スクールの窓から

「使えるもの」をつくる ディッシュクロス制作

専門コース本科では、4月にディッシュクロスを制作しました。入学してすぐの基礎織りの実習では、サンプル織りを経験。それに続く今回は、4枚綜絖でできる様々な組織に取り組みました。この課題ではディッシュクロスという「使えるもの」を作るので、人にプレゼントしたり、自分で使ったりできるのが嬉しい。きれいに織ろうとモチベーションも上がります。

この実習は織りの復習を兼ねていて、糸繰り、整経、粗筬通し、機がけなどの準備から、織り上げるところまで基礎織りで教わった一連の流れを思い出しながら、できるだけ自力で進めます。そしてサンプルやドラフト図の中から、織ってみたいものをいくつか選んで、綜絖の通し順とタイアップ、踏み順を変えて、バリエーションのある組織を織っていく。そんなドラフト図を読むトレーニングでもあります。

複雑な踏み順の場合は、初めは体の動きもぎこちなくなりがち。そこからリズムよく、かつ踏み順を間違えないように、頭も体もフル稼働させて織るペースをつかんでいきます。間違いに気づいたらやり直し、また進む。そうして学生たちは織り機と仲良くなろうと試行錯誤しながら、イメージどおりにパターンが表れる面白さを知った様子。同じワッフル織りでも、密度の違いで柔らかくなったり硬くなったりする手触りの変化にも気づきます。最後は織り上がった布にミシンをかけて完成。それぞれ異なるデザインの4-5枚のディッシュクロスができました!

本科生は入学して1カ月が経ったばかり。今は織りに慣れるべく精一杯でも、何かが少しずつ変化している様子です。実習を終えて、基礎織りの時より「ミスが減った」「集中力が増した」、「手の癖を知って、自分がどこでミスしやすいかが分かった」「打ち込み加減など、次の課題が見つかった」と話していました。それに「手を動かして織りに没頭することで、以前よりも心穏やかになれている」という自身の変化もあるようです。表情明るく、新たなものづくりの日々が始まっています。

修了生を訪ねて:布づくりからの洋服づくり「のの」長友宏江さん

川島テキスタイルスクール(KTS)の専門コースでは、年に一度、織りを仕事にしている修了生による授業を行っています。2000年度に専攻科を修了した長友宏江さんは、10年に「のの(nono)」というオリジナルブランドを立ち上げ、布をつくり、洋服や鞄、小物の企画、デザイン、製作、販売までを手がけている方です。校外学習として、長友さんのアトリエ兼ショールームを訪ねました。そこで学生の頃の作品や、今実際に販売している洋服や布小物、生地サンプルなどを見せてもらいながら、これまでの学びや仕事の経験を、どう製品づくりに生かしていったのかなど、お話を伺いました。

◆拠点も人生も、DIY精神で

長友さんは2021年2月、それまでの10年間ショールームを運営していた場所を離れて、同じ京都市内の一軒家に新たな拠点を立ち上げたばかり。案内してもらった2階のショールームはアットホームな雰囲気で、壁塗りや床張りなどのリフォームは自ら行ったそうです。その自分でやるというDIY精神は、ご自身の人生にも通じていて、「学生時代に取り組んだことが、今に至るまでずっとつながっているんです」と、長友さんはにこやかに話し始めます。

子どもの頃からつくるのが好きだったという長友さんは、「洋服を仕立てる仕事がしたい」と、まずは服飾の大学へ進学しました。そして「自分でつくった布で仕立てたい」という強い思いのもと、卒業後に家庭科の講師をしてお金を貯めて、KTSに入学。織りと染めの基礎を学んで、自分が純粋に魅かれるものを探し求めた先にステッチの面白さに目覚め、2年目の専攻科では、あえて織りをやらずに、ひたすらステッチの作品づくりに取り組んだと言います。当時身につけた独自のステッチ使いは、現在もカバンや帽子などの製品づくりで生かされています。

綴織の緞帳製織の仕事を経て、その後、母校の大学で助手として勤めながら大学院へ進学。「多重織りの洋服をつくりたい」、構造や質感など「テーマを決めて織る」という目標を持ち、洋服制作を行ったそうです。多重織りの洋服づくりは今も続けていて、学んだことを製品に応用するのに、素材やストレッチの強度、形を変えるなどして、着心地を良くするための工夫をしています。

