本科

在校生インタビュー1 高校・大学卒業後に入学

奥村穂波さん・吉田有希子さん(2023年度・専門コース本科)

川島テキスタイルスクールの専門コースには、年代も背景もさまざまな人たちがそれぞれの目的を持って学びに来ています。2023年度の本科には、高校や大学を卒業してすぐに入学した人、勤めていた会社や組織を辞めて学びに来た人、スクールのワークショップやウィークエンドクラスを受けて専門コースに進んだ人たちが各々の人生のタイミングで来て、同じクラスで学んでいます。このほど本科生にインタビューし、入学の動機や、7カ月が経った変化や気づきなどについて語ってもらいました。3回シリーズの初回は、高校卒業後に入学した奥村穂波さんと、大学卒業後に来た吉田有希子さんへのインタビューです。

◆ここでしか学べないことがあるのかな、ビビッときた

——まずは入学の動機を教えてください。

奥村穂波:高校の美術の選択教科に染織があって、体験授業で見たウールがきれいだなと思って選びました。軽い気持ちで始めたのですが、2年目に羊毛から糸を紡いでマフラーをつくったのが楽しくて。羊毛の色が混ざる感じがきれいで好きだなと思っていました。進路を決める時期はまだ自分のやりたいことがわからなくて、食関係とかいろんな専門学校を見ていました。そしたらお母さんが川島テキスタイルスクールのことを教えてくれて、ホームページを見てブログを読んで、なんかビビッときたんです。高校の染織が楽しかったのが大きいと思うんですけど、自然に囲まれた環境が高校と似ていて雰囲気が良さそうで、実際に手を動かしてものをつくって、ここでしか学べないことがあるのかな、やってみようと思って受けました。

吉田有希子:大学は文学部で日本美術史を専攻していました。学芸員資格を取りたくて選んだのですが、就職は考えていなくて。テレビで久留米絣の特集番組を見て絣に興味を持って、卒論のテーマに選びました。ですが私は織物をやったことがなかったので、絣を調べるのに本を読んでもわからないことだらけで。つくってみたいな、つくれるようになったらわかるかなと思っていたところ、『染織と生活』という古い雑誌に川島テキスタイルスクールの広告が載ってたんです。こんな学校があるんだってお母さんに言ったら、お母さんが川島織物*のことを知ってて、ちょっとずつ興味を持っていって夏にオープンスクールに参加しました。京都だから街のイメージでいたら、(スクールの立地は)山に囲まれててびっくり(笑)。ですがその環境が、一つのことを集中して学ぶのにいいなと思って。座学じゃなく、実技を通して学んでいくところもいいなと思い、すぐに願書を出しました。

*川島テキスタイルスクールは、川島織物(現・株式会社川島織物セルコン)が1973年に創業130周年の記念事業で設立した学校。今年(2023年)で開校50年となる。

◆失敗しても「何とかなる」と思えるように

——入学して7カ月が経ちましたが、自身の変化を感じますか?

奥村:高校の染織の授業では、自分のやりたいようにやってみなっていう自由な感じで、細かいところまでは教わらなかったです。それで今つくったものを見返すと、撚りがすごく強いところとかがあるなって気づいて。この学校で専門的に学んでいくうちに、そういう(ものの)見方がわかるようになって知識がついたなと感じます。織り全体に関してそうですね。入学するまではリネンとか糸の種類の違いを全然知らなかったし、最初に組織織りや二重織りを見たときに何がどうなっているのか想像もつかなかったけど、いざやってみると構造がなんとなくわかってきて、テンションとか糸の扱い方もわかるようになってきました。(同じマフラーでも)ホームスパンの授業でつくったものと高校の時につくったものは、触り心地や柔らかさも全然違って、すごく成長したなって思います。

糸を紡ぐ奥村さん

吉田:4月に学校に入って、初めは大丈夫かなっていう時期がしばらくあったんです。道具の扱いとか、糸が絡まったり切れたりしたらこわいなとか、期限までに課題がほんとに終わるのかなって。だけど今は「何とかなる」と思えるようになりました。いろんな実習をやるなかで、失敗しても先生が助けてくださって解決策を知っていくうちに、そう思えるようになって。それで夏休み明けから、いろんなことがスムーズにできるようになっているのに気づいて、楽しさが大きくなっている感じがします。

