スクールをつづる

スクールをつづる:綴織編1「KTSの綴織とは?」

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの綴織(つづれおり)編です。このシリーズでは、スクールの綴織の基盤や、担当講師インタビュー、海外からの受講者の声、綴織職人として働く修了生インタビューを通して、スクールの綴織の今を紹介します。第1回は、KTSの綴織について。

綴織は、タペストリー・ウィービングとして、世界中で親しまれている織り方。日本では綴織と呼ばれ、京都の西陣を拠点に帯や和装小物、後年に緞帳などの制作で独自に発展してきました。綴織は、KTSを作った(株)川島織物(現・川島織物セルコン)が得意とする伝統的な織法で、スクールでも柱の一つとなっています。

その根底にあるのは、川島織物の綴織の歴史の厚み。さかのぼること19世紀、二代川島甚兵衞は渡欧し、フランスの国立ゴブラン製造所に数日間滞在します。そこでタペストリーに使われるゴブラン織の織り方が日本の綴織と同じと知り、細やかな日本の手仕事を生かせば大成できると触発されます。綴織の真価に気づいたことで、その後、製法や図案を改良、帯のほかにも室内装飾や緞帳などに展開し、独自のグラデーション法を考案したりして精緻で芸術性豊かな織物に発展させました。

その綴織の伝統技術は、スクールにも受け継がれています。KTS開校(1973年)から20余年、綴織を教えていた高向郁男講師は、川島織物の綴織職人。「技術の集積」「伝承の情報を公開」するのに作られたテキストは現在も授業で生かされています。そんな伝統技術に加えて、スクールでは一人ひとりの表現を大切にし、両方の視点で捉えて作品を作れるのがKTSの綴織です。


高向先生が授業用に作った織見本と織下絵(織る時のガイドとして使う、経糸の下にひく図)の説明図。一枚の中で順を追ってテクニックを学び、基本を網羅できることから、教材として大切に受け継がれ、40年以上経った今も授業で生かされている。

専門コースの綴織の授業では基礎技術をはじめ、自由制作を通して織下絵の描き方や絵画的な織り表現の習得、保育園や老人福祉施設に飾るためのタペストリーのグループ制作まで体系的に学べます。ワークショップは、枠機を作って小さなタペストリーを織る初心者向け、西陣綴機を使った基礎講座を定期開催し、英語通訳付きでレベルや経験に応じて設定する海外の団体向けもあります。スクールで教える手織りの内容は、時代に合わせて様々に変わってきましたが、その中で綴織の基本は途切れることなく教え続けています。機も西陣の職人さんが使う綴織専用の綴機を使い続けています。

また、会社の製品作りとは異なる、スクールの作品作りとは何か。それは挑戦できる場と時間を使って、自分の可能性を広げていける機会を得られること。確かな技術の土台の上で、表現力を養うからこそ自由度や奥深さが見えてきて、綴織は今もスクールの学生に根強い人気があります。また、京都にあるKTSで織りに没頭できる時間や空間、伝統的な西陣綴機で織る経験に価値を見い出し、インスピレーションを受けられると海外から継続的に来られる作家グループもいます。

伝統の厚みと、挑戦できる場。間口は広く、奥が深い。そんな綴織を実感できる確かな土台があるのが、スクールの綴織の特長です。

「大作を可能にした明治期の綴大機。ゴブラン織に触発された二代が改良考案したもの。」
『錬技抄 川島織物百四十五年史』116頁より

二代はフランスのリヨンの絹織物工場などを見学したり、パリの国立ゴブラン製造所に数日間滞在。そこでタペストリーに使われるゴブラン織を見て、経糸を隠すように緯糸を織り込んでいったり、下絵に沿って緯糸を織幅の途中で引き返して模様を織り出すなどの織り方が、日本の綴織と同じと知ります。

参考文献:
高向郁男「綴織あれこれ」、『SHUTTLE かよい杼染織技法の公開』カワシマ・シャトルクラブ発行、1987年、60-73頁
杉本正年『錬技抄 川島織物一四五年史』、株式会社川島織物発行、平成元(1989)年、103-104、116頁
TOPIC欄、「LETTER FROM KAWASHIMA TEXTILE SCHOOL」1993年7-8月号No.34、川島テキスタイルスクール発行

スクールをつづる:国際編10 修了生インタビュー「織りの学びをものづくりの姿勢や生活で育む」Flora Waycottさん

KTSは開校当初から国際的に門戸を開き、京都で手織りの確かな技術が身につけられると受講者の口コミで評判が徐々に広まって現在に至ります。国際編シリーズ最終回は、前回紹介したPrangさんの先生であるFlora Waycottさんのインタビューです。Floraさんは、交換留学でKTSで学び、ロンドンでテキスタイル・デザイナー、ニュージーランドの大学でテキスタイルを教えるキャリアを経て、現在はオーストラリアを拠点にアーティスト・イラストレーターとして活躍している方です。