◆一人でも続けていく

次に求めたのは、編みの仕事。卒業後は生地から企画・デザインして洋服をつくるジャージ製造会社に就職しました。そこで使っていたのは丸編み機という、丸く筒状に生地を編むニットの機械で、中が見えない編み機の仕組みを理解するために、「部品を外し、分解した状態で各パーツをスケッチして、頭に叩き込んでいました」と。そう当時の経験を語る長友さんは、どこか楽しそう。機能や仕組みが細かく記されたページを「結構面白いです」と言って見せてくれました。「針が通る道があり、どこに引っ掛けて編んでいくか、どこで糸を上げ下げするのか。織りも同じですよね。仕組みを知らないと、うまく使いこなすことができないと思うので」

「のの」の製品には、手織りの他に、編み地のものも多く、なかには当時の勤務先で培った技術を自ら展開させたものもあります。長友さんは一枚のショールを見せて、端っこを縫わない工夫を説明。それは勤めていた会社で自ら編み出した方法だそうですが、その後、会社は倒産。しかし、そこであきらめないのが長友さん。「じゃあ、私やろうかな」と、一人でも続けていったそうです。当時、勤務が終わってから夜な夜な取り組んでいたという、たくさんのサンプルづくりも、現在の製品づくりに生かされています。

◆好きなことを続けるために、補う何かを持つ

いま、独立して10年。ショールームに並んでいる製品は、長友さんがこれまで学びや経験を糧にして、幅を広げてきた賜物なのでしょう。オリジナルな魅力にあふれた製品の数々には、長友さんの静かな情熱が込められています。

「ただ単に好きなことをして暮らしたいという、わがままなやつなんです」。そう穏やかに笑う長友さんですが、「安定はしない」という現実も伝えます。とくに、ここ2年近く続いているコロナ下で、展覧会などのイベントが軒並みキャンセルになっている状況。そこで「一つの道だけじゃなく、それを補う何かを持っておく」と再確認したそうです。「私の場合は家庭科の免許を取ったのも、大学院に行ったのも、教える仕事で生活を安定させるためでもありました」。それが、好きなことを続けていくための道、と。

その上で長友さんは、「やりたいことはやった方がいいかな。やらないでいると、たぶん後悔すると思うんです」と、まっすぐに語ります。「大変な状況でも、いろいろ考えればできちゃうもんなんで。あの時、コロナで大変だったからあきらめたというよりは、大変でも、やったって思う方が力になる」

いま、スクールで学んでいる学生たちも、それぞれに昨年からの大きな変化で自分を見つめ直して、やっぱり手織りを学びたい、続けていきたい、という思いで日々、制作に励んでいます。だからこそ、いま、長友さん自身の実感から語られたことは、ストレートに胸に響いたことでしょう。最後に長友さんは、こうエールを送りました。「大変な時期を乗り越えた自分というのが、後々すごく力になると思うので突き進んで。私も突き進みます!」

◆  長友さんにとって織りとは? 「楽しみなこと」

何もないところから、何を自分が選ぶかで形にしていける。織りにしても編みにしても同じですが、縫製など自分が手を加える範囲が狭い状態で洋服になり、織ったまま、編んだままで着られる。そうやってゼロから100まで、すべて自分でやる楽しみがあります。出来上がりを想像する楽しみもあって、想像を超えたものができたりもする。それが面白いです。

〈長友宏江さんプロフィール〉

ながとも・ひろえ/杉野女子大学(現・杉野服飾大学)卒業。家庭科の講師を経て、川島テキスタイルスクールで学ぶ。2000年、専攻科を修了し、織物会社で綴織の緞帳製織に携わる。東京に戻り、母校の大学で助手をしながら多摩美術大学大学院美術研究科へ進学。卒業後、ジャージ製造会社に就職し、ジャージ生地のデザイン・企画・製造を担当。07年から10年まで、atelier KUSHGULに参加。10年10月に「のの」を開業。

website: nono
instagram: @nono_2010.10

スクールの窓から:「好きを信じる、その心を持ち続けるのが基本です!」西陣絣加工師・葛西郁子さん工房訪問

京都が産地の「西陣絣」。その絣づくりを担うのは、絣加工師と呼ばれる職人さんですが、80代、70代と高齢化が進んでいます。いずれ後継者がいなくなる状況を知って職人の世界に飛び込んだ葛西郁子さんは、現在、唯一の若手西陣絣加工師として活躍している方です。専門コース「表現論」の授業で、西陣にある葛西さんの工房を訪ねました。

