理事長のご家族が暖かく迎えてくださいました。お父さん、お母さんが毎日民芸館を運営し、京都で織物を勉強された娘さん、そのお子さんたちまでもが織物をしていました。子供たちは夏休みの宿題だったようですが、いつもお母さんやおじいさんおばあさんの織りを見ているせいか、職人のような音で織っていて感心しました。

竹富島では芭蕉布、麻布、グンボウ(経が木綿で緯が苧麻の交織)、ミンサー、上布などを作っています。麻布や芭蕉布は、植物から糸を作るところからされていて、詳しくお話を聞くうちに、大変さがよくわかってきました。苧麻や芭蕉、絹は昔から家庭でつくられていたようです。本土とは逆に木綿はとれず、昔は高級品だったそうで、島の蒐集館にあった偉い人の服も木綿でした。庶民は絹のふんどしなどをしていたそうで、おもしろいなと思いました。

私が行った時、台風が本島を直撃していてなかなか動かず、西表島に行くことをあきらめました。石垣島で台風がすぎるのを待っても良かったのですが、都会よりも何もない竹富島が楽しくなったので竹富島で台風をやりすごすことにしました。

台風の間、苧麻から繊維をとって糸を紡ぐやり方を教えていただきました。まず苧麻(竹富では「ぶー」と言っていました)を刈り取り、葉を上からしごいてぽきぽき取ってしまいます。
次にくきを折って皮を裂き、親指を入れて外の皮をはぎます。この皮を使います。
  

皮はしばらく水につけます。その間に固いススキのようなクロツグの葉を利き手の親指に巻き、ステンレスの板を用意します。皮の外側を上に向けてステンレス板の上におき、折り曲げると良い音がして固いところが折れます。そうしたら力を入れずにすーっとなぞるだけでいらないところが浮いてとれていきます。いらないところが取れたらもう一度クロツグを巻いた親指とステンレス板で繊維をはさんで引くと、ぬるぬるの不純物が取れて、完成。うまく行けば真っ白な繊維がとれます。できた繊維はいつでも根の方と上の方をそろえておくのが大事なようで、糸つむぎのときにもいつもそろえておいてありました。

教えてくれた方がやると、おもしろいようにできていく繊維も、私がやると全然いい音がしないし、いらないところがきれいに取れません。練習すると少しはうまくなったような気がしました。
できた繊維をもらって、宿で借りた簡易機で小さい物を織ってみました。
  

宿でも親切にしてもらい、とてもそっくりな実芭蕉(バナナ)と糸芭蕉の違いを教えてもらいました。葉の付け根の色と、茎の太さが違うそうです。太さはよくわからなかったけど、付け根の色は、バナナはピンクで糸芭蕉は緑色でした。

「竹富民芸館」には毎日通っていろいろ教えていただきました。繊維を一本の糸にする方法は、経と緯の糸で違っていました。経糸はでこぼこが少なくなるように、高度なつなぎ方をします。糸をつなげたら糸車でよりをかけます。つなぎ方が下手だと、よりをかけているときにすぐとれてしまったりして大変です。よりをかけすぎても糸が切れるので、これも難しい作業でした。着尺を作るほどの糸を作るまでにとほうもない手間がかかっているのが分かり、このような織物で採算をとろうとするのは無茶だなと思いました。昔は自分たちの家族のために、心を込めて作っていたのでしょう。

竹富島ではこの他にもたくさんのことを教わりました。宿でも神戸から来られたご家族と一緒に夜釣りに連れて行ってもらったり(サメが釣れました!)いろいろな体験をさせてもらい、帰る頃にはここに住みたくなるくらいでした。都会のような楽しみは何もないけれど、人との交流が深まるにつれて楽しみも増えていきました。
 
8月7日(日)〜11日(水)本島
本島1日目は移動日で、竹富島のまだ行ってなかった星砂の浜や、貝殻のアクセサリーの店(泊まりの人なら、夜光貝細工ができたそうです。もっと早く知っていたら•••残念!)などに行った後、夜に本島へ飛行機で移動しました。泊まったゲストハウスでバスを調べると、知念花織りのところは名護に向かうには通りにくい、浦添織りと読谷に寄ってから名護に行くことにしました。

このときのゲストハウスは思い出深いです。千円と安くてオーナーのおばさんも親切でしたが、洗面所とシャワーが地続きで、間にカーテンもないので、置いていた着替えがぬれてしまいました!自分が水をかけたのか、前の人の時から水がたまっていたのかわかりませんが、あのシャワーだけはもうこりごりです。
  
