スクールをつづる

修了生インタビュー:「自分の好きを追いかけた3年間」木村華子

2020年に専門コースに入学した木村華子さんは、美術高校を卒業後、スクールで1年目に織りの基礎、2年目からはファッションテキスタイルを専攻して3年間しっかりと学びました。修了後は(株)川島織物セルコンに就職します。自分の「好き」を積み重ねて「3年間学んでよかった」と笑顔で語る木村さんに、学びの歩みや、自身の変化、やり抜いた今の思いなどを語ってもらいました。

◆ 次は進歩したい
〈インタビューは修了展の会場で、展示作品を見ながら行いました。〉
——作品が展示されて、今の気持ちを教えてください。
嬉しい気持ちもあるけど、自分の手から離れていったさみしい気持ちもあります。向き合ってきた時間が長かったので、作品が子どもみたいに思えます。糸の素材感を生かして、どうやったらうまく織れるか、たくさん試織したので、がんばったな、ちゃんと織れてよかったなと、ほっとした気持ちもあります。

純喫茶のお気に入りのスイーツのイメージを服地にし、スカートに仕立てたシリーズ作に仕上げた
(右から) 「宝石」喫茶ソワレのゼリーポンチ
「甘酸っぱい」純喫茶アメリカンのヨーグルトパフェ
「ほろにが」純喫茶フルールのプリンパフェ
「宝石」喫茶ソワレのゼリーポンチ

——木村さんは2年目の専攻科で、ファッションテキスタイルを専攻しました。この専攻を選んだ理由は?
まず、服地を織りたい気持ちがありました。それで着物かファッションかで専攻を迷ったのですが、ふだん私が身に付けているのは洋服だなと思って。実際に自分が着て、やさしくなれるというか、気持ちがいいと感じる生地をつくりたいと思ってファッションテキスタイルを選びました。

——そのなかで、どのように制作に取り組んだのでしょうか。
制作のテーマを設定するのに、自分が好きなものは何だろうと考えた時、レトロなものに惹かれる自分に気づきました。1950年代のシンプルな服の形が好きで、初めは50年代をテーマに服地をつくりました。だけど、その先で行き詰まってしまって。今振り返ると、レトロで何かつくりたいまでしか見えていない状態の中で、年代にとらわれ過ぎたのかな。レトロって何だろうってすごく悩みました。

——行き詰まったところから、どうやって方向を見い出したのですか?
いろんなものを見て、視野を広げました。3年目に進み、改めて私はレトロの何が好きなんだろうと考えた時、今の私と同じ20代の人にも昔の服の生地感の良さを知ってほしい、着てほしいという気持ちに変わったんです。それで素材を中心に考えていこうって目標を立て、レトロの中でも純喫茶のスイーツにテーマを絞って、イメージと食感を服地にし、スカートに仕立ててシリーズ3部作にしようと結びつきました。

——スクールの学生同士で、刺激し合う部分もありましたか?
周りで織っている姿を見て、自分も頑張ろうっていう気持ちになれました。同学年の人とは、制作途中の発見や失敗、他愛もない話まで何でも話せて、悩みも言い合えました。話すことで次は進歩したいって思えたし、心強かったです。

——専門コースの2・3年次では、制作するのに自主性が必要ですが、そこで先生との関わりはどうでしたか?
毎週1回、制作過程を報告するミーティングがあったのがよかったです。サンプル生地を見せながら、自分の織りたいイメージやアイデアを伝える訓練になったし、伝えることで、より作品づくりに向き合うことができました。先生方は織りに詳しいので、私が気づかないところからアドバイスがあって、そこからやり方を自分で切り替えられたりして、制作意欲を保ちながら自分のやりたいことを形にしていくのに、ミーティングは大事な時間でしたね。