オーストラリアの自宅のアトリエにて
Flora Waycottさん(イギリス・日本)
アーティスト、イラストレーター
オーストラリア在住
2003年、テイラード・コース*受講

*留学生を対象に、個人の要望にあわせて実施していたコース。2009年終了。

−−KTSに学びに来た経緯を教えてください。

ウィンチェスター美術大学2年の3学期に交換留学として来ました。KTSの先生たちが、私の2、3カ月の滞在に合わせたスケジュールを組んでくれました。まずは堀先生による3日間の染色コースを受講して絹糸の化学染色と天然染色を学び、染めた糸で長さ6メートルの反物を織りました。それから絣の技術を学びたくて櫻井先生の指導の下、つばめたちが横全体に飛んでいるモチーフの長さ3メートルの布を制作しました。使用したのは絹糸で、茜の根を使って糸染めしました。(専門コース)1年次の中嶋先生によるスピニングのクラスにも参加し、羊毛から手紡ぎ糸も作りました。

−−ニュージーランドのマッセー大学ウェリントン校でテキスタイルを教えるようになってから、どうして教え子にKTSを薦められたのでしょうか?

私は、織りに強い関心を示した生徒であれば、KTSで新たな視点を得て、日本独自の技法の制作プロセスを楽しめるだろうという確信がありました。私のクラスの中でも常に注意深く、熱心で、優秀な生徒だったPrangは、大学卒業後も、熱心に織りの知見を広げていました。京都に行ってKTSで学ぶことは、彼女にとって織りの学びを深めるだけではなく、世界の中でも美しい場所に滞在して際限なくインスピレーションを受けられることにおいて、素晴らしい経験になるだろうと思いました。私は彼女の受講を聞いて嬉しくなり、私がそうだったようにKTSで素晴らしい思い出ができるように願いました。

2003年、KTSで機に向かうFloraさん。「絹の綛を茜の根で染めた後、櫻井先生に教わった絣の技法を使い、つばめが飛んでいる布を織りました。」

−−KTSでの学びで印象深かったことはありますか?

KTSで過ごした時間は、懐かしく思い出すことができる宝物のような経験で、深い感動が残っています。私は幼少期に日本で育ちましたが、京都に行ったことはありませんでした。京都に滞在し、このようなクリエイティブな環境に浸るのは夢でした。織りはゆっくりと目的を持って取り組む修練です。クラスメイトが細心の注意を払って、心を込めて取り組む姿勢を見るのはとても刺激になります。私たちは、自分で糸を染めました。まだ機に触れる前の段階で糸を紡ぐ機会も得られて、織りの全行程を初めから経験できたことで、仕上がった時の満足感が大きかったです。スクールは親密になれる環境でしたので、私たちは皆、互いのプロジェクトを知ることができました。週を追うごとに、それぞれが織り進んでいくのを見て楽しみながら、互いに励まし合っていました。滞在中に、かねてから興味を持っていた染め、織り、羊毛の手紡ぎ、絣といった様々な技術を試すことができたのは、とても幸運でした。

学びを楽しめたのと同様に、スクールの皆さんが温かく、友好的に接してくださったことを覚えています。ある日、私たちは学生グループで、有名な藍染作家の新道弘之さんの工房を訪ねて、彼の藍甕(あいがめ)を使わせてもらって1枚の布を染めました。そこで、スクールから参加した他の生徒たちと家族のように仲良くなれました。修了時に皆さんが、スクールで撮影した写真が入ったアルバムや折り紙で作った動物たち、手紙と小さな手作りの贈り物をくれました。思い出の品として、今もすべて持っています。

−−KTSで学んだことで、どのような影響を受けましたか?

テキスタイルの知見を広げ、創作活動の基盤を築くことができ、学生時代にKTSで学ぶ機会を得られたことをありがたく思っています。イギリスに帰国後の大学の最終年だけではなく、クリエイティブ業界で働きたいという目標に向かう方向性が見えました。KTSの先生も生徒も、作品の細部まで注意を払って大事に扱うことの恩恵と利点を教え込んでくれました。そのことを私は、アート作品や生活においても、できる限り実践しています。学び、成長し続けるために、できるだけ早くスクールに戻って他のコースを受講できる日を楽しみにしています。

−−Floraさんにとって織りとは?

織りは手をかけ、時間をかけるもの。焦って織る必要はなく、実際にそうはできません。織るには忍耐と献身、決意が必要で、それができれば、情熱を注げる最高の対象になります。織ることに専念して没頭する時や、織り進めるにつれて仕上がりが進化できる時、愛する何かに深く入り込んで静まり返った時間感覚すべてが、私には魅力的なのです。それは素晴らしい空間です。私は現在、アーティストでありイラストレーターですが、小さな機を持っているので、織りたいと思った時につながれる。織りの実践には、日々の暮らしに取り込める要素がたくさんあります。アート作品を制作する時でも、織りと同様に焦らず、大切に取り組むようにいつも心がけています。

「私にとって、絵を描くことと織りは本質的につながっています。細かなディテールと丹念に考えた構図は常に存在しています。」
website: Flora Waycott

instagram: @florawaycott

国際編シリーズをお読みいただき、ありがとうございました。2月16日からは「綴織(つづれおり)編」を予定しています。どうぞお楽しみに!