次の日は朝早くからバスターミナルに向かいました。ゲストハウスを出るときに朝ご飯を食べていたおじさんに、小さいマンゴーをもらいました。普通の四分の一サイズですが、完熟しているそうです。非常食になりました。

バスでまずは浦添です。浦添では絹から織物を作ることを近年始めたそうで、市を挙げてがんばっているそうなのです。が、20分ほどバスに乗り、降りたものの工房に電話がつながらない。悩んだ末に浦添市役所に電話してきくと、なんと月曜は休みとのこと。事前にインターネットで調べてはいたのですが、違うところを見ていたようでした。もうやっていない工房なら削除してほしい!と今更言っても仕方がないことです。またバスに乗り、読谷へ向かいました。

読谷
読谷では花織りが有名です。バスを降りて、そこから少し距離があるようなのでタクシーに乗りました。伝統工芸センターでは着物や帯、ティサージ(手巾)などの製品が展示してありました。やはり絹が、光っていて模様も細かくきれいでした。案内のお姉さんはあまり細かいことはご存知ないようでしたが、聞いたところによると難しいのはデザインであるとのこと。やはり計画が一番大事で、大変なのだと分かりました。

センターでは作っているところは見られなかったので残念でした。近くにある座喜味城跡は世界遺産で、その隣にある歴史博物館には古い織物もあるとのことだったので、歩いて向かいました。

坂道を、大きな荷物を持って歩きました。台風がすぎてからはとても良い天気で暑かったです。坂を登りきり、もうすぐ着くかな?というところで、最初に乗ったタクシーが通りかかりました。笑顔で「乗れ」と言うので、(バス停に戻るんじゃないけど、私、山を登っているところだから分かってるよね?そして、無料ですか?)と思いながら乗りました。案の定、親切なタクシーの運転手さんは、私がバス停に戻ろうとしていたと勘違いされていたようでした。結局城跡までほんの少し乗って、お金はとられました。さらに、歴史博物館は定休日!!月曜休みにたたられた一日です。がっかりしながら、城跡だけは見ました。落胆が少し癒えるくらい、とても美しい景色や石垣の遺跡でした。

タクシーに無駄に乗ってしまったので、バス停までは歩くことにしました。坂を下っていくと、現在地の案内板が。そしてそこに「読谷山花織り工房」の文字を発見。だめもとで行ってみました。ここかな?と思うところがあり、私を家出人と間違えた工事現場のお兄さんたちに確認すると、確かにそうで、「入って聞いてみたら見学させてくれるんじゃないの?」と言うので、突撃取材を試みました。

中にはおばさんが一人だけ。「本当は許可がいるんだよ。」といいながら、他に誰もいなかったので、見学させてくださいました。

花織りの綜こうは、石垣島と違って、経糸を足先で下向きにひっぱるひもがつけられていました。多い物では10本も!順番は頭で覚えているそうです。おばさんは模様を間違えたと言って織りを戻しているところでしたが、織るよりもさらに大変な作業のようでした。

喜如嘉
バスで1時間半ぐらいで名護に着きました。午後は喜如嘉の芭蕉布会館に行くことにし、電話してみると、この日は午後から台風の片付け作業で工房はお休みとのことでした。とことんついてない…と思いながらもそこ以外の目的地は月曜休み(また!)だったので仕方なく、お店だけでも行ってみることにしました。

もらったマンゴーを昼ご飯にし、またバスに乗りました。海岸沿いを1時間半で、静かな集落につきました。竹富で教えてもらった糸芭蕉がたくさん植えられていました。
芭蕉布会館は小さな建物で、受付の方が芭蕉の糸を作る作業をしておられました。声をかけられて、ビデオを見せてもらいました。

短いビデオと長いビデオがあって、長い方を見ました。あこがれの平良敏子さん主演です。芭蕉布は想像以上にたくさんの、気が遠くなるほど大変な作業工程がありました。最初は繊維をとることから始まりますが、一人ではできません。一反分の着尺に200本の芭蕉が必要です。芭蕉の茎は層になっていて、着尺に使う柔らかい繊維は、一番内側です。その繊維を固さごとに精製し、染色し、織り上げて、さらに洗濯や布引きをします。私だったら途中で根をあげてしまいそうな大変な作業でした。ふんぱつして一反買って帰ろうかな〜と思っていたのがお笑いぐさで、一反最低300万円!それ以下は偽物らしいです。しかしその理由がよく分かるビデオでした。

