以下の予定でサーバメンテナンスを行ないます。
■2020年11月19日(木)09:30 – 11:00
メンテナンス期間中はメール、お問い合わせフォームを利用したメール、ワークショップのお申し込み等が受信できない可能性があります。ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
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川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編をお届けします。スクールは開校当初から、世界中の手織りを学びたい人を受け入れています。2019年までの直近14年間だけでも、28カ国140人以上の留学生を受け入れてきました。第2回は、近年の国際化の流れについてです。
海外からの希望に対して、以前は期間や学びたいことに合わせて個々に対応していましたが、問い合わせの増加に伴い、2009年からは英語で教える「留学生コース」を設定しました。内容は、手織りの基本を身につける「ビギナーズ」と、「絣」の基礎・応用。絣の技法自体は、世界各地に地域色豊かで多様な絣がありますが、日本の絣を学びたいという海外からの需要に応えてのことです。それまでは英語の共通言語でikatと呼んでいましたが、コースを設定してからは日本独自の名称kasuriとして定着しました。
毎年春と秋に定期開催するようになると、受講者の口コミで評判が徐々に広まり、2013年頃から応募者が年々増え続けて毎回定員オーバーとなる状況が続いています。受講者は、初心者や趣味で続けている人から、大学・大学院生、作家やデザイナーなどテキスタイルを仕事にしている人まで幅広く、手織りという共通の目的で世界中から集う方々を通して、それぞれの人生において自分に合った織りとの関係があるとわかります。織物を世界目線で見つめると、個々のライフスタイルや、社会・文化的な背景が多様である分、関わり方の可能性がさまざまに見えてきて、選択肢が広がります。KTSの国際性は国や文化の違いだけではなく、織りとの関わりの多様性があること。それは、手織りに特化した学校だからこそ見えてくる世界です。
専門コース本科「ニードルワーク」の上羽陽子先生が代表し、当スクール野田凉美アドバイザーが外来研究員として参加した国立民族博物館の共同研究「現代『手芸』文化に関する研究」の研究成果が出版されました!
「文化人類学、ジェンダー研究、美術・工芸史、ファッション研究……川島テキスタイルスクール(KTS)を紹介するシリーズの国際編をお届けします。本シリーズでは、創設時から続く国際化の広がりや、担当講師インタビュー、留学生の声など、スクールの織りを通じた国際的な関わりについて紹介します。第1回は、国際化の背景についてです。
スクールの国際化は、設立の構想段階から視野にありました。美術系大学院のCranbook Academy of Art(米国)など欧米30カ所以上を視察し、織物を世界目線で見つめて独自の土台を作ってきました。開校してからは、基礎から高度な専門技術まで幅広く学べる内容と充実した設備で、海外でも類の少ないテキスタイル教育機関として注目されました。以降、世界中の染織作家や同好者に創作に打ち込む機会と場を作り、海外から講師を招いてレクチャーを行うなどして国際関係を繋いできました。テキスタイルの伝統校HV Skola(スウェーデン)との交換留学制度は、現在も続いています。近年は、海外向けに英語で授業を行う「留学生コース」と「海外ワークショップ」を定期開催。海外旅行グループ用に染色や綴織りなど希望に合わせた講座も行っています。
KTSは、洛北の里山にある手織りの学校。種をまき、じっくり育てるような静かな持続を実践するうちに国際的な知名度は高くなり、かつてここで学んだ方が自国でテキスタイルを教えてKTSのことを生徒に紹介し、今度はその方が学びに来るという世代をまたいだ繋がりも育まれています。手から手へ、人から人へ、まかれた種が着実に世界に広がっているのが、47年続いているスクールの国際面の特長です。
*現・株式会社川島織物セルコン
川島テキスタイルスクールの専門コースでは、様々な先生が教えています。専任講師をはじめ、外部からも作家や技術者などを講師に招き、風通しのいい環境を作っています。このシリーズでは、そんな専門コースの授業の一部をご紹介します。(不定期掲載)