◆産地の方々と一緒に、ものを作り上げる経験
——木村さんは翔工房事業((公財)一宮地場産業ファッションデザインセンター主催)に挑戦し、尾州産地の「匠」と呼ばれる熟練の技術者とコラボレーションしてワンピースを製作しました。その経験は木村さんにとってどんなものでしたか?
仕事としてものを作り上げていく経験が、私自身の大きな糧になったと思います。匠の方と一緒に企画して進めるのに、自分が描いたデザイン画を見せながら、素材や色の重なりなど「こうしたい」と考えを伝えて、形にするのに相談しました。ここでは私は織らずにデザインだけの関わりだったので、初めは伝えるのが難しいと感じましたが、伝えないと理想の服地ができない。裾をフリンジにして経糸を見せるデザインにしたいと伝えると、「やってみるね」と匠の方がシミュレーションしてくださり、イメージと違う場合は私もちゃんと「違う」と伝えて、変えてもらって。匠の方からは袖の部分に柄の変化をつける方法を提案いただいたりして、一人でつくる時とはまた違う柄ができるなって実感しました。

——スクールは手織り、この事業では機械織りという違いもあります。両方を経験することで、何か気づきはありましたか?
手織りだったら、あまり経糸に他素材を入れないですけど、機械織りで、経糸にいろんな素材を入れて織り込む技法を経験できたのはよかったです。機械には機械の良さがあると知り、逆に手織りでしかできないことをもっとやりたいなと思いました。

——織りを学んできたからこそ、製作現場で強みを感じた部分は?
糸の状態と織ったものを見るのとでは、色のイメージが全く変わります。スクールで糸も織り組織も両方を学んできたからこそ、織った時にこう出るというのが頭の中でイメージできました。現場でのやりとりで、「こういうパターンで作りたかったら、ジャカードじゃなくてドビー機で出せるよ」と言われた時に、機の機能がぱっと頭に入ってくるし、「朱子で織る」というと「柔らかい風合いになるんですかね」というふうに話が通じるのが「気持ちいい」と匠の方に言ってもらえたのも嬉しかったです。

——3年目は翔工房事業に参加しながら、スクールでも並行して制作を進めてきました。外と内の両方で、ものづくりに取り組みながら自身の変化に気づくことはありましたか?
翔工房で他の学生が製作した竹糸を用いた製品を見て、私も竹糸に興味を持って自分の制作でも取り入れてみました。竹糸は、糸自体は柔らかいんですけど、湯通しすると硬くなり、織って生地になるとすごく柔らかくなって、変化が面白いと思いました。そうやって素材感が変わるのも、糸から生地をつくっていなかったらわからないこと。これまでスクールの制作でたくさんの糸を試して、縮絨も経験してどのぐらい縮むかも見当がつくようになったので、竹糸のように初めての糸を扱う時でも、大きな失敗がなくなりましたね。

◆「好き」しか追いかけていない
——木村さんが3年間の学びで、積み重ねてきたものは何でしょう。
どうしたら織りとして成立するか、今まで学んできた中からこうできるだろうと、頭の中で考えられるようになりました。試織などで失敗を繰り返したからこその学びじゃないかなと思います。
それに機の準備が大好きになりました。織るのと同じく準備も3年間やってきたので、こうしたら早くできるとか、スムーズに糸通しできるとかが大分わかるようになって楽しいです。そうやって3年間楽しく織りに向き合えたのが、本当によかったなって思います。私は高校の時、織りに苦手意識があったので。だけどなぜか気になって、織りを学びたいとスクールに入学したんです。そこから1年ごとに、だんだん織りが好きになって、3年経つ今が一番好き。思う色にバチッと染められた時や、織っている時に、糸に「かわいくできたらいいね」って話しかけたりして(笑)。それで作品の形になったら「使わせてくれてありがとう」って伝えていました。

——改めて、3年目の創作科に進んだ理由を聞かせてください。
なんか悔しかったんです。2年目、制作に迷いがあって、自分が本当に好きって思えるものがつくれなくて。自分がつくるものをもっと好きになりたいし、これで終わらせたくない、もっとつくりたいと思ったので。

——その悔しさを3年目で晴らせたと感じますか?
そうですね。服地だけでなくスカートの形にもできたし、自分の好きな色合いや柄を見つけて、チェックのデザインで出すことができたので。反省点もありますが、晴らせたんじゃないかと思います。