スクールをつづる:国際編9 修了生インタビュー「絣の作品を見せてくれた先生の足あとをたどって」Aroonprapai Rojanachotikulさん

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編。手織りの世界において国際的な知名度があるKTSは、かつてスクールで学んだ方が修了後にテキスタイルを教えて、今度はその生徒の方が学びに来るという独自の繋がりが育まれています。第9回と10回は、そんな先生と生徒のインタビューをお届けします。まずは生徒のAroonprapai Rojanachotikulさんに先生から聞いてKTSを知った経緯、印象深かった学び、自身が考える織りとは、などについて話を伺いました。

クラスの準備としてサンプルの整理するAroonprapaiさん
Aroonprapai Rojanachotikul(Prang)さん(タイ)
テキスタイル・アーティスト、天然染料・顔料の専門家
タイ在住
2013年、天然染色ワークショップ
2014−15年、ビギナーズ・絣基礎・絣応用I,II,III*受講

*現在は絣応用IIの一部

−−KTSに学びに来た経緯を教えてください。かつてKTSで学んだ先生に、どのような経緯でこのスクールを勧められたのでしょうか?

私は、ニュージーランドのマッセー大学ウェリントン校のテキスタイルデザイン学科を卒業して、2012年にタイに帰国。ハリプンチャイにある手織りの研究所(Hariphunchai Institute of Handwoven Textiles)で訓練を受け、ブロケード織りのアーティストとして働いていました。1年が経ち、もっと他の織り技法を探求したいと思った時、マッセー大学の2年次に、私の先生だったFlora Waycottさんが自ら織った絣織りを見せてくれたことをふいに思い出したのです。日本の京都にあるKTSで絣を学んだと話していたことも。

そこで私はインターネットで検索して、KTSを見つけることができました。その時期に募集していた留学生向けプログラムを調べ、コースや施設、環境を調査する手始めに、2013年の天然染色ワークショップに申し込みました。その時、スクールで素晴らしい時間を過ごせたので、今度は絣コースを受講しようと決めました。2014年に再びKTSに戻り、より長く滞在できることで私は嬉しくなってFloraに連絡し、彼女の足あとをたどっていることを伝えました。Floraは、私がKTSで良い時間を過ごせるように願ってくれました。

−−KTSでの学びで印象深かったことはありますか?

スタッフも生徒も皆さんがとても親切に接してくれ、できるだけ手助けしようとしてくれたことです。クラスメイトは既にテキスタイルに携わっている人や、興味があってこれから学びたいと思っている人の集まりで、様々な分野の素晴らしい人々との出会いがありました。一緒に京都中の旅を楽しんで、生活や文化も共に学びました。授業では、染色で思うように色が染まらなかった時、多くの色をどうにか染め直すのに堀先生が手伝ってくださったのを今でも鮮明に覚えています。雪が降ってとても寒くて暗い日、経絣の経巻きをする時に、多くの日本の学生が手伝ってくれて仲良くなれました。冬休みが差し迫り、休み前に何とか織りあげようとして機から離れずにいた時も、彼女たちは私がきちんと食べているかを確かめに来てくれました。体調が優れなかった時も、皆さんが気遣ってくれた。多くの思い出ができたKTSを第二の故郷のように思っています。

「私自身の作品と、教えているワークショップのサンプル。椰子の葉の写本を作る伝統的な技法で、寺院への供物として作られています。へら状の竹と糸を織り合わせて作られています。織りとかぎ針編みの組み合わせです。この技法は、チェンマイのメーチェム地区でのみ見られ、今日では、この技法を実践している人はごくわずかです。」

−−KTSで学んだことで、どのような影響を受けましたか?

私は今、教える仕事もしていることから、教え方も影響を受けたと思います。KTSの授業は、すべての過程において綿密かつ正確で注意深い。それは学習、教わる上でとてもいい方法だと思いました。KTSで教わったように、私も生徒をうまく導けるように心がけて教えています。そうすることで私自身も、体系的に細やかに教えるための修練になっています。

−−Aroonprapai (Prang) さんにとって織りとは?