京町家の奥行きのある部屋。紫と白の鮮やかなコントラストの糸束が、目線と同じほどの高さで、手前から奥にピンと張られています。「経巻きのセッティング中なんです」と、葛西さんは作業の活気そのままに迎え入れてくれました。はじめに、西陣絣加工師について「ザ・絣の経糸をつくる職人」と力を込めて紹介する葛西さん。それは織るでも染めるでもなく、「絣をつくる」に特化した仕事です。日本各地に絣の産地があるなかで、西陣絣の特長は「経糸」をずらす経絣であること。先染めした糸を組み替えたり、ずらしたりして模様を作り出す技法で、全盛期だった1950年代頃は、おもに絣御召というおしゃれ着用の着物に使われてきたのだそうです。

葛西さんは師匠から授かった当時の生地見本を見せながら、西陣絣の変遷や、現在の仕事の流れなどを教えてくれました。「西陣の絣の最大の特色は、高さのある梯子(はしご)という道具に経糸をかけて、縦方向にずらす」と、実際の道具を見せながら説明。「大胆なずらしや、幾何学模様の面白さがあって、私は学生の時に初めて見てショックを受けたんです。何これ!? かわいいし、楽しいし、ずらしのレベルが半端ない。何この角度、うおー!って」。その語り口にも、西陣絣への情熱がほとばしります。

絣の着物制作に励んでいる学生から、「括り」の技術に関する質問が上がると、葛西さんは実際に西陣絣で用いる技法をやってみせながら説明してくれました。1つ聞けば、5倍は返してくれる。一つひとつの手順とコツを、実地に基づいて具体的かつ丁寧に。そんな葛西さんのオープンな姿勢からは、西陣絣を伝えたいという思いと、広い意味での織物に携わる仲間として、学生に接してくれる親身さを感じました。

葛西さんは、着物や帯、能衣装、神社の几帳の制作などの伝統技術を継ぐ仕事のほか、西陣絣を今とこれからに生かす仕事にも取り組んでいます。ファッションの仕事ではイッセイ ミヤケのコレクションに、手がけた絣の生地が4シーズン連続で採用され、パリ・コレクションで披露。2015年からは「いとへんuniverse」という団体を仲間と立ち上げて、西陣絣をつくるだけではなく、その魅力を伝える活動を精力的に行っています。

学生に対して、「がんばろうね、日本のものづくり」と声をかける場面も。織物の業界自体、存続が厳しい現代において、織物を仕事にすることは、たやすいことではありません。それでも、その厳しさを跳ね飛ばすほどの「好きの力」を葛西さんは持っていて、実際に道を切り開いて体現しています。最後に、学生に向けて、こんなメッセージをくれました。

「好きを信じる心が大事。織りがいいなと思ったら、その心をとにかく持ち続けること。これ基本です!好きって思う気持ちが、とにかく、すべてを救ってくれるので。曖昧に聞こえるかもしれないけど、ほんとにこれは事実だと思う。そうやって私もやって来られたし、この仕事にも巡り会えたので。そのご縁で出会えている人たちは面白い人ばかり(笑)。織りを続けていく上で、困ったことがあれば何でも聞いてください」

◆  葛西さんにとって西陣絣とは? 「生きがい」

師匠との出会いで、西陣の絣はすごい!と思ったのが始まり。今は後継者が私一人なので、絶やさないで次につなげていくという使命感でしかないです。何より大好き。寝ている時も糸を括る夢を見るぐらいに好きすぎて、生きがいです。

西陣は基本的に分業ですが、いろんな職人さんと横のつながりがあります。私の仕事でも染め屋さんや整経屋さんと相談して、お互いの次の仕事が良くなるよう、高め合いながらやっています。そんなチームで作っている感覚を味わえるのも、やりがいです。

