染色・堀勝先生の実習編(全6回)

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編6 「染色を好きになって、続けてほしい」

熟練の染色の専門家、堀勝先生の授業を取材し、大切にしたい「何か」を見つめるシリーズ。最終回は、専門コース専攻科(2年次)の学生が取り組む作品制作のための染色です。織り作品をつくる過程において、初めに行う糸染めは、要となる部分。そこでどんな色が出せるかによって完成形が決まると言っても過言ではなく、専門家に相談できるのは学生にとって大きな安心です。専攻科の学生の一人が取り組んでいる、着物制作の染色を取材しました。着物を織るのに必要な絹糸を染めるのに、学生は糸の準備から、その扱い、試色、染色、仕上げまで、先生からマンツーマンで指導を受けます。

この動画は「精練」の一場面です。天然繊維に付着した汚れなどを取り除くための作業で、生糸の場合は表面を覆うセリシンという糊状の成分を落として絹本来の光沢と質感を出すのが目的。この日は、経糸用の生糸を40〜50分ほどかけて精練しました。時間をかけて、ゆっくりとセリシンを落とすことが「シルク特有のしっとり感を残すコツ」と堀先生は言い、まずは一連の動作をやって見せます。先生の糸を繰る動きは、なめらかで機敏。糸を絡ませないためのコツが随所にあり、動作を繰り返すうち、程よい間合いやリズム感が生まれてきます。しかし、慣れない学生にとっては難しいもの。特に繊細な絹糸は絡まりやすく、糸の扱いにも細心の注意が必要です。


◆「もうちょっと」を繰り返す

染色は、経糸、緯糸、絣糸と段階を追って進めていきます。絣糸を染色する日、学生は自ら括った千本もの絣糸を大事そうに抱えて持ってきました。学生は、糸を束にして括る作業を数週間かけてやり通し、満を持してこの日を迎えたのです。これだけの量の絣糸を染める学生は珍しく、「僕もいまだに勉強や」と堀先生は言います。先生は、染色職人として42年の土台の上に、スクールで20年以上教えている熟練者。それでも毎回、学生と同じ目線に立ち、新鮮な目で染色と向き合うところから始めています。

絣糸を括る作業は地道で時間がかかるのに対して、本番の染色は一発勝負。事前に何の染料を使い、どういう方法で染めるかなどを相談し、先媒染までを済ませた状態で、学生はこの日に臨みました。「思った色になりにくいから、天然染色は難しいで」と、先生は念を押します。この日染めるのは紫、緑と黄緑色。紫には紫根を、緑には緑葉エキスを使い、そこから黄緑色に変えるのに、試色時はカリヤスを用いたのだそう。ところが本番では緑色は出ず、初めから黄緑色になるというアクシデントが起きます。すぐさま、「藍を足そか」と機転をきかせる先生。そして染料とお湯の量を調整しながら、学生が望む色に合わせるためにアドバイスをします。

染色では染めるたびに室外に出て、外光の下で染まり具合を確認。先生も生徒も、色と向き合う表情は真剣そのもの。「どうや?」「もうちょっと」。再び染色し、何の染料をどのぐらい足したのかを記録していく。そうして何度も「もうちょっと」を繰り返す色合わせのセッションが続きます。「いい色になりました、先生!」と、学生の声のトーンが上がった瞬間、色が合ったのを確認した先生の顔もほころびました。「最後にもう一回染めとこか」と先生は言い、仕上げを経て「思った色になりました」と、学生はほっとした様子でした。「もうちょっとのあんばいが難しい。そんな時、先生のアドバイスはとても参考になるんです」

◆染色を広く、深く

堀先生の染色の授業に入り、その教える姿から「大切な何か」を探っていった今回のシリーズ。実習ではデータ見本を持つ必要性から始まり、ぴったりの色合わせが出発点になるという勘染め、糸を乱さないための基本動作や、糸との向き合い方など、染色を広く、深く学べるスクールの側面を紹介してきました。

先生を慕い、アドバイスを求める学生は多く、先生は「僕も、(年齢的に)もうそんなに長くはいられんけど、もう少しおらなあかんな」と穏やかに話します。根本にあるのは「染色を好きになってほしい、続けてほしい」という思い。「大切な何か」とは、このシンプルさに立ち返るように思いました。そこが一切揺らぐことなく、どの実習でも学生に接する態度からにじみ出ていたからです。