——この3年間、自分の「好き」をあきらめなかった。
あきらめたくなかった。でも私はこれまで、好きしかやったことがなかったんです。絵が好きで美術高校に行って、スクールで織りを学んで、逆に自分が好きじゃないと続けられる自信がない。「好き」しか追いかけていないです。

——修了後は、(株)川島織物セルコンに就職が決まりました。「好き」は就職先にもつながりますか?
はい、将来は伝統的な仕事に就きたいと思っていたので嬉しいです。小学校の卒業文集にも「伝統的な仕事がしたい」って書いてて。子どもの頃はお寺を見るのが好きで、宮大工さんに憧れたこともありました。お父さんは大工なので、一緒に見に行くと寺社建築の木の組み方とかを説明してくれてたのもあって、伝統的な仕事をしたいと思っていました。それが結局、織りになっていったのかな。これからも好きを追求していきます。

——これから織りをやりたい人に向けてのメッセージをお願いします。
もし迷っていたり、ちょっとでもモヤモヤがあったりしたら、まずは踏み出すしかないのかなと思います。踏み出せば、もう自分自身やるしかないって思うので。とりあえず手を動かすことが大事なのかもしれない。まずはやってみる。その先で、確実につながっていきます。

2020年9月に掲載した、「在学生の声(専門コース本科)」の記事です。
「織りながら自分の好きを発見していく」木村華子

「第6回学生選抜展」在校生受賞のお知らせ

日本新工芸家連盟主催特別企画「第6回学生選抜展」で、専門コース創作科の近藤雪斗さんの作品が、ニューカラー写真印刷賞を受賞しました。

「栄華」

この作品は、織りの技を駆使して心象風景を織り込み、視覚の効果を高めた綴織タペストリーです。

選抜展では他にも、同じ創作科の沼澤瑠菜さんのタペストリー3部作「ときめき」も展示されます。

第6回「学生選抜展」は第45回「日本新工芸展」の巡回展に伴って全国三都市で開かれ、受賞作品「栄華」は三都市全て、出品作品「ときめき」はそのうち東京と京都で展示予定です。ぜひご覧ください。

東京本展:5月17日(水)~28日(日)国立新美術館
東海展:6月17日(土)~25日(日)松坂屋美術館(名古屋)
近畿展:6月27日(火)~7月2日(日)京都市京セラ美術館
日本新工芸家連盟

スクールの窓から:「日本の産地の仕事にはヒントがたくさん」大高亨先生の講義2

大高亨先生による「日本の特色ある織物」授業リポートの後半です。2回目の講義では、数ある産地のなかでも昨今、注目されている東北を中心に、地域性や土地柄、気候、風土などをふまえて特色を紹介。一枚の織物から、その奥行きを見る手かがりが示された講義でした。

◆自給自足で得られるもので暖かく
福島の織物でとりわけ特徴的なのが「川俣シルク」。髪の毛の1/6の細さの糸をレピア織機で織る、世界一薄い絹織物「妖精の羽」が紹介され、先生は特色をこう話します。「細い糸を均一に引くには、繭自体も品質がよくないといけない。それを養蚕から一貫してできる場所は、世界でもなかなかないと思うんです」。力織機で織る点にも着目し、「超極細の絹糸を、一日に何十メートルと織れる機械にかけるというエンジニア魂を感じます。手織りだと融通がききますが、高速の機械できれいに織るには機械自体も細やかな操作や管理が要るので」と。そんな説明を聞くうちに、日本の伝統織物の強みを見る目が開いていくようです。

かなり珍しい織物として、ぜんまいの綿毛と白鳥の羽を撚り合わせて織る「ぜんまい白鳥織」(秋田県)も紹介されました。「東北の地では綿は育たない、岩手は別として羊毛もない。あるのは麻系で着る物としては寒い。自給自足で得られるもので暖かくするのに草木や、沼で白鳥が残していった羽を拾い集めて織物にしている」と背景を説明します。他にも盛岡のホームスパンや、青森の南部裂織、津軽こぎん、アイヌのアットゥシ織など、多様な内容が紹介されました。

