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スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編3「糸を乱さないように、短気は損気やで」

熟練の染色の専門家、堀勝先生の授業を取材し、大切にしたい「何か」を見つめるシリーズ。第三回は専門コース本科の織実習と連動した、染めの実習です。堀先生は授業が始まると開口一番、「今日は一汗かくかもしれん。がんばってやろか」と皆に声をかけます。この日は、それぞれが約700グラムの綿糸の精練から染色までを行うからです。この糸は1200本の経糸として布を織るのに使います。大切なのは「糸を乱さないこと」と堀先生は言い、それは「よい染色以上に大事」なのだそうです。

◆糸が乱れるのは、むしろ染色の前後

糸の精練は、一人ずつ染パイプ棒に綛を通し、全員分を大きな容器に入れて行います。水分を含んでずっしりと重くなった糸。引き上げるのに西陣の染め職人の方も使っているという「手かぎ」という道具を使い、初めに先生が手本を見せてから学生が行います。「(手かぎを糸に)まっすぐ通して引き上げる」「(引き上げる時は)糸にあそびが出ないように。ちょっとでも引っかかったら止めてな」「重くて糸が上げられない時は、こうやって鯉のぼりみたいに泳がせてほしい」。先生は細やかな動作で糸を扱うコツを手取り足取り教えていきます。糸を乱さないための注意は、糸に対する心配り。上下に動かす時、「力入れて」「よいしょ」「いけるいける」「すごいで」と先生のかけ声にも気合が入ります。初めは恐る恐る取り組んでいた学生も、少しずつコツをつかんでいる様子でした。

「精練はこのペースでいいけど染色時はもっと早く。私が染色の仕事をやってた時の見本を見せます」と堀先生は腰を入れて体の安定感を保ち、全身で糸を繰ります。途端に場の空気が引き締まり、皆が目を丸くしてその機敏かつ正確な動作に引き込まれていました。堀先生は(株)川島織物セルコンで染色一筋42年、入社当時は「2人一組になって10〜20キロの糸を毎日染めて」おり、下働きの数年は「染色の基本動作を身につける」日々だったそう。だからこそ、糸の扱いの大切さを身をもって知っているのです。

「糸が乱れるのは染色中とは限らんで。むしろ染色の前後の工程が多い」と堀先生。染色前に糸を台に置く時、ねじってある糸をほどく時、糸を染パイプ棒に通す時、染色後の水洗や脱水時などがそうで、染色中も「熱湯が染パイプ棒の筒の中から流れへんように棒の向きに気をつけて」「糸が重いと絞るの大変やろ。こうして三つ折りにして絞るやり方もあるで」と都度アドバイス。糸の扱いに気をつけるよう終始目配りしていきます。

◆相手の求めるものを聞く耳

今回の実習は織り制作のためのもので、それぞれが好きな絵画を選び、その絵に使われている色を6色抜き出して長さ8メートルの縞の布を織る実習の一環です。学生は選んだ6色に近い色見本のデータを基に染めるのですが、色をぴったりに合わせるには勘染めが必要。先生とのやりとりから、その感覚を学んでいきます。先生は元の絵画を見て色のイメージをつかんだ上で、「どうしたい?」「見本は渋めやな。何色を足すと思う?」「ここで色止めした方がええと思うか?」と学生自身が何を求めているのかをヒアリングして、必要なものを即座にアドバイス。「知識だけですべてが上手くいくわけではないで。糸種によっても吸収力が違うから、糸の状態をその場で見ながらの判断がどうしても必要」。