ビデオを見た後、別のお客さんとともにいろいろ話を聞いていると、そこへ芭蕉畑から戻られた平良敏子さんが!!あいさつしかできませんでしたが、大感激でした。ここへはまた行って、次はぜひ工房を見学したいと思いました。

名護への帰りは、そこにいた福岡からのお客さんのレンタカーに乗せてもらえ、とってもラッキーでした。

この日はビジネスホテルに泊まりました。大浴場やアイスクリームのサービスなど、前日の宿と比べていきなりお姫様になった気分でした。夕飯はスーパーで買った沖縄のお惣菜です。スーパーは意外に楽しく、「ぐるくんの唐揚げ」「パイナップル黒糖」「じゅーしーの素」など、惹かれる物がたくさんありました。

伊豆味
次の日は朝から大荷物を持ってバスターミナルへ行き、荷物をコインロッカーに預けて、バスに乗りました。染めの工房とお店、「藍風」が目的地です。

前日にホテルのインターネットで調べたバス停に降りて、地図にあったと思われる山道を登っていきました。しかしいくら歩いてもそれらしき標識がありません。とうとう舗装道路がなくなって、細い獣道になってしまったので、電話しました。迎えにきてくれるというので、もとの道に戻る途中、唯一出会った人に聞くと、なんと道が一本違うと言います。かなり違うところを歩いてしまったようでした。迎えにきてくれた藍風の方の車でバス停まで戻って、最初に進んだ道から後ろを見てみると「藍風」の看板がありました。しかし正しい道でも歩くと30分はかかるそうです。

「藍風」はとても山奥にありましたが、建物や紅型染め(藍染めも紅型のうちの一つです。紅は色全般をさすそうです。)、陶器、喫茶店すべて趣味の良いものばかりそろったすてきなお店でした。ご主人の城間さんはもともと紅型職人で、紅型染めをする際に出た材料で陶器も作っておられるそうです。染の工房はとなりにあります。

いろいろお話を聞くうちに、喫茶店が満席になって来ましたので工房で藍を見せていただきました。琉球藍はキツネノマゴ科の植物で、蓼藍とは違い、すくもではなく泥藍から藍建てを行います。その際に泡盛や水飴を入れるのが、沖縄らしいなと思いました。私も藍をかきまぜさせてもらったら、底に砂があるような手応えでした。

最後にお店でストラップなどを買い、また車でバス停まで送っていただきました。城間さんは、途中で道ばたに生えている藍をくださいました。本土でも育つと言ってくださったのですが、私が京都に帰るまでに日数がまだあったので、枯れてしまいました。枯れるまえに葉っぱを押し葉にしておいたのですが、真っ黒な藍の色になりました。

城間さんの藍は、近くに住む伊野波盛正さんのところから買っているそうです。伊野波さんも私のあこがれの人で、伊豆味に工房があるとは知っていました。バス停に行く前に、なんと城間さんが伊野波さんの工房へ連れて行ってくださって、伊野波さんともお会いできたので、とてもうれしかったです。伊野波さんも平良さん同様かなりのお年ですが、現役でがんばっていらっしゃいます。

伊野波さんの工房についても城間さんが説明してくださいました。琉球藍は植物をプールのような大きな水槽に入れて3〜4日で近所から苦情がくるほどの悪臭がしてくるそうです。蓼藍は半年ぐらいかかるところ、琉球藍は4日で発酵するそうです。水槽では藍は浮く力が強く、浮いている植物の上を歩くことができるときいてびっくりしました。伊野波さんの泥藍は、平良敏子さんをはじめ、名だたる方たちがみんな使っているそうです。まだまだがんばっていただきたいものです。

伊野波さんの工房の隣は、連絡先がわからなくてあきらめていた真栄城興茂さんの工房で、びっくりしました。城間さんのご紹介で、少しだけ見せていただけました。真栄城さんは、親子で藍を作って藍染めをしたり、他の植物でも木綿や絹を染めをしたりして織物を織っていらっしゃる方です。私は息子さんの興和さんにお会いし、お話を聞くことができました。機にかかっていたお父さんの織物は青と黄色のきれいなグラデーションで、人間国宝、徳田八十吉の九谷焼を思い出しました。また今度は事前に連絡をして、ゆっくりと教えていただきたいと思いました。

バスまで時間がたくさんあったので、オープン喫茶でぜんざいを食べました。沖縄のかき氷で、250円から300円ですが、雪のような氷の下には、金時豆を甘く煮たものと白玉が入っているというとってもお得なおやつです。本土のかき氷もこれにしてほしいと思いました。
 