◆アーカイブ化されて資料が残っていけば
そうして日本の特色ある織物を横断的に見ていき、講義は最終回へ。先生が「平成の百工比照」のコレクションの一部と私物を持ってこられ、実際にものを見ていきました。実物を目にし、より興味が刺激された学生たちは皆、前のめりに。一枚一枚、目を近づけて見て、触った感想を言い合い、「用途は?」「(繊維にする皮を)はぐ時期は?」など質問が飛び交います。赤穂段通では裏表返しながら、端の処理がどうなっているかを自分たちで読み解こうとする場面も。授業全体を通して、学生からは機械の仕組みや、どう織られているかといった、つくる目からの質問が多く上がりました。

授業の最後に、大高先生は産地の現状についてこう話しました。「僕は日本の産地をまわって20年ほどになりますが、訪れた後に廃業になった所も増えています。ただ、『平成の百工比照』のようにアーカイブ化されて資料が残っていけば、後々復元できなくもない。一度なくなったものを復元し、制作し始めている産地も実際にあります」

学生に向けては、「日本の産地には、まだまだ面白い染織品があります。紹介した分だけでも様々な技法や意匠があるし、機械や道具に工夫があるのも特色。産地の仕事にはヒントがたくさん潜んでいます。そこから自分のオリジナル作品に生かすこともできるので、ぜひ興味を持って」と伝えました。

〈大高亨さんプロフィール〉
おおたか・とおる/染織を専門領域に、大学教員、作家、デザイナー、プロデューサーとして活動している。近年は東北の布の調査、研究も行っている。また様々な企業、組合等のアドバイザー、教育機関、研究機関での講演なども行っている。

instagram: tontakatea
website: Tohru Otaka
「平成の百工比照コレクション」データベース

スクールの窓から:日本の特色ある織物「どこでもドアのように産地を見ていく」大高亨先生の講義1

専門コースでは、2022年度から新たに大高亨先生による3回シリーズの講義「日本の特色ある織物」が始まりました。先生が20年以上全国の産地をまわる中で面白いと思った織物について、2回に分けて紹介され、最終講義では実物を見ていきました。はじめに、それぞれの産地の織物を「『どこでもドア』のようにちょっとずつ見せていくので、授業を入口に興味を持ってくれたら」と先生は話し、沖縄、八重山諸島から、奄美大島、九州、北陸、北関東、東北、そして北海道のアイヌの織物まで、日本列島を熱い語りとともにかけめぐりました。授業リポートの前半です。

◆日本の染織レベルの高さに驚愕した
大高先生は、金沢美術工芸大学でテキスタイルを教え、大学が金沢市と共同で行う「平成の百工比照」プロジェクトに関わって、全国の産地をめぐって織物の技法、工程、材料に関わる調査・研究し、資料として収集する取組みを行っています。日本の産地に足を運ぶようになった理由について、「以前は海外の染織品を集めていましたが、せっかく日本人で日本にいるのだからと思って、日本に目を向けるようになったんです。産地をまわるほど、日本の染織品や染織文化のレベルの高さに驚愕しました」と言います。

講義ではスライドや動画を用いて、それぞれの織物の特徴、素材や手法、工程、地域の文化背景から現在の状況まで幅広く紹介され、さらに先生が現地で印象に残ったエピソードや、面白いと思ったポイントが語られます。たとえば沖縄の織物の紹介では、アドバイザーとしてミンサー織りの商品開発に関わった経験に触れ、「伝統をおさえつつも、今の生活様式に合ったものを提案していく努力もしている。そんな積極的な姿勢が沖縄にはあります」といった実感を交えて語ります。

◆マニアックさが面白いところ
絣の紹介では「日本ほど精緻につくれる所はない」と先生は言います。そして大島紬で機を使って防染の為に仮織を行う締機や、久留米絣で絣をくくる専用の機械の紹介動画を見せて、それらの仕組みを解説。締機について、精緻で大柄な意匠を大量生産できるという機の特徴が、今の時代の需要と合わなくなっているという課題にも触れます。先生が現地の団体と共同制作した着物の写真を見せて、「意匠だけでは解決できない。ニーズや時代に合ったもののつくり方を考えるのがデザイン」と、特色だけでなく、課題からデザインの考え方まで話をひとつながりに展開します。