堀先生を見ていると、常に「聞く」姿勢を持っていることに気づきます。相手が何を求めているのかを聞く耳は糸に対してもそうで、先生は糸が求めるものに耳を澄ませます。それは染色中に限りません。以前の実習でこんな光景がありました。学生の染めた糸が絡まっていると、「こうなった時は、腹立てたらあかん。よけいに糸がぐちゃぐちゃになるから」と堀先生は言い、直すのを手伝っていました。もつれの原因は染色中や水洗時の糸の動かし方。「一定方向に優しく動かせばこうはならへん。短気は損気やで」と穏やかな口調で話し、手元を見ると糸がスルッと素直にほどけた。「私のようなゴツゴツした手よりも、細い指の人の方が糸は扱いやすいな」と言いながらも黙々と直していました。扱う本人の意識がそのまま表れるのが糸。熟練の染色の専門家が糸の扱いという基本を大切にする姿は説得力があります。そんな先生の指導の下、学生たちは糸とのコミュニケーションを図っていきます。

第4回「天然染色」へつづく

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編2「『ぴったり』が勘染めの出発点」

熟練の染色の専門家、堀勝先生の授業を取材し、大切にしたい「何か」を見つめるシリーズ。第二回は専門コース本科「勘染め」の実習です。学生に染色の魔術師と呼ばれることがある堀先生。それは糸をグリーン系に染めたかった学生が、誤ってピンク色に染めてしまったところ、先生が勘で染料を加えて一瞬にして本人が望む色に変えたというエピソードから来ています。「勘染め」の授業では、その勘で染料を加える技術の基礎を教えています。

◆  「勘染め」の出発点

「『勘染め』は私の造語。染色の最中に勘で染料を入れる染め方を、西陣の染め屋の職人さんは昔から『ほりこみ(放り込み)染色』と言っています。イメージしやすいように私の実習では勘染めと名付けました」という説明から授業はスタート。勘染めの基本は、黄・赤・青の3原色を使った色合わせ。データを使わず、染色中に少しずつ染料を足して出したい色に近づけていく。実習では、見本糸から好きな色を選んでウールの綛糸を染めていきます。

「色合わせは慣れると『そこそこ』できるようになる。でもな、そこそこでは上達しない。『ぴったり』合わせられるかどうかが勘染めの出発点。だから今日の授業では、そこそこでは止めません。ぴったりになるまで染めます」。そう冒頭で伝えた堀先生は、その言葉どおりに実習を展開していきました。

実習が始まると、初めは静かに全体の様子を見ていた堀先生ですが、学生が染色する糸の色味が出したい色に近づくにつれ、先生の動きが機敏になり、ここぞというタイミングで学生に声をかけ始めます。「そこそこ来てるね」。色見本と染色の糸を同じ向きに重ねて、学生と一緒に色を見比べます。そこで、すぐには答えを言わない。「どう思いますか?」とまずは本人に聞いて、考えさせる。続いて、こんなやりとりが繰り返されます。

 学生1「薄い」。先生「そうやな、このまま同じ割合で染料を足していって濃度を上げたらいい」

 学生2「緑色が要る」。先生「緑っぽくするには何を足す?」「……」「黄色やな」

 学生3「黄色が多い」。先生「黄味入れすぎたな。このウールは生地糸が黄色っぽいから、それも念頭に入れてな。この上から何入れたらいい?」「青」「赤はどう思う?」「赤も……」「そう、青と赤を入れよか」

◆ぴったりまであと一歩、その時に糸が呼ぶ

堀先生からの「どう思いますか?」という問いかけは、染色の糸が見本の色に近づくにつれ、糸目線で「何が欲しいと思う?」と言い回しが変わっていきます。学生にもすんなりと通じていて、そのままやりとりが続いていきます。「染めを何十年もやってると、染糸の方からどの色がほしいか呼んでいるような感覚になる。あと一歩で色がぴったり合うという時に呼ぶ。赤味が欲しい、黄味が欲しいって」と堀先生はそっと語ってくれました。

「そこそこ」から「ぴったり」に色を合わせる過程で、堀先生の集中力も高まっていきます。その穏やかな佇まいは全く変わらないのですが、瞬間の目線や、言葉がけのタイミング、手の動きなどに研ぎ澄まされた感覚がさりげなく表れている。学生が堀先生と色合わせのやりとりを重ねる経験は、糸に視点を置き、糸が何を求めているかに耳を澄ませる、そんな感覚を開くきっかけになっているようにも思えました。