〈葛西郁子さんプロフィール〉

かさい・いくこ/京都市立芸術大学美術学部大学院修士課程修了後、同大学で非常勤講師として勤務。西陣絣の後継者がいなくなると知って、職人の世界へ。2010年から西陣絣伝統工芸士の徳永弘氏に師事。15年に独立し、葛西絣加工所を開く。唯一の若手西陣絣加工師として仕事をし、「いとへんuniverse」の活動も行う。

website: いとへんuniverse

instagram: @itohen_universe @itohenmirai
facebook: @いとへんuniverse

スクールの窓から:北欧の織りを学ぶ「昔の人の知恵と工夫を感じて」

その世界観に憧れを抱く人も多い、北欧の織り。専門コース2年次の専攻科では、「北欧の織り」の4日間の実習が行われました。講師は「北欧手織りのアトリエ LAILA」を主宰している白記麻里さん。授業では、スウェーデンの伝統的なダマスク織りを学び、自らデザインを考えてプレースマットを2枚織りました。本場ではダマスク装置が付いている専用の機を使って織りますが、その織り機がなくても、スクールにある天秤機に“工夫”を施すことで、ダマスク織りができる。織りの技法に加えてその工夫を学べるのが、この授業の醍醐味です。

ダマスク織りは、表裏で配色が逆の同じ組織で構成。なめらかな曲線やリピート柄など、好きな箇所に自由にデザインをし、複雑な模様が織れるのが特徴です。現代では、経糸を上げる特殊なダマスク装置が付いた織り機が使われていますが、その昔は身近な道具を駆使して織っていたそう。この授業では、昔のやり方に倣った方法で織るのに、天秤機に穴の大きい綜絖を取り付けて、専用のスティックを使います。そうして「昔の人の知恵と工夫を感じていただきたいです」と白記先生は話します。

ポイントは、スティックで経糸をすくい上げる「ピックアップ」という技術。経糸の一部にスティックを垂直に通して、織る、また違う経糸にスティックを通し直して、織る。そうして、1本ないし2本以上の異なる大きさのスティックを駆使することで、織れる柄の幅がぐんと広がります。イニシャルなどの曲線や、複雑なパターンのサンプルを見ながら「こんな織り方ができるのか!」と学生が目を見張っていると、「夢が広がりますね」と白記先生は語ります。

織り機と道具、柄の出方の仕組みを理解しようと頭がいっぱいになっている学生たちに対し、「大丈夫、楽しいから」とにこやかに話す白記先生。学生たちは実際に織り始めると、スティックですくって織って、模様が出る面白さに気づいていき、それぞれに没頭。「もっと複雑な模様にしたい」と意欲が増していき、最終日を迎える頃には、晴れやかな顔でサンプル織りを仕上げていました。

技術を応用し、これまで学んできた織りの経験と結びつけて考えることができるようになった2年目の学生たち。以前に習った組織織りとの違いとして、ダマスク織りは「織っている途中で、模様を入れたい部分にポイントで入れられる」と気づき、また一つ、技の幅を広げることができました。学生の一人からは、こんな声も。「専攻科に進んでから、綟り織りにしても、今回のダマスク織りにしても、天秤機一台で、少しの工夫をすることで、いろんな織り方ができると知りました。織りは、まだまだ奥が深い!」

この授業のポイントである「工夫」は、白記先生ご自身が大切にしていること。スティックの他にも、ゴムや手鏡、透明シートなど身近にあるものを使った工夫のヒントが、授業のなかに散りばめられていました。不便と思ったときに、そこで工夫の余地があるかどうか、ちょっと考えてみる。自分が学んで「へぇ〜」と思ったことや、自ら改良したアイデアを惜しみなく分かち合ってくれた白記先生。「結論として、このピックアップの技術を考えた昔の人はすごい、ということですね。これからの創作活動で生かしてもらえたら嬉しいです」と伝えました。

◆白記先生にとって織りとは? 「戻ってくる場所」

アトリエを開くまでは、仕事をしながら織りを学び続けていました。別のことをやっていても、どこかで織りとつながっていたかったんですね。祖父が織物に関わる仕事をしていて、昔から身近にあったので。私にとって織りは、一時離れても、また戻ってくる場所。学びに来てくれる人の、織りの悩みを解決するのが、私の喜び。人生の節目で織りに救われてきたので、織りを通して人の役に立てたら嬉しいです。