この日、2時間かけて那覇に戻りました。宿はゲストハウス「グレイス那覇」1500円。とてもきれいなゲストハウスで、4人部屋でしたが私しかいなくて、ちょっとさみしいけど快適でした。

首里

この日は、川島テキスタイルスクールの先輩に首里織りの案内をしてもらうことになっていました。フロントで時間まで待っていると、カザフスタンの男性2人に話しかけられました。2人は私に紅茶を入れてくれ、食べていたカザフスタンの朝食をすすめてくれました。スーパーの袋に直接入れられた粉は、粉とバターと砂糖を混ぜたものだそうです。二人は沖縄空手を有名な先生に教わりにきたということで、沖縄空手は型(かた)が難しいと言っていました。

スクールの先輩に車で拾ってもらい、まずは首里織り研究センターへ。最初の飛行機で知り合った人に紹介された人が、なんとこのセンターの偉い人だったことが分かり、びっくりしました。

「首里織り」とは、「こういうもの」と一言で言うことは難しいそうで、花織りやロートン織りなどいろいろな技法があります。琉球王朝では官服などを作っていたそうです。一番高級なのは絣と花織りの混ざった花倉織りで、首里織りを10年以上やらないと教えてもらえないそうです。
  
センターでいろいろお話をきいたあと、てんぶす那覇の工業体験コーナーで花織りの体験をさせていただきました。模様が浮いた、すてきな花織りコースターができました。

首里のあとは南風原の絣会館に連れて行っていただきました。車をとめ、会館の下に立つと、すごい速さで機を織る音が聞こえてきました。二階では研修生と超ベテランの方が絣を織っていました。絣は緯糸のはしに白い点があり、それで柄を合わせているそうです。地の色の杼と絣の杼を使って織っていて、ベテランの人が地の色を織る速さがすごかったです。何事もなければ1週間で一反織り上げるそうです。

近くに大城廣四郎さんの工房があるそうなので、行ってみました。工房では、左右半分ずつ柄が違う花織りなどおしゃれな織物を織っていて、思わず「これ欲しい!」と言ってしまいました。

さらにそこで聞いて、紅型の城間栄順さんの工房へも行ってみました。お向かいに玉那覇有公さんのお家もあって、びっくりしました。工房はみんないそがしく作業されていたので、あまり話しかけられる雰囲気ではありませんでしたが、見ていると、色を付ける筆とぼかすための筆を二本持ち、1〜2人で一反の布に絵付けをしているようでした。栄順さんもちらりとお見かけしました。ご高齢でしたが、お弟子さんたちがお若くて安心しました。あとでやちむん通りでここの藍型(え−がた)ハンカチを買いました。

一日のしめに、首里城近くのアカギの巨木を見にいきました。樹齢2〜300年の大木です。何本かあって、台風にも負けずに立派にたっていました。歩いている途中でおおきな巻貝が落ちているのをみました。

北部の方でも普通に道に落ちていて、人間の食べかすかと思ったけど違うようなので先輩に聞いてみました。するとなんと、沖縄のかたつむりのようなもので、よく道を歩いているそうなのです。沖縄では普通らしいのですが、とても大きいのでびっくりしました。
 
先輩に、那覇のおいしいお店でおろしてもらってお別れしました。そこは千葉の人がやっている「あめいろ食堂」という食堂で、おしゃれでおいしくて元気がでました。それからやちむん通りと国際通りを歩き、ピンクのドラゴンフルーツアイスを買ってゲストハウスに帰りました。
 
沖縄県立博物館・美術館

京都に帰る日、最後に博物館へ行くことにしました。今回の旅の資料である本に出ていた沖縄の着物が全てここにあるからです。全部が展示してあるわけではないので、主に沖縄の歴史を学びました。中でも沖縄戦の様子が一番心に残りました。なんでこんなにひどいことができるのだろうと、怒りと悲しみを感じ、涙が出ました。みんなに知ってほしいです。

見終わって一旦外に出て、沖縄の家を再現した建物を見ている途中に、「そういえば」と思い出してもう一度中に入りました。この博物館には、人間国宝の人が寄贈した着物を着てみることができる「ふれあい体験室」があるのです。そこに行くと、三線を弾いたり本を読んだりしている子供であふれる部屋の一角に着物のゾーンがありました。

週替わりでいろいろな着物が体験できるのですが、今回は宮平初子さんの花倉織りがありました。緑に輝く着物に大興奮!さっそくお手拭きで手を拭き、着せてもらいました。琉球の服装は琉装といいますが、最初、日本の着物と同じような形だと思っていました。しかし実際に着てみると、全然ちがうことがわかりました。着物の端はただ折り曲げてあるだけで、織り耳が見えています。帯はせずに、したばきの中に端を入れて着ます。男の人は同じ服に帯をするそうです。宮平さんの布は絽織りで透けていて軽く、形も布も涼しく着る工夫のある服だなあと思いました。