染めの道60年超、82歳の現役講師の堀先生。「今は自分が染めるよりも、私が教えた人が、色合わせが上手になるのを見るのが好きやな」と、2020年のインタビューで語っていました。初めて勘染めに取り組んだ学生が「むずかしい」とつぶやくと、「勘を鍛えるのには、何色も染めて慣れるしかないわ」と。それが、長年積み重ねてこられた実感なのでしょう。だからこそ、重みをもって響く言葉です。と同時に、堀先生の糸に対する感性は、それだけではないような気がするのです。引き続き、「何か」を見つめていきます。

第3回「糸の扱い」へつづく

スクールをつづる:染色・堀勝先生の実習編1「再現性のないデータなら無い方がマシ」

堀勝先生は、染めの道60年以上の熟練の専門家です。堀先生に、これまで(株)川島織物セルコンの染色部門で手がけた仕事や、定年後20年以上にわたり川島テキスタイルスクールの専任講師として教えてきた経験、80歳を越えた今の思いなどについてロングインタビューを行ったのは2020年のこと。掲載後、国内外にいる堀先生の教え子や染色に興味のある方々から広く反響がありました。堀先生には豊富な経験や確かな技術はもちろんのこと、その教える姿には「大切な何か」があると感じます。それは本人の口から饒舌に語られるものではなく、普段の姿からにじむもの。今シリーズでは専門コースの堀先生の染色実習を取材し、その何かを見つめていきます。初回は染色データ作成の授業です。

◆なぜ染色データ見本なのか?

「データ見本を持つ必要性」を常々伝えている堀先生。根本にあるのは「せっかく学びに来てくれたんやから、家で一人でも染められる技術を身につけて、染色を続けてほしい」という思い。「染料の単色見本は染料店で手に入りますが、配合色の見本はありません。売っていない色を自分で作れるようになると染色の幅が広がります。それにデータが手元にあることで、自分で染色してみようという気にもなります。その気持ちを芽生えさせることが大事」と考えて、データ見本作成の授業を行ってきました。

本科(1年次)の染色の授業では、基本染法を学ぶと共にデータ見本を作ります。発色に限度がある天然染色に対して、出したい色を作れるのが化学染色。授業では天然と化学それぞれの染色方法の特性について、データ作成の実習を通して学びます。初めに行うのは化学染色データ作成。ウール、絹、綿、ポリエステルの糸を使って、それぞれ糸種に合った化学染料で染めて100色以上のサンプルを作成。さらに淡色から中間色、濃色、極濃色に染めてグラデーションデータの作り方も学びます。

堀先生は「作業自体、慣れると自分でできるようになる。ただ手順の中で間違えたらあかんところは特に気にかけて見ています」と言います。中でも、染料を配合して色合わせする化学染色は、数値の確認が肝。淡色の場合、染料の分量が市販のデジタル計量器の最小単位以下になることがあります。そこで、例えば0.001の単位を計る時は、熱湯で溶かして千倍に薄めた溶液にする。常に慎重さと正確さを求めるのは、計量時も配合時も同じ。はかり台にスプーンで染料を落とす時の細やかな指使い、メスシリンダーとスポイトの使いこなし方など、「こうやるんやで」とその場でやって見せながら道具を扱うコツも教えていきます。「再現性のないデータなら無い方がマシ。そうならないためには正確に計ることに尽きます」

◆はじまりは20年前、お手製カラーパレットから

現在、スクールには糸種毎に約150色のデータサンプルが揃っています(2021年6月時点)。新色も増えており、それは失敗から生まれる場合もあるそうです。「染料の計量で、桁を一つ間違えると全く違った色になる。ただ間違いの箇所をはっきりと確認できれば、その色は新色としてサンプル仲間に入れています」。計量は正確に、一方で「染色に失敗はつきもの」とそれを生かす道筋をつけるのも「楽しく染色に取り組んでほしいからな」と語る堀先生の工夫なのかもしれません。

