スクールをつづる

修了生インタビュー:「織りは私の人生のアクセントというか衝撃」

 長年勤めた仕事を退職し、ウィークエンドクラスを1年受講後、織りを本格的に身につけたいと専門コースに入学したSさん。現代社会で生き、時間に追われて働いてきたところから、織りを学んでこれまでとはまったく違う価値観の世界を知ったといいます。修了を迎え、「本来の自分を取り戻せて、すごくほっこりしています」と穏やかに語るご本人の、専門コース2年間の歩みをインタビューでたどります。

◆私の力よりもちょっと上のところ、未知の世界へ

——いよいよ修了を迎えますが、専門コースの2年間で特に印象に残ったことはありますか。
 みんなの修了作品です。それぞれ頭の中にあるイメージが違って、自分のやり方で一生懸命形にしている。1枚の布ですが1枚の布だけじゃない、作品の後ろにある人間を感じるところに感動しました。

——このスクールには人生の転機に入学される人や、いろんな背景の人たちが集っていて、作るものにもその人が反映されるのではないかと思います。
 この学校で織りを学ぶ中で、布ってまさに生活そのものだなと感じることが多々あって。表現の要素が、単なる表現ではなく日々に基づいている表現というのかな、それに美しさが加わって。私は『枕草子』が好きで古典作品の中に描かれる美しい衣装から、織物に興味を持ちました。あの随筆には作者が日々の生活の中で見つけた美しいものたちが書き綴られていて、私たちが自分の好きなものを一枚の布で表現しようとすることに通じるように感じます。

——表現の要素についてもう少し聞かせてください。それはアートや自己表現とは違うということ?
 ちょっと違うと思います。学校ではデッサンの授業やデザインを学ぶ演習がある一方で会社(川島織物セルコン)の職人さんがされているような技術を学ぶ織実習もある。糸を紡いで織るという生活に根ざした昔からの土台があって、技術的な部分、芸術的というか新しい表現みたいな部分、と複数の要素があると思います。

——特にそう感じたのは何ですか?
 絣です。絣というと矢絣しか知らなかったんですけど、絣糸の使い方で表現が広がるとわかりました。糸を括って染めるのは、糸によって染め方も違うし、色の境目を括る感覚とか織の風合の感覚とかは技術と勘の部分です。デザインには芸術的な要素が入っていると思うんですけど、自分がやりたいイメージをそのまま絣で落としこもうとすると難しく、織物の経緯の規則性の中で考えながら整えていく。下絵や製図を描いて、理論的にこうできるはずと計画しても自分の技術が追いつかなかったり、糸の性質、織り機との相性、打ち込みの仕方でも変わったりして、自分の限界を超えて取り組んだ感じがします。

——自分の限界を超えて、というのは。
 失敗を繰り返して学び続け、1年目はできなかったことが2年目でできるようになったことも多いです。先生方がたくさん引き出しを持っておられて、こうしたらできると教えていただいて。ただ自分の技術がついていけるかのせめぎ合いで、私の力よりもちょっと上のところ、未知の世界をいっていました。周囲のあくなき美、いいものを追求する姿勢に刺激を受けて私もそこまで必死でたどり着こうとした。今の私の精一杯は出し切ったと思えます。その分しんどかったけど、できたわ!を積み重ねて織りにハマっていきましたね。織りというより絣にハマったのかな。

春が来た (2025)

◆うまくできた時はずしっと肚に落ちた

——個人制作では、絣を使った作品づくりに専念されていました。
 じつは絣は苦手でしたが、自分の中でよくわかっていなかったからわかりたいという気持ちがありました。1年目の修了作品はクラゲの足をモチーフにした経緯絣のタペストリーを制作しました。化学染料で薄い色を何色も染めたのですが、自分で色を出すのが楽しくて。それに絣糸を組み替えながら織って1つの布になるのが面白いと思ったんです。
 2年目の制作では春の野の花をモチーフにした作品を作るのに、綴か絣かどらがいいかを先生に相談し、絣の方がニュアンスが出るのではとアドバイスを受けて経緯絣のパネルにしました。天然染色で色にこだわるのが2年目のテーマだったので、先輩から引き継いだスクールのクサギや市原の葛も使って染めました。その次の作品では波の動きを経のずらし絣で表現したタペストリーにするのにも全て天然染色で染めましたが、絣は染色と相性がいいんじゃないかな。その頃には絣がこうしたらこうなると仕組みがわかってきて面白くなったのもあります。