次の一年も、堀先生は学生に寄り添って歩み続けます。


おわり

〈取材が終わって—堀先生のつぶやき〉

 2021年4月の初回から半年以上にわたり、スクールのスタッフによる密着取材を受けてきました。主旨は、授業内容そのものよりも私の「教えている姿」ということ。自身ではどうすることもできないテーマで、まさにありのままを取材してもらう「まな板のコイ」の心境でした。記事には、授業で私が意識していない言葉や動作、生徒とのやりとり等が汲み取られていて、掲載のたびに気恥ずかしさもありました。

 前年度に受けたロングインタビュー「染がたり」から、今回のシリーズの取材を通じ、私自身も改めて今までの長い染色人生を振り返ることができました。80を超えた今になって、このような機会にめぐり会えて感謝です。インターネットを通して国内外から、このシリーズ記事をお読みくださった皆さん、ありがとうございました。来年度は、取材のプレッシャーから解放されます(笑)

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編5 藍染め「元気のいい色を目に焼きつける」

熟練の染色の専門家、堀勝講師の専門コースの実習を取材し、その教える姿から、大切にしたい「何か」を見つめたルポシリーズ。昨年から連載していた続きを再開します。第五回は、本科の染色実習最後の藍染め、そして一連の染色の学びを終えて、見えてきたことについてです。

スクールでは藍を育てており、ワークショップで生葉染めや乾燥葉染めに使っています。また、専攻科の実習で天然藍の「発酵建て」に取り組んだ年度もあります。奥深い藍の世界ですが、本科の染色実習では藍染めの入口として、化学藍(インジゴピュアー)を使った「化学建て」を行いました。

◆「やってみる」のが実習

授業では初めに、藍に関する基礎講義が行われました。火を一切使わずにできる藍染め。藍の色素はそのままでは水に溶けないため、還元という操作を行い、一時的に水(アルカリ液)に溶解させる。そうして還元(酸素を抜いた状態)した液で染め、空気に触れて酸化させる。そんな藍の発色の仕組みについて、説明を聞くだけではピンと来ない。それを「やってみる」のが実習です。

今回行った化学建てでは、まず染料にアルカリ剤と還元剤を入れた原液を作ります。次に染浴を用意し、その中に原液を加えて、好みの濃度にしていきます。先生は、やや緑味を帯びた黄色の液を見せて、「これが元気のいい色やで。目に焼きつけておこか」と皆に伝えます。その色が「きれいに染まり、染め付きがいい」状態だからです。それから、糸を染浴に浸け、できるだけ空気を入れないように、そっと繰ります。「藍染めの場合は、なんぼ浸けるのに時間をかけても色は濃くならへんから、短時間(2〜3分)で。濃くしたかったら、浸けて、絞って、酸化を繰り返すんやで」と堀先生。

染液から上げた糸は、空気に触れるにつれ、黄から緑、そして青へ。瞬く間に変化していく様を見逃さないように、学生たちは前のめりに見入っていました。その後の実習では、先生の指導のもとでデザインを考えて、板締めと絞り染めに挑戦。この授業では、これまで学んだ染法とは全く異なる染めを学びました。

◆染色は「ワクワクした」

堀先生の本科の染色の授業は、今回の藍染めが最後。化学染色のデータ見本作成から始まり、勘染め糸の扱い天然染色と、様々な技法を学んできた学生たち。全ての染色実習を終えて、こんな実感が語られました。

化学染色のデータ見本作成については、「サンプルがある頼もしさがあった」と学生の一人は話しました。「大学で染色を学んだ時は、サンプルがなくて染めるのが不安だったけど、ここでは安心して取り組めた」と。勘染めでは、「三原色から色を出すという、色の基本が身についた。目の前で起こる、色の変化を見るのが学びだった」と語る学生もいました。織りと連動した実習では、「自分が出したい色に染めるのに、堀先生は生徒と同じ目線に立って考えてくれた。だから納得いくまで粘ることができた」という声も。スクールで初めて染めを学んだ学生は、「何も知らなくても最初からきちんと教えてもらえたから、私にもできる、と自信がついた」と笑顔を向けました。