堀先生は、スクールで教えるようになった当初に作ったというカラーパレットをそっと見せてくれました。染色データ見本を一から作るのにあたり「色数を100色は揃えたい」と考え、「まずはこのカラーパレットを作って色調とトーン毎に一つの表にまとめ、一色ずつテスト染めをし、データを作っていったんや」と。(株)川島織物セルコンの染色部門で42年勤め上げ、定年後60歳でスクールに配属された堀先生。現場で自分が染める立場から教える立場に変わって何を伝えるか、スクールに何が必要かを長い目で考えて、まずは染色データ見本を整備し、今日のスクールの染色の基盤を築いてきました。そのはじまりとなったお手製カラーパレットは、約20年経った今も色褪せることなく堀先生の手元で大事に保管されています。

化学染色データ作成の4回の授業を終え、堀先生は「作ったデータを有効に使ってほしいな。糸染めだけでなく、身近な布を染めるのにも応用できるしな」と一言。どう活用していくかは、学生一人ひとりの意思に委ねられます。

第2回「勘染め」へつづく

在校生の声2(2021年度・専門コース本科) 「『見る』から『つくる』へ、舵を切る」近藤雪斗

この春から専門コース本科で学んでいる学生のなかには、昨年からの大きな変化で立ち止まり、自分を見つめ直した先で川島テキスタイルスクールに来ている人がいます。本科生の一人、近藤雪斗さんは大学で美術史を学んできましたが、「やっぱり、ものづくりがしたい」という気持ちが募り、2021年4月に入学しました。ものを「見る」から「つくる」へ、自分が本当にやりたい方向に舵を切った近藤さんの、この半年の実感について、ご本人の言葉でお届けします。

組織織りの授業。「もともと文様に興味があって、組織織りの授業を楽しみにしていました。どうやって作るのか不思議に思っていた布が、緻密な準備で出来上がることを知りました。仕組みを理解すれば、柄のバリエーションがいろいろできると実感がわきました。」

大学で専攻した美術史では、見る、考える、考察するというふうに、ものに接しながら見る目を養うという学び方をしてきました。文化財にも多く触れ、なかでも伝統的な布、特に文様に目がいき、織りに興味を持つようになりました。

僕はずっと、ものづくりをしたいという気持ちがあったんです。実際に、ものづくりの世界に入り込んで自分でつくる方が、性に合うのだろうなと思って。ペルシャ絨毯のお店に行った時に、この学校のことを教えてもらったのがきっかけで見学に行きました。学校でいろんな機や作品を見て、ここだ!と直感。この学校は、海外とのつながりが深いのも魅力でした。

これまで、美術史から織物を見ていた時は、糸繰りや染色も織りにつながっているところまでは正直、想像できていなかったです。スクールに入学して、スピニングの授業で、羊毛を広げて洗って紡ぐ実習ができたことで、ウールはそこから来ているのか!と初めて実感が持てました。天然染色も、知識を得るだけではなく、実際にやってみないとわからないという感覚がわかりました。この半年、様々な実習を通して、ひたすら織ってきた感じがしますが、それも僕がずっとやりたかったこと。織りと一口に言っても、組織と絣でも全く違うし、模様の出し方のバリエーションを実際に織りながら学んでいます。制限があるなかでデザインしていくのは面白いです。

「見る」と「つくる」の違いも大きくて、これまで見ている分には大胆な作品に魅かれていたんですが、自分でつくると細部まで神経を使って規則性のあるものになるんです。色合いも、これは「近藤さんっぽい色だね」と周りの人から言われたりして、作品をつくることで自分らしさを知っていっています。