——学びを深めてきた中、ご自身にとって織りとは何でしょうか?
 頭の中にあるものを形にして表現する面白さや、喜び、驚き(を与えてくれるもの)。制約の中でどうしたら表現できるかを考えるのが好きで、何もないところからイメージを思い描き、工夫しながら作ったものが綺麗な布として現れる。その布が自分の身近にあると楽しいし落ち着くし、自分に自信が持てる。そうやってハマり続けています。

WAVES (2025)

——前年のインタビューでは自分第一主義でいくと話していました。今はどうですか? 
 それはもはや普通になりました。夫がご飯を作れるようになって、帰ったらご飯ができている生活です。この2年間は自分のことしか考えてなく、自分第一主義を貫いた達成感もありますね。特に2年目の専攻科はすごく濃かったです。

——専攻科の何が濃かったですか。
 制作の大変さが少しはわかった気がします。時間との戦いの中、自分がこだわる美しさをどうやったら今の技量で出せるかを考え詰め、落とし込むまでがしんどくて。デザインも最初まとまらず、できるか?と常に自分と向き合って、やめた方がええな、やっぱりここは入れたい、入れたら○本括るの増えるな、でも絶対ここは譲れへん、みたいなせめぎ合いでしたね。制作中もうまくいくか不安でしたが、できた時はずしっと肚に落ちた。不安が回収でき、これでよかったんやと確かなものを得た感覚がありました。

◆織りを通して自分と向き合い、せめぎ合って人間の幅が広がった

——制作を通して、ご自身の変化もあったのでしょうか。
 何に対しても寄り添う気持ちが少しは出てきたように思います。働いていた頃は「早く・大きく・はっきりと」みたいなスタンスでした。現代社会の中に生きていましたから。ですが、ここで学んだ織りは全く違う世界でした。

——どう違いましたか? 
 織りは1ミリ何本の世界じゃないですか。今までざっくり5ミリぐらいで生きてたのに(笑)。糸の扱いも、癖や向きがあるのに無理に自分の思うようにやろうとしてもうまくいかないけど、向きや流れを見てこの人(糸)はどうしたいんやろと考えながらやると、糸が綺麗に揃ったり結べたりすると少しずつわかってきて。これまでとは全く違うものの見方を得て、ややこしいことでも今は一息置いてどうしたらいいのかと考えたり、1ミリのずれを合わそうとする丁寧さを少しは得たかな。でもそれは前の仕事の世界でも実はとても大切なことだったなと思います。

——この現代社会で丁寧に生きるって、本当に大変なことだと思います。
 そうなんですよ、これまで時間に追われて生きてきたので。結局、周りに急かされたり渦に巻かれたりする中で流されて生きてたんやなと今ならわかります。織りを通して自分と向き合い、せめぎ合いながら、少しは人間の幅が広がった感じはします。

——修了を迎えた今、晴れやかな表情されています。
 大満足です。やっぱりこの現代社会の中で生きていた時に、いろんなことがもつれたまま進んで、それがここでほぐれた感じがあります。それは手仕事、手を動かすところから来ているんじゃないかな。

——手を実際に動かしながら、自分もほぐしていけたんですね。
 ほぐしながら自分の好きなものがわかりました。やっぱり綺麗なものが好きやなって。何に綺麗だと思うか、綺麗だと思うものをどう表現するか、どうしたらうまくいくかをじっくり考えて形にしていくプロセスから、本来の自分を取り戻せて、今すごくほっこりしています。