見本帳もたくさんあって実際にすごい人たちの織った芭蕉布や絣などに触ることができます。とても楽しい場所でした。良い思い出とおみやげを持って京都に帰りました。
 
今回の旅は空振りに終わったこともたくさんありましたが、それ以上にいろいろな人に助けてもらった思い出が残りました。沖縄は人と人がつながっていて、紹介してもらったりして様々な工房を見学することができ、みなさん沖縄の美しい自然の恵みを受けて物作りをしている様子が分かりました。ただ、芭蕉布や紅型など、見てきた染織ほとんどが、今偽物に困っているそうです。そういうものを売るのは沖縄の人ではなく本土の人だそうです。偽物で一時もうけても、本物がなくなってしまい、将来的には偽物も意味がなくなるでしょう。そういうことを考えて、偽物を売ることはやめてほしいと思います。
 
染織は、時給に換算してしまうと絶対つりあいません。しかし時間とお金を交換することに何の意味があるのだろうという考えがわきました。それよりも自然のありがたさ、手仕事の楽しさと大切さをこれからの日本人は見直していくべきではないでしょうか。自然と手仕事を忘れてしまうのは、大きな損失だと思います。沖縄の旅により、手仕事のすばらしさとこれから私がすべきことが見えてきたような気がしました。
 
今回の旅の資料「「沖縄染織王国へ」(與那覇一子 新潮社)「琉球布紀行」(澤地久枝 新潮社)

美山 ちいさな藍美術館見学 本科 山本李江

7月22日に「かやぶきの里」として有名な美山町北村へ行ってきました。

この山に囲まれた小さな集落に、藍染作家の新道弘之さんの工房があります。
工房は「ちいさな藍美術館」として公開されていて、新道さんの藍染工房や作品、
世界中で収集した藍染めの資料を見ることができます。

展示されている資料は作られた国や技術、目的、年代の様々で藍が古くから
世界中の人々に親しまれてきたことが分かりました。

新道さんのお話の中で「小豆3つ分乗る布は捨てない」という言葉が印象に残りました。
私の祖母も端布や着なくなった服を大切に保管し、
それらをつなぎ合わせて敷物を作っていたことを思い出しました。

布は本来、無駄な部分はなく、
いろいろな物に形を変えて生活を支えてくれるものなのに、
私はそれに気付かずに布を無駄にしてきたなと反省しました。

また、藍染めの体験をさせてもらいました。
藍瓶から出したばかりの時は緑がかっていた布が、
空気に触れると徐々に青くなっていく様子に感動しました。

新道さんの作品は現在、神戸ファッション美術館で行われている
『インディゴ物語 藍が奏でる青い世界』で展示されています。
新道さんの作品をぜひ見に行こうと思います。

大丸京都店 椅子張り生地&壁面装飾が出来るまで 専攻科 須田奏

大丸京都店の高倉通側出入り口付近にあるエレベーターホールの椅子張り生地と壁面装飾を提案させていただきました。設置も完了し、5月19日からは実際に使われています。実際に使ってもらうためのテキスタイルを作るのは初めてだったので、完成するのに思ったより時間がかかってしまいましたが、とても良い勉強になりました。

最初、このプロジェクトは修了制作の課題の一つとして取り組んでいて、
次のような事を考えていました:
・岐阜のY’s Textileにお願いして初めてジャガード織の生地を作った直後だったので、その経験を通して学んだ「立体的な布を作ること」と「様々な組織を隣合わせに織れること」の面白さを取り入れたい。
・ジュエリーや化粧品などの華やかな女性の雰囲気が香り立つ売り場と同じフロアのエレベーターホールなので、フェミニンな柔らかさと上品さも表現したい
-既定の木椅子の座面と背面で違う生地を使い、背面には実用性よりも装飾性を重視した生地を使っても良いのではないか。
・椅子の背面生地と壁面装飾に同じ生地、もしくはパターンを取り入れて部屋全体の統一感を出したらどうか。

これらの考えを基に、水玉で構成されたバニラのような生地を作りました。収縮糸を使って立体感を出しつつ、強い組織で織る事で、椅子張り生地として使える強度を保っています。椅子の背面と壁面装飾にはオーガンジーや和紙で織ったものなど、柔らかい生地を使うことを考えていました。今年の3月に行われた修了展ではこの時点での案を展示しました。