時が経つにつれ、その意味合いが大きく変わりました。かつて、私にとっての織りは、自己表現のために作り出し、気持ちと手技をつなぎ合わせる方法でした。時折、ストレスを和らげることもできました。今、織りと私の繋がりは深まっています。私の体は機と一つになり、手が杼、頭の中ですべての糸を通して綜絖枠を上げ下げしているような感覚です。長い年月をかけて確実に、より意味のあるものになっています。織りと私を繋ぐものは、もはや機と織物の背景に留まらずに、私の人生哲学に影響を与えて視野を広げています。織っている時にミスが起こり、そこに学びがある。ほとんどのミスは修正可能。だからミスを恐れずにやってみようという教える上の指針となるのです。

instagram: @prang_aroon

スクールをつづる:国際編8 修了生インタビュー「世代をまたいだ繋がり、日本語習得して長期留学」陳 湘璇さん

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編。第8回からは3週にわたり、かつてスクールで学んだ方が修了後にテキスタイルを教えて、今度はその生徒の方が学びに来るというKTS独自の繋がりが育まれた修了生インタビューをお届けします。台湾で衣装デザインの仕事をしていた陳湘璇さんは、かつてKTSで学んだ先生からスクールの話を聞いたことがきっかけで、専門コース進学を決めて来日。日本語学校で語学力を身につけた上で、スクールで2年学んだ方です。その経緯と陳さんの思い、KTSの学びで印象深かったこと、自身が考える織りとは、などについて話を伺いました。

家書4/1/20-6/7/20 mom, i’m fine 4/1/20-6/7/20
「コロナの災いから発想した作品です。」
「Kyoto Art for Tomorrow 2021 ―京都府新鋭選抜展―」に出展予定)

陳 湘璇さん(台湾)
綴織職人(株式会社川島織物セルコン勤務)、作家
日本在住
2018年4月専門コース入学、20年3月専攻科修了

−−台湾で衣装デザインの仕事をしていた陳さんが、日本に留学してまでテキスタイルを学びたいと思った経緯を教えてください。

大学生の頃、アルバイト先の関係で、初めて天然染色のことを知りました。自分で手作りブランドも始めていて、知り合いの藍染の作家さんに藍甕(あいがめ)を使わせてもらって作品を作ったことから、染色の興味を深めました。その後も映画の衣装デザインの仕事を通して色々な布に触れるようになり、モダンなテキスタイルから古布まで様々な布との出会いが楽しかった。その中でも、ずっと日本の伝統染織に魅了されていました。よく通っていた布市場に日本生地の輸入専門店があって、そこで売られていた擬古布の生地が、模倣で作られたものでも質感や柄がすごく素敵でした。

より染織のことを知りたくなり、台湾の国立工芸研究センターで天然染織の研修を受けました。しかし短期で学べることには限りがあり、それに途中でどうしてもやりたい仕事が入ってきたので、織りの授業を受けずにやめざるを得ませんでした。その後、もっと学びたいという気持ちがずっとあったので、染織を学べる学校を調べました。行先は、最初から日本と決めていましたが、どこで本格的に伝統染織を学べるかは分かりませんでした。美大の大学院も考えましたが、実践の技術を学ぶのとは方向が違い、私が学びたい分野の専門学校も見つからずに悩んでいました。

そんな時、国立工芸研究センターで、私が受けた研修の担当の先生から、30数年前にKTSに通っていたという2人の先生を紹介いただいたんです。(その先生方は研修で基礎織の担当でしたが、私は織りの授業に参加できなかったため、研修中はあまり話せませんでした。)

−−かつてKTSで学んだ先生と出会い、どのような経緯でこのスクールを勧められたのでしょうか?

先生たちが教えてくれたのは、KTSの良い所は、染織の学校として織物の仕組みや技術的な事をたくさん学べること。学歴を気にしないなら(単位・学位制度が設けられていないため)、美大よりKTSの方を推奨するとのことでした。

そして、日本は世界の中でも織物に関する資料が充実していて、それは昔から世界各地から伝わってきたものをきちんと保管してきたからだそうです。先生たちがKTSに通うことにしたのも、当時、台湾工芸の父と呼ばれていた顏水龍という先生が紹介してくださったそうで、当時のKTSは紹介がないとなかなか入れない学校だったと聞きました。

当時、先生たちはKTSで織り組織について多く教わったそうです。話を聞いて特に面白かったのは、1人じゃ学び切れない内容だったので、2人それぞれ違う技術を学んで互いに教え合ったそうです。KTSで、本当に染織に対する豊富な知識と技術を得たようです。

願い (2020)
「古書と麻のフサ耳をメインに使った作品です。
素材の再利用は自分の中では常に求めていること。」

−−陳さん自身、日本語学校を経てKTSに入学した経緯は?