——これから織りをどう続けていきたいですか。
 やっぱり綺麗な布を作りたいです。暖簾とかマットとか私なりの綺麗なものを暮らしの中に取り入れていきたいです。織りは私の人生のアクセント、というか衝撃となりました。もう夢を追うような歳じゃない。だけど去年より今年の方がいろんなことができるようになっているし、小さな可能性から人生を楽しむことはできる、また新しい喜びをつかんでいける、と今は思えます。

修了生インタビュー: 「織りが自分の人生に近い存在に」

「テキスタイルが好き」という気持ちをあたため続け、仕事を辞めて2022年に専門コースに入学したS・Hさん。未経験から織りを学び、スクールの3年間で自分の作風を大切にしながら作品制作に励み、ずっと好きだったテキスタイルブランドに就職しました。「人生の方向性が変わって良かったと思います」と、修了時に清々しい表情で語ったS・Hさんのインタビューです。

On my way (2025)

◆綴織で絵本、私らしいものができると思った

——まずはさかのぼって、入学の経緯を教えてください。
子どもの頃アメリカに住んでいて、帰国後は高校の2年間をインターナショナルスクールに行っていました。当時はテキスタイルやファイバーアートに興味があって、卒業後の進路を先生に相談した時に川島テキスタイルスクールのパンフレットを見せてくれました。オーストラリア出身の美術の先生だったのですが、川島に進学した卒業生がいて知っていたそうです。当時は結局、国際関係の大学に進んで就職したのですが、輸出入の仕事をしていた時期、コロナの影響で仕事がすごく減ってしまって。テキスタイルへの思いはずっとあったので、このタイミングで専門的に学ぼうと川島に引き寄せられたんです。そこから人生の方向性が変わって、それは良かったと思います。

——最初から専門コースに3年行こうと決めていたのですか?
せっかく織りを学ぶからには作品をつくりたくて、2年は行こうと思っていました。この学校のようにいろんな種類の機を使ったり、設備の整った染色室で染めたりできる環境はなかなかないので、ここで作品をつくってきちんとしたポートフォリオを作るという目標ができて3年目に進みました。私は色を生かした表現が好きなので、いろんな色の糸をたくさん使って、綺麗だなと思うものに色々触れられたのは贅沢だったと思います。

Bright (2023)


——3年間で印象的なことはありましたか。
私は全く織り経験がない初心者で、手先が器用でもないので、1年目はずっと挑戦の連続でした。皆で一緒にやる実習が多くて、周りの器用な方とつい比べてしまったりして気持ちに余裕がなかったです。でも1年目のいろんな織り実習を通して、自分の向き不向きが何となくわかったというか。絵のような光景のようなデザインを考えるのが私は向いていると思ったので、綴織の技法が合ってるのかなと。綴織で私らしいものができると思い、1年目の個人制作では綴織の絵本をつくりました。修了展で作品を見た方々から、気に入ったとかポジティブな感想をいただけて、自分に少し自信が持てるようになりました。大変でしたが何とか乗り越えたと思えるので、1年目が印象的です。

◆京都の街を歩きながら発見したものをモチーフに

——2年目、3年目はどうでしたか?
制作スケジュールを立てて自分のペースで進められる分、私はやりやすくなりました。授業で捺染絣とダマスク織りを新しく学び、先生のアドバイスで2つを組み合せた技法で作品をつくってみたら面白くて。それで3年目も前年の作品と連作で、2つの技法を融合させて作品をつくりました。モチーフは京都の街を歩きながら発見した格子窓や銭湯の湯気、会話、行灯など。これまで京都のように古い町家がある街に住んだことがなかったので、街歩きも楽しかったし、考えついたアイデアをつくることで試していけるのもやりがいがありました。修了制作でも今まで学んだ技法を取り入れて、自分の作風を出した作品がつくれたのではないかと思っています。