個人的にこの白い生地はとても気に入っているのですが、今振り返ってみると、これは単に自分が作りたいものを作った結果である気がします。十分に「大丸京都店のための生地」ということを意識しないで作ったということが大きな反省点です。


最初の提案の図。背面に和紙を織り込んだ生地を使っている。

この案を大丸の担当者の方にお見せしたら、案の定「京都にある大丸であることを強調して欲しい」ということ、「背面用にもっと強度のある生地を提案して欲しい」とのフィードバックをいただきました。これを受けて、改めてコンセプトを見直そうと決めました。そして「京都」と「大丸」の共通点について考え、双方が「芯を持ちつつ変化を続けている」という考えに至り、「変化」と「芯」の2つのキーワードを念頭に、「peacock」の柄を作りました。

大丸のロゴであるクジャクのイメージを用いて、デフォルメしたdaimaruの「d」が少しずつ変化しながら絡み合っています。色彩でも孔雀を意識しています。

バリエーションを付けるために色換えも作りました。
その際には次の事について特に考えました:
・エレベーターホールの空間の広さを考え、圧迫感のない色合わせにすること。
・空間と視覚的に繋がっている店舗との兼ね合いを考慮し、モダンな色彩にすること。

ここまでの成果を再度、大丸の担当者の方にお見せしたところ、
実用性に関するご指摘をいただきました:汚れやすい・汚れが目立つような薄い色の生地では困るということ、それと同時に暗い色ではない方が良いということ、そして隣接する靴売り場に置かれているシャンパンカラーの重機に合う色を考えてみてはどうかという内容でした。

デザインに関しては野田先生に相談に乗っていただき、椅子の座面と背面の両方に「peacock」とその色違いを使い、これらを好きに組み合わせられるようにする事を決めました。このことを意識して、新たに「peace」、「grape cider」、「hakka」の3つの色違いパターンを作りました。どれも薄すぎす、濃すぎない色を目指し、どの色同士を組み合わせても良いようにしました。


peace


grape cider


hakka

この4色分全てのサンプルをY’s Textileで織って頂き、汚れに強いポリエステル糸を使うこと、そして広い面積ではなるべく強い組織を使うことなどを教えて頂きました。そしてサンプル織りを全て大丸の方に見て頂き、壁面用の装飾と椅子の座面生地は「peacock」、背面生地は「peace」に決定しました。

壁面装飾については、立体的に作りたいと思っていましたが、具体的な作り方やデザインは採用される生地が全て決まってから考え始めました。
コンセプトは、椅子張り生地と同じ「変化」と「芯」で、これを違う方法で表現しようと決めました。そのためには、波打つ水面のような動きが良いと考え、様々な形の「波」を使ってサンプル作製をしました。


仕掛けが分かりにくい三角柱の波と、大きく動く円柱の波との間で迷いましたが、変化が大きく分かりやすい円柱を使うことに決定しました。そして、装飾の小口部分の扱いや、具体的に使う素材や寸法のことなどを大丸の方と相談させて頂いてから制作にとりかかりました。

作り方について野田先生にいろいろと教えていただいたのですが、やっぱり綺麗に作るのは難しいなと改めて痛感しました。

今回の制作を通じて、実際の使用に堪えるものを作ることの大変さを学べました。特に、自分が感覚的に良いと思うものと実用性を考慮した場合に取り入れなければいけない要素との兼ね合いは難しいことだと感じました。そして、自分が納得のいくものを作れるようにきちんと情報収集をしたり、周囲の人に助けをお願いしたり、相談にのってもらうことも自分の仕事の内だと学習しました。とにかく初めて体験することがほとんどだったので、戸惑う事が多かったのですが、最終的にはいろんな方に「良かったね」と言っていただけました。学校では、自分のやりたいことや目的に向かって制作をしていますが、この制作を通して、私の自己表現のためではなくて、人に喜んでもらえるものを作ることの楽しみも少しだけ味わうことが出来たと思っています。

テキスタイルの現場 本科 坂口美幸

大高亨先生(京都造形芸術大学準教授)の5回にわたる授業がありました。
組織や色彩、世界/国内のテキスタイルデザインのこと等を教えて頂きました。
講義だけでなく布のサンプルを見せて頂き、実際に触れることが出来たので、
より理解を深めることができました。