皆、口を揃えて言ったのは、染色は「ワクワクした」ということ。染色の一連の授業を終えてなお、学生たちが生き生きと染色の学びを語る姿を見て、こんな思いが浮かびました。堀先生はワクワクの種を学生の心にまいたのではないか。先生の授業を通して染色に出会い、その喜びを味わった学生一人ひとりが、これからは染色の喜びを、自らの手で育んでいけるように。

第6回(最終回)「作品制作のための染色」へつづく

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編4「天然の場合は、全部間違いではないんやわ」

堀先生による専門コース本科の染色の授業も、いよいよ終盤へ。染色を幅広く学び、糸の扱いや染めの基本に慣れてきた頃合いで、今度は天然染色の実習に入りました。授業では、市販の植物染料と、スクール周辺に生えている草木を採ってきたものを使って染色し、それぞれサンプル作りを行いました。ウールや絹、綿の天然繊維の糸を、アルミや銅、鉄などの媒染剤を使って、様々な植物を染める。染めた糸のサンプルを、糸種、媒染剤、植物ごとに分けて一覧にすることで、色の表れ方の違いが一目で確認できます。こうして、サンプルをまとめることの重要性は、先に行われた化学染色の授業にも通じています。

実習を進める上で堀先生は、特に段取りを丁寧に説明します。「化学染色と違って天然の場合は、煮出し、下地処理、媒染、染色、放冷など工程が増える。うまいこと進めていかな、時間ばっかりが過ぎてしまうからな。煮出しの間に媒染や下地処理、染色の間に次の煮出し等、効率よく進めるには段取りが勝負やで」

◆出た色が染めた人の固有の色

天然染色で、堀先生が心がけていることの一つに、染料と媒染剤の配合があります。発色させて、色を落ちにくくする役割のある媒染剤は、植物染料のほとんど(一部の植物を除く)で必要なもの。「染料が少なくて媒染剤が多いと、糸が荒れる。逆に染料が多くて媒染剤が少ないと、色落ちの原因になる。糸が媒染剤をぜんぶ吸って、発色するのにちょうどいい配合にするのが大事やで」と堀先生は言い、長年の経験からベストだと思われる配合を教えます。媒染剤の薬剤を使うことで環境の心配をする声が時々聞かれますが、染めた後の残液に媒染剤を残さないためにも、ちょうどいい配合にするのだそう。残液を見て、糸が媒染剤を吸い切ったかどうかを判断できるようになるのは「経験値やな」と言います。

「天然染色の場合は、全部間違いではないんやわ。媒染剤を少な目にしたい人、色落ちが嫌な人、その人の考えが反映されるからな。媒染剤の量でも色が変わってくるから、あえて少な目にして自分の色を出したいという作家もいて、それはそれでいいと思うしな」と堀先生は穏やかに語ります。

化学染色との大きな違いは、色の再現性へのこだわり具合。「天然染色は十人十色。基本工程はあるけど染め方によって色が変えられるし、出た色が染めた人の固有の色」。データに基づいて、求める色を確実に出す化学染色とは、前提となる考え方が違います。

◆染色の広い視野が持てるように

先生いわく日本で化学染料が本格的に使われ始めたのは明治中頃で、それ以前は天然染料で染められていたということになります。「(スクール隣の敷地内にある)川島織物文化館の展示を見学する時は、そういう視点で展示を見るのも面白いですよ」と豆知識をはさみながら、気さくに話す授業風景もありました。

この実習を受けた学生からは、染めながら天然染色の「歴史を考えた」、「周りの木々や花を見ても、これは染められるのかという目線で見るようになった」、「季節によって植物が変わるし、同じ植物でも媒染剤によっても色が変わる。天然染色って面白い」といった感想が上がりました。

堀先生の染色の授業では、一連の実習を通して、染色そのものに対して広い視野が持てるように工夫されていることがわかります。化学の方が天然の方が、といった個別の良し悪しを述べるのではなく、染色全体のなかで「こういうやり方があるで」というふうに示して、幅を広げていく。そうしてどの実習でも、ごく自然に、風通しよく学べるように開いているのが印象的です。だからこそ今回も、学生たちの間で「もっと学びたい!」という意欲がかきたてられる実習となりました。