左:A Conversation / 右:Bath Time (2024)

——在学中は留学生とも交流されていました。
留学生の作品は年によって作風も違って、今年(2024年度秋コース)の方はインテリアっぽい作品が多く、前年の方々は芸術的でメッセージ性のある作品をつくられている方が多い印象でした。それぞれ全く違う作風に触れ、こんな表現があるんだと触発されましたね。みんなで一緒に出かけたこともあって楽しかったです。学校では先生方がFikaを開いてくれて、焼き芋やおやつを食べながらみんなで話したり、スウェーデンの交換留学から戻ってきた先輩の話も聞けたりして、いい思い出です。

◆織りをもっと近くに感じてほしい

——スクールでの3年を経て、好きなテキスタイルブランドに就職が決まりました。どんなお仕事に就くのでしょうか。
インテリアの営業や商品の仕入れ、海外からの輸入や、ポップアップショップの企画や運営など、インテリア関係に幅広く関わるみたいです。まずはアシスタントとして経験を積んでいく予定です。

——修了生は職人の道に進む人もいれば、テキスタイル関係でも就く仕事の幅が結構広いのですが、進路は自分で納得していますか。
そうですね。自分が向いているのはつくる側の人よりも、アイデアを考えたり企画を立てる方だなと思って仕事を探しました。就職先のブランドもテキスタイルに興味を持ち始めた高校の時に知って、素敵だなとずっと思っていたので。

——インタビューの初めに、人生の方向性が変わったと話されましたが、この3年間、作品をつくることで新しい自分を形成していった印象も受けました。ご自身にとって織りとは何でしょう?
今まではただ、こういう布が好きだなと考えていたものが、実際につくれるようになって関係が近くなったというか、より自分の人生に近い存在になりました。テキスタイルは日常との近さがいいなと思うんです。インテリアでもクッションやカーテン、タオルもテキスタイルですし。他の表現方法もありますが、近いけど特別な存在を表現するにはやっぱりテキスタイルの温かみがいいなと。そこには織りをもっと近くに感じてほしいという思いがあります。

——織りを身近に感じてほしいという思いで、作品をつくってきた?
いいなとか面白いなと思ったものを取り入れて、作品として見てもらう。そうやって自分の思いを伝えるための方法ではあるんですけど、距離としては身近なものであってほしい。もちろん伝統工芸としても大切にされてほしいですが、そこに行くまでの敷居が高いな、それだけだと世界が狭まっちゃうかなと思うので。けれど日常にあるものだと割と大量生産が多くて、あまりありがたみを感じないというか。織物はつくるのがすごく大変で、時間もかかるし途方もないんですけど、入学する前の私のような織りを知らない人にも、どうやってできているんだろうとか興味のきっかけになるような織物ができたら楽しいなと思って、取り組んできました。

——自分の思いと、見た人がどう思うかの両面を大事にしている。
私は人のことを気にしすぎるって昔から言われます。人からどう見えるかと自分の視点って全く違うので、そこは怖くもあり面白くもある。(性格的に)よくないとされる部分でも、いろいろ気にしてるから観察する部分もあるし。そこを意識して作った方が自分なりにどういう作品になってほしいかという方向性が見い出せるので、作品づくりには生かせているのかもしれない。だからそういうところもテキスタイルに助けられています。

——これからも働きながら、ご自分でもつくり続けたいですか。
可能ならつくり続けたいです。そのためには時間のやりくりと環境が必要ですね。アイデアはあります。

制作の先に:「『楽しい』を合言葉に」 綴織タペストリー「オコメ・ワンダーランド」が食堂に登場

専門コースの学生が制作した綴織タペストリー「オコメ・ワンダーランド」が、スクールの食堂に飾られました。昨年(2024年度)の本科の学生たちが、場所に合わせてデザイン・制作した作品で、食堂を使う人たちからは「空間が明るくなった」と好評です。