〈白記麻里さんプロフィール〉

しらき・まり/高校時代にホームステイしたフィンランドで、織物に出会う。立命館大学文学部地理学科卒業後、北欧専門の旅行会社に勤務。2003年、川島テキスタイルスクール専門コース本科修了。たびたび北欧を訪れ、現地やアメリカ、東京などで北欧の伝統技法を学ぶ。2015年より、北欧手織りのアトリエLAILA を主宰。

website: 北欧手織りのアトリエLAILA

スクールの窓から:綿花から糸を紡いで織る 奈良・つちや織物所で校外学習

「紡ぐ」という営みが暮らしから遠のいて久しい現代において、和綿を自家栽培し、綿花から糸を紡ぎ、主に手織りで暮らしに使える道具に仕立て、販売までを行っている「つちや織物所」。専門コース専攻科(2年次)では、2日間の校外学習として奈良にある工房を訪ねて、綿花について学び、実際に糸を紡いで小さな布を織る体験を行いました。川島テキスタイルスクールの専門コースには、羊毛を紡ぐ授業があります。ですが、学生にとって綿花を紡ぐのは初めての経験。身近な綿の知らなかった世界の広がりに触れ、学びに満ちた2日間となりました。初日の様子をリポートします。

「畑から綿を収穫し、糸を紡いで、布に織る」までをグループで行う、
「奈良 木綿手紡ぎの会」で制作した布を紹介する土屋美恵子さん

緑に囲まれた一軒家の工房には、作業スペースと織り機があり、この7月には小さなギャラリーを開設。敷地内に染色場、近くに一反(300坪〈600畳〉)の広さの綿花農園があり、この場所で循環できる仕組みを実現している。そんな「つちや織物所」は、織りをする人にとって、まるで理想郷のよう。ここを2006年に開設し、運営しているのは土屋美恵子さんです。

初日はまず、「つちや織物所」の成り立ちについて、土屋さん自身の歩みとともに紹介されました。独学で道を切り開いてきた土屋さんですが、「手元にあるものから教えてもらってきた」そうです。産業の衰退で望みの糸が入手困難になったのを機に、綿花栽培から糸作りをしようと踏みきり、同時に循環できる仕組みを考え、人が学べる場を作ってきました。ビジネスにつなげる道も模索していますが、「まだ非常に難しいです」と率直に語ります。それでも「自家用から作る」。それを継続していくことで、「家事の延長で、人の生活の中に入っていけばいいなと思っています。気の長い話かもしれないけど、暮らしの中に手仕事があるのは素敵なことなので」と話します。

◆難しさも含めて、味わう

そして、手紡ぎの実技へ。講師は余語規子さん。「つちや織物所」で手紡ぎを学び、自身も綿花栽培から実践している方です。初めに機械でシート状にした綿を使って、糸車を回しながら繊維を引き出して撚りをかけることで糸を作る、一連のプロセスを教わりました。頭でわかったつもりでも実際にやってみると、これがうまくいかない。ちょっとした張り具合や力加減で状態が変わります。「最初は難しいです。それも含めて味わってもらえたら」と事前に言われていたので、心のハードルを下げて向き合えます。黙々と取り組む中で、学生の一人はスクールでウールを紡いだ授業を思い出し、「あの時、うまくできないのが悔しくて。その後できるようになって、初めに感じた悔しさが大事だと知った。その初心を今、思い出しました。紡ぐのが楽しいです!」と言いました。

次に、紡ぐまでの工程を体験。綿花にまざっている枯葉の破片などを除き、道具を用いて種を取り、綿打ちをしました。「綿打ちって言葉は聞くけど、この作業のことを言うのか」と目を丸くして見入る学生。作業は弓矢のような道具を使い、弦の部分に綿花を乗せて思い切り弾いてほぐしていきます。実際にやってみると、これが結構体力のいること! 均等にほぐせるまで繰り返し、ビンビンという弦を弾く音が作業空間に響いていました。

ふわふわになった綿をシート状に整え、やっと紡ぐ工程へ。機械で綿打ちされたものと、自分の手でしたものとでは、触感の違いは明らか。繊維を引き出す時に、ボコッと極端に太くなったり、細くなったりと形が定まらない。そんな中でも、綿がスルスルッと手元から引き出せる瞬間があって、糸になっていく快感を味わうこともできました。