僕は職人の仕事に魅かれていて、今この学校ですごく自分に向いていることができています。大学を離れるときは、勇気もいりましたし、大丈夫かなと思いましたけど、それ以上に、やりたいことをやろうという気持ちの方が大きかったです。自分が思い描くことを、自分の手で「形にする」。それが、今やりたいこと。これから個人制作に取りかかるのが楽しみですし、この先も、やりたいことを続けていきたい。初めの直感に頼って正解だったなと、今は思っています。

在校生の声1(2021年度・専門コース本科)「過程の面白さに気づいて」德本治子

2021年4月に専門コース本科に入学した学生たちは、織りに向き合って半年が経ちました。それぞれに、織りを通して、自分の中にある何かが少しずつ変わり始めているようです。コロナ下で留学の一時中断を余儀なくされ、帰国中に川島テキスタイルスクールに出会って、新たな一歩を踏み出した德本治子さん。この半年の気づきや変化について、ご本人の言葉でお届けします。

テキスタイルにはずっと興味があったのですが、進学した美術大学では別の学科を選びました。それでも織りがずっと気になって、卒業後、海外で織りを学ぼうと、まずは英語力を身につけるのにイギリスに留学していました。コロナの影響で帰国し、身動きが取れない状況が一年も続くうちに、どんどん心がしんどくなってしまって。そんな最中にスクールのワークショップに参加。手を動かして学ぶのがすごく面白くて、前に進んでみようと入学を決めました。

ここは自然が豊かで、織り機がたくさんあって環境も整っていて集中できる。もしかして、私は手を動かすのが向いているのかなって思い始めています。

織りを学び始めた頃は、出来上がった時が一番楽しいと思っていました。そのうち、織りは準備からが一連の流れ、と視野が広がっていくにつれて、過程そのものが面白いと思うようになりました。織物には設計が必要で、ゴールが見えているからかな。失敗もそのまま表れるので、次はこうしようと段階を踏んでいける手応えもあります。

クラスメイトとも、よく話をします。みんな、コロナ下で立ち止まって、それぞれの節目でこの学校に来たんだなと知りました。この学校では糸の成り立ちから学べるので、ものを作るって何だ?っていうことを、手で触った実感から考えていける。これって私だけの感覚なのかなとか、クラスメイトと気づいたことを口に出し合って、お互いの考えを知っていけるので、私は以前よりもおしゃべりになったなって(笑)。

将来のことは、コロナで状況が変わってきているので本当にわからない。それでも、今は不安ではないです。一つ決めているのは、ずっと織っていきたいということ。今学んでいる技術は、自分の中に積み重なっていて、これからも自分の中にある。だから、ちゃんと作って、人と関わっていればどうにかなるって、今は前向きに思っています。手を動かして、ものを作ることが、いかに自分の支えになるかを、この半年で実感しています。

スクールの窓から:綿花から糸を紡いで織る 奈良・つちや織物所で校外学習

「紡ぐ」という営みが暮らしから遠のいて久しい現代において、和綿を自家栽培し、綿花から糸を紡ぎ、主に手織りで暮らしに使える道具に仕立て、販売までを行っている「つちや織物所」。専門コース専攻科(2年次)では、2日間の校外学習として奈良にある工房を訪ねて、綿花について学び、実際に糸を紡いで小さな布を織る体験を行いました。川島テキスタイルスクールの専門コースには、羊毛を紡ぐ授業があります。ですが、学生にとって綿花を紡ぐのは初めての経験。身近な綿の知らなかった世界の広がりに触れ、学びに満ちた2日間となりました。初日の様子をリポートします。

「畑から綿を収穫し、糸を紡いで、布に織る」までをグループで行う、
「奈良 木綿手紡ぎの会」で制作した布を紹介する土屋美恵子さん

緑に囲まれた一軒家の工房には、作業スペースと織り機があり、この7月には小さなギャラリーを開設。敷地内に染色場、近くに一反(300坪〈600畳〉)の広さの綿花農園があり、この場所で循環できる仕組みを実現している。そんな「つちや織物所」は、織りをする人にとって、まるで理想郷のよう。ここを2006年に開設し、運営しているのは土屋美恵子さんです。