話を聞いて、すぐにKTSのことを調べてみました。学校のウェブサイトを見て、確かに色々な技法が学べそうだと思いました。英語で行う授業もありましたが、1年以上の長期コースはすべて日本語の授業とのことで、日本語を本格的に学び始めました。

実を言えば、海外留学は私の人生の予想外のことでした。行くのを決めた時はもう25歳で、一番頑張らなきゃいけない段階だと思っていました。それで、あまり日本語の勉強に時間をかけ過ぎると本来の目的に進めないと思い、台湾で仕事をしながら半年ほど独学で基礎を身につけてから京都に来ました。日本語学校での学習期間もなるべく短くし、日常で学校以外の場所でなるべく日本人と喋るようにしていました。半年通って日本語能力試験のN3レベルまで学んで卒業し、KTSに入学。

日本語能力について、一般の大学ではN2相当レベル以上が必要ですが、KTSはそこを気にせず受け入れてもらえて、本当にありがたかったです。その後も、コミュニケーションで丁寧に対応してもらえました。自分の日本語力に心配はありましたが、これ以上時間を費やすのは無駄だと思い、早くやりたいことやる方が大事だと私は信じていました。それでも、KTSに入ったばかりの頃は毎日ドキドキしていました。スクールで学んだ2年間は、本当にあっという間でした。

−−KTSでの学びで印象深かったことはありますか?

スクールで初めて織りに触れて、糸が扱えるようになったことを、未だに不思議に思う時があります。そして一番印象深く、大事なことを改めて考えると、それはテキスタイルの世界の視野が広がったことだと思います。専任の先生たちの他にも、作家や非常勤の先生など、色々な方のレクチャーを受けられて、創作をもっと自由に考えられようになりました。

台湾では大学卒業後、段々と自分のための創作に時間を費やすことが出来なくなりましたが、日本に来てKTSで学んだことで、改めて創作する楽しさを再発見できました。元々テクスチャ感のあるものが好きな私は、染織を学んだお陰で作品に使えるメディアや技法が増えて、異なる素材や織り組織で、より多様な表現ができるようになった気がします。この2年間がなければ、織物に対する視野が狭いままになっていたのではないかと。(今も狭い方だと思いますが・笑。)

−−陳さんにとって織りとは?

私が思う織物とは、時間と空間と思いの集合体です。織物は、他の動物にはなく人類にしかない物の一つであり、昔も今の人々も、その時代の風土や社会の風習に沿って織物を作っている。機能的でありながら、感性的でもある。例えば、なぜ昔の貴族の衣装をあれほど時間かけて刺繍するのか、なぜ原住民達の織物に抽象的な柄が必要なのか、斜紋織はどのような背景や需要によって発明されたのか、など織物は本当に奥深いと人に思わせる。一枚の織物に実は大量のメッセージが入っていて、それを味わうのがとても面白いと思います。

産業革命以降、現代の過剰生産に至るまで、織物に含まれた意味は無くなってきている傾向があるようですが、だからこそ、このような時代で、どのように、何のためにテキスタイルの作品を作るのかを常に考えながら、自分に問わなきゃならないと思います。

*陳さんの作品は、2021年1月23日から京都文化博物館で開催される「Kyoto Art for Tomorrow 2021 ―京都府新鋭選抜展―」に出展されます。

outsider in the dream (2019)
(Japan Textile Contest 2019 学生の部シーズ賞)
instagram: @shung_shouko

2020年にinstagramに掲載した 陳さんの「修了生の声」の記事です。

スクールをつづる:国際編7 修了生インタビュー「ビストロと織りをつなぐ空間でものづくり」Patricia Schoeneckさん

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編。織りとの多彩な関係を持つ世界中にいる修了生にインタビューした内容を紹介しています。第7回のPatriciaさんには、スウェーデンの提携校から学びに来た経緯やスクールの印象、そして現在ビストロを経営していることから、生活の中の織り、手でものをつくる観点で織りに通じる点などについて伺った内容をお届けします。

Patricia Schoeneckさん(スウェーデン)
ビストロ経営者
スウェーデン在住
Handarbetets Vänner Skola(HV Skola、スウェーデン)からの交換留学生として
2012年5月-6月、絣基礎・絣応用I、2013年10月-11月、絣応用II, III*受講

*現在は絣応用IIの一部

−−KTSに学びに来た経緯を教えてください。

私が織りを学んでいたHV Skolaは、川島テキスタイルスクールの提携校であることから、この学校のことを知りました。スクールの概要を読み、染織分野の技術において伝統だけではなく現代的な手工芸を学び、探求していける素晴らしい場所だと感じました。

スクールには、ものづくり、工芸、テキスタイルに本気で取り組む雰囲気があり、それに感動したのと共に触発されました。そこには雑音がなく、先生に指導を受けて生徒たちが黙々と取り組んでいました。

−−Patriciaさんは2012年に受講し、1年半後に再びスクールに戻って来られました。その間、学んだ技法を組み合わせて独学で制作を進め、修了展に向けて大きな作品を仕上げました。一旦、場所と時間を置いて自分で行うことで、より明確に見えたことはありましたか? それが、今のビストロ経営と機織りとの距離感につながる部分はあるのでしょうか。

私はスクールとスウェーデンの両方で、創作に対する多くのアイデアと視野がありました。染めも織りもとても時間がかかることから、私の頭の中で広がる大きなアイデアの一つひとつを実現するのは不可能だと思いました。振り返って考えてみると、私は小さな作品やサンプルを作り始める前に、最初に大きな作品を仕上げなければいけませんでした。そのように制作を行うことで、私のイメージをより具体化して形にできると思っていました。しかし、今の私の生活スタイルでは、織りと制作において両方のやり方をしています。ビストロを経営していることで、日々の暮らしのほとんどの時間をその仕事に費やさなければならず、(合間を縫って)織り作品を仕上げるには、小さな・短いものを作る方が今の私には現実的です。しかし、時間ができた時に制作に戻れるような、何年もかかる大きな作品にも取りかかる必要があります。

−−KTSで学んだことで、どのような影響を受けましたか?