奥村:「何とかなる」は私も思います。組織織りの実習で、天秤機で(糸を通すのに)綜絖の数が真ん中で余ったり足りなかったりすることがあって。全部糸を抜いてやり直さないといけないかなと思ったけど、先生の直し方を見て、そんな裏技があるんだ!と知れたり。みんな同じ失敗体験をしているのかな、失敗から(工夫して)裏技を(編み出して)何とかしていったのかなと思いました。(期限までに)出来上がるか不安だった課題も意外と何とかなったし。

吉田:「布を織る」の実習あたりから、楽しくなっていった気はします。織りながらみんなの織る音を聞いて、みんなのリズムはどんな感じかなと考えながら織ってました。リズムに乗れたらきれいに織れている感じがして、それが楽しかったです。

奥村:この半年の間でやってきた内容が濃厚すぎて、こんなにいっぱいつくったんだ、(過ぎてみれば)あっという間で日記を書いておけばよかったです。糸を紡ぐ時や織る時は無心になる。「布を織る」の時はずっと同じ作業(平織り)で長いこと(8mの長さ)織ってたから、ほんとに無で。どれだけ進んだかわかるように、1時間ごとに織った長さを測っていました。そしたら初日から織るスピードが3倍ぐらいに早くなっていって、目にみえて進んでいくのがわかるから心の安定にもなったし、そうしていつのまにか無心でやっていました。

◆もっと知りたい、わかるようになりたい

——これから修了展に向けて制作が始まります。いまどんな気持ちでしょうか。
奥村:個人制作では自分でコンセプトから考えないといけない。これまでの実習では課題があったんですけど、1から全部自分でつくり上げるとなると不安はあります。だけど自分の好きな雰囲気や好きなものから派生して、このモチーフでいきたいというのが決まった時はワクワクしました。だから楽しみもあります。

吉田:私は絣に興味を持ってこの学校に来て、修了制作でも絣の作品をつくります。じつは「絣基礎」の実習で失敗したんですけど、それはそれで面白いものができたんです。そこでもっと絣を知りたいと思いました。絣はけっこう制約があると思うんですけど、まだ私はそんなにわからなくて。先生とデザイン案をやりとりするなかで絣を使った制約のなかの表現の可能性を知り、私もいつか(デザインと絣の)仕組みをパッとわかるようになりたいです。絣は奥深いし、私はまだまだわかんないことだらけなので、もっと知りたい、わかるようになりたいと思っています。

経糸の絣を括る吉田さん

*2024年度専門コース本科・技術研修コースの入学願書の二次締切は12月15日です。コースに関する説明、学校見学は随時受け付けています。ホームページからお問い合わせください。

冨田潤先生工房見学

秋の課外研修として、冨田潤先生の工房を訪れました。参加したのは専門コースの本科(1年)と技術研修科の学生、そして留学生です。留学生のなかには、冨田先生の著書“Japanese Ikat Weaving” (1982年、Routledge Kegan & Paul)を持参した学生や、出身大学の図書館でその本を読んでいた学生もいて、冨田先生がいかに海外で知られているかがわかります。

訪れたのは京都の北西にある越畑。里山にある拠点をThe Villageと名付け、「染織でつながりながら暮らしを創造していく集合体として」活動を実践しておられる場です。当日は冨田先生の案内のもとギャラリーで作品を見て、アトリエを見学。アトリエではジャガードをドビー機に改造した機の仕組みの説明を受けて、染織家のホリノウチマヨさんからも制作中の作品のお話がありました。午後は住居のある古民家でDVDを鑑賞。冨田先生との交流やDVDの内容に、留学生の一人は制作のインスピレーションを受けた様子で、懸命にメモを取る姿もありました。

自然豊かな環境で、暮らしと仕事が一体となるありように、織りを通して心豊かに生きることを感じたひとときでもありました。

「自社製品に対する誇り」播州テキスタイル研修 本科・Hさん

「日本のへそ」といわれる兵庫県西脇市を中心とした北播磨地域。そこは220年以上続く播州織の産地です。糸を染めて織る先染織物の国内有数の産地として、商品企画から染め、織り、加工までを一貫して行っています。専門コースでは産地研修として、西脇市郷土資料館を訪れて地域の風土や播州織の歴史を学び、植山織物株式会社と大城戸織布の工場を見学しました。