初日はまず、「つちや織物所」の成り立ちについて、土屋さん自身の歩みとともに紹介されました。独学で道を切り開いてきた土屋さんですが、「手元にあるものから教えてもらってきた」そうです。産業の衰退で望みの糸が入手困難になったのを機に、綿花栽培から糸作りをしようと踏みきり、同時に循環できる仕組みを考え、人が学べる場を作ってきました。ビジネスにつなげる道も模索していますが、「まだ非常に難しいです」と率直に語ります。それでも「自家用から作る」。それを継続していくことで、「家事の延長で、人の生活の中に入っていけばいいなと思っています。気の長い話かもしれないけど、暮らしの中に手仕事があるのは素敵なことなので」と話します。

◆難しさも含めて、味わう

そして、手紡ぎの実技へ。講師は余語規子さん。「つちや織物所」で手紡ぎを学び、自身も綿花栽培から実践している方です。初めに機械でシート状にした綿を使って、糸車を回しながら繊維を引き出して撚りをかけることで糸を作る、一連のプロセスを教わりました。頭でわかったつもりでも実際にやってみると、これがうまくいかない。ちょっとした張り具合や力加減で状態が変わります。「最初は難しいです。それも含めて味わってもらえたら」と事前に言われていたので、心のハードルを下げて向き合えます。黙々と取り組む中で、学生の一人はスクールでウールを紡いだ授業を思い出し、「あの時、うまくできないのが悔しくて。その後できるようになって、初めに感じた悔しさが大事だと知った。その初心を今、思い出しました。紡ぐのが楽しいです!」と言いました。

次に、紡ぐまでの工程を体験。綿花にまざっている枯葉の破片などを除き、道具を用いて種を取り、綿打ちをしました。「綿打ちって言葉は聞くけど、この作業のことを言うのか」と目を丸くして見入る学生。作業は弓矢のような道具を使い、弦の部分に綿花を乗せて思い切り弾いてほぐしていきます。実際にやってみると、これが結構体力のいること! 均等にほぐせるまで繰り返し、ビンビンという弦を弾く音が作業空間に響いていました。

ふわふわになった綿をシート状に整え、やっと紡ぐ工程へ。機械で綿打ちされたものと、自分の手でしたものとでは、触感の違いは明らか。繊維を引き出す時に、ボコッと極端に太くなったり、細くなったりと形が定まらない。そんな中でも、綿がスルスルッと手元から引き出せる瞬間があって、糸になっていく快感を味わうこともできました。

◆紡いだ糸で織ると、布が生き生きしている

2日目は、初日に紡いだ糸を腰機で織り、一枚の小さな布を作りました。布になると、でこぼこの糸がハーモニーを奏で、不揃いさが個性に。「糸の凹凸(おうとつ)は工業製品の場合は失敗と見なされます。ですが手仕事の場合は、一様じゃないのが味わいになります。紡いだ糸で織ると、布が生き生きしている印象があるんです」と土屋さんは顔をほころばせます。

繊維を集めて、糸にしていく。そんな「紡ぐ」は「つなげていく」行為でもある気がします。でこぼこでも、たとえ途切れても、またつなげていく。そうして自分の手で紡いだ糸を使って織る喜びはひとしお。学生は、最後まで興味津々に質問をしていました。

じつは土屋さんは、約25年前に川島テキスタイルスクールで染織の基礎を学んだ経験があるそうです。当時の経験を「いろんな世代の方が、それぞれの人生のタイミングで『織りたい』と集う。緑豊かで別天地のようで、そこでは織物のことしか考えなくていい。皆さん一生懸命だし、すごく気持ちがいい場所です。私はスクールで基本を学んで織れるようになったことで、先の見通しを立てることができ、やるぞ!と意欲がみなぎりました」と、生き生きと語ってくれました。

手織りの基礎を学んで、個人の制作活動に打ち込んでいる2年目の学生たちにとっては、糸を紡ぐという原初的な校外学習を通して、これまでスクールで積み重ねてきたことを俯瞰的に見て、新たな息吹を受けた2日間となりました。