久留米絣では、「力織機で経緯絣を大量生産しているのは、現在では久留米絣しかない。そこがユニークな産地です」と紹介。「一口に日本の染織と言っても、手仕事で匠の人もいれば、大量生産でも質の高いものを生むために、どのように合理化できるかを考えて、くくるだけの用途の機械までつくってしまう、そんなマニアックさが日本の面白いところだと思うんです」と話します。

日本の伝統織物を研究の目、つくる目、デザインの目で多面的に見て来られた先生ならではの目線で語られる講義。旅はつづきます。

2へつづく。

〈大高亨さんプロフィール〉
おおたか・とおる/染織を専門領域に、大学教員、作家、デザイナー、プロデューサーとして活動している。近年は東北の布の調査、研究も行っている。また様々な企業、組合等のアドバイザー、教育機関、研究機関での講演なども行っている。

instagram: tontakatea
website: Tohru Otaka
「平成の百工比照コレクション」データベース

修了生インタビュー:「学校の風景とともにある着尺の旅」藤原由美

 大学の通信教育で着尺を学んだ後、川島テキスタイルスクールの技術研修コースに通った藤原由美さん。スクールでは毎日、朝から晩まで織りに没頭し、四季の変化を感じながら、絣の着尺を7カ月で織り上げました。そして言います。「ここの風景とともに着尺はありました」と。充実感いっぱいに「織りの旅をした」と語る藤原さんのインタビューです。

◆ 緯糸一本入れるだけでも、一歩進める
——技術研修コースに入学を決めた経緯を教えてください
 私は着付けを習ったことがあり、着尺を織るのに興味がありました。大学の通信教育で染織を学び、卒業制作で初めて着尺を織りました。自宅で一人での制作。無我夢中で仕上げましたが、糸が手になじむまではいかなかったので、もう一度着尺を織りたいという思いがありました。
 こちらに来たきっかけはワークショップです。「はじめての織り」をはじめ、いろんなワークショップを受講するなかで、どの先生も糸一本一本を丁寧に扱う姿勢が印象的でした。昨年、技術研修コースで帯を織った方にも会い、私も踏み出そうと入学しました。

——実際に取り組んで、どのような学びがありましたか。
 デザインの考え方から一歩ずつ、丁寧に学んでいけました。専門コース創作科の方々と同じ机を使わせてもらって、制作の様子を見ていると、皆さんすごく丁寧にデザインを考えている。まずはデザインありきで技術、そこに思いが込められて作品が出来上がっていくんだなとわかりました。私一人のなかにはデザインのレパートリーが少ないのですが、同じように制作に励む人たちがいる環境だからこそ、学びが広がりました。考えたデザインをもとに先生から経絣を提案され、さらにずらし絣にすることで光が流れるイメージができました。

——絣で気づきはありましたか?
 17メートルの経糸に合わせて絣のテープをつくるのに、わずかな誤差が大きなずれにつながるので大切に、くくり方の丁寧さも教えていただきました。くくって地染めするのに約2カ月、防染に1カ月近くかかって、絣はすごく時間がかかる工程だとわかりました。しんどいなと感じることもありましたが、自分の手元に来てくれた糸なので愛着がわきますし、「必ず模様を出してあげるからね」と糸に語りかけながらやっていました。
 織物ってどの工程も、やった分進んでいく。たとえ5分でも一つくくれたら、緯糸一本入れるだけでも一歩進める感じがあったので、着々と。そうして糸にきちんと向き合うところから始められたのもよかったです。

◆思いの詰まった一枚に
——学びの環境としてはどうでしたか。
 困った時、先生に聞ける安心感がありました。何か違うことをやってもすぐに助けを求められる環境で、(軌道修正して)安心して次に進むことができたので。専門コースで絣の着物を制作した方と話せたのも心強かったです。
 着尺用の織り機を使えたのもよかったです。専用の機だと安定して打ち込めて、まっすぐきれいに織れました。音の響きもいいですし。