「さらさら そよそよ 色々な音に耳をすませて 一粒のオコメからはじまる旅にでかけよう」というコンセプトのもと、食のめぐりを織りで描いたタペストリー。

「制作中はずっと『楽しい』を合言葉に、自分たちも楽しんで織っていました。大変でしたが、一つの大きな作品をみんなでつくった経験は楽しかったです」と制作メンバーの一人は朗らかに話します。「タペストリーが食堂に飾られてからは、タペストリーのある明るい方に面して食事するようになりました。ワークショップで来られた方々もタペストリーを見ながら食事する人が増えた気がします。そうやって見てくれる人を見るのも楽しいですね」。普段使っている場所だからこそ、タペストリーの効果を実感している様子。

食堂スタッフは「大きさに迫力がありますね」「淡く明るい色合いで、食堂に来られる皆さんに柔らかい気持ちで過ごしていただけるのではないかと思います」とコメント。

楽しさあふれる作品が、織りに打ち込む学生たちのリフレッシュ時間を彩ります。

「第8回学生選抜展」受賞のお知らせ

日本新工芸家連盟主催特別企画「第8回学生選抜展」で、技術研修コースの王今さんの綴織タペストリー「Memory」が田中直染料店賞を受賞しました。

「Memory」

選抜展では他にも、創作科の日岡聡美さんの綴織タペストリー「on my way」も展示されます。

第8回「学生選抜展」は第47回「日本新工芸展」の巡回展に伴って全国三都市で開かれ、受賞作品「Memory」は三都市全て、出品作品「on my way」はそのうち東京と京都で展示予定です。ぜひご覧ください。

東京本展:5月12日(月)~18日(日)東京都美術館
東海展:6月21日(土)~29日(日)松坂屋美術館(名古屋)
近畿展:7月1日(火)~6日(日)京都市京セラ美術館

日本新工芸家連盟

修了生インタビュー:「答えが返ってくる安心感のある場所」堤加奈恵

 2024年秋から約3カ月間、川島テキスタイルスクールの技術研修コースに通い、着尺を制作した堤加奈恵さん。繊維造形作家で、大学でテキスタイルの講師をしている堤さんがスクールで着尺を学ぼうと思った動機や、制作プロセス、学んだ実感などについてお話を伺いました。

◆着用するための布を織る経験は必要だと思った

——堤さんが着尺を学びたいと思われたのはなぜですか?
 日本で染織のことを考える時に着物は避けては通れない。今は着物と言えばフォーマルな存在ですが、昔は仕事着や生活するために使う布も家で織られていたことを思うと、着用するための布を織る経験は必要だと思ったんです。あと、着尺といえば一番難易度が高い認識です。独学でも着用する布は織れますが、まだ知らない方法を知りたいですし、学びを得たいと思っていましたのでまずは着物の技術を最初から最後までしっかりと学んだ上で、これから自分で作品への転換などいろいろ考えながら制作していきたいと考えました。

——川島テキスタイルスクールを選んだのはどうしてですか?
 修了生とお仕事をご一緒する機会が何度かあり、技術がしっかりしていると思っていたんです。大学とは違って年齢も経歴もさまざまな方たちが同級生という環境も面白そうだと思ったのもあります。

——今回、堤さんは技術研修コースで制作するのに支援金を得て、スクールの修了展を作品発表の場にするという方法をとっておられます。その内容を教えていただけますか。
 日本美術家連盟「美術家のための支援事業」に採択いただき、この支援金を充てています。作家活動を続けるにはお金の問題がどうしてもあって、助成金を申請して予算を確保する方法というのは作家の先輩から教えてもらってきました。財団や協会によって締切や支援金スタート時期が違うので、コース開始に合うものを選んで申請しました。昨年夏から申請書を書き始めて、決まったのは10月。採択されなかったら自費でも受講しようとは決めていました。