 去る 2023 年 9 ⽉ 15 ⽇、スクールからバスにゆられて約⼆時間半、播州織の主な産地である⻄脇市に到着しました。

 まずは⻄脇市郷⼟資料館にて、播州織の歴史について、学芸員の⽅に展⽰を⾒つつ講義いただきました。なかでも、⻄脇市を中⼼とする北播磨地域は江⼾時代、複数の藩の⾶地となっており、決まった領主がいなかったため統制がゆるく、地域に住む⼈々の⾃主性が保たれていたこと、またそれにより、明治になり幕藩体制が崩壊した後も、⾃⼰販路を持っていたため⼤きな影響を受けなかったことなどが、播州織という独⾃の⽂化産業が育まれた背景のひとつであるとのお話を聴き、とても興味深く感じました。
 また、展⽰を拝⾒した後には、播州織の古い⾒本帳が保管された⼀室にご案内いただきました。私が主に⾒せていただいた⾒本帳は昭和 33、34 年頃のもので、記された輸出先国の情報を⾒ると、ベネズエラなどのアフリカ諸国やオーストラリア、アメリカ、⾹港など世界各地へ輸出されていたことがうかがえる貴重な資料でした。輸出先の多様さに驚くと同時に、もしかして古い外国映画等で、知らず知らずのうちに播州織が使われた服を⽬にしていたのかも…と思うと感慨深かったです。

 次に植⼭織物株式会社にて、植⼭社⻑にレクチャーいただくとともに⼯場内を⾒学させていただきました。
 ⼯場では、シャトルによって緯⽷を⾶ばす有杼織機から、両側から緯⽷を受け渡すレピア式織機、空気で緯⽷を⾶ばすエアジェット織機まで⾒せていただきました。織るスピードは空気によるものが圧倒的に早いとのことでしたが、シャトルでゆっくり織る⽅が、布が柔らかく⾵合いが良くなるとご説明いただき、効率化が決して品質に結びつくわけではないものづくりの難しさを改めて感じました。
 さらに、綾織と平織の織り⽅や仕上げ時の加⼯の有無の差、また他国製との⽐較等による繊細な⾵合いの違いについて、布地を実際に触らせていただきながらうかがったお話からも、植⼭社⻑の品質への強いこだわりが伝わってきました。

 最後に訪問した⼤城⼾織布では、⼤城⼾社⻑が⾃⾝で改造されたジャガード織機の数々を、⾒せていただくのみならず、実際にスイッチを押して動かす等の経験もさせていただきました。
 また、先述の植⼭織物株式会社が、いわゆる播州織の特徴である分業制にてシャツ⽤の平織⽣地を主⼒としつつ、⼩ロット⽣産に移⾏しブランド化されている⼀⽅で、⼤城⼾織布ではさらに⼩さいロットで、駆け出しのファッションデザイナー等個⼈の細かい希望に応えて⽣産し直販されているため、⾒せていただいた⾒本地はどれも個性的で⾯⽩く、他にはない魅⼒を放っていました。
 ⼤城⼾社⻑や社員の⽅のお話には、現代では軽視されがちなものづくりの現場は決して楽ではないものの、⾯⽩いことをやっているという気概と熱量がこもっており、思わず引き込まれてしまいました。

 今回の⻄脇テキスタイル研修では、⽣産の体制や規模等が対照的な⼆社を訪問させていただき、⼤変勉強になりました。また、このように同じ播州織でも多様な⽣産の現場が今も発展し続けていることに、北播磨地域に根づく⾃主性という⾵⼟も垣間⾒たような気がしました。
 そして、どちらの会社も、時代の変化に対応しながら⾼い品質を保つという⼤変困難なことを継続されたうえで、⾃社製品に誇りをもって発信されていることが共通しており、とても感銘を受けました。私もものづくりの難しさにめげずに、⾃信のもてる作品を作りたいと気持ちが改まる思いです。

制作の先に:「一本の糸を撚り合わせるように」 綴織タペストリー「つなぐ」がスクールの寮に登場

専門コースの学生が制作した綴織タペストリー「つなぐ」が、このほどスクールの寮の1階正面に飾られました。「気持ち・経験・発想 一本の糸を撚り合わせるように、ものが生まれる」がコンセプト。昨年度の本科生(1年次)のグループ制作のうちの一作で、空間にフィットした色味やデザインに仕上がっています。