第5回「藍染め」へつづく

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編3「糸を乱さないように、短気は損気やで」

熟練の染色の専門家、堀勝先生の授業を取材し、大切にしたい「何か」を見つめるシリーズ。第三回は専門コース本科の織実習と連動した、染めの実習です。堀先生は授業が始まると開口一番、「今日は一汗かくかもしれん。がんばってやろか」と皆に声をかけます。この日は、それぞれが約700グラムの綿糸の精練から染色までを行うからです。この糸は1200本の経糸として布を織るのに使います。大切なのは「糸を乱さないこと」と堀先生は言い、それは「よい染色以上に大事」なのだそうです。

◆糸が乱れるのは、むしろ染色の前後

糸の精練は、一人ずつ染パイプ棒に綛を通し、全員分を大きな容器に入れて行います。水分を含んでずっしりと重くなった糸。引き上げるのに西陣の染め職人の方も使っているという「手かぎ」という道具を使い、初めに先生が手本を見せてから学生が行います。「(手かぎを糸に)まっすぐ通して引き上げる」「(引き上げる時は)糸にあそびが出ないように。ちょっとでも引っかかったら止めてな」「重くて糸が上げられない時は、こうやって鯉のぼりみたいに泳がせてほしい」。先生は細やかな動作で糸を扱うコツを手取り足取り教えていきます。糸を乱さないための注意は、糸に対する心配り。上下に動かす時、「力入れて」「よいしょ」「いけるいける」「すごいで」と先生のかけ声にも気合が入ります。初めは恐る恐る取り組んでいた学生も、少しずつコツをつかんでいる様子でした。

「精練はこのペースでいいけど染色時はもっと早く。私が染色の仕事をやってた時の見本を見せます」と堀先生は腰を入れて体の安定感を保ち、全身で糸を繰ります。途端に場の空気が引き締まり、皆が目を丸くしてその機敏かつ正確な動作に引き込まれていました。堀先生は(株)川島織物セルコンで染色一筋42年、入社当時は「2人一組になって10〜20キロの糸を毎日染めて」おり、下働きの数年は「染色の基本動作を身につける」日々だったそう。だからこそ、糸の扱いの大切さを身をもって知っているのです。

「糸が乱れるのは染色中とは限らんで。むしろ染色の前後の工程が多い」と堀先生。染色前に糸を台に置く時、ねじってある糸をほどく時、糸を染パイプ棒に通す時、染色後の水洗や脱水時などがそうで、染色中も「熱湯が染パイプ棒の筒の中から流れへんように棒の向きに気をつけて」「糸が重いと絞るの大変やろ。こうして三つ折りにして絞るやり方もあるで」と都度アドバイス。糸の扱いに気をつけるよう終始目配りしていきます。

◆相手の求めるものを聞く耳

今回の実習は織り制作のためのもので、それぞれが好きな絵画を選び、その絵に使われている色を6色抜き出して長さ8メートルの縞の布を織る実習の一環です。学生は選んだ6色に近い色見本のデータを基に染めるのですが、色をぴったりに合わせるには勘染めが必要。先生とのやりとりから、その感覚を学んでいきます。先生は元の絵画を見て色のイメージをつかんだ上で、「どうしたい?」「見本は渋めやな。何色を足すと思う?」「ここで色止めした方がええと思うか?」と学生自身が何を求めているのかをヒアリングして、必要なものを即座にアドバイス。「知識だけですべてが上手くいくわけではないで。糸種によっても吸収力が違うから、糸の状態をその場で見ながらの判断がどうしても必要」。

堀先生を見ていると、常に「聞く」姿勢を持っていることに気づきます。相手が何を求めているのかを聞く耳は糸に対してもそうで、先生は糸が求めるものに耳を澄ませます。それは染色中に限りません。以前の実習でこんな光景がありました。学生の染めた糸が絡まっていると、「こうなった時は、腹立てたらあかん。よけいに糸がぐちゃぐちゃになるから」と堀先生は言い、直すのを手伝っていました。もつれの原因は染色中や水洗時の糸の動かし方。「一定方向に優しく動かせばこうはならへん。短気は損気やで」と穏やかな口調で話し、手元を見ると糸がスルッと素直にほどけた。「私のようなゴツゴツした手よりも、細い指の人の方が糸は扱いやすいな」と言いながらも黙々と直していました。扱う本人の意識がそのまま表れるのが糸。熟練の染色の専門家が糸の扱いという基本を大切にする姿は説得力があります。そんな先生の指導の下、学生たちは糸とのコミュニケーションを図っていきます。