私が思い描く、織りと染め、人生におけるプロジェクト全体を成功させるための、忍耐力と自信がつきました。

−−その学んだスキルを、その後の仕事や暮らしにどう生かしていますか?

私は急がず、最終目標や将来の展望にそぐわない、リスクとなる不要な仕事や物事を減らすようにしています。

Elfviks Gård Bistro

−−Patriciaさんがビストロを経営するようになった経緯を教えてください。同じ建物内にアトリエを借りて、そこでどうしてオーナーとして働くことになったのでしょうか? 子育てしながらのライフスタイルに合っているのでしょうか。

アトリエもビストロも田舎の羊牧場にあります。私は自然や古い建物が好きで、ある夏の日、その場所を見つけ、そこで働きたいと思ったのです。しかし、織りで収入を得るのは厳しく、特に私とパートナーは子どもをすぐに望んでいたため、生計を立てるために他の手段を見つける必要がありました。前のビストロのオーナーがお店を手放したがっていると知り、私は自分が引き継げると伝えました。ほどなくして息子が生まれたのです。実際に経営すると、多くの仕事を抱えてとても大変ですが、この暮らしを気に入っているので、他の生活をしたいとは思いません。

−−手でものをつくるという観点では、料理と織りはつながる部分もあるように思いますが、いかがでしょうか?

私のビストロでの仕事と織りは幾通りもつながっていると思います。両方とも、多くの時間を費やす大変な仕事です。いざ始める時には、とにかく完成に向けてやるべきことをやるだけなのですが、その前にアイデアや思い、気持ちから始まる。そんな目に見えない時間も同様に、ものづくりを行う要素になっています。私は、たくさんのパンやケーキ、クッキーを焼きます。単に同じことの繰り返しであっても満足を感じます。時折または何度も、織りがもたらす感覚と同じものを感じます。たとえば、ビストロを経営するのは、手で作って働き、目の前に何かがあり、多くのルーティーンがあり、何度も繰り返し同じものを作ることです。ですが、織りと同様、瞬く星のように、心に直接響くような創造のインスピレーションが現れます。

−−Patriciaさんにとって織りとは?

現時点で、日常生活の中で織りが占める割合は小さいです。私は毎日ビストロを営業していて、日々仕事が舞い込んできます。私の織りのアトリエは、ちょうどビストロの上階にあり、週に1回ぐらいは、屋根裏部屋に上ってアトリエに入り、深呼吸します。近い将来、私はそこで再び織りを始めることがわかっています。それまでの間、繊維や機の素晴らしい香りを吸い込み、次のテキスタイルのプロジェクトの夢を描きます。


website: Elfviks Gård

instagram: @patriciaschoeneck @elfviksgardbistro

2013年に英語版ブログに掲載した Patriciaさんの “Student Voice” の記事です。KTS修了展で展示した作品も見ることができます。

スクールをつづる:国際編6 修了生インタビュー「文化の融合を見つめ、織り空間の可能性を探求」Rosa Tolnov Clausenさん

川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編。第4回からは4週にわたり、織りとの多彩な関係を持つ世界中にいる修了生にインタビューした内容を紹介しています。第6回のRosaさんには、KTSに学びに来た経緯や、スクールで影響を受けたこと、自身が考える織りとは?に加え、自主制作において通常は織り作品を制作するところ、ワークショップ「Everything I Know About Kasuri(私が知る絣のすべて)」を行った動機や、織りを空間として捉えるという、まったく異なるアプローチを実践した考えについて話を伺いました。

Weaving Kiosk
9つの、一時的な織りの空間のシリーズ。
デンマーク、スウェーデン、フィンランド、アイスランド 2017-2018
写真:Johannes Romppanen
Rosa Tolnov Clausenさん(デンマーク)
テキスタイルデザイナー・博士課程の学生
スウェーデンとフィンランドに居住
2013年秋、絣基礎・絣応用I, II, III*受講