——実際の学校生活は、制作に何か影響はありましたか?
 はい。この学校の風景とともに着尺はありました。窓の外には緑が広がり、季節の変化を感じながら過ごせて、色もこの景色のなかで生まれたものです。学校の周りの植物を使って染めたので。自宅にある山桜の木を地色にしたいと思っていたら、堀先生が学校周辺の草木も使ってみたら?と提案くださって。そこからヨモギやカラスノエンドウ、ビワの葉などを使って色彩が生まれ、景色を着尺に写させてもらった感じがしています。

——無事に着尺を織り上げ、技術研修を終えた今の気持ちを聞かせてください。
 この自然に囲まれた静かで、すてきな空気感が漂う環境で学べたことが何よりの宝物です。寮ではご飯もお風呂も用意されていて、毎日織りだけに集中できる本当に幸せな時間でした。特に最後の2週間は、一日の終わりに疲れても顔は喜んでいて、筋肉が笑顔で固まっている状態(笑)。やっぱり織りは楽しいと思いました。
 織りと一緒に私も育てていただきました。何事も一足飛びにはいかなくて、順を追って一歩ずつ、積み重ねが大事だなと。私は一枚目の着尺制作でやり残した感があって、もう一枚は必ず織ってみたいという気持ちがあってこの学校に来ました。ここでとても丁寧に教えていただいて、思いの詰まった一枚に仕上がってとても嬉しいです。これでまた、新たな織物に出会う旅に出られる。ここから始まります。

制作の先に:建築と織物が響き合う 綴織タペストリー「おかえり」が寮の玄関に登場

学生が制作した綴織タペストリーが、このほどスクールの寮の玄関に飾られました。これは昨年(2021)度の専門コース本科(1年)のグループ制作のうちの一作で、玄関を利用する人からは「空間が明るくなった」と好評です。

グループ制作では、場所に合わせてテーマを決め、デザインを考えて原画を描き、約7カ月かけてタペストリーに仕上げます。本作「おかえり」は寮の玄関に展示するのに、学生自身が普段建物を使っている実感をもとに「そこに窓があったらいいな」と思いついたところから始まりました。そこで校舎内の窓を見て回り、アトリエにあるアーチ型の窓枠の仕切り方のユニークさから、変形を散りばめたデザインを着想。光のニュアンスに力を入れたのは、普段スクールで仲間と話すことで心が晴れたから。互いの明るさや癒しの色の感覚を共有し、杢糸で色のバリエーションを広げ、綴の技法を駆使して光の屈折や反射なども繊細に表現しています。

じつはスクールの建物は、建築物としても貴重なものです。設計は校舎も寮も内井昭蔵氏。内井氏は創立の趣旨を汲み、土地の状況を考慮しながら、この学校にふさわしい建物を設計するべく工夫を凝らし、校舎と寮が一体につながるこの建築物で第16回BCS賞(1975年、建築業協会による)を受賞。アトリエは、一枚の布を織ることを通して、人とものとの関わり合いの原点を探るという視点で考案された背景があります。

このタペストリーは「どんな時も私たちをあたたかい光で迎えてくれる。自然と元気が出て、あなたと話したくなる」がコンセプトの、学生の等身大の思いが込められた作品。

この作品が寮の玄関に登場したことは、スクール創立から約50年の年月を超えてなお、建物と織物が響き合っている証とも言えるでしょう。スクールに来られたら、建築空間ごとタペストリーをご鑑賞ください。

*本作品は、日本新工芸家連盟主催特別企画「第5回学生選抜展」に出品されました。

スクールの窓から:素材も場所も「自分が心魅かれる方へ」 表現論・井上唯さん講義

専門コース「表現論」の授業で、アーティストの井上唯さんを講師に迎え、アーティスト・イン・レジデンスで国内外の様々な土地で制作している活動などについて話していただきました。