本科(1年次)では修了制作の一環として、綴織のタペストリーのグループ制作に取り組んでいます。スクールだからこそ実現する授業として、(株)川島織物セルコンから各現場の専門家を招いて「テキスタイルの現場」講義シリーズを行い、助言を受けながら制作を進めます。初回は、呉服商材のデザインを手がける山中正己さんによる授業「身装・美術工芸の現場から学ぶ『織下絵の講義、綴れ工場見学』」が行われました。
織下絵とは、原画を完成品と同じ寸法に拡大し、綴織を織るための図案を描いたもの。いわば、絵から織物にするための段階を可視化していく作業で、そこで色をどう拾い、どう境界線を引いて、無限の色数をどう整理するか。「正確さと緻密さが重要です」と山中さんは話し、そのポイントや注意点をくまなく紹介、制約の中で質の高いものづくりのための要素が詰まった講義となりました。
工場見学では、緞帳の製作現場へ。約20メートル幅の緞帳の織下絵の一部を見た上で、実際に織っている現場を歩きました。各工程が分業になることから、下絵から配色、織り手へと連携するのに綿密なコミュニケーションが大切。「線の引き方、色の分け方一つにもコツがあり、次の工程の人がわかりやすい指示を心がけ、二人三脚で意見交換しながら進めています」という現場の声を聞きました。作品、商品、スケール感の違いから、ものづくりの広がりを知る。共通するのは、細部まで気を配る姿勢。現場でのこだわりや進め方にヒントを得て、タペストリー制作に落とし込んでいきます。
私はデザイン一筋のキャリアで、図案を描き続けて48年になります。最初は絵画の複製でも絵に近づけようとしましたが、織物になる段階や、出来上がった物の美しさに触れる中で、絵にはない、織物ならではの表現があると知っていきました。それは緯糸を一越ずつ織り込んで生まれる力強さや風合いですが、言葉では表しきれない。織物の美しさが好きです。
〈山中正己さんプロフィール〉
やまなか・まさみ/織物主体の工業高校デザイン科で平面デザインを中心に絵画・美術一般を学び、1972年、(株)川島織物(現・川島織物セルコン)入社。商品本部生産部呉服開発グループ所属。入社以降ずっと呉服製品のデザインに携わっており、帯をはじめ、打掛、和装小物などの図案を作成している。
作家としてホームスパンに40年以上、スクールの専任講師としても1979年から継続的に携わっている中嶋芳子先生に、本校の卒業生である山本梢恵ディレクターがインタビューを行いました。3回シリーズの最終回は、織物と時代の距離感、中嶋先生から見たスクールの特長、先生にとっての織りとは、糸から教わることについてお話いただきました。
◆ 手織りの学びは、生きていく上の手助けに
——先生は、いつからスクールで講師を始められたのですか?
1979年からです。スピニングを教える講師を探しているという話があった時に、私を紹介してくれた方がいたんです。本科でのスピニングとホームスパンの授業から始まり、ワークショップも担当するようになり、その後、服地を織りたいという生徒さんからの要望があり指導を頼まれる、といった風につながっていきました。
——スクールの開校から6年経った頃。当時の学生さんは何を求めてスクールに来られていたのでしょうか?
その頃は、織物がそう遠くない時代でした。純粋に手織りをやりたい人が多かったですね。西陣で仕事をしていた人や、その後、八丈島に移住して黄八丈を織るようになった人、ブティックにお勤めの人などいろいろ。それから短大を卒業してから来る人など、時代に応じて学校もそれなりに変わってきたなという印象です。
——確かにそうですね。私も、とにかく織物が好きで続けたいという気持ちで、大学のテキスタイル学科を卒業後に更にスクールで学びました。当時の人たちは必ずしも就職を目指していたわけではなく、習った織りの技術を今度どう生かしていこうか、という雰囲気でした。今は、入学前から就職を考える人が増えた印象があります。それに伴い、学校のあり方も変わってきました。そんな変化について、どう思われますか?
難しいですよね。このスクールの主体は手織りですが、実際の市場は機械生産が主流で、化学繊維の場合は特に手織りから離れてしまう。その中で、織物の良さを経済活動につなげていくことは大事ですが、効率優先で考えると違う方向になる。スクールで学ぶ人は、目先の生産性とは違う目線を持てるようになればと思います。それがすぐに就職につながるかはわからないけど、生きていく上では何かしらの手助けになるので。今は、生活の背景にある実感があまりにも遠のいている。手織りに取り組むことで、物がどうやって作られ、人の生活がどんな背景で成り立っているかを実感するきっかけになります。それは、ものの本質を見る目を養うことにもつながるのではないかと思います。
◆ 時間感覚を捉え直す機会に
——スクールでの約40年を振り返って、印象深いことはありますか?