*現在は絣応用IIの一部

−−KTSに学びに来た経緯を教えてください。

KTSのことは既に知っていました。知ったきっかけは覚えていないのですが、友人の Johanna が前年にKTSで学んでいるのを知り、私も行きたいと思ったのは確かです。KTSで学ぶのは、日本に行くことと同時に、絣の技術を実践で考察する絶好のチャンスだと思いました。私は既に絣に興味を抱いていて、2012年にフィンランドの Aalto University に交換留学した時、絣の研究プロジェクトを行っていました。フィンランドには、日本と同様に絣の伝統があり、それは Flammé (Flame) と呼ばれています。フィンランドの織り手は、とてもシンプルな絣のバリエーションを異なる民族衣装に用います。しかし私の知る限り、 Flammé はフィンランドで教えられていないです。KTSで学ぶことは、日本に長めに滞在し、テキスタイルの伝統の見識を得て、その分野の専門家を知ることができる機会だと思いました。

−−KTSで学んだことで、どのような影響を受けましたか?

京都にいて、KTSの環境に身を置くことは非常に刺激的で、私は今もその経験を生かしています。

KTSでは自分で作品を織る代わりに、文化交流と美的感受性に関わるプロジェクトを実施しました。但し、それは織ることから離れたものです。“Everything I know about Kasuri(私が知る絣のすべて)” というワークショップを実施し、主に京都の人たちを招きました。絣の技術を媒介にして文化交流するという着想です。このプロジェクトについて論じ、KTSの先生たちから信頼とサポートを受け、実際に京都で実施できた経験は、自分の考えに自信がついた点で確実に意味があり、以後、帰国してから行った多くのプロジェクトに影響を及ぼしました。

Flamméのサンプル
Dräktbyrån Brage(ヘルシンキ)所蔵
写真:Rosa Tolnov Clausen

−−自主制作でワークショップを開催するという決断は、Rosaさんのそれまでの空間作りや人に教えたり共有したりしてきた経験とつながっていますか? 背景にある考えを教えてください。

KTSに来た時、私はデンマークにある美術学校 Design School Kolding のテキスタイルデザインの修士課程を卒業したばかりでした。私の卒業プロジェクトは、目の見えない織り手の人たちと協力して、共にデザインすることでした。私はそのプロジェクトを通して、織りの空間が生産する場所であることに加え、織りに関わる人々にとって、他にどんな意味を持つようになるのか、例えばそれはデジタル化がさらに進む世界において、他者と関わる社会空間としてや、身体的、物理的なクリエイティブ空間となることに気がつきました。それ以来、プロジェクトから織り空間のさらなる意味を探るのが、私の関心になりました。

日本、特に京都に来た時、私は都市空間にある手工芸の存在にとても魅かれました。散策した時、非常に現代的でデジタル化された都市景観の中で、ごく自然な一部として熟練の職人さんが縫う、織る、ハンマーで叩くなどしている光景を見ました。それで手仕事とデジタルは共存できる気がしたのです。さらに私が訪れた他の都市にも織物ワークショップがあり、参加者はプリントしたり、編んだり、織ったりしていました。

こうして私は周囲の環境によって、美を見い出す感性を身体感覚として養っていきました。私自身は、日本の文化やファッションに触発されて影響を受け、同時に日本の人々やブランドが、北欧の文化に着想を得ていることがわかってきました。私たちは互いに解釈し、その結果、完全な北欧でも日本でもなく、融合した新しいものができている。

それらの印象から、ワークショップ “Everything I know about Kasuri” を着想したのが背景です。私は、文化的な出会いや情報交換の場を提供できるような都市空間で、織物のワークショップを作り出したかったのです。

−−外国人として他国の伝統を教える上で、文化的に気をつけた点はありますか?

もちろんあります。私は日本で3カ月しか過ごしていないデンマーク人として自覚的になり、日本の人たちに対して日本文化を教えるという主張をしないように、かなり慎重に取り組みました。ワークショップのタイトルを “Everything there is to know about Kasuri(絣について知るべきことすべて)” ではなく、 “Everything I know about Kasuri(私が知る絣のすべて)” と名づけたのは、そのためです。たった2カ月学んだだけで専門家のように振る舞いたくはなかったのです。ワークショップでは導入部分で、自分がよく知っていて、参加者が知らないであろう内容を加えながら、フィンランドの歴史を強調して伝えました。

ワークショップ Everything I Know About Kasuri
京都 2013年12月
写真:臼田浩平

−−ワークショップ実施の経験からどのように自信を得て、それは、その後のご自身にどんな影響を及ぼしましたか?