——今回の制作では、花脊(京都市左京区の山村地帯)で採取した植物で染色されました。どのように構想されたのでしょうか。
 今回の着尺もやるからにはテーマを持って制作したいと思っていた矢先に、花脊の方と知り合い、現地に通う中で地域の問題や状況を知り、植物の生態系を守る活動とつなげるテーマに至りました。その上で染料として選んだのは経糸は繁茂を続けるオオハンゴンソウという外来植物で、緯糸は花脊を象徴するチマキザサをはじめ、昔から親しまれてきたトチやクリ、クロモジ、カナクギ、ハギなど。生態系を脅かす外来種を経糸に、昔から地域の方々に親しまれてきた植物を緯糸に織っています。オオハンゴンソウは特定外来生物に指定されていますので、自然観察指導員の方と同行し、ご指示の元で作業をさせてもらいました。

——染色するのにスクールの環境はどうでしたか?
 設備が整っているのは大きいですね。外のスペースでも染められるし、大きい鍋もあるし、家でやるのとは全然違います。山がすぐそこにあるので、煮出した後の植物を自然に返せる。肥やしになると思うと、ごみとして捨てるのとは気分が全然違います。私も将来、こんな染色室を持ちたいという明確な夢ができました。

——制作環境としてスクールはどうでしたか?
 直接先生から教えていただく内容はもちろんのこと、長い年数ここで織物を教えているからこそ蓄積されている情報の多さ、校舎にある設備や織機、道具類なども見ていて勉強になりました。他の学生さんもいろんなものを織っておられて、作業途中の織機を見て、こういう風に進めるのかとか。今まであまりまじまじと見たことのない織機もあって、いろんなタイプの織機を見られたのも楽しかったです。

◆絹糸の扱いにくさに驚き、着物になって納得

——着尺の制作における学びの実感はどうですか。
 すごく濃厚な3カ月で、めちゃくちゃいい経験でした。最初、絹糸の扱いにくさに苦戦しました。普段ウールや綿や麻はよく使うのですが、これまでほとんど生糸を扱ってこなくて、細いし、浮くし、静電気でひっつくし、ささくれに引っかかるしで、これは何?!本当に着物になるまで漕ぎ着けられるの?!と。精練の段階(染色の前工程)から衝撃で、(アルカリ性のお湯につけて)表面のセリシンが溶けていく様子や、どんどん光沢が出てくる事に、昔の人はよくここにこの艶が眠っている事に気づいたなとか、考えていました。そして、この扱いにくい生糸をいかに扱いやすくするのか、というところにも知恵が詰まっていて、改めてすごいなと思いました。
 絣についても、どの工程も隙がなくて気が抜けない。思い通りの柄を出すための1mmの為の神経が凄まじく、着物にかけるエネルギーがすごいと思いました。衣服のデザインや選ばれる素材は、昔から権力の象徴であったり、集団行動をする上で大切な役割だったことについても考えました。これまで私の知っている絣と、今回取り組んだ絹糸の着尺の絣は全く別物でした。

——着物に仕立てた作品を見て、今どんな思いがありますか。
 縫い合わさって立体的に仕上げたものは、絹独特の艶感が際立ち、光の受け方も相まって布の色の見え方が美しい。今までの苦労が全て報われた感じがして、大変な素材ではあるけれど、この美しさを前にして納得できました。

——スクールでの学びは堤さんにとってどういうものでしたか?
 すごく気持ちいい時間でした。ここは技術の集積所みたいだなと。現代では自分で織ることはほぼされなくなり、生きた技術はすでになくなっていることが多い中で、技術を集積しているのがこの学校だと思ったんです。先生から教わる時もそうですし、会社(川島織物セルコン)で蓄積された専門技術もこの学校で担保され、守られている。円の中に多角形で表すグラフ(レーダーチャート)で表すと、面積が広くて総合的にバランスがとれているイメージ。そんな場所がどっしりと存在してくれている有り難さを感じます。駆け込み寺のような、どうすればいいかわからないことでも聞けば必ず答えが返ってくる、安心感のある場所として存在している気がします。