◆紡いだ糸で織ると、布が生き生きしている

2日目は、初日に紡いだ糸を腰機で織り、一枚の小さな布を作りました。布になると、でこぼこの糸がハーモニーを奏で、不揃いさが個性に。「糸の凹凸(おうとつ)は工業製品の場合は失敗と見なされます。ですが手仕事の場合は、一様じゃないのが味わいになります。紡いだ糸で織ると、布が生き生きしている印象があるんです」と土屋さんは顔をほころばせます。

繊維を集めて、糸にしていく。そんな「紡ぐ」は「つなげていく」行為でもある気がします。でこぼこでも、たとえ途切れても、またつなげていく。そうして自分の手で紡いだ糸を使って織る喜びはひとしお。学生は、最後まで興味津々に質問をしていました。

じつは土屋さんは、約25年前に川島テキスタイルスクールで染織の基礎を学んだ経験があるそうです。当時の経験を「いろんな世代の方が、それぞれの人生のタイミングで『織りたい』と集う。緑豊かで別天地のようで、そこでは織物のことしか考えなくていい。皆さん一生懸命だし、すごく気持ちがいい場所です。私はスクールで基本を学んで織れるようになったことで、先の見通しを立てることができ、やるぞ!と意欲がみなぎりました」と、生き生きと語ってくれました。

手織りの基礎を学んで、個人の制作活動に打ち込んでいる2年目の学生たちにとっては、糸を紡ぐという原初的な校外学習を通して、これまでスクールで積み重ねてきたことを俯瞰的に見て、新たな息吹を受けた2日間となりました。

◆土屋さんにとって織りとは? 「言葉」

ものは、言葉で説明しなくても自分を表してくれる。そんな考えに触れ、話すのが苦手だった私が、ものづくりを始めたのが20代。時代は変わり、今は作り手も言葉の力を求められる場面が増えました。それでも私の場合は、作品そのものや、紡ぐ・織るという営み自体が、言葉にしきれない私自身を表していますし、それによってたくさんの方との関わりができています。

〈土屋美恵子さんプロフィール〉

つちや・みえこ/1990年、お茶の水女子大学数学科卒業。学生時代に民族舞踊に打ち込み、その衣装作りで布を求めるように。川島テキスタイルスクールで染織の基礎を学び、その後、独学で織りを続ける。2006年、奈良市で「つちや織物所」を開設。暮らしの道具も作り始める。13年からは、綿花栽培および「木綿手紡ぎの会」の活動を始め、綿花から糸紡ぎ、布作りを行っている。

website: つちや織物所

instagram: @tsuchiya.orimono


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スクールの窓から:「課題をやり遂げる自信に」8メートルの縞の布を織る・使う

トントン、トントントン。例年7月、スクールのアトリエには機織りの小気味良い音が響き渡ります。スクールの風物詩のようになっているこの響きは、専門コース本科生(1年次)が取り組んでいる「織実習」で布を織る音。ペースや力加減によって、一人ひとりが異なる織りのリズムを刻んでいきます。使用するのは、ろくろ機。主に着物を織るこの和機を使って、着物と同じ幅で長さ8メートルの薄地の布を織り、同じ布で風呂敷を作るまでを行います。

布地のデザインは、好きな絵画を選び、絵の中から抜き出した6色を用いた縞模様の構成から。「色彩演習」の講義で学んだ知識や色の感覚を生かして経糸6色を組み立てます。それを勘染めの技術を使って染色し、経巻きをし、続いて緯糸の色選び。全体のバランスを考え、すべての色味をうまく生かせる色を試し織りして決めます。

使用糸は経糸が綿、緯糸が綿と絹を半分ずつ。異なる糸を使った織り上がりの違いも学びです。細くて長い糸を扱うがゆえに絡まりやすく、できるだけ乱さないようにするには染め、機がけ、織り、すべての工程で慎重さが必要。実習期間の大半を準備に要します。

この授業では竹筬を使う場合が多い。
糸の動きに合わせて竹がしなり、やわらかい風合いが生まれる。

そうして約1カ月半、根気よく糸と向き合う日々を経て、たどり着いた講評会。この制作に関しては、あらかじめ織りの密度が決められており、張り具合を一定に保つには自分のリズムをつかむのが鍵となります。実際、学生からは「一度に打ち込む回数を変えて、力を計算しながらできた」という手応えや、「体調や気分によって打ち込む感触が変わる。ゆっくりがいいわけではなく、だからといって早く打ち込んでも少しずつ乱れたのに気がつかない」という試行錯誤が語られました。