校舎と寮が建物内部の歩廊でつながっているスクールの環境は、学びと生活空間が一体となっています。タペストリーが飾られたのは、食堂に行ったり寮で生活したりするのに、学生たちが「いつも通る場所」。「川島テキスタイルスクールらしいものは何か」「この場所に置く意味は何か」を考えて、モチーフに選んだのは「糸」。本科の織りを中心とした実習で、シルクの極細の糸や手紡ぎのウール糸などいろいろな糸を扱うなかで、糸の構造に面白味を感じてデザインにしました。繊維を紡いで一本の糸ができるイメージと、この学校に人が集い、織り手が生まれる場のイメージ。グループメンバーの話し合いを通して、そんな異なる二つのイメージが「つながった」と言います。この感覚は、一年を通してスクールで織りに没頭している学生ならではと言えるでしょう。寮のこの場所に飾ることを前提に、壁に合う色を選び、微細な色の変化やバランスにもこだわってつくり上げた作品です。スクールに来られる際は、ぜひご覧ください。

制作の先に:「長く大切にしていきたい」 綴織タペストリー「結」が社会福祉法人「友々苑」へ

専門コースでは例年、本科1年目に綴織タペストリーのグループ制作を行っています。このほど昨年度の学生が制作したタペストリーが、京都市内にある社会福祉法人「友々苑」へ納入されました。施設の方からは「利用者が興味を持って見ています」「場所が明るくなりました」と喜ばれています。

この作品は「人が集い、生活の中で縁を結ぶ」をコンセプトに、「結」と名づけた綴織タペストリー。制作した3人は「友々苑」の施設の理念を学び、担当者にヒアリングして施設の要望に沿う形でデザインし、約半年かけて仕上げました。

施設の方と話し合いながら進めていく中で、学生が施設に出向いて飾る場所を見たり、逆に施設の担当者がスクールの制作現場を見に来られたりもしました。そうして、ものづくりのワクワク感を施設の方と共有しながら、織りの効果を生かした躍動感のある作品に仕上がりました。

制作過程で学生たちは、それぞれの得意なところを生かし、苦手なところは補い合いながら進めたといいます。アイデアを出し合い、織りの作業量もローテーションでうまく回して「一人じゃないからできた」とグループワークの良さを実感した様子。学生の一人は、「私は自己表現よりも相手に喜ばれるものをつくるのが好きなんだな、と自分の向き・不向きを考えるきっかけになりました」と話しました。

作品が廊下に飾られると、事務長と担当者の方から「長く大切にしていきたいです」と伝えられ、言葉のプレゼントをいただいたような温かさが広がりました。

スクールの窓から:「日本の産地の仕事にはヒントがたくさん」大高亨先生の講義2

大高亨先生による「日本の特色ある織物」授業リポートの後半です。2回目の講義では、数ある産地のなかでも昨今、注目されている東北を中心に、地域性や土地柄、気候、風土などをふまえて特色を紹介。一枚の織物から、その奥行きを見る手かがりが示された講義でした。

◆自給自足で得られるもので暖かく
福島の織物でとりわけ特徴的なのが「川俣シルク」。髪の毛の1/6の細さの糸をレピア織機で織る、世界一薄い絹織物「妖精の羽」が紹介され、先生は特色をこう話します。「細い糸を均一に引くには、繭自体も品質がよくないといけない。それを養蚕から一貫してできる場所は、世界でもなかなかないと思うんです」。力織機で織る点にも着目し、「超極細の絹糸を、一日に何十メートルと織れる機械にかけるというエンジニア魂を感じます。手織りだと融通がききますが、高速の機械できれいに織るには機械自体も細やかな操作や管理が要るので」と。そんな説明を聞くうちに、日本の伝統織物の強みを見る目が開いていくようです。

かなり珍しい織物として、ぜんまいの綿毛と白鳥の羽を撚り合わせて織る「ぜんまい白鳥織」(秋田県)も紹介されました。「東北の地では綿は育たない、岩手は別として羊毛もない。あるのは麻系で着る物としては寒い。自給自足で得られるもので暖かくするのに草木や、沼で白鳥が残していった羽を拾い集めて織物にしている」と背景を説明します。他にも盛岡のホームスパンや、青森の南部裂織、津軽こぎん、アイヌのアットゥシ織など、多様な内容が紹介されました。