——本気で織物をやりたい人が学びに来てくれるからこそ、スクールも日々更新しています。作家で講師である堤さんの学びの姿勢に励まされる人もいるのではないかと思います。学びたい時はいつでも戻ってきてください。ありがとうございました。

*堤さんは2020年、専門コース「表現論」の講義でゲスト講師としても来られました。授業リポート記事はこちら

Fika・焼き芋パーティーを開きました

秋晴れの空の下、スクールのバルコニーでFika(フィーカ)・焼き芋パーティーを開きました。留学生と専門コース、技術研修コースの学生たちが集い、あつあつの焼き芋や焼きリンゴ、焼きマシュマロなどをほくほく食べながら、学生同士会話も盛り上がり、楽しい交流のひとときとなりました。

当日朝は火を起こすところからスタート。安定した炭火をつくるために辺りで拾った木の枝や落ち葉を投入するなど、山に囲まれ、広い空間のあるスクールの環境だからこそできる本格的な焼き芋づくり。学生が集う頃には、中までしっかり火が通った、あま〜い焼き芋ができ、みんなの顔もほころびます。

焼き芋は初めての経験という留学生も多く、それぞれの国のさつまいも料理を紹介したり、日本の学生たちも積極的に英語で話しかけたりして、火で暖まるとともに、場の空気も温まっていきました。火の通った食べ物と温かい飲み物、心の通った交流で、みんなで心身ともに温まった秋の午後となりました。

制作の先に:「実り豊かな未来へ」 綴織タペストリー「夢への羽ばたき」がまこと幼稚園へ

専門コースの学生が制作した綴織タペストリー「夢への羽ばたき」が、このほどまこと幼稚園(京都府向日市)へ納入されました。例年、本科の学生たちが修了課題の一環として、幼稚園や福祉施設などと提携して特定の場所に飾るための綴織タペストリーのグループ制作に取り組んでいます。まこと幼稚園で決められた場所は同じ敷地内にある向日町教会の入口。園と教会が一体化した特徴的な建物で、園児さんや教会に礼拝する方々が行き来する場所です。

教会という場所に作品をつくるのは学生にとっても初めての経験。牧師でもある宮地園長から「聖母像」という壮大なテーマを受けた今回の制作について、学生の一人がこう説明しました。「どうやって表現するかが難しかったですが、園長先生が園に通う子どもと親の姿と重ね合わせて、園の教育方針とともにわかりやすく説明してくださいました。そのお話をもとに皆で話し合って、親子の深いつながりを鳥のイメージに落とし込み、親鳥のくちばしには幼稚園のシンボルであるぶどうを描いて、実り豊かな未来へと羽ばたくイメージにしました」。話を受けて園長は「母親の力強い羽ばたきと、幼い子どもの羽ばたきが呼応して対になり、命がひとつのような安定感が胸に沁みます」と語り、「本当に感謝です」と声に力を込めて伝えてくださいました。

宮地園長はまた、(株)川島織物(現(株)川島織物セルコン)社長の4代川島甚兵衞が個人として向日町教会に関わり、1937年に教会と幼稚園の建物を土地とともに献納した、という話を紹介。4代甚兵衞は川島テキスタイルスクールの創立者でもあります。ともにスクールの基盤を築いてきた木下猛も向日町教会に関わっていたそうで、こんなエピソードも話してくださいました。「木下さんは仕事とは別に、個人として教会の役員をしていました。現在の建物は1982年に建て替えているのですが、その建て直し時にいい建築家がいると内井昭蔵さんを紹介されて設計を依頼しました。ですから木下さんがいなければこの建物は建たなかったんです。建物は私たちの歴史でもあり、つながりがタペストリーに結実したのは嬉しいですね」

1973年設立の川島テキスタイルスクールも内井氏の設計。今回の制作を通して、人と建物を通した知られざる縁について知る機会となりました。最後に園長は周りの人たちに向けて朗らかに言いました。「みんなで大事にしていきましょうね」