課題には、風呂敷に仕立てて使ってみるという、織り上げた後のプロセスまでが含まれます。そこで縞模様をどう生かすかも工夫の見せどころ。あえて大胆に幅の広いデザインを取り入れた学生は「柄が映えるように、スイカなど大きいものを入れます」と楽しそうに紹介する場面もありました。

「作ったからには、生み出した責任があります。強度や扱いやすさを確かめて、実際に使っていってください」と山本講師は伝え、こう話しました。「私も初めて布を織った時のワクワク感を今も忘れてないです。糸が布になる感覚を忘れずにいることが、一生を通して織りを続けていけるポイント。だから自分の感覚を大切に」。布を織るという一連の課題を終え、「やり遂げたことに対する自信を持ってください」と最後に励ましました。着実な一歩の手応えとともに、学生の歩みは続きます。


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スクールの窓から:イメージから形へ「発想をつなげていく」 表現論・中平美紗子さん講義

専門コース「表現論」の授業では例年7月に、綴織のタペストリーを制作している作家の方を講師に招いてレクチャーを行っています。2021年度は、織造形作家の中平美紗子さん。今年5月に個展を開催するなど精力的に活動されています。作品を見せてもらいながら、制作活動の話を聞いた90分、自分の中にあるイメージをどう表現していくかの糸口を見つけるヒントが散りばめられた授業となりました。

講義では、テキスタイルを専攻していた大学時代から大学院、現在に至るまでの制作の変遷が紹介されました。土佐和紙の糸を使った制作では「地元に関わる物を作品に落とし込みたい」と出身の高知県に通ったそうです。素材探しから、紙糸を自分で作り、産地で得た気づきをコンセプトに組み込み、現地の博物館での展示までを実現。また、昨年から取り組んでいる新テーマ「shima」についても「色に挑戦する、縞の歴史や模様の意味を勉強し、これまで制作してきた立体を二次元の中で叶える、この3点を作品に落とし込む」と制作意図が明快に語られました。

質疑応答では、専攻科の学生が「イメージを形にするのに、試作でなかなか上手くいかない」と今直面している制作の悩みを話しました。中平さんは「いきなり作品ではなく、展示空間から考えたり、下図にしてみる方法もあります。下図すら浮かばない時は、私は紙で立体の形を作るなど違う物で表現して、ディテールの作り方から発想をつなげていく訓練をしました。イメージを叶えていくのにどんな工程をとるか、やり方はいろいろあります」とアドバイス。「実際にやってみて違ったと分かれば、その経験は後に資料として生かせる。小さな軌道修正はいつもしています」とも。話を聞いた学生は「いろいろ挑戦してみようと思います」とまっすぐに答えました。

大学院を卒業後、「織るための生活をする」と決めて自宅にアトリエを構えて、講師の仕事をしながら作品制作に励む中平さん。制作を続け、自身と織りとの関係を深めていくその姿勢に刺激をもらった講義となりました。

◆  中平さんにとって織りとは? 「終わりがない仕事」

私は定年のない仕事をしたかったんです。織りには終わりがないですし、死ぬ直前までずっと織れたら幸せ。特に昨年、ずっと家にいる孤独な日々の中で、織りがあって本当によかったと思っています。世界中が同じ状況なので、私のような人がSNSの中にたくさんいるのが心強く、じっくり織ることができました。織りは人と関わるためのツールでもあります。

〈中平美紗子さんプロフィール〉

なかひら・みさこ/高知県出身。学生時代より和紙を用い、インスタレーション作品やタペストリーを制作。昨年より「同時代性」に着目した新しいシリーズを発表。縞模様と身体的・精神的距離感を題材にしたタペストリーを織っている。京都芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻修士課程総合造形領域修了。2018年より同大学芸術学部染織テキスタイルコース非常勤講師。

instagram: @nakahira_misako

オープンスクール開催!(8月28日、9月11日、10月2日、10月16日〈事前予約、いずれも土曜。8月分は10時・14時から、9月以降分は10時・13時・15時から〉。見学の際、実際に機織りを体験していただけます〈専門コース本科の入学希望者のみ〉、他の日をご希望の方はご相談ください。)