第4回「天然染色」へつづく

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編2「『ぴったり』が勘染めの出発点」

熟練の染色の専門家、堀勝先生の授業を取材し、大切にしたい「何か」を見つめるシリーズ。第二回は専門コース本科「勘染め」の実習です。学生に染色の魔術師と呼ばれることがある堀先生。それは糸をグリーン系に染めたかった学生が、誤ってピンク色に染めてしまったところ、先生が勘で染料を加えて一瞬にして本人が望む色に変えたというエピソードから来ています。「勘染め」の授業では、その勘で染料を加える技術の基礎を教えています。

◆  「勘染め」の出発点

「『勘染め』は私の造語。染色の最中に勘で染料を入れる染め方を、西陣の染め屋の職人さんは昔から『ほりこみ(放り込み)染色』と言っています。イメージしやすいように私の実習では勘染めと名付けました」という説明から授業はスタート。勘染めの基本は、黄・赤・青の3原色を使った色合わせ。データを使わず、染色中に少しずつ染料を足して出したい色に近づけていく。実習では、見本糸から好きな色を選んでウールの綛糸を染めていきます。

「色合わせは慣れると『そこそこ』できるようになる。でもな、そこそこでは上達しない。『ぴったり』合わせられるかどうかが勘染めの出発点。だから今日の授業では、そこそこでは止めません。ぴったりになるまで染めます」。そう冒頭で伝えた堀先生は、その言葉どおりに実習を展開していきました。

実習が始まると、初めは静かに全体の様子を見ていた堀先生ですが、学生が染色する糸の色味が出したい色に近づくにつれ、先生の動きが機敏になり、ここぞというタイミングで学生に声をかけ始めます。「そこそこ来てるね」。色見本と染色の糸を同じ向きに重ねて、学生と一緒に色を見比べます。そこで、すぐには答えを言わない。「どう思いますか?」とまずは本人に聞いて、考えさせる。続いて、こんなやりとりが繰り返されます。

 学生1「薄い」。先生「そうやな、このまま同じ割合で染料を足していって濃度を上げたらいい」

 学生2「緑色が要る」。先生「緑っぽくするには何を足す?」「……」「黄色やな」

 学生3「黄色が多い」。先生「黄味入れすぎたな。このウールは生地糸が黄色っぽいから、それも念頭に入れてな。この上から何入れたらいい?」「青」「赤はどう思う?」「赤も……」「そう、青と赤を入れよか」

◆ぴったりまであと一歩、その時に糸が呼ぶ

堀先生からの「どう思いますか?」という問いかけは、染色の糸が見本の色に近づくにつれ、糸目線で「何が欲しいと思う?」と言い回しが変わっていきます。学生にもすんなりと通じていて、そのままやりとりが続いていきます。「染めを何十年もやってると、染糸の方からどの色がほしいか呼んでいるような感覚になる。あと一歩で色がぴったり合うという時に呼ぶ。赤味が欲しい、黄味が欲しいって」と堀先生はそっと語ってくれました。

「そこそこ」から「ぴったり」に色を合わせる過程で、堀先生の集中力も高まっていきます。その穏やかな佇まいは全く変わらないのですが、瞬間の目線や、言葉がけのタイミング、手の動きなどに研ぎ澄まされた感覚がさりげなく表れている。学生が堀先生と色合わせのやりとりを重ねる経験は、糸に視点を置き、糸が何を求めているかに耳を澄ませる、そんな感覚を開くきっかけになっているようにも思えました。

染めの道60年超、82歳の現役講師の堀先生。「今は自分が染めるよりも、私が教えた人が、色合わせが上手になるのを見るのが好きやな」と、2020年のインタビューで語っていました。初めて勘染めに取り組んだ学生が「むずかしい」とつぶやくと、「勘を鍛えるのには、何色も染めて慣れるしかないわ」と。それが、長年積み重ねてこられた実感なのでしょう。だからこそ、重みをもって響く言葉です。と同時に、堀先生の糸に対する感性は、それだけではないような気がするのです。引き続き、「何か」を見つめていきます。