大学と大学院で造形と染織を学んだ井上さんは、卒業後も制作を続けられる道を求め、大学助手の仕事に就きます。制作するなかでアーティスト・イン・レジデンスに興味を持ちますが、参加には3カ月など一定期間、時間を空ける必要があることから、助手の仕事を3年で辞めて、やりたい事業に応募しながら制作を続ける道を選びます。

学生時代にバスケタリー作家の方の講義で学んだ「思考と目と手でつくる」というありようが、その後もずっと身体に残っていたという井上さん。滞在制作では、その場所に何を存在させるべきなのか想像しながら「土地のこと」をリサーチし、「素材×技法」「空間×場所」「主題×概念」を言葉やイメージで考えながら何をつくるかを決めていくそうです。講義では、その要素をどう形にしていくのかが具体的に語られました。香川県の粟島で、かつて海員養成学校だった建物内に、麻の繊維を使って漁網を編む技法で「人の気配」をつくったり、徳島県神山町で劇場寄井座の空間に、藍染めの大きな布にほたる絞りを発展させた手法で宇宙の星々のような絞りを散りばめた「うち」の空間を出現させたり、というように。

◆常に時間との闘い、それでも「つながるのを待つ」
そんな滞在制作の経験談に学生たちは刺激を受け、修了展に向けて取り組み始めた自身の制作と思いを重ねるようにして、質問が相次ぎました。特に素材や準備、アイデアといった観点からの制作プロセスが気になったようです。「現地で見つけた素材で制作するのに意識していることは」という質問に対して、井上さんからはこんな回答がありました。「素材の時点で心動かされるものを使う。場所もすべてそうですが、自分が美しいと思ったり、心魅かれたものに素直に従うようにしています。手元でつくっていても、実際の空間に持っていくと見え方が変わるので、現場と行き来しながら何度も実験します」

期間が定まった滞在制作は、アイデアと手仕事のはざまで「常に時間との闘い」。そのいっぽうで「待つ」面も。「アイデアが思い浮かばない時はあるか」という質問に「あるある!」と率直に返し、「時間が迫ってきて吐きそうになるくらいプレッシャーがある時もありますが、反面ワクワクもします」と。「アイデアはむしろ考えていかないです、最初から狭めたくはないので。現地で調べたり散策したり話を聞いたりして種を集めていき、つながるのを待つ。待つ間にいろいろ実験していく。手を動かしながら考えられるのが手仕事のいいところですね」

◆生活の知恵とものづくりがようやくつながった
人が自然と関わるなかで生み出してきた知恵やものづくりに魅かれ、織りや編み、染め、縫いなどの手法を用いて制作している井上さん。現在は作品制作だけではなく、暮らしの中で使う道具づくりも実験しているそうです。滋賀の自然豊かな環境に居を構えて制作する今、「生きていく上での生活の知恵」と「ものづくり」の両方が「ようやくつながってできるようになってきた」と話します。

自分がやりたいと思う制作を自由に続けていくためには、時間を空ける必要があると考えて、定期的な仕事はあえてやらない。その分「学生時代から、生活費をあまりかけずに工夫して生活するのが好きだったので、ライフサイクルができているのかもしれないです」と。

講義全体を通して、どんな質問に対してもまっすぐな眼差しで語る井上さんが印象的でした。それは「制作を続けたい」という思いで、道なき道をオリジナルにつくってきたご本人のありようにストレートに通じている。ものづくりの芯と、同時に生き方の広がりを感じた時間となりました。

〈井上唯さんプロフィール〉
いのうえ・ゆい/自然と関わるなかで生み出されてきた人間の営みや知恵にワクワクし、そこから学びつつ新たな視点で捉えていくことで、この世界の仕組みや目に見えない繋がりを“モノ”を介して想起させるような光景をつくり出したいと考えている。普段の暮らしの中で様々なモノを収集したり、それらを使って、作ったり、繕ったり、遊んだりと、素材と対話しながら手を動かしていくことを軸に<生活>と地続きにある<制作>の在り方を模索している。

website: YUI INOUE