最終日は現場見学に行きました。
今回お邪魔したのは、プリント会社3件とプリーツ加工会社、
有線ビロード会社の5件です。

まず、叡山電鉄八幡前にあるデジタルパレット芝山さんへ。
こちらでは環境に配慮したインクジェットプリントを行っていました。
インクジェットプリントは、広い場所が無くても簡単にプリントが出来、
一品物に適しているそうです。
布に前処理をし、プリントします。
プリントした状態では発色があまりよくないのですが、加熱発色させることで
鮮やかな色に変化します。
色が変化するのは、布に前処理をしているからだそうです。
Tシャツ一枚からプリントして頂けるそうで、気軽にプリントが楽しめるようです。
現在も新しいインクジェットプリントを開発しているそうです。

次に茶山にある佐藤染工場と太田重染工さんへ
佐藤染工場さんは90年も前からシルクスクリーンという技法でプリントしています。
シルクスクリーンとは、メッシュの張ってある版を使用し、
インクを通したい部分のみメッシュに穴が開いておりインクが通るようになっています。
実際に刷っているところを見させて頂きましたが、一色目が刷り終わってすぐに
二色目に移り、あっという間に刷り上がっていました。
一色目から二色目に移る際に、一色目の色が滲まないのは、
メッシュの細かさと圧力をかけて布に色を入れているからだそう。
ですので、すぐに二色目をのせても問題がないそうです。
メッシュは目に見えないほど小さな穴で構成されていました。
シルクスクーリーンプリントをする上で重要なのはメッシュと繊維の選び方だそうです。
社長の佐藤さんは、とても探究心があり、
現在も様々な手法で新しい物作りをされていました。

同じく茶山にある太田重染工さんは、ローラープリント行っている会社です。
ローラープリントを行っている会社は現在国内で2〜3件のみだそうです。
ローラープリントは約50キロある銅メッキした捺染ロールを用いてプリントします。
会社の中にはかなりの数のロールが保管されており、
チェックや水玉の柄やびっくりするほど細かい柄のものまで並べられていました。
古い物では2〜30年前のものまで保管されているようです。
2〜30年前のものでも現在も使用できるそうです。
ローラープリントは、昔からパジャマの素材によく使用されているようですが、
今後幅広い生地に使用されるようになればと思います。
古くからの手法を現在も行っており、
職人技を必要とされる物作りが今後も残っていってほしいと思います。

午後からは、西京極にあるプリーツ加工会社の三協さんへ
こちらの会社ではISSEY MIYAKEさんのプリーツを作っている会社で、
ウェディングドレスなどの服地から、梱包材などまで幅広いプリーツを作っています。
プリーツ加工は3種類あり、ハンドプリーツとマシンプリーツと
手折りプリーツがあるそうです。
今回マシンプリーツでプリントする加工を体験させて頂きました。
機会はとてもゆっくり動きプリーツを作っていきます。
出来上がった布はしっかりとプリーツ加工がされており、
ちょっとしたことではとれることはないそうです。
プリーツの種類もかなり数多くあり、制服のスカートのイメージが強かった私には、
こんなにもプリーツに種類があることに驚きました。

最後に西院駅からバスで日本ビロード工業へ
ビロードというものは緯糸を織り込むときに間に針金のような細い棒を入れ、
その棒を入れたところを織り上がってから切ることで、毛羽がたつようになっています。
最後の切る作業は職人さんが一本一本丁寧に切っていきます。
実際にやらせて頂きましたが、力の入れ加減や道具の使い方が難しく
うまく切ることが出来ませんでした。
さすが職人さん、一本一本的確に切っています。
ビロードは主に鼻緒に使用されるそうで、
明治頃の鼻緒に使用されていた貴重な資料も見せて頂きました。
昔の鼻緒は色鮮やかで、粋なものばかりでした。
ビロード以外に馬の毛で織ったというものも見せて頂きました。
馬の毛はつやがありしっかりとした贅沢な物でした。

今回様々な現場に行って実際に作る工程を見させて頂き、
布になった状態で見ていたものがこのように作られていることを知る
貴重な一日となったと同時に、自分の物作りの参考になりました。

最新技術から昔ながらの技術までを見て、
こうした技術を後世に残していかなければいけないと思いました。
昔からあるいいものがこの世からなくなっていくことは非常に寂しいものです。
新しいものも取り入れつつ、昔からあるものも大切にしていきたと感じました。

脇阪克二氏レクチャー

11月27日に、sousouのテキスタイルデザイナー、脇阪克二氏に来て頂きました。
たくさんの資料とともに、marimekko、Jack Larsen、ワコール・インテリア・ファブリック、そして現在のsousouでのお仕事のお話をして頂きました。