第3回「糸の扱い」へつづく

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編1「再現性のないデータなら無い方がマシ」

堀勝先生は、染めの道60年以上の熟練の専門家です。堀先生に、これまで(株)川島織物セルコンの染色部門で手がけた仕事や、定年後20年以上にわたり川島テキスタイルスクールの専任講師として教えてきた経験、80歳を越えた今の思いなどについてロングインタビューを行ったのは2020年のこと。掲載後、国内外にいる堀先生の教え子や染色に興味のある方々から広く反響がありました。堀先生には豊富な経験や確かな技術はもちろんのこと、その教える姿には「大切な何か」があると感じます。それは本人の口から饒舌に語られるものではなく、普段の姿からにじむもの。今シリーズでは専門コースの堀先生の染色実習を取材し、その何かを見つめていきます。初回は染色データ作成の授業です。

◆なぜ染色データ見本なのか?

「データ見本を持つ必要性」を常々伝えている堀先生。根本にあるのは「せっかく学びに来てくれたんやから、家で一人でも染められる技術を身につけて、染色を続けてほしい」という思い。「染料の単色見本は染料店で手に入りますが、配合色の見本はありません。売っていない色を自分で作れるようになると染色の幅が広がります。それにデータが手元にあることで、自分で染色してみようという気にもなります。その気持ちを芽生えさせることが大事」と考えて、データ見本作成の授業を行ってきました。

本科(1年次)の染色の授業では、基本染法を学ぶと共にデータ見本を作ります。発色に限度がある天然染色に対して、出したい色を作れるのが化学染色。授業では天然と化学それぞれの染色方法の特性について、データ作成の実習を通して学びます。初めに行うのは化学染色データ作成。ウール、絹、綿、ポリエステルの糸を使って、それぞれ糸種に合った化学染料で染めて100色以上のサンプルを作成。さらに淡色から中間色、濃色、極濃色に染めてグラデーションデータの作り方も学びます。

堀先生は「作業自体、慣れると自分でできるようになる。ただ手順の中で間違えたらあかんところは特に気にかけて見ています」と言います。中でも、染料を配合して色合わせする化学染色は、数値の確認が肝。淡色の場合、染料の分量が市販のデジタル計量器の最小単位以下になることがあります。そこで、例えば0.001の単位を計る時は、熱湯で溶かして千倍に薄めた溶液にする。常に慎重さと正確さを求めるのは、計量時も配合時も同じ。はかり台にスプーンで染料を落とす時の細やかな指使い、メスシリンダーとスポイトの使いこなし方など、「こうやるんやで」とその場でやって見せながら道具を扱うコツも教えていきます。「再現性のないデータなら無い方がマシ。そうならないためには正確に計ることに尽きます」

◆はじまりは20年前、お手製カラーパレットから

現在、スクールには糸種毎に約150色のデータサンプルが揃っています(2021年6月時点)。新色も増えており、それは失敗から生まれる場合もあるそうです。「染料の計量で、桁を一つ間違えると全く違った色になる。ただ間違いの箇所をはっきりと確認できれば、その色は新色としてサンプル仲間に入れています」。計量は正確に、一方で「染色に失敗はつきもの」とそれを生かす道筋をつけるのも「楽しく染色に取り組んでほしいからな」と語る堀先生の工夫なのかもしれません。

堀先生は、スクールで教えるようになった当初に作ったというカラーパレットをそっと見せてくれました。染色データ見本を一から作るのにあたり「色数を100色は揃えたい」と考え、「まずはこのカラーパレットを作って色調とトーン毎に一つの表にまとめ、一色ずつテスト染めをし、データを作っていったんや」と。(株)川島織物セルコンの染色部門で42年勤め上げ、定年後60歳でスクールに配属された堀先生。現場で自分が染める立場から教える立場に変わって何を伝えるか、スクールに何が必要かを長い目で考えて、まずは染色データ見本を整備し、今日のスクールの染色の基盤を築いてきました。そのはじまりとなったお手製カラーパレットは、約20年経った今も色褪せることなく堀先生の手元で大事に保管されています。

化学染色データ作成の4回の授業を終え、堀先生は「作ったデータを有効に使ってほしいな。糸染めだけでなく、身近な布を染めるのにも応用できるしな」と一言。どう活用していくかは、学生一人ひとりの意思に委ねられます。

第2回「勘染め」へつづく