◆アーカイブ化されて資料が残っていけば
そうして日本の特色ある織物を横断的に見ていき、講義は最終回へ。先生が「平成の百工比照」のコレクションの一部と私物を持ってこられ、実際にものを見ていきました。実物を目にし、より興味が刺激された学生たちは皆、前のめりに。一枚一枚、目を近づけて見て、触った感想を言い合い、「用途は?」「(繊維にする皮を)はぐ時期は?」など質問が飛び交います。赤穂段通では裏表返しながら、端の処理がどうなっているかを自分たちで読み解こうとする場面も。授業全体を通して、学生からは機械の仕組みや、どう織られているかといった、つくる目からの質問が多く上がりました。

授業の最後に、大高先生は産地の現状についてこう話しました。「僕は日本の産地をまわって20年ほどになりますが、訪れた後に廃業になった所も増えています。ただ、『平成の百工比照』のようにアーカイブ化されて資料が残っていけば、後々復元できなくもない。一度なくなったものを復元し、制作し始めている産地も実際にあります」

学生に向けては、「日本の産地には、まだまだ面白い染織品があります。紹介した分だけでも様々な技法や意匠があるし、機械や道具に工夫があるのも特色。産地の仕事にはヒントがたくさん潜んでいます。そこから自分のオリジナル作品に生かすこともできるので、ぜひ興味を持って」と伝えました。

〈大高亨さんプロフィール〉
おおたか・とおる/染織を専門領域に、大学教員、作家、デザイナー、プロデューサーとして活動している。近年は東北の布の調査、研究も行っている。また様々な企業、組合等のアドバイザー、教育機関、研究機関での講演なども行っている。

instagram: tontakatea
website: Tohru Otaka
「平成の百工比照コレクション」データベース

制作の先に:「場所」へのフィット感 綴織タペストリー「こえ」が(株)川島織物セルコン本社内に登場

学生が制作した綴織タペストリー「こえ」が、このほど(株)川島織物セルコン本社内に展示されました。初日には山口進会長、川島織物文化館(以下、文化館)の館長やスタッフ、制作した学生などが集い、作品を囲んで言葉を交わしました。その様子をリポートします。

スクールでは毎年、専門コース一年目の集大成として、綴織タペストリーのグループ制作を行っています。「場所」に合わせてテーマを決めるのが課題の肝で、2021年度制作分の展示場所の一つが、本社内の文化館から本館に入る休憩スペース。デザインを考案した近藤雪斗さんは、「こえ」のテーマについて「ここを『展示と人』から『人と人』の関係に戻る場所と捉えました。静けさから賑わいへと場面が切り替わるのに、こえがキーワードになると考えました」と紹介。

「こえの色 こえの光 こえの導」というコンセプトについては、「文化館での鑑賞は知らなかったことを学べる非日常のインプット。会話が始まるこの場所を、鑑賞の学びを生かす最初の場だと認識し、新しく進んでいくイメージと、人のこえで夜が明けて、人と人の世界に戻っていく朝のようなイメージを重ねてつくりました」と説明しました。

会長は「私はいろんな建築家と話をする機会が多いのですが、この場をどう考えるか、人がどうふるまい、どんな関係性を持つかというような考えをまとめながら設計すると皆さんおっしゃいます。建築に近い考え方だと思いました」とコメント。正面からじっと作品を見つめ、こんな質問も。「建築家は最後まで迷っている。完成してからも、まだ迷っている人も結構多いのは面白いと思っているんです。作品としては完成しましたが、まだ迷っていることはありませんか?」近藤さんが「この壁にはこのサイズでしたが、欲を言えば、さらに大きいものをつくってみたいです」と答えると、会長は「今朝の第一感で、この場所へのフィット感はあると思いました」と全体を眺めて話しました。

文化館の辻本憲志さんは、「(見学案内をする時)文化館では、芸術や文化活動の面から説明しますが、会場を出てこの空間に来ると一転、経済活動を表に出す場面になります。続けて案内するのに、このタペストリーの場面の切り替えを説明することによって、私もスムーズに行えます。着眼点が面白い」と語りました。

近藤さんは「今日はそれぞれの経験からの見方をふまえて感想をいただきました。これから、初めて見る人がどう見てくれるのかが楽しみです」と笑顔を見せました。文化館の見学や、(株)川島織物セルコン本社にお越しになる際は、ぜひご覧ください。

*ご参考
旅するタペストリー(「第5回学生選抜展」出品)
同年(2021年度)のグループ制作
綴織の授業紹介
グループ制作のプロセス紹介