写真/60-70年代と現在の染料やプリント技術の違いや、リピートのパターンの作り方を説明して頂いているところです

修了生近況7 修了生 松本りん

8/24〜8/29の間、代官山の素敵な布のお店coccaのイベント、「Print Textile Festival of cocca 2010」に作品を出品・販売していました。

coccaは、print textileを扱うお店で、coccaのoriginal textileをはじめ、個性的で素敵なクリエイターの方々とコラボレーションして作った生地など、とっても魅力的な生地やそれらの生地を使った雑貨や衣服を販売しているお店です。
cocca http://www.cocca.ne.jp/

coccaは定期的にtextileに絡めた様々なイベントを開催していて、今回はコンテスト形式でtextile designを公募し、選出された人の作品を展示(一部販売)するという内容のイベントでした。テーマは「ジャパニーズスタンダード」。公募は3つの部門に分かれていて、私が選出いただいたSELL部門の他に、生地の状態じゃなくても、イラストやパソコンデータ出力でも応募できるテキスタイルデザイン部門、オリジナルテキスタイルとそのテキスタイルを使った製品までを企画するプロダクト部門があります。最終的に、350名の応募があったようです。

SELL部門は、選ばれた人自身でオリジナルテキスタイルを10M自作して、それをcoccaで展示販売できるという部門です。私は3柄選出いただきました。選出された3柄は、与えられたテーマ「ジャパニーズスタンダード」に添って考えて、日本・アジアの伝統的な手法である「絣」をテーマに作成したシリーズです。

展示期間中、他の入選者の方々の作品も見ることができ、とても良い刺激を受けました。同じテーマに基づいてデザインしても、それぞれの人で出てくるアイデアや形が様々で、とても興味深かったです。最終日には、入選者・審査員の方々・coccaのスタッフさんで交流が持てる機会を・・・と、レセプションパーティーが催され、様々な分野の第一線でご活躍されている審査員の方々や、意欲的に制作をしている他の入選者の方々と交流が持て、今後に繋がっていきそうな話もできて、有意義な時間が持てました。

これを良いきっかけに、自身のテキスタイルブランドを少しずつ育てていけたらと思っています。このイベントは29日が最終日の予定でしたが、期間を延長して展示販売を続けるそうなので、機会があればぜひ見にいらして下さい。

ジャパンテキスタイルコンテスト スプラウト賞受賞  本科 清水わかな

この度12月に行われた愛知県一宮市ファッションデザインセンター主催のジャパンテキスタイルコンテストに応募し、学生の部でスプラウト賞(愛知県知事賞)と奨励賞をいただきました。
このコンテストには、テーマを「毛むくじゃらのお化け」とし、手織り、ジャガード(機械織り)、プリントという手法で3つの作品を作り応募しました。

この3部作は学校の授業で「袖」のテキスタイルを考えた時、沢山の毛糸をまっすぐ横に並べてみた時から始まりました。とても単純なアイデアですが経糸のラインの美しさに感動し、それをそのまま残した生地を作りたいという提案を先生にも認めてもらい、自信を持って制作に取り組む事ができました。また、毛糸が並んでいる様はまるで何かの動物の様だったので、従来の毛皮やフェイクファーとは違う「毛むくじゃらのお化け」というテーマをしたら面白いなと思いテーマを設定しました。

最初は毛糸を縮絨で固めて生地にしようとしましたが何度サンプルを作っても納得のいくものができず、日数ばかり過ぎていきました。一からアイデアを練り直し、手織りで布を作ってみましたが、これも経糸が毛羽だって上手く織れませんでした。行き詰まっていた時に、夏の研修旅行で行ったジャガード織りの工場を訪ね、機械織りで表現できないか相談をしてみたところ、同じ物は出来ないけれど、同じ様な表現は出来そうだという事でそこにある糸から出来る作品を作ってみる事になりました。

その時出来た布が「YAK」という布です。細いモヘアと黒い接着糸という特殊な糸を緯糸に用いた布で、その黒い糸を細い針で裂くと人間の黒髪の様な表情になり、ちょっと気持ち悪い感じになりました。なるべく糸をとばして織って毛の畝りや光沢を多く出して目立たせ、地を埋め尽くすようにモヘアを織り込みました。チベットの高地にいるヤクの様な色をしていたのでその名前をとり、この布がスプラウト賞をいただきました。

3部作の内2つが賞をいただき、結果にはとても満足していますが、一枚の布として見ればやぱりまだまだ改良の余地はあると思っています。今回最後の最後まで諦めず挑戦した様に、この「毛むくじゃらのお化け」シリーズを納得のいくまで改良をして、修了展で発表できればいいと思っています。