1980年代後半、毛紡ぎの黎明期に先がけてスクールが海外から講師を呼んで、「公開工房」としてワークショップを開催していた時期があります。そこで、オーストラリアから来られたレイニー・マクラーティ先生(Lorraine MacLartyさん)が10年以上、毛の繊維の手紡ぎのワークショップをされていて、私がアシスタントに入ることがありました。レイニーさんは理論的に教える方。私は、それまで感覚的に行っていたので、今までとは異なった見方があると知れたことが刺激になりました。理論は、学ぶ人からすると導入の手立てになる安心があると思います。ただ数字だけでわかった気になっても、現実はその通りにはならない。だから、理論で組み立てることを踏まえた上で、実践における感覚が大事だと私は思うの。
——スクールが開校して47年。ここまで続いてきたのは、この学校だからこその特長があると思うのですが、それは何でしょう?
年齢や国籍を問わずに、受け入れの間口が広いこと。時代が変わっても、基礎からしっかりと学べる土台は変わらないこと。実際に手を動かして制作経験が積めること。紋切り型にシステムに従うのとは違い、創造していくための時間と空間が存分に持てることでしょうか。
——静かな環境で取り組めるのは、時間感覚を捉え直す機会にもなります。
学生の中でも、そんな時間の使い方の良さを理解してくれる人もいますね。
——そういう意味では、自然に囲まれたこのスクールは、制作に集中できて、静かに自分と向き合える環境です。
人生の中で、そんな時間を持つのは大事だと思います。学生を見ていると、2年経って修了する頃には、表情が変わる人も結構います。
——私はこれができる、と自信を持って言えるものに出会うからでしょうか。1、2年でそこまで変われるのもスクールの特色なのかもしれません。学生に向けて、伝えたいことはありますか。
今の時代は変化のスピードが速くて先が見えず、一つのことを続けること自体、難しい状況があるかもしれません。好きなことを続けるのに、いろんな方向から物事を見ながら進み、長い目で大きな一つの流れとして捉えると道筋が見えてくることがあります。自分の軸を定めて、そこから定点観測するように世の中の流れを見る。時に自分が流されても、流されている自分を客観視できるような状態でいる。そうした自分の基盤があれば楽じゃないかなと思います。
◆織物は考える手立てになる
——先生にとっての織物とは?
何でしょうね、うーん……、安心。織物をやっていることで気持ちが落ち着くし、共にあるという安心感を得られますね。
——私も聞かれたら困る質問です(笑)。織りは、自分にとって特別なものではなく、暮らしの一部です。
制作自体、時間も手間もかかって大変ですが、織っている間は没頭できて気持ちいいですね。だから、(コロナによる)自粛期間中でも家にいることがそんなに大変なことではなかったの。
——先生の織物に対する思いは?
これからも織物が残っていってほしい。人との関わりを含めて、織物はいろんなことを考える手立てになると思うんです。手織物をつくるのには、長い時間がかかります。糸だけをみても、私の場合100グラム分の糸を作るのに、原毛を洗い、乾かしてほぐして、カードがけして糸にするまで何日もかかる。こんなに時間をかけても、同量の機械による紡績糸の値段を考えると、私は何をしているのかしらと思うこともありましたが、もう比較することをやめました。気にしない。今のとても慌ただしい世の中においても、ゆとりを持って眺めることの大切さを糸が教えてくれています。そのこと自体が、私にとっての価値であり、かけがえのないことだと思うので。
——約40年、スクールと共に歩んでこられた中嶋先生。今回のインタビューで、「織物とは共にある安心感」と語ってくださった言葉が、とても深いメッセージでした。手織りに向き合う価値観や、シンプルな暮らしを大切にされてきたことが、ずっと織物の仕事を続けることへとつながっているんですね。
これからスクールを設立50年、60年へとつなげていくために、時代に合った学びの形、変わるものと変わらないもの、スクールの伝統と理念を根底に未来像を描きながら、私たちも歩んでいきたいと思います。本日はありがとうございました。
このように昔を振り返るのは、私にとっても初めての機会でした。ありがとうございました。昔から今を思い返して、時代の変化を改めて感じました。いくら世の中が大きく変わっても、私は一本の糸から始めたい。
おわり