上記で述べた印象を基に、私はKTSの自主制作でワークショップを開催することは、正しい決断であるという強い直感がありました。しかし、通常は織り作品を制作するところ、まったく異なるアプローチであることや、不適切な方法で文化的な境界を越えてしまうリスクを考慮してか、私の考えについて初めから先生全員が完全に納得していたわけではありませんでした。そこで、このプロジェクトがどのように実現できるのか、作業時間の計画を立てるように指示を受けました。私はそれを行い、先生たちから了承を得ることができました。先生たちには、備品を見つける時や連絡時など計画段階でたくさん助けてもらいました。

当日は、KTSの先生や生徒たちも来てくれました。私は直感に従い、外国の視点をふまえたプロジェクトの実現のために全力を尽くし、成功を収めることができた。そのすべての経験を通して私は、自分の考えを信じること、できると信じて集中することの両方において多くの自信を得ました。

−−KTSでの経験は、その後のご自身の学術的・専門的な仕事において影響はありましたか? あった場合、どのような影響を及ぼしたか教えてください。

上記で主に述べた内容には、自信をつけるという意味合いがあります。さらに、初来日と初めてKTSに来たことで、私は多くのプライベートと仕事上の関係を築くことができました。出会いにとても助けられて日本に戻ってきやすくなり、2015年と2017年に再来日しました。私は、2017年に金沢21世紀美術館で開催された、日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念展に一連のワークショップを開催するのに招かれました。その時、KTSの修了生である渡部加奈子さんと、東京拠点のカメラマンの臼田浩平さんがたくさんサポートしてくれました。

−−Rosaさんにとって織りとは?

私の織りとの関係は、絶えず変わっていきます。当初は、私にしっくりきたように感じました。織るのが楽しく、得意だと感じるようになり、時が経つにつれて、それは私の生き方となり、仕事の一部となりました。私は現在、自分が織るよりも、他の人々が織れる空間を作っています。ですが、このことさえも今後、数年で変わっていくだろうと想像しています。


ワークショップ Export/import
金沢21世紀美術館 2017年
写真:臼田浩平

website: Rosa Tolnov Clausen

スクールの窓から 5 「繭から絹糸作り体験」

川島テキスタイルスクールの専門コースの授業の一部をご紹介します。(不定期掲載)

繭から糸を引き出す本多さん

「表現論」の授業で、Honda Silk Worksの本多祐二さんを講師に招いて、絹糸作り体験が行われました。授業は、鍋にお湯を沸かすところからスタート。繭を煮た後、火を止めて数分待ち…と、まるで料理のようなテンポで進みます。煮繭から、糸を引き出す座繰り、綛を作るまでの一連の工程を学べる貴重な機会です。

授業では、始めに生糸作りを行いました。そこで「きびそ」という蚕が最初に吐き出す硬めの糸ができたのを見せてもらい、さらに「真綿」作りも行いました。体験したのは「角真綿」で、生糸を取って小さくなった繭を水に浸け、四隅を取って広げていきます。最初は恐る恐るしていた生徒の手つきが、「ぐっと広げても切れない」という本多さんの言葉に後押しされ、糸がスーッと伸びて四角に広がった瞬間、歓声が上がりました。本多さんは、それを20枚重ねた完成形を見せてくれ、生徒たちは「やわらかい」と言って感触を確かめました。

作業の合間に本多さんは、蚕の習性から桑栽培、生業としての仕事量など経験をもとに様々なお話をしてくれました。繭の中には蚕のさなぎが。目の当たりにしたことで、生徒たちからはお蚕さんをめぐる質問が飛び交います。本多さん自身、当初は絹糸と「虫」の存在が結びつかなかったそうで、蚕の飼育を行う繭作りの現場の光景に驚き「原点はここか!」と衝撃を受けたそう。その現場で自身は「虫を殺して糸を作ることに葛藤があった」と。向き合い続ける中で「肉や魚と同じで、衣を作るのに命をいただく」と考えるようになり、「虫と、虫が吐いた糸を大事にして衣にする、人が虫とつながる感覚を忘れてはいけない」と成り立ちを大切にしたものづくりをするようになったといいます。

授業の終わりには、糸を引いた分だけのさなぎが現れました。「これから絹を見たら、虫のことが浮かんできますね」と本多さん。生徒の一人は、「絹にいろんな表情があると初めて知りました。普段は糸でしか見る機会がないので」とコメント。原点に触れ、糸作りの過程を実感とともに学べた時間となりました。

◆ 本多さんにとって織りとは? 「絹糸の面白さを表現できるもの」

元々僕は洋服が好きで、農業に移り、養蚕に出会って糸作りから機織りまでをするように。原点からのものづくり、好きなことすべてができるのが今の仕事です。絹の、繭から様々な糸の表情が見える所や、染まりやすい性質、精練の仕方でも風合いが変わる所など可能性の広がりにワクワクし、糸作りにどっぷりはまっています。そんな絹糸の面白さを表現できるのが織物だと思います。

〈本多祐二さんプロフィール〉

ほんだ・ゆうじ/2009年、埼玉県の秩父で養蚕農家との出会いにより、夫婦で養蚕・機織りを始める。16年より京都に移住、冨田潤染色工房で2年間の織り修行を経て、18年に独立し、Honda Silk Worksとしてスタート。繭から糸を引き、天然染料で染めた糸や、真綿を強撚糸にした糸などで手織りのストール等を製作・販売している。

Instagram: @hondasilkworks