◆土屋さんにとって織りとは? 「言葉」

ものは、言葉で説明しなくても自分を表してくれる。そんな考えに触れ、話すのが苦手だった私が、ものづくりを始めたのが20代。時代は変わり、今は作り手も言葉の力を求められる場面が増えました。それでも私の場合は、作品そのものや、紡ぐ・織るという営み自体が、言葉にしきれない私自身を表していますし、それによってたくさんの方との関わりができています。

〈土屋美恵子さんプロフィール〉

つちや・みえこ/1990年、お茶の水女子大学数学科卒業。学生時代に民族舞踊に打ち込み、その衣装作りで布を求めるように。川島テキスタイルスクールで染織の基礎を学び、その後、独学で織りを続ける。2006年、奈良市で「つちや織物所」を開設。暮らしの道具も作り始める。13年からは、綿花栽培および「木綿手紡ぎの会」の活動を始め、綿花から糸紡ぎ、布作りを行っている。

website: つちや織物所

instagram: @tsuchiya.orimono


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スクールの窓から:「課題をやり遂げる自信に」8メートルの縞の布を織る・使う

トントン、トントントン。例年7月、スクールのアトリエには機織りの小気味良い音が響き渡ります。スクールの風物詩のようになっているこの響きは、専門コース本科生(1年次)が取り組んでいる「織実習」で布を織る音。ペースや力加減によって、一人ひとりが異なる織りのリズムを刻んでいきます。使用するのは、ろくろ機。主に着物を織るこの和機を使って、着物と同じ幅で長さ8メートルの薄地の布を織り、同じ布で風呂敷を作るまでを行います。

布地のデザインは、好きな絵画を選び、絵の中から抜き出した6色を用いた縞模様の構成から。「色彩演習」の講義で学んだ知識や色の感覚を生かして経糸6色を組み立てます。それを勘染めの技術を使って染色し、経巻きをし、続いて緯糸の色選び。全体のバランスを考え、すべての色味をうまく生かせる色を試し織りして決めます。

使用糸は経糸が綿、緯糸が綿と絹を半分ずつ。異なる糸を使った織り上がりの違いも学びです。細くて長い糸を扱うがゆえに絡まりやすく、できるだけ乱さないようにするには染め、機がけ、織り、すべての工程で慎重さが必要。実習期間の大半を準備に要します。

この授業では竹筬を使う場合が多い。
糸の動きに合わせて竹がしなり、やわらかい風合いが生まれる。

そうして約1カ月半、根気よく糸と向き合う日々を経て、たどり着いた講評会。この制作に関しては、あらかじめ織りの密度が決められており、張り具合を一定に保つには自分のリズムをつかむのが鍵となります。実際、学生からは「一度に打ち込む回数を変えて、力を計算しながらできた」という手応えや、「体調や気分によって打ち込む感触が変わる。ゆっくりがいいわけではなく、だからといって早く打ち込んでも少しずつ乱れたのに気がつかない」という試行錯誤が語られました。

課題には、風呂敷に仕立てて使ってみるという、織り上げた後のプロセスまでが含まれます。そこで縞模様をどう生かすかも工夫の見せどころ。あえて大胆に幅の広いデザインを取り入れた学生は「柄が映えるように、スイカなど大きいものを入れます」と楽しそうに紹介する場面もありました。

「作ったからには、生み出した責任があります。強度や扱いやすさを確かめて、実際に使っていってください」と山本講師は伝え、こう話しました。「私も初めて布を織った時のワクワク感を今も忘れてないです。糸が布になる感覚を忘れずにいることが、一生を通して織りを続けていけるポイント。だから自分の感覚を大切に」。布を織るという一連の課題を終え、「やり遂げたことに対する自信を持ってください」と最後に励ましました。着実な一歩の手応えとともに、学生の歩みは続きます。


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